今度は旦那が約束をまもる番だよね。


 生きてほしいと、離れてほしくないと、そう願ってきた稚い主に求めたのは、暗い感情に他ならない。この感情をぶつけられるのなら、どうにかしてぶつけてしまいたい衝動だけが佐助を苛む。

 (はき違えているだけ)

 己に対して、幸村が懸想している。だがそれは恋愛のような甘い感情ではないはずだ。この主にそれを説くなど、どだい無理な話のように思えていく。

 (だったら俺様の好きなように)

 この主を汚してしまおうではないか。
 戦場を見ても変わらなかったこの人に憤りを感じる。どうしてだか解らないが、彼が消沈しないことが、佐助を苛立たせていった。

 (あの戦場の血腥さを知って、泣き叫べば良かったのに)

 この忍である自分に対して「生きろ」等と言えなくなってしまえばどんなに良かっただろうか。佐助はそんな風に考えながらも、口元の笑みを消す事無く幸村に告げた。

「旦那、顔、近づけて」

 体当たりをしてきた幸村を抱き締めながら、彼の未だ解かぬ戦装束の背を撫でる。耳朶に囁くように告げると、幸村は不思議そうに顔だけを起して見せた。

「何故だ」
「何故って、そりゃ、口を吸うからだよ」
「口を…」

 佐助の言う言葉を反復しようとして、幸村はその面に朱を載せた。言葉の意味くらいは理解しているだけあり難い。さもすれば慌てふためいて叫び声を上げかねないほどに、幸村は動揺の色を濃くしていく。
 だが佐助はそんな幸村を楽しむかのように、掌を動かして頬に当てると、鼻先を寄せた。

「旦那がしているのは、ままごとと変わらない」
「――っ」

 とん、と鼻と鼻がぶつかる。間近に覗き込んだ瞳が大きく見開かれていた。幸村の大きな瞳がより一層大きく開かれ、瞬きすらも忘れていく。彼の動揺と鼓動が佐助に伝わってくるようで、腹の底から嗤いを零してしまいたくなった。

「だから、ちゃんと教えてあげる」
「佐助…?」

 ぐい、と幸村の首に、背に、腕を回して背後に倒れこむ。すると幸村は引き寄せられるままに佐助に覆いかぶさってくる。だが胸の傷を考慮してか、僅かに幸村が身体をずらした。

「傷に触る…――」
「何?この体勢は厭?」

 くつくつと咽喉を鳴らしながら引き寄せると、幸村は何がしかを口篭りながら、首を振った。しかし視線を投げてみれば幸村の両腕ががくがくと揺れ始めている。それに気付いて佐助は上半身を持ち上げた。

「佐助…」
「仕方ないね」

 両足を組んで腕を後ろ手に支える。そして佐助は同じように身体を起こした幸村に、ひらりと片方の掌を向けた。

「おいで。汚してあげるから」

 (さぁ、掛かっておいで。穢してやるから)

 まるで罠を拡げる蜘蛛のような気持ちだ。佐助の誘いに、幸村は一度だけ咽喉を、こくりと動かすと、引き寄せられるように佐助の胸元に身体を寄せていった。






 引き寄せられるかのように胸元に身を寄せてきた幸村からは、未だに戦場の香りがするかのようだった。差し出した掌を、彼の後頭部に宛がって引き寄せると、鼻先を彼の髪に埋める。そうしている間にも幸村は正座したまま、ぎゅっと瞼を閉じたままだった。

 (心臓の音、聞こえそう)

 幸村の緊張と動揺は計り知れない。こんな風に側に居ることなど、今までもあったのに、彼の身体が強張っているのが解った。

 (初心な人に手出すなんて、何時振りかね)

 頬に手を滑らせると幸村はうっすらと瞼を押し上げた。緊張を解くように頬を撫で、そっと鼻先を近づける。すると大きな瞳を再び見開いた。

「旦那…――」

 甘く、掠れた声音を作って呼びかける。すると幸村は一瞬にして、見開いていた瞳をとろりと潤ませた。
 そのまま押し当てるようにして、閉じたままの幸村の唇に自身の唇を触れさせる。ふに、と柔らかい感触が唇に触れ、押し付けたままで角度を変える。
 ぐ、と強く押し当ててから、唇に挟み込むようにして啄ばみ、きゅう、と吸い上げていく。だがその合間にも幸村の唇は閉じられたままだった。

 (なんて頑な)

 だがそれさえも馴れていない証拠のようで楽しくなっていく。まだ未熟な蕾を掌で押し潰して、壊してしまうかのような感覚に似ている。

 (俺様の手の内)

 佐助は一度幸村の唇から自分の唇を離す。そして瞬きを忘れて、ますます赤くなっていく彼に見せ付けるように、わざと舌先を出した。
 ぺた、と差し出した舌先を彼の閉じた唇に触れさせる。

「――――…ッ」

 びくんと幸村の肩が震えて、瞳が泳ぎ出した。それを間近で確認してから、舌先を口の合間にねじ込むように動かす。幸村のふくりとした下唇に、舌先を尖らせて滑らせ、そのままぐいぐいと捻じ込もうとする。だが幸村は眉根を寄せながら、佐助の舌先の進入を拒んでいた。

「旦那…口、あけて」
「な、何故…」
「気持ちよくしてあげるから」
「しかし…佐助が舐めるから」

 幸村はそのまま俯いてしまった。佐助が舌先を唇に触れさせてくるから、口を開けられないという。

 (本当に口吸いしたことないのか)

 ぎゅう、と頑なに唇を閉じている幸村は、自分の腿に両手を添えて、拳を震わせている。それを眺めながら、肩に手を置くと、愛しむように自分の方へと引き寄せた。

「あ…――っ」
「ねぇ、旦那。舌ちょっと出してみて」
「え…」
「べえ、って出して」

 引き寄せられた事に反応して起す顔に、疑うことを知らない視線が向ってくる。佐助は子どもにせがむように告げた。程なくして幸村は「こうか?」と聞きながら、べ、と舌先を突き出した。

「うん。動かないで」
「――――…?」

 差し出された舌先に、空かさず佐助は自分の舌先を、ぺた、と押し付けた。熱い口腔内に収まっていただけあって、じわりとした熱を感じた。すると幸村は再び硬直して、瞳を大きく見開いた。だがそれから佐助が逃がすはずも無い。
 差し出された舌先に自身の舌先をつけると、そのまま絡め取る様に自分の口の中に引き入れる。じゅ、と強く吸い上げると彼の舌先が逃げるように動いた。

 (追って行こうか)

 逃げをうつ幸村の舌先を逃さず、今度は彼の口の中に触れていく。閉じられそうになる歯列に舌を捻じ込み、上顎を擽る。そうしていると、こく、と幸村の咽喉が動いた。

 (痺れてきているのかね)

 あぐ、と下顎を動かす仕種に、余計に嗜虐心を擽られてしまう。佐助は、小さく甘やかな吐息を紡ぎ出していく幸村の下あごに、そっと手を添えると指先を彼の口の中に押し入れた。

「ん…っ、ん――ッ」

 抵抗するように幸村が呻く。ぎゅうと引き絞っていく瞼から、じわりと涙が滲んでいた。はふはふと小さく呼吸を繰り返す合間に、ちゅくちゅくと音を立てながら咥内を侵していく。
 そして彼の口角から、飲み込みきれなかった唾液が、糸を引いて伝い落ちる頃、ようやく佐助は口を離した。

「は…ひゃ、ふけ…」
「もう呂律廻らないの?」

 弱いものだね、とくすくすと笑いながら告げると、幸村は目を回しそうな勢いで、何度も瞬きを繰り返し、口を開けたり締めたりした。

「痺れてるんでしょ?」
「こ…このような…――」

 がくがくと言葉を紡ぐにもひと苦労なほどに彼は乱れている。触れている場所から、肌がほんのりと赤らんでおり、興奮してきていることを知らせていた。

「旦那には早かった?それとも…」

 佐助は空いた手で幸村の口元から零れた唾液の筋を、そっとふき取るように動かしていく。顎先から咽喉、そして鎖骨から胸元に手を滑らせると、幸村はびくりと背を揺らした。

「期待してた?」
「――…ッ」

 がば、と泣き出しそうなほどに潤んだ瞳が睨みつけてくる。いつもならば鋭利な刃物で突き刺すような彼の眼光も、今の佐助にはただの甘えた誘いにしか映らない。

 (乱れさせたい)

 この手で、乱れさせて、汚して、綺麗なものばかりで構成された彼の世界を押し潰してしまいたくなってくる。佐助は偽りの笑みを浮べると、優しく幸村の背を引き寄せた。そうすると、幸村はしおらしく瞳を伏せてくる。

「どうする?この後、まだ知りたいなら教えてあげる」
「え…」
「俺様とどうなりたいか、解ってるんだよね?」

 間近で見上げてくる瞳が揺れていた。宥めるように彼の頬をなでると、幸村の視線が佐助の手に注がれていく。

 (堕ちてしまえ)

 この手を取るなら、優しく穢してやろう。この手をとらぬのなら、無理にでも犯してやろう。そんな風にうっそりと考えつく。

「佐助…――」

 幸村が自分の肩に額を押し当てて、小さく頷く。それを確認すると佐助は静かに、旦那、と彼の耳元に囁くように呼びかけていった。





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