Cherry coke days





 時々、この大きな家の門が恨めしく思える時がある。佐助の母は、此処で住み込みで働いていた。調度、同じくらいの年頃の子がいるからと、佐助もまた可愛がって貰った。母が亡くなって行き場がなくなっても、この家の当主は佐助を捨てるようなこともせず、子どもたちと同じように扱ってくれた。それには本当に感謝している。
 がらら、と音を立てて玄関を開けると、中から当主である武田信玄が顔を出してきた。

「今帰ったか」
「ただいま、戻りました」

 靴を脱ぎながら微笑むと、ぽん、と大きな手が佐助の頭の上の乗せられる。せめてと思って家事はほとんどを佐助が取り仕切っている。直に夕飯の支度を、と言うと信玄は首を振った。

「儂は外で食べてくる。お前は幸村と一緒に居てやれ」
「え…あ、分かりました」

 この広い屋敷には武田信玄と、その孫の幸村しかいない。そこに自分を足しながら、ふと佐助は手に持っていた袋を持ち上げると、とんとん、と階段を上っていった。
 ぼすぼす、と襖をノックするとくぐもった音がした。返答がないのは分かっていたが、気配はある――佐助は「入るよ」というと襖を開けた。
 見ればベッドの真ん中が盛り上がっている。

 ――ぎし。

 傍らに座るとベッドが軋んだ音を立てた。

「そろそろ起きなよ。もう夕方だよ?」
「佐助、某…――」

 中から彼の幼い声が聞こえた。一日中こうして布団をかぶっていたのだろうか。丸くなった布団の上から手を添えて撫でたい気もしたが、佐助はぎゅっと両手を組んだ。

 ――これ以上、触っちゃ駄目。

 自分に言い聞かせると、佐助は硬い声音で言った。

「昨日のこと、気にしなくて良いから」
「――…ッ」

 明らかに布団が揺れた。幸村の動揺が伝わってくる。

 ――こんな風に怯えさせたくて、したんじゃない。

 それを思うと彼にこれ以上触れることも出来ない――両手をぐっと組んで爪を立てた。だがそんな佐助の焦りを気づかせないように、至って明るく声を作り出す。

「良いよ、旦那。ほら、お菓子買ってきたんだ。一緒に食べようよ」
「…良くない、佐助っ」

 がば、と布団から幸村が顔を出す。間近で見れば、彼の目元が赤い――涙で爛れたような跡に、ずぐり、と胸をえぐられたような気がした。彼を直視できなくて、佐助は視線をずらした。

「やだなぁ、あんまり思い出させないでよ」
「だって…」
「悪ふざけが過ぎたんだよ。ごめんね、もうホントに忘れて」

 俯いて佐助は手を強く握りこむ。目を閉じると昨日のことを思い出してしまう。
 昨夜――風呂上りだった彼を、その場で押し倒した浅はかな自分――それを思い出してしまう。どんなに自戒してもしたりない。ずっと気持ちを抑えていこうと思っていたのに、彼にタオルを届けにいって――其処までは良かったのに、気づいたらその場で掻き抱いていた。
 厭だ、と泣き出した彼の声に、我に返らなかったら、もっと取り返しが付かないことになっていたかもしれない。

 ――俺が未熟だったんだよ。

 だから彼に落ち度も何もない。彼にとっても厭な記憶でしかないだろう――だから早く忘れて欲しいのに、幸村は出来ないと首を振る。

「そんな勝手に忘れたりなんて出来ぬ」
「――…友達に戻るだけだよ」
「いやだ」
「――…少し、だけでいいから。俺、あと一年もしたらさ、卒業でしょ。そしたら家、出るから」
「いやだッ」

 強い叫びのような声が、背後から迫る。振り返ろうとした瞬間、強い腕が背後から延びてきて佐助を抱きしめた。

「旦那?」
「厭だ、やだ……――」
「――…?」

 ぎゅう、と強くなっていく腕の力に、どうしたらいいのか分からずに慌てる。この組んだ手を解いたら、次に彼に何をするか分からない――だから彼の腕を振りほどくことも出来ない。その合間にも幸村は背中に顔をぴったりと付けてくる。そうすると呼吸のたびに、背中に熱い吐息が吹きかかる。佐助はじっとそれを耐えるしかなく、知らず身を硬くしていた。すると、幸村がこつりと額を佐助の背につけた。

「某、佐助が…――」

 ――すきだ。

 小さな声だった。
 聞き間違えたかと思って声を発しようとするが、うまく口が動かなかった。

「え…」
「――…嘘ではない。天地神明にかけて」
「――――…ッ」

 幸村の声が耳朶に響く。その意味がやっと理解できて、ぶわりと熱いものがこみ上げてきそうになった。
 ふるふる、と肩が揺れる。その振動に気づいて幸村が顔を上げた。

「佐助?」
「――…ッ」

 佐助は弱弱しく彼のほうへと首を巡らしていく。すると幸村は一瞬驚いたような顔をし、そして次の瞬間に、ほんわりと柔らかい笑顔を向けた。

「佐助、泣くな」
「泣いてないよ」

 ぼろぼろと涙がこぼれて仕方ない。それでも「泣いていない」というしかなかった。言うたびにこぼれる涙を、幸村の手がぬぐっていく。

「好きだ、佐助」

 答える代わりに手を伸ばして、幸村の唇をキスで塞ぐと、佐助はそのまま彼の胸元に顔を寄せて抱きしめていった。







 →7



※佐助が何をしたかは…コチラ(R18)※


Date:2009.06.28.Sun.14:08