花ある君と思いけり






 かこかこ、と軽快な下駄の音を立てて着物姿の青年が店先に現れた。バラの入った容器を下に置いたばかりで、身体を曲げた姿勢のままで店先の方へと顔を向ける。
 店奥では店員が客の対応に追われていたが、元親は構わず青年の方を振り仰いだ。

「元親、久しぶり〜」
「誰が久しぶりだよ」

 そのまましゃがみこんでいると、上から身体を折り曲げて前田慶次がにこにこと手を振ってくる。彼の今の姿を見ると、どう見ても稽古の最中だとしか考えられなかった。
 前田の家は茶道をしている――その為に慶次は時々手伝いに借り出されているのだ。

「あのさぁ、まつ姉ちゃんに言われて、半化粧と紫陽花ほしいんだけど…」
「俺んちの庭から取ってけ」
「いいの?」
「さすがに茶花はあんまり置いてねぇんだよ」
「助かるよ〜」

 しゃがんでいた身体を、膝を伸ばして腰を伸ばしながら起き上がらせる。二人で並ぶとかなり威圧感がある。だがそれも外からの意見であって、当の本人たちは気にしては居ない。慶次は手元を袂に入れてほっとしたようだった。
 昔馴染みということもあり、こうして時折彼の頼みも聞く。実際、元親の家には、いくつも花があったり茶花が植えてあったりしているのだ。

「なぁ、慶次…――」
「うん?」
「俺、昔、華道やってただろ?」

 昔馴染み――こちらに来てから、結構長く付き合っている彼には話したことがあったかもしれない。
 口元に手を当てて、元親は考えるようにして問うた。するとあっさりと慶次は返してくる。

「ああ、初恋の君?」
「――なんだその呼び方」
「だって、詩にあるじゃない?『まだ上げ初めし前髪の』って。それと同じことやって、子どもながらに情け交わして、いいよねぇ、恋だよねぇ…」
「脚色するな」

 頬の横で両手を合わせてみせる姿にぞっとしつつ、元親が手元にアリストロメリアを持つ。そしてそれを指先でくるくると弄ぶと、さすがに不思議に思ったのか、慶次が小首を傾げてきた。

「で?それがどうしたの……」
「俺、あの時よく花簪つけられてなかったっけ?」
「ああ、生花は挿すと縁起悪いとかいってもね。帯とかにもつけてたね」

 ――可愛くて可愛くて、蝶よ花よ、だったよね。

 思い出しながら慶次は豪快に腿を、ばしばし、と叩いて笑った。だがそれとは反対に元親はその場に再び、へなへなとしゃがみこむ。

「やべぇ…――どうしよう」
「どした?」

 ずっと夢の中の出来事だと思っていた。まだ本当に小さくて、幼くて、それを現実だと認識し続けているには限界があった。幾度夢に見ても、夢の中の出来事としか思わなくなっていた自分が口惜しい。
 華道を習いに行っていたのは覚えている。でも作法は覚えていても、其処にいた子どものことまでは――其処だけをなぜか夢だと思っていた。
 もし、あの時の幼子が彼だとしたら――彼は気づいている風だったとしたら、どれだけ酷い仕打ちだったろう。
 確かに成長と共に容貌も変化するが、忘却は罪でさえあるとも言う。言い訳は出来ない。

「俺、もしかしたら酷いことしてたかも」
「――――?」

 慶次がしゃがみこんだままの元親と同じように、その場にしゃがみこむ。元親はくしゃりと片手で髪を掻き上げた。

「しかもそれなのに、同じ相手に二回目の恋って、なんだよなぁ…」

 ――二回目の、恋。

 口に出して言ってみて、彼が気になっていた理由がすとんと自分の中に落ちてくる。

 ――好きなんだ。

 あの切れ長の瞳、眉間に皺を寄せて花を買いにくる閉店時、必要なことしか言わない口、いつもさらりとすり抜けるように動く彼――それを思えば、すべてが印象強く自分の中に残っている。
 悶々としていると、ふわりと、慶次が元親の頭に手を置いた。

「訳わかんないんだけど、とにかく恋してるなら全力で恋しなよ」

 慶次が優しく元親の頭を撫でながら言う。それに頷くと、元親は勢い良く立ち上がり、取りあえず仕事だ、と吼えた。










 仕入れのあった日、その日の閉店時間際に、見慣れた姿の元就が姿を現した。目頭を指先で揉み込みむ仕種が疲れを見せていた。
 元親は店先に進み出て、彼の正面に立つと静かに声掛けをした。

「いらっしゃいませ」
「――いつもの」

 元就は変わらずに元親に注文を出す。頷きながら、元親は白い花を手にして再び彼の前へと足を進めた。そして声をかけ、元親のほうへと意識を向けさせる。

「……――毛利」

 ――さら。

 手を伸ばして彼の長めの髪を指先で払う。そして耳元に、白い花――くちなしを添えた。取れないようにそっと手を離すと、元就が一瞬瞳を見開き、何かを言いかけるように口を少し開いた――しかし、再び直に口元を引き絞ると、眉間に皺を寄せて睨むかのようにして見上げてくる。

「何の真似だ?」
「いや…――その、」

 今までの自分の葛藤がすべて勘違いだったのかと、元親は一瞬考えた。だが、彼に違いない。口ごもっていると、目の前で元就が今髪にさした花を取り、さらりと元親の耳に引っ掛けた。

「お前の方が似合う」

 ふわ、と少しだけ小首を傾げて笑う仕種が、幼いころの印象と重なる。元親はゆっくりとバランスを崩して落ちてきた、くちなしを手に取りながら、彼に向き合った。

「やっぱり…あんた、元就だ」
「思い出したのか?」

 得心がいった、とばかりに元就は柔らかい表情を作り出す。そんな顔を見たのはほぼはじめての気がして、元親の胸が早鐘を打ち始めた。
 カァ、と頬が熱くなってくる。それを気取られないように、口元に拳を作って横を向くと元就に尋ねた。

「――お前、いつから気づいてた?」
「此処にくるようになってから」
「言えよ」

 ――がし。

 肩を強く掴んでしまった。勢いあまってだったが、元就は僅かに目元をゆがめただけで、直に俯いた。

「言えなかった。でも、気づいて欲しかった」
「――元就…」

 肩を掴んだ手を離せずにいると、その手に元就の手が添えられる。

「さぁ、元親。御主はどうする?」

 真っ直ぐに向けられる元就の視線を受け止めて、元親はゆっくりと彼の肩を抱いた。肩口に顎先を載せると、今さっき彼の髪に挿したせいか、甘いくちなしの香りがした。

「あの時みたいに、花に埋もれに行こう」

 抱きしめる腕に力を込めると、ゆっくりとたどたどしい手つきで元就の掌が、元親の背中に回ってきた。










 仕事帰りの元就をそのまま自分の車に乗せて自宅に行く。玄関を開けて直ぐに抱きしめると、寸暇も惜しむように互い唇を貪った。

「ん…――、っふ」
「元就…――」

 がたがた、と色んなところにぶつかったような気がするが、あえて気にしないようにした。元就の足が縺れて倒れこみそうになる度に、元親が腰に腕を回して抱え上げる。
 そうしている内に元就の背中に、布団の柔らかい感触が触れた。

「待て、お前…明日は…――?」
「大丈夫、明日はうちの奴らに任せてるから」

 は、は、と細かい息を吐きながら、言葉を紡ぐのももどかしくなるほどに何度も唇を重ねて行く。

「いいの、か…――?」

 はあ、と息をついて元就が涙で潤んだ瞳で見上げてくる。敷きこんだ身体を逃げられないように自分の身体で押さえ込むと、彼のベルトを片手で解き、手を差し込んでいく。

「今更焦らすなよ」
「は…――ッ、ん」

 下肢に直に元親の手が触れてきて背中を思わず反らしてしまう。それでもゆるゆると動かされる手の動きに耐えていると、ふと元親の動きが止まった。

「――……」

 彼の重みが一気に増し、元就が閉じかけていた瞳を起こす。そして自分の胸元に頭を乗せている彼の頭に触れる。それでも元親は動かない。

「――――?」

 重みを増している身体を乗せたまま、元就が上半身を起こすと、ずるずると元親の身体が滑り落ち、厭な予感がした。乱れた呼吸を直しながら元就が元親の顔を覗き込むと、長い銀色の睫毛が――瞼がしっかりと閉じられていた。

「元親?」

 声をかけてみても、すうすう、と規則正しい呼吸が続くのみだ。

 ――寝てる!

 この状況下で寝てしまう元親に怒りがこみ上げてくるが、良く考えれば今日は市場のあった日だ。朝が早かったせいだろうとも思いつく。

「侮辱的な…――ッ」

 冷静になろうにも怒りが勝る。それを助長するのは穏やかな顔で寝ている元親に他ならない。
しかし元就は彼の下から身体をようやく抜け出させると、無言で思い切り元親の頭を拳で殴った。










 日差しで目が覚めて、仰向けにごろりと転がる。カーテンを閉めていなかったかと思い出し、窓のほうへと手を伸ばした。だが手を伸ばした先に、ふわ、と暖かい感触が触れた。

「ん……?」
「目が覚めたか」

 声を掛けられ、ゆっくりと瞼を開けると、目の前に横になっている元就が居た。もちろんネクタイも外し、シャツ一枚のラフな姿だが、機嫌悪く睨みつけている。

「あ、え?ええ?」

 元就の姿に驚き、立ち上がろうとしたが、バランスを崩して彼の上に倒れこむ。すると不機嫌なままの元就が低く唸った。

「――…退け」
「ええと、元就…」
「なんだ?」

 元親は厭な予感を胸に抱えて、元就を見下ろす。

 ――確か、昨日、うちに一緒にきて…そのまま…

 昨夜のことを思い出すと途中から記憶がない。それに元就が服を着ているところをみても、厭な予感が胸に迫ってくる。元親は恐る恐る問うてみた。

「俺、寝てた?」
「良いところでな」
「ごめんッ!」

 ざっ、と血の気が引いた。自分で誘っておきながら、自分が寝落ちしてしまったのだ。しかも盛り上がってきたところでだ。どう謝れば機嫌を直してくれるのだろうか。

 ――いや、その前に俺自身が不完全燃焼だし。

 折角此処までこぎつけたのに、と残念で仕方ない。元親は何度か「ごめん」と謝ると今度は元就の肩を押した。

「なぁ、機嫌直し…」
「触れるな、ばか者」

 ふい、と顔を背ける彼を下に敷きこみ、鼻先を触れさせる。すると気づいたように元就が元親を見上げた。

「元就…――」
「な、なんだ?」
「いいよ、これからやろうぜ」
「な…―――ッ」

 じたばたと元親の下で元就がもがく。それを押し留めて、半ば乱れたままだった服を剥ぎ取りにかかった。素肌に掌を滑らせると、咽喉を反らせて反応する。その感触を確かめるように何度も胸元に手を触れさせた。
 ぎりぎりと元就が元親の頭を退けさせようと必死に押してくるが、構わずに胸元に小さな突起に吸い付く。

 ――じゅっ。

 濡れた音を立てて一度口を離し、再び吸い付くと、頭を掴んでいた手が徐々に力を失っていく。

「や、やめ…ッ」

 口では制止を告げてくるが、身体の方はそうでもない。ゆるやかに元親が足で下肢を確かめるように動かすと、彼の中心はすでに硬くなっていた。

「なんで?もう準備できてんだろ?」
「あ、や…――ッ」

 ――ぐ。

 膝で股間を少しだけ擦るように動かすと、慌てて元就が身を捩る。それを許さずに彼の手をとって、自分の首に回すと後は何も考えられなくなるくらいに熱に身を任せていくだけだった。










 汗に濡れた身体をそのまま、ぐったりと布団の上に放り出す。両腕を大の字に広げて、元就が瞼を上げた。足を持ち上げたままの状態で息を付くと、元就が額にへばりつく髪を掻き上げながら首を巡らせた。

「甘い、香りが」
「ああ、庭、見る?」
「庭?」

 元就が聞き返すのと、彼の中から自身を引き抜くのが同時だった。そのせいで「ん」と甘い声を出した元就にキスしてから、放り投げていた服を着込む。元就は横着してブランケットを身体に巻きつけたままで、ずるずると戸の近くに来た。
 もちろんそれには元親の制止の声がかかったが、本人は気にもしていない。元親が庭に一歩出て直ぐ――戸のすぐ隣に植えられている花を指差した。家の中からそれをしゃがみこんで見上げる元就が、外の明るさに瞳を眇めた。そして花に、くん、と確かめるように鼻を動かした。

「これは…」
「これ、お前ん家から俺がもらった梔子」
「――…」

 此処に来たときに最初に植え替えた花だ。昨日、元就の髪に挿したのもこの花だった。これを持ってこの地に来たのに、ずっと華道の家元から貰った、くらいにしか覚えていなかった――大事なものだったのに肝心なところを、すっかり忘れていたのだ。

 ――ぽき。

 一輪、白い花を手に取る。鼻に近づけると、甘い噎せ返る香りが強く鼻腔に響く。

「お前は、死人にくちなし、って嫌がったけど」

 元親の動きをじっと見つめている元就に、手折ったばかりの梔子をむける。すると彼は顔を寄せて、その花の香りを吸い込んだ。

「元就…」

 花の香りを吸い込む彼の頬を包み、そっと顔を近づける。そして囁くように告げた。

「俺はお前に、朽ちない想いをやるよ」
「馬鹿者が」

 照れ隠しなのか、毒づいた元就はそれでも、元親のキスを拒むことなく、そのまま彼の背に腕を回していった。




 了


090628 花屋アニキ:魚子さんにささげる誕生日プレゼント
参考文献:島崎藤村「初恋」