rapunzel 元服し、戦場に赴くことが増えた日々の中で、ふと元就は昔のことを思い出した。 ――そういえば、あの地の宝はどうなったのだろう。 幼心に――幻想のようなひと時だった――印象深く残っていて、今でも鮮明に思い出せる。あの時が今思えば初恋だったのだろう。 そんな事を酒を飲みながら思い出す。 明日は再び戦場に赴く――その為の布陣はもう済ませてある。あとは日が昇るのを待つだけだ。だがその中で、あの日の事を思い出してしまう。 ――姫もまた程よく成長している頃合であろう。 ならばその姿はあの時のままに美しいに違いない。それに彼の地の者たちの宝だ。 奪還するような野蛮なことはしない――ただ、その姿を見てみたい。いや、出来うることならば、手に入れてみたい。 「――――…」 ただの思いつきだった筈だが、こうして考えてみると現実にしたくて仕方なくなってくる。それに明日の戦もまた海戦になる。その航路にもちろん、四国もまた掠めているようなものだ。 「訪れて、異論はなかろう」 咽喉に、慣れた焼けるような味の酒を流し込み、元就はほほ杖を突きながら脇息にもたれた。あの時の姫――銀色の髪に、白い腕、それを思うと今はどんな姿になっているのか。それを想像するだけで、ふわふわと酔ったような心地になっていった。 翌朝、海上に身を躍らせながらあの地のことを考えていた。戦といっても小競り合い程度のこと――大して被害をこうむることもなく済んでしまう。 それでも城内では勝ち戦だと皆が宴に興じている間に、元就は一人で海に出た。 暗い波の上に浮かぶ小船は、さもすると方向を失いそうになる。 だが少し顔を起こしてみれば、きらきらと光るものが目に入った。 ――きらり。 それはあの日々と変わることもない、灯台の光だった。 元就はそれを目指しながら、船を進めていく。 背後を見れば自身が出てきた明かりが見え、目の前を見れば心細そうな灯台の明かりがある。 ――世闇の中で、光とはかくも頼もしいものか。 ふいに船を進めながらそう感じた。 右も左も分からなくなる夜に、こうして導を与えてくれる光の恩恵を感じる。空を見上げれば降ってきそうな程の星が瞬き、頭上すれすれに落ちてきそうな程のきらめきがある。それなのに、その光はこの海面には映し出されはしない。月くらい出ていればよいものを、新月ともなれば余計に海上は暗かった。 ――ぎ、ぎぎ、ぎ 櫂を漕ぎながら海面を進みながら、どれほど来ただろうか。 遠い記憶の彼方に追いやってしまっていたと思っていたが、目の前に見覚えのある光景が広がっていた。 元就は辺りを見回した。灯台のある場所は断崖絶壁で、海に面して小窓があるだけだ。 他に入り口らしいものは見当たらない。 ――窓からしか、中には入れぬか。 反対側は陸地に続いているのは分かっているが、そちらもまた入り口らしいものはなかった。元就はゆらゆらと揺れる足場をものともせずに、持ってきていた縄を手にする。 縄には鍵爪がついており、壁面を登るにはうってつけだ。 ――ひゅ、 大きく振り出して放り投げると、がしゃ、と音を立てて小窓に引っかかる。二、三度引っ張ってみて落ちないことを確認すると、元就は船を崖の下に停泊させ、身を軽々と躍らせた。 足場を何度か蹴り上げ、そして灯台の窓に近づく。 その時に窓から銀色の糸のようなものが垂れていることに気づいた。顔を上げてみれば、それは小窓の中から伸びてきている。 ――これは、糸だろうか…それとも他の何か…? 考えながらも、それを横目で見送って足場を取っていく。 これくらいの崖上り――正確には灯台の壁面を登っているのだが、造作もないことだった。 ――とん。 程なくして小窓に足元を乗せられるようになる。元就は息を潜めながら、そっと中を窺った。 ――無人、か? 小窓に身体を乗り上げ、中に身を滑らせる。中は狭いだろうと思っていたが、それほど狭くもない。人一人の生活場としてなら、成り立つ広さだった。 暗闇の中で目を凝らしながら、周りを見渡す。 中には様々な置物や、地図、果ては何処の国のものだか分からないようなもの、カラクリ、生活用品と置かれている。 ――ふむ…人の生活している気配は、あるな。 それを見て思案する。だが当の人物が見当たらない。 ――こつ。 元就が足を進めると床が音を立てた。そして息を潜めて進む中で、不意に背後に悪寒を感じた。 「――――…ッ」 「誰だ?」 背筋にぞわりとした戦慄が走った瞬間、身体が硬直してしまう――いや、動かすことは出来なかった。 今まで気配がなかったのに、不意に姿を現した誰ともしれない気配が、元就の背後を取っていた。 振り返ることは出来ない。 少しの動揺も時には命取りになりうる。 背後から響いた声は、想像していたよりも低く、またそれは少女のものでもない。この場にいると予想もしていない対象だ。 「――おい、お前は誰だ?」 「人に誰何をするのなら、まずは自分から名乗ればよかろう」 焦れた様子で背後の声が言う。それに嘲笑を含むような声音で応える。すると、ふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。 ――ぎし。 「横柄な侵入者だな。此処は俺の住処だ、俺が誰何して何が悪い?」 「お主の住処…――?」 背後の軋む音で、そこが寝所になっていることが知れる。 元就はゆっくりと首を巡らした。それでも背後の人物が動く気配がないのが分かると、肩を向け、向き合うように居住まいを正す。 元就の目に飛び込んできたのは、寝所に座る男だった。 銀色の髪を長く伸ばし、そのひと房が窓辺に流れていたのだと知れた。 暗闇の中でも浮き出る彼の肢体は、白く、それでいて逞しく、人外のようにも見えた。 ――鬼、か? 彼を見てそう判断する。だとすると幼い日に見たあの少女はどうなったのだろうか。此処はその少女の住処であり、この地の者たちの宝である筈の彼女の場ではないのか。 元就は眉を潜めながら、現れた銀色の鬼に向かって問う。 「我を謀るか」 「謀ってなんていねぇよ」 ふう、と溜息が聞こえる。目の前の鬼は楽しそうに口元を歪めた。小窓からは、潮風がさらさらと吹き込んでくる。 「しかし…姫は何処だ?」 「姫…――?ああ、それね」 ――ふふ…くくく… くぐもった笑いを零しながら彼は片足を、膝の上に乗せ斜に構えた。肩を震わせながら押し殺した笑いを漏らす彼をじっと見据えたまま、元就は静かに問うた。 「なんだ……何が可笑しい?」 「姫は姫でも、姫若子だ」 楽しそうに鬼は言うと、ぎし、と音を立てて立ち上がる。そして長い髪を肩の辺りで払うと、元就に近づいてきた。 室内の闇の中から、外の微かな光に照らされてくる姿は、やはり幻想的とも言えるほどに整っている。 元就は動くことが出来ないままだった。だがそれでも今聞いた言葉に、小首を傾げる。 ――姫若子。 聞いたこともない言葉だ。それが何を意味しているのか理解は出来ないが、口の中で反芻する。 「姫若子?」 「ああ、そうだ」 そうしている間にも鬼は近づき、元就の間近まで歩んできた。 彼は逞しい体躯をほぼ顕にしている――体格で言えば、元就よりも大きく、見上げるほどだ。だが間近でみれば見るほど、その容貌が現実味を帯びてくる。 銀の髪に、海の色を映し取ったかのような瞳、肌は白く――それでいて逞しく筋肉が隆起している。まじまじと見つめてみれば、睫毛さえも銀の縁取りをしていて、瞳を奪われかけた。 近づいてくる彼から動くことは出来ない。元就は傍に来た彼を見上げ、咽喉を軽く鳴らすと確認の意味を込めて問うた。 「――…御主、鬼ではないのか」 「鬼若子とも言われたな」 「――……」 とぼけたように彼は笑った。そして腕を伸ばすと元就の後ろにある壁に手を付き、少しだけ身を屈めた。 「姫は鬼にでもなるんだぜ?」 ――すぅ。 瞳を眇めた瞬間、彼の瞳の中がやたらと黒く――黒い海のように深い闇の色を映していた。それがまるで虚空に彷徨うかのような不穏な色を放っているように感じた。 ――どこまでも深い。 底のない闇のような、沈みこんだら抜けられなくなるような、そんな色だった。ぞくりと背筋に走った悪寒は、恐怖なのだろうかと元就が息を詰めて考えると、おもむろに彼の手が伸びてきた。 ――くしゃ。 「――――…ッ」 「少し、話でもしねぇか?」 まるで幼子にするかのように、彼の大きな掌が元就の頭に載る。そして、くしゃくしゃと撫でると、彼はやわらかく微笑んだ。 →2 090719 621発行コピー本より。 |