Pierce



6話・お泊りの日



 右耳の傷も塞がって抜糸を終えると、佐助はがっかりしたように呟いた。

「もう旦那に会いにくる口実がなくなっちゃうなぁ…」
「なにを言うか。いつでも来ればいいものを」

 幸村がカルテを書きながら横目で彼を振り仰ぐと、佐助は組んだ自分の足の上に肘をついて、品定めをするように、じぃ、と見つめてくる。

「そうじゃなくて。白衣を着た真田先生っていうのも好きだから…さ。萌えるっていうか」
「何だ、それは」

 時折佐助の言うことは幸村には理解不能な時がある。それでもこうして診察だけに留まらず、付き合いを続けているのには理由がある。

 ――いわゆる『恋人同士』なのだし。

 幸村はその名称を脳裏に浮べて、ぽぽぽ、と頬を染めた。最初はともかくとして、付き合ってみることにした。だが今のところ仕事帰りに食事に行くくらいで、別段特別なこともしていない。

 ――様子を見ているのだろうな。

 幸村は最初を思い出して、そんな風に考えていた。すると、からから、と診察椅子を回しながら、佐助が思い出したように問いかけてきた。

「あのさぁ、旦那」
「何だ?」
「お休みっていつ?」

 動かしていた手を止めて、ペンを置く。そして幸村はデスクの上に片肘をついて、呆れた顔を向けた。

「なにを今更」
「え?」
「休診日に決まっておろう」
「あッ!」

 今更ながら気付いたと、佐助は口元に手を当てる。そして「そう、だよね。うん」と照れ笑いを重ねていく。追い討ちをかけるように幸村は詳細を述べていく。

「だから日曜木曜祝日…」
「あのさ、じゃあ…今度の木曜、暇?」

 かららら、と椅子を近づけて、佐助は身を乗り出してきた。抜糸の済んだ右耳に、少しだけ線が――傷跡が出来ているのが気になってしまい、幸村は其処に手を伸ばしながら、淡々と応えた。

「予定は無いな」
「水曜から…俺の家、来ない?」
「え…――」

 佐助の提案に、ぴた、と手を止める。触れていた手を離すと、佐助は焦ったように畳み掛けてきた。

「そのままお泊りしてさ…」
「――…」
「って、ええとッ!ヤりたいとかそんなんじゃないからね…ッ」
「佐助の家に、お泊り…」
「警戒しないで、くれると良いんだけど…」

 両手をぶんぶんと振り回して、から笑いをする。そして幸村が黙っていると、上目遣いになりながら、おどおどと聞いてきた。

「どう、かな?」
「いいだろう。では水曜に」

 こくり、と幸村は頷いた。すると佐助は拳を握り締めて「っしゃーッ!」と声を上げて喜んでいった。










 水曜日まであと二日。
 月曜に誘われて、そのまま帰宅した幸村は楽観的に応えた自分に驚いていた。

 ――容易く、応えてしまった。

 佐助はああ言ったものの、恋人同士で、お泊りとなれば、それなりにやることは決まってくる。

 ――どうしようか、あと三日で覚悟を決めねば。

 ネクタイを振り解いて、姿観に映った己を見る。そうしていると、かあ、と頬が熱くなっていく。鏡に映る己の肌を見て、此処に彼が触れていたのだと思うと、どうしようもなく戸惑ってしまう。

 ――またあんな痛い思いをしなくてはならぬのだろうか。

 痛くて、熱くて、苦しかった。
 快楽とは程遠いと思っていたが、よくよく考えると、確かに気持ちよかった節もある。だが殆どが羞恥と屈辱に彩られた記憶だ。

 ――いやいや、たぶんもっとやり方が…そうか!

 思いついて顔を上げた瞬間、食事が出来たと声をかけられ、幸村は部屋から出て行った。そして今、兄である信之を前にして食事を摂っているわけだ。
 お互い医師であり、信之は内科――幸村よりもいつも遅いものだ。だが今日は一緒に食卓を囲むことが出来ている。そして何より彼は幸村を大切にしてくれていた。何でも相談してきたし、今でさえこうして向かい合って食事をしているだけなのに、ほっとしてしまう。
 幸村は二杯目のご飯を受け取ってから、じっと正面の信之に視線を送って問いかけた。

「兄上…お伺いしたいことがあるのですが」
「何かな?幸村」

 信之は、ぱりぱり、と香の物を齧りながら聞いてくる。相談できる相手となれば彼くらいしかない――今まで晩成だった己を恥じながらも、幸村は思い切って問いかけてみた。

「もし、好いた者と…その、褥を共にするなら…」
「そういう相手がいるのか?」

 かた、と箸を止めて信之は驚いたように幸村を見つめてきた。兄のそんな視線は初めてで幸村は恥ずかしくなって俯いてしまう。すると信之は嬉しそうな声を上げて「いいから言ってご覧」と促がしてきた。

「その…やはり最初となると、どうにも配慮も出来ませんで。やり方も解らず、ただ痛いだけ、で…」
「うんうん」

 言いながらどんどん恥ずかしくて仕方なくなってくる。いくらなんでも話せる相手といっても、色事に疎いのは仕方ない。

「そうした場合、痛みだけでなく、共に…その、…き、気持ちよく、なれたらと…」
「うん、うん…」
「思う、訳、なのでござるが…そ、某、そういった事には…」

 相槌を打つ信之はいたって平和に、残っていたお浸しを口に収めている。幸村は、ぷしゅう、と湯気を発しそうな勢いで真っ赤になりながら俯いていった。

「幸村」
「はいッ!」

 はっきりした声で信之に呼ばれ、背中をピンと伸ばす。すると、信之はにっこりと微笑んで幸村の方へと身を乗り出してきた。

「まずは、おめでとう」
「兄上…」
「一番は相手を思うことだと思う。それと…まあ、下世話な話。最初は痛いのは仕方ないがね。色々最近は便利なものがあるんだよ」

 信之は淡々と教えてくれる。幸村にしてみれば彼の言葉だけでも、目から鱗の状態だった。あれこれと教えてくれる信之の手元にはビールがある。だがそれに幸村は気付いていなかった。一通り聞き終えると、幸村は此処からが本題とばかりに拳を握り締めた。

「はあ…そうでござるか。某、水曜日に外泊をするつもりで」
「そうか、そうか。よし、この兄に任せておけ」

 どん、と胸を叩く信之を前に、宜しくお願い致す、と頭を下げていく幸村は、何が何だか解らないまでも、一歩進んだ気でいた。










 約束の水曜日、仕事帰りに食事に寄って、そのまま佐助の家に遊びに行った。佐助も急遽、有給をとってくれたとの事で、なんだか嬉しくなってしまった。
 家についてからも、あれこれと話して、買って来た酒を呷っている内に、気付けば背後から抱き締められていた。

「だーんなぁ…俺、このまま…」
「ん?」

 肩先に佐助の顎の感触を感じながら、ビールをこくりと飲み干す。すると佐助は少しだけ眠そうな目で覗き込んできた。

「しないとか言っておきながら何だけど…やっぱり、旦那を前にしたら、したくなってきた」
「――…ッ」
「厭なら、いいけど…どうする?」
「い、痛いのは…厭だ」

 幸村は咄嗟にそう応えていた。そして足で放り投げていたバッグを引き寄せる。その合間にも、ちゅ、ちゅ、と項に佐助の唇が触れてきていた。

「あ…ッ、ん」
「可愛い…ね、やっぱり、厭?」

 ぺろ、と濡れた舌先の感触が耳朶に触れる。そうされると、ぞくん、と背筋に震えが走った。ぬるりと舌先が耳孔に捻じ込まれて、余計にびくびくと身体が揺れる。

「あ、あ…さ、佐助…ちょ、っと待て」
「んー?」

 震えだす身体を押し込めて、幸村はバッグの中から小さな巾着を取り出した。そしてそれを背後の佐助に見せる。

「何、これ?」
「色々聞いてきたのだが…今朝方、出掛けに兄上が持たせてくれてな」
「お兄さん?あけていいの?」
「うむ」

 こくり、と幸村が頷く。そして佐助は巾着の中身を覗いてから、はああ、と溜息を付きながら幸村の身体を引き寄せた。

「おわっ、おいッ!ど、どうし…」
「すっげ、やる気満々じゃん。俺様、張り切っちゃうよ」
「え?」

 ぎゅうぎゅうと強く背後から抱き締めてくる佐助は、ふふふ、と咽喉を震わせて笑っている。そして「ほら」と見せられた巾着の中身には、ピンク色のローションとコンドーム――しかも箱で入っている――さらに、小さなメモが入っていた。そのメモを見つめて幸村は、ぶわあああ、と身体に熱が篭らせていった。

 ――痛くならないように、よく解すこと。相手のことをよくよく想ってあげなさい。健闘を祈る。

「あああああ兄上ぇぇぇぇ」
「旦那のお兄さんって最高だねぇ。面白い〜」

 幸村が頭を抱えたいくらいに慌てていると、佐助は肩を回して向き合ってきた。そうして正面から抱き締めてきて、ちゅ、と額と頬に――啄ばむようなキスを落とす。

「ありがたく使わせてもらいましょ」
「うううううううう」
「それに、こんなにゴム一杯あるならさ…ホント、俺様張り切っちゃう」
「張り切らんでいいッ!」

 幸村が恥ずかしさのあまり動揺していると、それを宥めるように佐助は何度も口付けてきた。そして深く重なり合う唇に、ぬるり、と舌先を捻じ込むと、ピアスの存在を知らせるように上顎を擦ってくる。

「ん…――ッふ、ん…」
「やっぱり、これ、気持ちいいでしょ?」

 嬉しそうに瞳を細めた佐助に、幸村は頷くしかなくなっていく。

「今日はゆっくり…思い切り、気持ちよくしてあげるから」
「う…い、痛くなければ」
「任せておいて。ね?」

 ――優しくするね。

 佐助は満面の笑みで幸村の肌に手を這わせていく。全て暴露されてしまうような彼の動きに、幸村は抗うことなど出来なかった。ただ、甘えたな吐息を吐き出しながら、彼の手に任せるようにして身体を預けていくだけだった。










 信之が佐助の存在を知ることになるのは、もうちょっと後のこと――佐助の存在を知った信之が、弟可愛さに妨害に出るなどと、この時は思ってもいなかったが、それは別のお話。







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