Pierce 5話・好きにして ――気になるんだから、仕方ないじゃないか。 会社のロビーで幸村は声を張り上げた。正面にいる佐助はただ彼を見つめるしか出来ないでいる。二週間前、佐助は幸村を襲った。それなのに、幸村は罵声を浴びせてもおかしくはないのに、真逆なことを佐助に告げてきたのだ。 「旦那…」 「それと、もう一つ…」 胸に押し付けられた診察券を受け取り、手に取って見下ろしていると、幸村はその手を佐助の肩に添えた。そして、ひゅう、と息を吸い込むと次の瞬間に思い切りよく、佐助の鳩尾を狙って拳を打ち込んだ。 ――どかッ。 「――…ッ!」 衝撃に佐助が身体をくの字に曲げる。そしてそのまま顎先を幸村の肩に乗せる形になった。幸村は、ふん、と鼻を鳴らす。 「思い知ったか、馬鹿者」 「…ッんな、やっぱり怒ってる…?」 痛みがあるであろう鳩尾を手で押さえながら、佐助が肩に額を押し付けて問いかけてくる。幸村は肩を怒らせながら――すぐ間近だということを失念して、大声で応えていた。 「あ、当たり前だッ!あ、あ、あんな…――ッ」 今思い出しても羞恥で顔から火を吹いてしまいそうだ。あんな経験は初めてだった。いいように翻弄されるだけで、身体の自由も利かないし、後も大変だった。恨み言の一つでも言ってやりたいが、言葉が上手く出てこない。すると佐助は自嘲気味に呟いた。 「俺のこと、嫌い、になったよね?」 肩先に押し付けられている佐助の重みが、ぐっと増したような気がした。幸村は身体の横で拳を再び握りこむと、ごく、と咽喉を鳴らしてから、か細く――声を絞り出した。 「…――らい、じゃない」 「え」 聞き返す佐助は幸村の肩に押し付けた額を、くる、と向きを変える。そうすると佐助の呼気が首筋に触れてきた。それに合わせて彼の耳のピアスが、冷たい感触で幸村の首筋を擽っていく。ぞく、と肌が粟立った。幸村はもう一度言い直す。 「嫌いではない」 「――ッ」 がば、と佐助が顔を起した。確かめるように瞳をじっと幸村の方へと注いでくる。そして真顔で――真剣な顔つきで見つめてきたものだから、幸村は居心地の悪さを感じて俯いてしまった。 「…き……――み、…だ」 「何?お願い、もっとはっきり言って」 歯切れ悪く、ぼそぼそと応えると佐助は肩に手を添えて、顔を近づけてきた。佐助の顔が近づいてくると、どきん、と鼓動が高鳴った。そもそもこの顔に己は弱い――彼の素振りも仕種も、気になって仕方ないが、いつもピアスをあけるときに触れる彼の顔や、耳の形――そうした造型がやたらと整っていて、どきどきと胸を高鳴らせていた。 「好きだ…顔が。むしろ顔は好みなんだ」 「え…――顔?」 顔を起して佐助に告げる。すると彼は吃驚したように瞳を見開いてから、肩の力をかくんと落とした。幸村は拳を前に持ち上げながら、その証拠を告げるよう見せる。 「だから、顔を傷つけたくないからな。だから腹で我慢したくらい…」 「ちょっと待って、先生…顔、だけ?」 佐助はやっと背中を伸ばして、額にかかってきていた髪を掻き上げた。そして「参った」とばかりに天井を仰ぐ。 「悪いか?」 「悪くない…悪くないけど。だったらさ…」 はあ、と天井を見上げながら佐助は呟き、そしてもう一度首を元に戻す。仰いでいると咽喉がくっきりと浮かんでいて、思わずその動きも見つめてしまったほどだった。 だが首を元に戻した佐助は、少しだけ小首を傾げるようにして幸村を見つめ、眩しいものでも見るように瞳を眇めて見せた。 そして、そっと腕を伸ばして、幸村の頬に触れてくる。 「できれば俺ごと好きになってよ」 「佐助…――」 「俺、旦那が好きだ。好き、なんだよ…でもさ、あんた全然俺の事なんて見てくれなさそうだったから…」 頬に触れている手が、かすかに震えていた。そしてその手が首筋に下りてくると、肩に彼の両手が添えられる。佐助は、はあ、と溜息を付きながら項垂れるように、腕の合間に頭を下ろしていく――かと思うと、ゆっくりと身体を近づけて肩に添えられていた手が、首から背中に流れて、幸村の身体を引き寄せてくる。 もう片方の腕が腰に添えられて、佐助の方へと引き寄せられていく。腹が触れ、胸が触れ、腕が絡まっていく。 ――うう、どうしたら…。 幸村は身体の脇に下ろしていた腕を一度持ち上げてから、もう一度自分の身体の脇に下ろす。そんな仕種に気付いたのか、腰にまわしていた腕を解いて、佐助が幸村の手を取った。眉を下げて困ったような、嬉しいような、そんな読みきれないような表情をした佐助が、俺の背に回して、と幸村の腕を誘導する。 言われるままに幸村は――たどたどしい手つきでそっと佐助の背中に両手を添えていく。そうすると密着度が高くなり、幸村は彼の首元に鼻先を埋めた。 「顔は…好みなんだ」 「うん。それは解ったよ」 「もっと、と願うなら…俺が好きになるように努力してみろ」 「はいはい」 「それと、ピアスホールのアフターケアは怠るな」 「解ってるよ」 佐助は、ふふ、と咽喉を震わせて笑っていた。 初めて抱き締めた身体は、やたらと細くて、骨の感触が手に触れてくるものだった。だが彼の薄い胸元が――鼓動の音を伝えるように、どくどくと高鳴っているのがよく解った。 繋がりあった身体なのに、今はじめて触れるような――そんな感覚を抱きながら、幸村は彼の匂いを吸い込むように瞼を落としていった。 相変わらず佐助が訪れるのは、診察時間の最後だった。 流石にその日は肝を冷やすかと思った――というのも佐助が右耳を押さえながらやってきたからだった。 「いやぁ、引っ掛けちゃってさ…痛いの、なんのって」 「あれほど気をつけろと言ったものをっ」 右耳の二つのピアスの上に、もう一つ、ピアスホールを作ったばかりだった。それというのも、舌ピアスと左の五つ、右の二つでは偶数になってしまう、というからだった。 「奇数の方が幸せになれるっていうからさ」 「そんなの迷信だろうが」 そんな会話をしながら右耳の三つ目をあけたばかりだったのに、彼はピアスを引っ掛けてホールごと破壊――即ち、切ってしまったのだ。 幸村はちくちくと彼の耳元を縫いながら、眉根を寄せた。 「綺麗な耳なのに、勿体無い」 「それさぁ、旦那、前にも言ってたよね」 「まぁな。ほら、出来たぞ。此処にホールはもう空けられないな。それに…痕が残ってしまうし…」 はあ、と溜息を漏らしながら後片付けを始める。からん、と金属のぶつかる音を聞きながら、幸村は佐助の血に染まった手元を洗い流す。 佐助はガーゼに包まれた右耳を鏡でみながら、診察用の椅子に座って身を乗り出してくる。 「ね、旦那。こっち来て」 「何だ?」 振り返ると佐助は自分の方へと来るようにと手を動かす。近づいていくと、彼の手元も、シャツの右側も血で染まっていた。 幸村は眉を寄せながら、濡れタオルを手にして椅子に座ると、ひょい、と佐助の手を取って拭い出す。 「あとピアスあけるとしたらさ…鼻とか口かなぁ」 「もうやめておけ」 「ええ?何でよ〜」 佐助は残念そうに声を立てた。幸村はぐいぐいとそのまま手を動かして、血に染まった彼の手を清めていく。 「言っただろう?お前の顔が好きなんだ。だから余計なものをつけるな」 「ボディピアスは?」 「当たると痛いから厭だ」 粗方落としきれたと思いながら、すとん、と応える。顔を上げてみると、意外そうな――口元に手を当てて、眦を朱に染めた佐助が、伺うように問いかけてきた。 「…って、旦那、それって…――」 「あ…」 言ってしまってから、ハッと気付く。幸村は勢いよく椅子から立ち上がると、慌てて流しへと足を向けた。だが背後で、きい、と椅子の音が響き、幸村のあとを佐助が追ってきていた。 「へぇ?俺様、期待してもいいの?」 「ううううううるさいッ!」 流しでタオルを洗っていると、背後から佐助が顔を覗かせて、耳朶に囁きかけてくる。楽しそうに、揶揄うように、耳朶に吐息を吹き掛けながら囁かれる。 「俺と、またヤる?」 「な…な、なに、をッ!」 「ほら、其処にベッドもあるしさ…この前よりもっと快くしてあげるよ?」 ――これ、気持ちよかったでしょ? 横目で彼を振り向くと、べ、と舌先を見せられる。其処にはあの時、幸村を翻弄した舌ピアスが光っていた。 佐助は背後から腕を回して、そっと幸村の腰に絡めると、自分の腰へと引き寄せた。 「ね…旦那…――俺と、今、しない?」 「せぬわッ!」 思わず言い様に肘を打ち付けると、佐助は「酷いなぁ」と苦笑していた。だが幸村は胸を反らしながら、べえ、と舌先を出して拒否してみせる。 「全く、破廉恥にも程がある…っ」 「もう…だったらこの後、ゴハン食べに行こうよ。真田先生」 「それなら良いぞ」 くすくすと咽喉を震わせながら佐助が提案する。それに応じながら幸村は、彼の耳元で光るピアスを見つめていった。 →next 100813 CM79up/120310up |