初陣は夏の日。軽く汗ばむ陽気の日となった。
 この日のためにしつらえられた、幸村の具足は赤。
 全身を炎の色に包まれた幸村は、常より大きく見えた。

『俺に穢されるために、生きて』

 そう、幸村に告げてから、数日が経っていた。その間、佐助の頭を占めていたのはそのことで、それはどうにも止めようのないことだった。
 この稚い主が、戦場の現実を知って、それでも自分を好いていることなどありえない。佐助はそう思っていた。
 しかし、止めようのない闇が、佐助をおおう。

(穢したい、汚したい、けがしたい)

 佐助は相容れぬ二つの気持ちを抱いたまま、戦場へむかうこととなった。










「お館様ぁぁぁぁっ! 幸村、一番駆けにございますぅぅぅ!」

 実際のところ、幸村の活躍は目を見張るものがあった。初陣にして、武将の首級五つをあげ、一番手柄を手にしたのだ。

「幸村ぁぁぁ! あっぱれなりぃ!」

 信玄も、愛弟子の活躍に上機嫌である。
 武田軍は、北条の軍勢を圧倒し、小城一つを攻め落とす戦果となった。
 佐助はといえば、初陣である幸村の影として付き従い、彼のしとめ損なった、いくつかの首級をあげていた。

(ま、初陣にしちゃ上出来、てとこかな)

 気配を消して戦場を駆けていた佐助は、ほっと緊張を解く。

「佐助!」

 炎の赤から血の赤へと変貌を遂げた具足に身を包んだ幸村が、佐助の姿を認め、駆け寄ってきた。緊張をゆるめたことで、常人にも姿が見えるようになったのだ。

「生きていたか!」
「……そう約束したでしょ」

 いつもとかわらない調子で話し掛けてくる幸村に、佐助は拍子抜けしていた。
 足下には敵兵の姿。血塗られたひとがた。
 佐助には見慣れた光景であるが、幸村にとっては初めてのはずだ。

「よく見て」

 意地悪い気持ちに支配された佐助は、死体の山を指さす。

「あんたが殺した」
「それは……」

 佐助の指の先に視線を向けた幸村は、一瞬口ごもった。笑顔が消え、沈痛な表情を浮かべる。

「自分の臣下には死ぬなと言っておいて、敵は殺した」

(違う! そうじゃない)

 心は精一杯叫ぶのに、佐助は自分の言葉を止められなかった。

「それは……」
「それは?」
「それは、お館様の御ため!」

 幸村の言葉に、佐助の唇が皮肉の形に歪む。

「違うね、自分のためだ」

(堕ちてしまえ)

 戦場を知れば、なにかが変わると思っていた。ただでさえ、無垢な幸村である。
 汚したいのだ。自分が、自分の手で。違う、こんな形ではなく。

「違……う……」

 反論する幸村の言葉は弱い。
 佐助は頭をかいた。困らせるつもりはなかった。ただ、知っておいてほしかった、そう、知っておいて欲しかっただけなのだ。

「…… 悪い。言い過ぎ……」

 なにかが動いた、と思った瞬間に、身体は動いていた。
 死体がむくりと−−違う、死に損ないの足軽が、起きあがり、刀を振り上げたのだ。

『生きて』

 佐助の頭を、己の声がこだまする。
 佐助は身を翻すと、その身体を幸村と足軽との間に入れた。足下には味方の負傷兵の姿もある。刀を振り払うことは出来ない。

「佐助!」

 幸村の悲鳴と同時に、胸が熱くなる。斬られたのだ、と気付くまで間があった。
 身体がゆっくりと傾ぐ。それを支える手があった。幸村の手だ。

「佐助! 佐助!」

 喘ぐようにその名を呼びながら、幸村は左手の槍を一閃する。足軽が倒れ伏せた。

「旦那、大丈夫だから」

 佐助は脚に力を入れた。かろうじて地面に転がることを防ぐ。

「……才蔵!」

 いつまでも幸村の手を借りているわけにはいかない。佐助はその手を振り払い、同僚の名を呼んだ。

「……無様だな」

 幸い近くにいたらしく、才蔵はすぐに駆けつけてくれた。嫌味を言いながらも、肩に腕を通し、佐助の身体を支える。

「佐助!」

 佐助から身体を離した幸村が、彼の顔をのぞき込む。泣き出しそうな表情が、そこにはあった。
 生きよと命じた主の顔を見ていると、佐助はどうしても言ってやりたくなった。

「旦那、わかった? これが忍びの正しい使い方なんだよ」

(だから、あんたはなにも心配することなんかないんだよ。そんな痛々しい顔する必要ないんだよ……)

 佐助は意識を手放した。











 気が付くと、佐助は見慣れぬ天井を見上げていた。いや、見覚えがないわけではない。真田の屋敷の一室だ。

(あの人との約束を違わずにすむ)

 己が生きているという事実に、佐助は安堵した。そして、そのことに驚愕した。
 いつでも使い捨てられる忍びという職掌。そのことに納得していたはずだった。
 それがどうだ。生きていることに安堵するなどと。幸村との約束を優先するなどと。

(俺、どうかしちまったのかな)

 なんとなしに、胸部の傷を触ろうとすると、そこは綺麗に手当がしてあった。当然だ。忍び小屋ではなく、真田の屋敷に寝かされているくらいなのだから。
 身体を起こしてみる。傷は酷く傷んだが、致命傷というほどでもないらしい、と佐助は思った。

「ん?」

 思わず声が出た。
 佐助の隣に、赤い物体が横たわっている。佐助自身より血なまぐさいそれは、具足を脱がぬままの幸村であった。
 佐助が身を起こした気配に、幸村が目を覚ます。ぱちりと開いた眼と眼があった。

「佐助!」

 がばりと音を立てて幸村が起きあがった。

「佐助佐助佐助!」

 そのまま、佐助にむかってにじり寄る。

「生きているか? 傷は痛むか? そうだ、誰か呼んで……」

 矢継ぎ早に言葉を繰り出す幸村を、佐助は制した。

「生きてるし、傷もそんなに痛まない。誰も呼ばないで、恥ずかしいから」
「そうか、そうか!」

 素直にうなずく幸村に、佐助は嘆息した。

「それより……」

 言葉を紡ごうとした瞬間、幸村が体当たりをしてきた。

(え)

 先日と同じ状況。違ったのは、幸村が上手く傷を避け、唇を重ねてきたことだった。
 がつん、と音を立て、互いの口元がぶつかる。

(相変わらず下手くそだねぇ)

 佐助は苦笑しようとして失敗した。口元が純粋な笑いの形に歪む。

「そんなに心配だった?」

 こくり、と幸村がうなずく。

「そんなに俺に汚されたかったんだ」

 うなずきかけて、幸村は慌てて首を横に振った。
 佐助は、単衣が汚れるのもかまわず、具足姿の主を抱きしめた。傷は少し痛んだが、多分、この主が悩んだほどの痛みではない。

「俺は生きてる。約束は守ったよ」

(穢したい、汚したい、けがしたい)

 主は戦場を踏んでも変わらなかった。佐助の生を願ってくれた。それならば、自分が変わろうではないか。佐助は思った。

「今度は旦那が約束を守る番だよねぇ?」





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