花ある君と思いけり ――あ、まただ。 閉店間際の生花店の入り口で、眉間に皺を寄せた青年が立っている。声をかけることもせずに、こちらが気づくまでずっと其処に立っているのだ。 それは今に始まった事ではない。 元親がこの生花店を切り盛りするようになったのは、もうかなり昔の事ではあるが、彼もまた随分と長く通ってきている気がする。とりわけ常連が出来れば、話もするものだが彼は必要最低限のことしか話さない――といっても、来店する時間が遅いせいもあって、大して会話をする気にもならないというもの事実だった。 ――やっぱり、白い花、なのかね? 彼が此処に訪れて手にするのは決まって、白い花――それも鉢植えではなく切花なのだ。 一度だけ他の色の花を「いつも来てくれているから」と手渡そうとした時には、余計なことはするなとばかりに睨み付けられた――だけに留まらず、受け取ってもくれなかった。 ――思い出すとむかつくんだよなぁ… 元親は後ろ頭をごりごりと掻くと、溜息をひとつ付いてから、店の入り口に足を向けた。 「いらっしゃい、いつもの?」 「ああ…一本だけでいい」 「はいよ」 軽く応えてウィンドウの中から適当に白い花を手に取る。今日はカラーを一本手にした。それをちらりと見て、彼は財布を取り出す。 花を選ぶでなく、ただ『白い花』だけを適当に選んでいる。でも今朝に仕入れたものだから、彼が次にくるまでには持つだろう。それに今までの彼の買っていった花にあわせるなら、今回は白いカラーが調度いい。 かさかさ、と包み紙を手にして作業しながら、少しだけ話しかけてみる。 「あのさ、あんた…もしかして結構、華に詳しいんじゃない?」 「何故だ」 「だってよぉ…普通なら仕入れがある日なんて知らないだろ?あんた、仕入れのあった日にだけ来てる」 「――――…」 「図星?はい、お待たせいたしました」 答えずにただ彼は花をうけとると、代金を渡してくる。それに釣りを返し見送るが彼は振り向きもせずに歩いていった。 ――でも、まだ何かありそうだよな。 ただ花に詳しいだけではないような気がした。そもそも男がほぼ毎日、花屋の軒先にくるという状態が珍しい。元親は店員に声をかけながら、閉店の準備を進めていった。 市場のある日は朝が早い。 元親は大きな欠伸を噛み殺しながら、手元の花たちをくるくると器用にまとめていた。調度ブーケを作ってくれとの注文だったが、それにあわせて店先に出すミニブーケににも着手していたところだった。 ――配達は、あいつ等に任せちまったしなぁ。 いつもなら店員が色々と話しかけてくる――それが結構騒がしく、音楽さえも耳に届かないものだったのだと、こうして一人でいると思わされてしまう。 調度ぽっかりと客足も途絶え、時間が出来ると元親はのんびりと作業に入っていっていた。 この生花店は駅の直ぐ近くにあるせいで、かなり回転は良いほうだ。しかも個人経営な点で、時には融通もきく――その点で常連客はかなりいる方だ。 ――このブーケもそうだもんな。 電話での注文のブーケだ。どうやら結婚祝いだとかで、大きなブーケを頼まれた。参考までにとイメージを聞いてみると、ピンクやら赤やらと華々しい色がひしめき合ってしまっている。 ――まぁ、祝いの席だし、いいかな。 くるくる、とリボンを手にして包み込む。元親の片腕でもかなり大きな花束になってしまっていた。 「その…左目、どうなっている?」 「え?」 ふいに聞きなれた声がして、入り口を見る。するとそこにあの青年がいた。 こんな昼間に彼の姿を見ることがまず珍しい――そもそも彼は、上着も着ずに、シャツ一枚の姿で其処にいた。首にはIDカードを下げている。 「我が此処に来るようになった前より、ずっと眼帯のままだ」 「ああ…ちょっと訳ありで」 「そうか…」 彼は構わず元親にむかって、顎を反らして示してくる。元親は出ている方の右目だけを半月のように歪めた。 「で、あんたはいつものですか?」 「いや…先ほど電話があったと思うが、花束を…」 「ああ、これ?ちょうど出来たところだぜ。かなりデカくなっちまったけど、祝いの席だろう?こんくらい派手でもいいんじゃねぇ?」 ――ばさ。 彼の目の前に今まで作っていた大きなブーケを向ける。すると花をさらりと見つめ、彼の頬がふわりと緩んだ。 「あ、笑った」 思わず声にだしてしまうと、直に彼は口をきゅっと引き結んだ。 ――いつも手にしていく花も、こんな顔で見つめられてんならいいよな。 仏頂面で店先に立つ姿しか知らない。その彼が微笑んだ――固い蕾が花開くように、緩やかに微笑んだ彼の表情は、元が整っているだけに目に焼きついた。 「――……?」 「あんた、笑ったほうが良いよ」 「余計なお世話よ」 瞬時に表情が戻ってしまう。元親は手元にあった領収書に書き込み、金銭のやり取りを済ませると彼にむけて花束を差し出す。その際にちらりと彼の首から下がっていたIDカードに視線を走らせる。 「はいはい、おまたせしました…毛利、さん?」 「何故、我の名を…?」 受け取りつつ、彼が見上げてくる。切れ長の瞳が驚いたかのように一度見開かれた。だが元親は人差し指で彼の胸元を指し示した。 「それ、ついたまま」 「あ…――」 なるほど、と頷いた彼に笑いかける。だが彼はそのまま背中を向ける。 「長曾我部」 「え?」 腰に手を当てて、胸を張って、背を向けていた相手に声を張り上げると、彼は足を止めて振り返った。 「俺は長曾我部元親。あんたのフルネームも教えて」 元親が自分を親指で指し示すと、そのまま指先を彼へと向ける。彼は手元のブーケをちらりと見つめてから、ゆるゆると口元を動かした。 「元就、だ」 「え……――」 声が小さく、聞き取れない。身を乗り出すと、はっきりとした声で彼は涼しげな視線を送ってきた。そして再び名前を告げていく。 「毛利、元就」 さらりとそれだけ言うと、彼は背中を向けていった。その背から、胸元にかかえた花がわさわさと揺れているのが目に入る。 「毛利元就…」 ――どこかで、聞いたような… 元親は告げられた名前を口の中で反芻すると、再び店の中に戻っていった。 配達の帰りに遅めの昼食を摂ろうと、近場にあった店に適当に入った。光の差し込む店で、窓際には観葉植物が青々としている。それを瞳を眇めて見ると、窓辺の一角に見知ったシルエットを発見した。 「すごい奇遇だな。ここ、座って良いか?」 迷うことなく窓辺に近づき、彼に声をかけると彼は読んでいた本から顔を上げて頷いた。 「好きにすればいい」 向かい側に座ると同時に店員がオーダーを取りに来る。それに応えてから身を乗り出した。あらかた彼のほうは食事が終わり、コーヒーを飲みながら本を読んでいる最中のようだった。料理が到着するまでの間に、ぽつぽつ、と話していくと、元就は本を閉じた。だが元親の存在を煙たがるでもない。 元親は頬杖を付きながら、斜に構える。すると元就が「それ」と声をかけてきた。 「何…?」 「眼鏡…かけるのだな」 「ああ、車運転するときだけな。やっぱり俺、片方が殆ど視力無いからよ…まぁ、まったくって訳じゃないけど」 「…そうなのか?」 「ああ、もともと弱視でさ。ぼんやり形が分かる程度よ。だから両目で見ているよりも、片方閉じている方が動きやすくてさ」 ――だからいつもは眼帯。 自分の左目を指差して言うと、元就は「そうか」と頷いた。頷いた瞬間に、はら、と彼の長めの髪が、頬に揺れる。 静かにコーヒーに口をつける彼を見ていると、どう見ても作り物のようにしか思えなくなってきた。 ――彫像みてぇだな。 真向かいで見つめていると、今度は彼が気づいて顎先を引き上げる。そして何かを言おうとした瞬間、頼んでいた料理が目の前に出された。 元親はすかさず――といっても、ちゃんと「いただきます」と言ってからフォークを手に取り、もくもくと料理を口に運び始めた。 トマトソースのパスタに、柔らかいハンバーグの乗っている皿から湯気がほわほわと昇り、向かい側の彼への視界を弱くする。 半分くらい食べたところで、水を咽喉に流し、元親は思い切って聞いてみた。 「……あんたさ…いや、あんたの家って華道とかやってねぇ?」 「――――…」 フォークをくるくると動かしている間、元就はじっと元親から視線をはずさなかった。 「俺さぁ、昔、華道やってたのよ。ていうかよ、家継ぐつもりだったから、一応やっておけって親父に言われてよ」 「――――…」 「その時に通っていたとこが確か…毛利だったんだよなぁ」 行儀が悪いと思いながらも、フォークを元就に向ける。すると元就はゆっくりとコーヒーカップを手にし、口元に流すと静かに答えた。 「同じ姓なら、いくらでもいよう」 「…そうかなぁ?」 ――ばく。 最後のハンバーグを口に入れて、うんうん、と唸りながら租借する。それを見て、ふ、と元就は口元を綻ぼらせた。だが今度は腕時計を見て「すまぬ、そろそろ休憩が終わる」と告げると、出していた本を手にした。 「長曾我部」 「うん?」 元就は立ち上がりざまに元親に声をかけてきた。そして自分の分の伝票を手にすると、元親の頭上から静かに聴いてきた。 「貴様、髪に…花簪をつけて貰ったことはないか?」 「え……――?」 ――カチャン。 小さくフォークを皿の上に取り落としそうになった。元親が驚いて閉口すると、彼は満足げに微笑むと、いつものように背を向けた。 「また、店に寄る」 元就の声が耳に響く――彼に問われた言葉が、胸の鼓動を早くしていった。元親は元就が店から出て行くまで、その背中を固唾を呑んで見送ってしまった。 ――ちょっと、待てよ、おい。 引き止めることは出来なかったが、彼の言葉が元親を混乱させる。元親は額に落ちてきた髪を掻き上げると、まさかなぁ、と口の中で呟いていった。 今でも時々この季節になると思い出す。夜寝入りざまに、外から吹き込む風に乗ってくる甘い香りが、記憶を呼び覚ましてくることがある。 白い、甘い香りの花が、一面に咲いていた。その花の一輪を小さな手が手折り、そっと差し出してくる。 「ねぇ、どうして花をくれるの」 「そなたに似合うからだ」 受け取らずにいると、無理に背伸びをして耳に掠めるように差し込んでくる。 ――花簪。 手に触れる肉厚な花弁。それの香りに噎せ返るような思いだった。 「あなたのほうが似合うよ」 「いや、そなたの方が」 首を振る幼子に迷いはなかった。一緒に歩いて、手を繋ぎあって、白い花の中に埋もれていくようだった。 「私ね、遠くに行くんだ」 「…いつ?それは此処とどれくらい離れてる所だ?」 「海渡って、それから…どのくらいだろう?」 いつだったか、別れを口にしたとき、彼は唇を――真っ赤になるくらいに唇をかみ締めて、泣きたいのを堪えていた。そして震える声で聞いてきた。 「会えなくなるの?」 「うん…」 その先には言葉はなかった。 幼い手を――小さな手を絡ませて、肩を寄せ合って、甘い香りの花の中で寄り添っていた。身体に染み付いた甘い香りに、家の者たちも苦笑するしかなかった。 小さいころ、いつも童女の姿をさせられていた自分は、今でさえも話題にされるほど、可愛らしかったという。 「この花、私好きだな」 「死人に口無し」 「え…ッ」 呟いた彼の言葉が、恐ろしく聞こえた。だが彼は、ぽきり、と白いその花を手折り、鼻先に近づけて香りを嗅いでいた。 「そう、兄上が言っていた。そう言われると、厭な気がする」 「そんなの忘れちゃえ」 彼の手から白い花を取り上げ、そして鼻先に触れるような――柔らかい、戯れだけのキスをした。 でも確実に別れの日はやってくる。 別れの日、ぶるぶると震えるほどに涙を零し、名前を何度も呼んでくれた。 ――我はここにいるから、いるから、会いに来て。 泣き声に混じって、彼の想いが押し寄せる。その言葉に、必ずだよ、と答えたのは、はるか昔の幼いころのことだ。 ふ、と目を覚ますと、暗い室内が目に入った。昔の夢をみていたと、のそりと身体を起こして元親は頭を振った。 ――これのせいか。 ベランダの戸を少しあけていたせいで、外の香りが差し込んでくる。元親は其処に見える白い花弁を見つめ、深く溜息をつくと再び布団に身を沈ませていった。 続 →2 090628 花屋アニキ |