Pierce



4話・だって、仕方ないじゃないか



 診察時間を過ぎてから幸村は時計を見上げて、はあ、と溜息をついた。

 ――今日も来なかった。

 待ち人の訪れは今日もなかった。今までなら何だかんだと理由をつけて来ていたというのに、あの夜からすっかり姿を見せない――これでは文句も言いようが無い。

「――…」

 椅子をキィと動かして、傍らにある診察ベッドを見やってから、幸村はカァと頬を赤らめた。まだ身体の至るところに感触が残っているようで、疼いてくる。

「くそ…ッ」

其処に押し倒されたのは二週間前の事だ――幸村は机の上に肘を付きながら、くしゃりと前髪を掻き上げた。










 ――好き、好きだよ、先生。

 何度もうわ言のように耳に響いてくる甘い言葉。だがそれとは裏腹に身体は引き裂かれそうに辛くて、熱くて、痛くて、恥ずかしくて、どうしようもなかった。
 彼の――佐助の杭を穿ちこまれた後孔が、それでも反応して収縮し始めると、彼は楽しそうに口元を歪めて覗き込んできた。

「旦那…イイの?」
「ぁあ、ひっ…――ゥ、ッ」

 がくがくと揺さ振られるのが恐ろしくて、目を閉じることも出来ない。口から漏れ出る言葉は意味を成さなくなり、飲み込みきれない唾液が口の端から零れていった。
 視界は涙で歪んで、焦点が定まらない。手に触れる――強く握りこんだ彼の肌が、服が、手に縋ることの出来る唯一のものだった。

 ――熱い、熱い、痛い、痛いッ。

 下肢に迫る感覚といったらそんなものだ。苦痛以外の何物でもないのに、時折背中が引き連れたかのように、びくん、と強く動く。

「っはー…あっつ…旦那、ね?気持ち良い?」

 何度目かになるか解らないが、佐助がそんな風に聞いてくる。

 ――気持ちなんて、良くない。

 憎まれ口を叩きたいのに、口から零れるのは意味を成さない言葉ばかりだ。それなのに彼は咽喉を反らして――伝い落ちてくる汗を手の甲で拭って、心地良さそうに瞳を眇めて見下ろしてくるのだ。

「声、やらしいくらいに響いてるんだけどさ…」

 ぐう、と足を持ち上げられて結合部が、ぐちゃ、と濡れた粘着質な音を立てた。かと思うと、するり、と腹の上に乗り上げていた陰茎に佐助は手を伸ばしてきた。

「そのわりにこっちは萎えてるんだよね」
「や…やめっ」

 びくびく、と触れられるだけで反応を示してしまう。佐助の手が、幸村の陰茎に宛がわれ、指先と掌で無理矢理高められていく。感じたくなどないのに、何度か擦られていると、ずんずんと下腹が重くなってきた。

「あ、感じてきたみたいだねぇ。硬く、なってきた」
「あ、あぅ…ん、ん―ッ」

 ――ゆさ…。

 手を動かすのと同時に、止めていた抜き挿しをも彼は再開する。そうして動かしていると、ぐぐ、と引き抜かれた際に、内部に電撃が走ったかのような場所があった。

 ――ぶるッ。

 大きく身体が震え、あと一歩というところまで追い詰められていく。へえ、と関心するような声がかすかに聞こえた気がした。だが次の瞬間には佐助は別の処を――内部を抉るように動かしてきた。

「っひ、い、――…ッ、う、あ」
「あんたさぁ、女にここ触られても、そんな声出すの?」
「――…ッ」
「それとも、男が相手だから?」

 耳元に囁かれる言葉は睦言とは程遠い、揶揄うような言葉ばかりだ。それが切なくて、辛くて――実際、身体は逃げる場所を探して、痛みに耐えているわけだが――幸村はただ翻弄されるしかない。

「はは…完勃ちだね。ほら、達って?」

 ぐり、と先の割れ目に指先が捻じ込まれる。それと同時に咽喉元が、ひゅう、と鳴った。
 その後の事はあまり覚えていない――汗に濡れた首筋に、彼の柔らかい髪が触れていて、上から覆い被さられているのだと気付いた。
 はー、はー、と呼吸だけが乱れる。手を動かすのも、指先も痺れて、幸村はそのままシーツの上に投げ出しているだけだ。

 ――熱い。

 ただ弛緩する四肢の中で、下腹の――言いたくも無いが、内部が熱いし、滑って仕方ない。まだ彼のものが打ち込まれているのかとさえ思ったが、既にそんな重量のある圧迫感は無かった。

「好き、だよ…旦那」
「――――…」

 間近でそんな風に囁かれる。しかしどうしても声が出なかった。見上げる先は天井と、彼の薄い色の髪、そして光るピアスだけがぼんやりと解る。それよりも幸村の胸には、信じられないという気持ちが充満していた。

「旦那…もっと、中に出して良い?」
「っ、ぁ…――ッ」

 濡れた肌の上に佐助の手が触れてきて、耳朶を甘噛みされながらそんな風に言われた。言われた内容でやっと中に――内部に彼の精液が注ぎ込まれたのだと気付く。下腹の熱さが、何よりの証拠だ。幸村は先程のような、快楽とも恐怖とも付かない経験をまだするのかと思うと、首を振りたくて仕方なかった。

 ――ぐちゅ。

 それなのに佐助の手は、幸村の足を大きく割り開いていく。

 ――もう、厭だ。

 恐怖で涙が滲んでくる。それなのに、佐助は頬を摺り寄せてくる。左耳のリングピアスが冷たく幸村の頬に触れてきていた。

 ――RRRRRRRR…

「――…」

 不意に電話のコール音が響く。ぴた、と手を動かすのを止めた佐助は、自分の服に入っていた携帯を取り出し、上体を持ち上げた。そして一呼吸置いてから、通話ボタンを押す。

「はい…あ、ええ…――まだ、ちょっと」
「――――…ッ」

 佐助が呼吸を必死で戻しながら、平静を装いながら電話に出ている中、こんな好機はないとばかりに身体を起こそうとした。だが関節の何処も彼処も、錆び付いてしまったかのように動かない。

 ――どうして。

 自問ばかりしか浮かばないが、幸村は背中に触れる服と、手にあるシーツの感触だけに身を浸していた。

「解りました、すぐ…戻りますから。じゃあ…」
「――…ッ」

 佐助は携帯を服に押し込めると、衣服を正していく。そして前髪を指先で掻き上げてから、幸村の傍らに来るとベッドに腰を落とした。

 ――ギシッ。

 簡易ベッドの軋んだ音が耳に大きく聞こえる。彼は掌を幸村の額に当ててから、視界を遮るように動かすと、じゃあね、と小さく呟いた。
 次の瞬間には既に視界から佐助は消え、後にドアの閉まる音が響いていた。幸村はドアの音と共に緊張の糸が切れたのか、極度の疲労のせいか、そのまま意識を手放していった。

 ――それから二週間。佐助は一向に顔を見せない。

「人をあのまま放っておいて…」

 目が覚めて改めて自分の身体を見下ろして、泣きたくなったくらいだ。
 指一本、動かすことも出来なくなっていた自分の身体は、己の吐き出したもので肌は汚れ、下肢からは彼のものが伝い落ちてきていた。
 惨めな気分でそれを片付ける羽目になったのに、加害者の彼の存在はもう何処にもなかった。

「来てくれないと…文句も、言えないじゃないか」

 身体に染み付いた感触も、彼の冷たいピアスの感触も、まだこの手には残っている。そして幸村は手元にある小さな四角い紙を摘み上げた。
 それは佐助の診察券だ――あの日、返すことは出来なかった。
 律儀に診察代が置かれた受付に、診察券が置き去りにされていた。診察券を持ち上げて、幸村は再び溜息をついた。これが此処にあるという事は、もう来ないということなのだろうか。
 いつも彼は訪れるのが一番最後だったから、カウンターに――そのまま持っていけるように診察券を置いていた。それなのに、初めて彼はそれを持っていかなかった。

 ――終わりに、したくないのに。

 幸村はそこまで考えると、腕の中に頭を乗せて、くるくると指先で診察券をまわした。そして、はたりと気付く。

 ――待てよ…診察券…あ、住所とか。

 ハッと思いついて幸村は椅子から立ち上がった。そしてばたばたと受付に走っていくと――といっても隣なのだが――彼の名前を探してファイルをひっくり返し始めていった。










 定時を幾分か過ぎた頃、佐助は休憩がてら煙草を吸いに階下のラウンジに向った。左の耳に五つ、右の耳に二つ、そして舌先にひとつのピアスがある。
 比較的、自由な格好でも文句を言われない職種でよかったと思いながら、はあ、と強く溜息を零していく。

 ――もう、ピアス増やすの終わりだろうなぁ。

 最近では皮膚科に通う口実のために開けていた節がある。だがそれも二週間前の夜で、全て終わったかのようなものだ。

 ――驚いた顔、してた。

 それはそうだろう――ずっと言い寄っていたが、いきなり襲われるなんて、相手は思ってもいなかったに違いない。
 あの薄い唇が、きゅ、と引き結ばれて、熱い身体がこの自分の肌に馴染んで――それを思い出すだけで、未だに身体が熱くなってくる。

 ――でも、襲ったことには変わりないし。

 どんな顔で彼に会えばいいのか判らない。これが最後だと思ったから、診察券もそのまま置いてきてしまった。

 ――好きだけど…俺のことなんて。

 ただ喘ぐだけで精一杯だった彼からは、結局一度も名前さえ呼んで貰えなかった。すう、と煙草を吸い込んでから、天井に向って吐き出す。

 ――これで良かったんだ。これで…

 自分に言い聞かせると胸が苦しくなってくる。ぎゅ、と灰皿に煙草を押し付けて、佐助は再びラウンジを後にした。そしてロビーを通過する際に、ふと足を止めた。

「あ…――ッ」
「真田、先生?え…どうして」

 ロビーに入ってきていたのは、腕に上着を引っ掛けた姿の幸村だった。彼の佐助を見つけて瞳を見開いてから、一瞬の間を置いて近づいてきた。

「忘れ物だ」
「何…」

 つかつかと佐助の前に来た幸村は、佐助の目の前に小さな四角い紙を差し出した――それは言わずもがな、診察券だった。
 佐助がそれを受け取らずにただ見つめていると、幸村は押し付けるように診察券ごと、佐助の胸に平手を、どん、とぶつけてきた。

「――――…ッ」
「受け取れ」

 見上げてきた幸村は、顔を真っ赤にしながら睨みつけてきていた。佐助は胸元に触れている彼の手に自分の手を重ねると、何で、と呟いた。
 その声はからからに渇いていた。だが幸村はそんな事を気にしないように、顔を背けながら吐き捨てる。

「仕方ないじゃないか」
「――…」

 手にある診察券をじっと見つめて、そして佐助が顔を起すと、真っ赤になった幸村が、泣き出す寸前のように頼りない顔なのに、必死で睨みつけながら言ってきた。

「気になるんだから、仕方ないじゃないかッ」






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