Cheer!cafe



 食事をしてから、街中を歩き出す。すると今日の営業を終えようとしている店の明かりと、飲食店の並びの明かりが交互に入れ替わっていくように思えた。
 久々に満喫したイタリアンに、ワインを3杯くらいグラスで空けてから、ほろ酔いのままに店を出た。勿論、デザートはお勧めと言われる物を全て頼んで二人で突きあって、なんだか楽しい気がしてならなかった。
 幸村が鼻歌でも歌いそうな勢いで佐助の肩に、とん、とん、とぶつかって行く。その度に佐助が背後から腕を廻して肩を抱いてきた。

「大丈夫?呑みすぎた…?」
「そんな事は無い。凄く楽しいのだッ」

 幸村が肩を抱かれたまま、くふふふ、と口の中で笑うと、今度は腕を肩に廻して互いに肩を組んで行く事になってしまった。

 ――色気ないような気がしないでもないけど、旦那の身体熱いなぁ。

 横で触れてくる幸村の身体が、吐息が熱い。少しでも気を抜くと理性が飛んでしまいそうだった。

「あ、旦那、ちょっと寄って行っていい?」
「ん?」

 不意に視界に過ぎったロゴにハッとする。店のロゴを見上げて佐助がするりと幸村から腕を避けると、幸村は眉根を寄せて佐助のシャツの裾を掴んだ。

「旦那…あの、萌え攻撃やめて」
「もえ?」
「いえ、いいです。ここ、入っていい?」

 佐助が背中を見せていると、そのシャツの裾を掴んできた幸村が小首を傾げる。目の前には見知ったロゴの店がある――それを見上げて幸村は余計に首を傾げた。

「入っていいが…其処は」
「うん、此処はホールビーンストアなんだよ。俺様の勤めるとこの系列」

 シャツの裾を握ったままの幸村を誘導するように佐助が歩く。そして入り口のドアを開けると直ぐに「いらっしゃいませ」という声が響いた。

「お疲れ様です、才蔵居る?」
「――何だ、来るなら来ると言えば良いものを」

 佐助の声に直ぐにカウンターからブラックエプロンを着けた男性が出てきた。佐助と親しげに拳をぶつけ合う姿に、ぱら、と幸村は握っていたシャツの裾を離した。

「旦那、こっち来て」
「え…っと、え?」

 シャツの裾を離すと同時に、くる、と佐助が振り返る。そして手首を掴みこむと、すい、と引き上げるようにして前に差し出された。
 目の前にはブラックエプロンを着けた青年が居る。

「こんばんは」

 青年――才蔵がにこりと微笑む。その顔に釣られて幸村は頭をしおしおを下げて挨拶をしていた。

「こ、こんばんは…某、真田幸村と申します。いつも佐助がお世話になっております」
「ぶふ…ッ」
「だ、旦那ッ!」

 思わず才蔵が噴出す中で、佐助が慌てて幸村を背後から抱き締めてきた。その様子に驚きながらジタバタと幸村が腕を動かす。

「佐助、人目が…」
「解っているけどさ、それはちょっと…もう、なにこの人。俺様を落としてどうすんのさ」
「落とす?」

 きょとんと小首を傾げる幸村の肩口に額を擦りつけながら、佐助がぐりぐりと撫で繰り回す。すると流石にくすぐったいのか、幸村が「ぎゃああ」と軽く悲鳴を上げてくれた。
 じっとりと顔を起こして、とどめとばかりに耳元に囁いてやる。

「あんたに惚れて惚れて仕方なくなってるって言ってんの」
「な…ッ」

 ぶわ、と耳まで一気に真っ赤になりながら幸村が硬直する。彼の変化に満足していると、才蔵が眉根を寄せて――しかも指先で額を押さえながら声を掛けてきた。

「あ〜…取り込み中悪いが、いいか?佐助」
「ごめん、ごめん。旦那、好きな豆選んで」

 す、と幸村から腕を離して佐助が誘導する。目の前にはコーヒー豆のカウンターが現れた。コンセプトストアというものがいくつかあるが、此処は豆を主流に扱う店のようだ。
 幸村が佐助を振り返りながらも、目の前の豆とを見比べる。

「俺が選んでいいのか?」
「此処はホールビーンストアですよ。お好きな豆をご用意いたしましょう」

 才蔵が流暢な物言いで幸村を誘導していく。その様子を見つめながら、佐助はこの店の中にある豆の香りを深く吸い込んでいった。そしてこっそりと才蔵に耳打ちすると、幸村が戻ってくるのカウンター席で待っていった。










 新しいコーヒー豆を購入して佐助の後を付いていく。流石にマンションが近くなってくると幸村は口数も少なくなってきていた。部屋の前に来た時には、かわいそうなくらいに押し黙っており、佐助は溜息をひとつ付いてから振り返った。

「どうしたの、入らないの?」
「入る…が、しかしッ!」
「ん?」

 返答は早かった。ガッと拳を振り上げた幸村だったが、勢いのままにその場にへなへなとしゃがみこんだ。そしてそのまま頭を抱えてしまっている。

 ――ありゃりゃ、マジで意識してくれちゃって。

「心の準備をさせてくれぇぇぇ」
「早く準備してね、旦那様?」
「うぅぅぅ」

 佐助はドアを開けたままで玄関に入ると、ひょい、と靴を脱ぎだした。するとしゃがんだままの幸村が顔を上げて膝を抱えて此方を見上げてきた。まるで捨てられた子犬のような目を向けられて、きゅん、と胸が鳴ってしまう。だが佐助はさっさと靴を脱ぐと靴箱の上に袋を置いてから壁に寄り掛かった。

「先に入ってるから」
「ええい、お邪魔しますッ!」

 今度は急に立ち上がった幸村が中に足を踏み込ませてきた。勢いのままで駆け込んできた幸村は、玄関口で佐助を追い越してしまう。しかし直ぐに踵を返すと、脱捨てた靴を揃えに玄関口にしゃがみ込んだ。

 ――やっべ、律儀で可愛い。

 立っている佐助の視線からすると幸村の旋毛が見える。思わず身を屈めてその頭に向って襲いたくなってしまうではないか。
 せっせと靴の向きを直している幸村に、佐助はかくんと膝を折った。

 ――ぎゅうううううう。

「ぬああああああ?な、何事…ッ」
「旦那、めっちゃ可愛いッ」
「わわわ擽ったいッ」

 ぎゅうぎゅうと玄関口で上から覆いかぶさるようにして抱きつくと、きゃっきゃと幸村は暴れる。そんな彼とそのままころころと玄関口でじゃれていると、不意に佐助は壁に寄り掛かって座り込んでいた。
 そして、どこをどうしたらこうなったのか解らないが、自分の胸元に幸村を抱き締める格好になっていた。

「だん…幸村」
「ぁ…――ッ」
「キス、していい?」
「……――っ」

 間近に触れてる胸元が、どきどきと鳴り始めていく。此処で「嫌だ」と幸村が言わない限りその先に進めて行きたい衝動が、じわじわと迫ってきていた。佐助が幸村の背に流れる髪を指先に絡めて返答を待っていると、すい、と幸村が動いた。

 ――ちゅ。

「――…ッ」

 あまりの驚きに瞼を下ろせなかった。触れるだけで離れたのは、とても柔らかい感触で、それが目の前にある彼の唇と気付くには時間は掛からなかった。それどころか、軽くキスしただけで恥ずかしがって首元に顔を埋めてしまった幸村が愛しくてならない。

「旦那…ッ」
「…――っん」

 顔を押し隠してしまったのを無理矢理に起こさせて、下から掬い上げるようにして唇を重ねる。むに、と唇同士が触れて柔らかさを伝えてくる。
 指先を使って頬を押して、軽く幸村の口を開かせる。そうして、ゆっくりと舌先を彼の口腔に差し込むと、ぴく、と小さく身体が揺れた。

「んぅ……ッ、ふ」
「旦那…逃げないで」

 舌先で口蓋を擽るようにすると、腕を突っ張って身体を引き離そうとする。その動きを制するように唇をずらして囁くと、幸村は薄っすらと瞳を開いた。

「逃げては…」
「いない、って言わせない」

 ――ぐ。

 逃げを打つ腰に手を添えて自分の方へと引き寄せた。すると乗り上げている幸村の重みがずっしりと自分の胸元に降りてきた。それを愛しそうに抱き締めると幸村は胸元で身体を縮めた。

「ね、此処で、このまましてもいい?」
「えッ!」

 びく、と顔を起こして幸村はぱくぱくと口を動かした。徐々に彼の首元が、下から赤くなってくるのが面白いくらいだった。

「このままさ、キスして、服脱いでさ…」
「や…それはッ、嫌だッ」
「何で?」
「だって初めてだしッ、その…せめてシャワーくらい…」

 ぶるぶると首を振りきる幸村に、ぷぷ、と笑いが込み上げてきてしまう。元々こうした経験値は低い方だとは気付いていたけれども、いざそれを本人に言われると可愛らしくて仕方ない。
 佐助は片手で彼の頬を包み込むと、軽く頬に口付けた。触れただけなのに、ぎゅっと瞼を閉じてしまう幸村が晩生だと気付かされる。
 じっと見上げていると、ふるふると震える唇だとか、潤みだしてくる瞳だとかに嗜虐新を注がれてきてしまう。だが佐助は、ふう、と溜息を付くと足を縮めて立ち上がった。同時に幸村の腕も引っ張って一緒に立ち上がる。

 ――ぎゅ。

 立ち上がって直ぐに抱き締めてみる。そして幸村の背に流れる髪に指先を絡めて、肩口に噛み付いた。

 ――かふ。

「さ、佐助?おい、どうし…」
「んー?旦那を早く食べちゃいたいなって思って」
「ん、なあああああああ?」

 噛み付いたまま、額を幸村の肩に乗せて言うと、彼は背に廻していた手を強く握ってきた。佐助のシャツが後ろ側に引っ張られて少しだけ咽喉にひっかかる。

 ――ちゅ。

「ん…ッ」

 軽く顔を起こして幸村の唇を啄ばむ。そして更にもう一度、強く音を立てて吸い付くと、離れて、指先で幸村の唇を、ちょん、と突いた。

「お預け喰らった身としてはさ、早くしたいんだけど…俺先にシャワーしてくるね。って、旦那が先がいい?それとも一緒に…」
「ははは早く行って来いっ」
「――…ッ、ぷ」

 幸村の慌てぶりに笑いが零れてしまった。隠せずに噴出すと、彼は不思議そうに小首を傾げてみせる。そんな仕種がいちいち佐助の心を揺さ振っているとは、幸村自身は気付いていないに違いない。

「どうした?」
「いや、早く、って急かされたなんてね」
「なあああああ、違うわぁぁぁぁぁ!」
「適当にそこら辺弄ってていいから」

 バスルームに背を向ける佐助の背中に、ばしばし、と幸村の平手が降る。佐助は背に幸村の手の感触を感じながらバスルームに向っていった。










 佐助をバスルームに送ってしまうと、改めて幸村は一人で残された部屋の中を見回した。入り口を入ってすぐに洗面所とバスルーム、そして部屋に入るとカウンターキッチンに、ダイニングという作りだ。1ルームといえばそうだろうが、結構広さはある。そして部屋の――ベランダに面した奥にあるソファーベッドに目が行った。

 ――ごく。

 咽喉が鳴ってしまう。思わず、としか言えないが咽喉が音を立てた。それと同時に、どっどっどっ、と鼓動が激しく鳴り響く。

 ――落ち着け、幸村。

 自分に言い聞かせながら、胸元を握りこんだ。気を紛らわせるようにして辺りを見回してから、TVを点ける。調度深夜番組にかかるところで、ニュースの最中だった。

「はぁ…」

 溜息を付きながら、へなへな、とその場に腰を下ろしてしまう。そして見上げるとカウンターキッチンの棚に、数々のコーヒー豆とシロップ類などが置かれていることに気付いた。
 興味のそそられるままに立ち上がり、カウンターの中を見る。耳にシャワーの軽快な音が響いてきていて、再び身体が熱くなりかけたりもした。

 ――どうしよう、緊張する。

 幸村は自身を落ち着かせるために深呼吸してから、再びカウンターを覗き込んで、ふと其処に何冊ものノートがあることに気付いた。

「これは何であろうか…」

 なんとなくノートの外側が見たことのある装丁だった。本人がいないところでそのノートを見るわけには行かない。じっと見つめていながら、あ、と声を出してしまう。

「これ…佐助の、仕事用の」

 何時だったか、幸村の家に来たときに彼が手にしていたノートに似ている――いや、そのものだった。

「此処で、佐助は色々考えたりしているのか…」

 カウンターの椅子に座り、そっと其処に伏せてみる。ほのかに鼻先にコーヒーの香りがしてくるようだった。

 ――がちゃ。

「――…ッ」

 バスルームからの音にがばりと身体を起こす。すると程なくして佐助が現れた。いつもの色の薄い髪が、水気を含んで色を濃くしている。
 彼は上半身には何も着ていない状態で首にタオルをかけて出てきた。ほわほわと湯気が漂っているのは目に見えて、視線を反らしたくなる。

「旦那、次ね」
「う、うむッ!」

 カウンターの椅子に座ったままで身を縮めていると、幸村は付いていたテレビに視線をちらりと動かしただけで小首を傾げた。

「あれ?好きにしてて良かったのに…」
「充分、好きにしていたッ」

 がた、と椅子から立ち上がり、佐助の肌を見ないようにしながら横をすり抜けようとする。肩が触れ合うかと云うくらいの距離になった時に、ふと佐助は揶揄うように言った。

「そう?あ、そうだ…出てくるとき、何も着てなくていいから」
「馬鹿者――ッ」

 ぐわ、と顔を真っ赤にしながら、佐助に思わず掴みかかってしまう。何を言い出すのかと本気で説教してやろうかとさえ思う。だが掴みかかった佐助は全くの平静だった。

「あははは、やっぱり?」
「お前、そんな、破廉恥な…ッ」

 いつもと変わらない佐助の素振りに安心してしまう反面、彼が落ち着いているのが悔しくなってしまう。

 ――いつも掻き乱されるのは俺の方だ。

 幸村がぎゅっと拳を握り締めた。すると首に掛けていたタオルで、伝い落ちてきた雫を拭いながら、ぽん、と頭に佐助の手が乗ってきた。

「少し、落ち着いた?」
「う…ん」
「ただヤリたいってだけじゃないからさ、あんまり緊張しないでよ。ね?」

 困った様な笑顔で佐助が幸村の頬を包む。こうして触れられるのは今日何度目だろうか。何度も彼に宥められてきたような気がする。でも不安な気持はなかなか解消してくれず、気休め程度にしかならない。

「でも、俺にしたら…世界が変わるんじゃないかって思うくらいに、一大事だ」
「そうだよね。だから…湯船張ってきたから、ゆっくり浸かって考えてきて」
「え?」

 佐助が幸村の右手を取って、そっと手の甲に唇を押し付けた。そしてそのまま視線だけを幸村に向けて、はっきりと言った。

「嫌だったら、無理強いはしない」
「――…ッ」

 ――ずき。

 何故か胸に痛みが走る。真剣な彼の視線に、何故か不安を掻き立てられる気がした。自分を労るような言葉だけれども、どこか諦めを感じさせるような雰囲気だった。

「佐助…――っ」
「ね?ほら、お風呂冷めちゃうから入ってきなよ」

 幸村は佐助の真意を確かめることも出来ず、背中を押されるままにバスルームへと足を向けることになった。バスルームの扉の前で、佐助は「早くね」と軽く言っていたが、幸村にはどうしても胸元がざわついて仕方なくなっていった。



 →next





110416 up