Cheer!cafe



 いつもカフェの前を通る彼が、いつ中に入ってきてくれるのかと、胸を躍らせながら待ち望んでいた頃もあった。
 佐助は幸村と共に並んで歩きながら、そんな風に思い出すと、くす、と小さく笑った。普段はあまり使わない電車――自動改札を抜けたところで、幸村が不意に振り返る。

「佐助、まさかと思うが改札の抜け方が解らぬとか…」
「そんな事はないよって…其処まで馬鹿じゃないって」

 ピ、とカードを通して改札を抜ける。直ぐに幸村の隣に並ぶと、彼は少しだけ気遣うように上目遣いに見上げてきた。

「そうじゃなくて。電車は慣れてないのではと…」

 小さな声で耳元に、ありがと、と囁くと同時にホームに電車が滑り込んできた。佐助の囁きに幸村が何かを言おうとしていたが、降りてくる客に押されてそれは聞き取れなかった。
 電車に乗ってから、佐助が携帯電話を取り出しながら伺いを立てた。

「さてと、旦那。何食べたい?」
「何でも…居酒屋でも何でもいいぞ」

 幸村は電車の揺れにあわせて足元をふら付かせ、体勢を戻しながら答えて来る。

「それじゃ面白くないでしょ?デートなんだから」
「でーと…」

 がたん、と大きく電車が揺れた。足の踏ん張りが利かなくなってきていた幸村を空かさず自分の方へと引き戻す。軽く腰を抱きながら元の場所に戻し、幸村の顔を覗き込む。すると幸村はほんのりと頬を赤らめながら、視線を横に泳がせて呟いた。

「でーと、だな?」
「そ、デート!……っやべ、自分で言ってて何だか恥ずかしくなってきた」

 言われるままに、こくこくと頷いて見せると、今度は急にその言葉のもつ響きに羞恥が迫ってくる。たかだか出かけるくらいのことの筈だ――しかし相手が幸村となると響きが一層甘さを伴ってくるような気がした。
 照れ隠しに佐助は携帯の画面に視線を落とした。

「何がいいかなぁ。居酒屋でもいいとかなると…肉?しゃぶしゃぶとか、焼肉…うーん、デートっぽくねぇな」
「パンケーキはどうでござろう?」

 画面を覗きこむようにして幸村が頭を寄せてくる。間近にある彼の瞳がかなり真剣だ。

「だってそれ甘味でしょ?デザートなら赦すけど」
「ぬぬぅ…あ、某、スパゲッティが食べたいッ」

 ぽん、と手を打って幸村が瞳を上げた。すると真っ黒い大きな瞳が佐助に向けられてくる。彼の顔の近さに、どき、と小さく鼓動が跳ねたが佐助は平静を装って返答した。

「スパゲッティ…パスタ?」
「そう!ピザとか、色々食べたいでござる」

 ぱたぱたと手を動かす様が無邪気だった。それに「パスタ」と最初から言わずに「スパゲッティ」と言ってしまう辺りが彼らしい。
 電車の中の路線図を見上げると、すぐ近くに知っている店があることに気付く。佐助は携帯電話を仕舞うと幸村に「次で降りよう」と告げた。

「じゃあ、イタリアンだね。いい店知っているし、行こうか」
「うむっ!」

 幸村が大きく頷いたとほぼ同時に電車が止まる。扉が開いて外に出てから、着いてくる彼を確認がてら振り返った。

「あ、旦那…」
「なんでござろう?」

 ととと、と小さく駆け込んでくる幸村が隣にくるのを見計らって、肩を上げながら、ニシシ、と歯を見せながら笑う。

「ワイン、呑み過ぎないでね」
「え……?」
「この先もあるから」
「――……ッ」

 する、と幸村の手を掴んだ。すると幸村は唇をきゅっと引き結んで俯いてしまった。佐助は構わずに幸村の手を掴んで歩き出す。
 掴んでいる手が徐々に熱くなってきているのに気付きながら、佐助は前方をずんずんと歩きながら告げた。

「あんまり意識しなくてもいいけど」
「破廉恥ィィ…」

 肩越しに振り返ると、顔を片手で覆いながら真っ赤になっている幸村が居た。彼の背中に、風で髪が靡いているのが見える。佐助は繋いだ手をしっかりと握りこんで、自分の照れ隠しに軽く笑いながら先を進んでいった。










 店に着くと入り口付近の窓が近い席に案内された。二人で向かい合ってメニューを見詰めながら、幸村はちらちらと佐助の方を見ていく。ソファー席の幸村の背後は壁だが、入り口に向いている佐助の背後には様々に客が見える。時折、色の薄い佐助の後頭部に向って視線を送っているかのように見えてしまう女性客に、いちいち威嚇したくなってしまう。
 メニューから顔を起こせないままに佐助は早々に店員を呼んでオーダーを始めていた。

「鯛のカルパッチョに、子羊のロースト、それからブッタネスカとマルゲリータ、食前酒にシェリーと…そうだな、グラスでワインを」
「さ、佐助…ッ」

 慌てて幸村が顔を起こしてメニューを指差す。身を乗り出しながら佐助が覗き込んでくる。そうすると身を乗り出したもの同士、額が付きそうになる。

「何?旦那…まさかもうデザート?」
「そうではなくて、ええとこのトマトとモッツァレラチーズの…」

 ぱっと幸村がメニューに視線を落とした。真正面から見詰める佐助の視線に向き合えなかった。幸村がもごもごとオーダーの追加を頼むと直ぐに佐助は気付いてくれた。

「あ、ごめん。カプレーゼも追加で」

 注文したものを店員が繰り返し述べるのを聞きながら、乗り出していた身体をソファーに沈める。そして店員が去った後に、出されたお冷を佐助が口に運んだ。
 幸村は彼の仕種を見詰めながら、ぽつ、と呟いた。

「慣れてるもんだな」
「そんなことないけど」
「……――」

 じっと見つめてしまうが、佐助はけろりとしている。どきどきと胸を躍らせているのは――帰りに家に寄らないかと、デートをしないかと、言われた時からずっと高鳴る鼓動のままなのに――自分ひとりだけがずっと興奮しているような気になってしまう。
 じっとりと見詰めていると、佐助が腕を組んで身を軽く乗り出してきた。テーブルの端から、組んだ長い足がちらりと見えた。

「旦那?どうしたのさ、むっつり顔しちゃって」
「誰と来たのだ?」
「え?」
「そんな風にさらさらメニューが言えるくらい、此処に誰と来たのだ?」

 唇を若干尖らせたままで顎を引くと、上目遣いに睨むような格好になる。ソファーに背を預けていると余計に睨んでいるように見えたに違いない。
 一瞬、佐助はぽかんと瞳を見開いたが、すぐにしっとりと眇めてから、にや、と口元を吊り上げた。こんな風に表情豊かな彼に一体何人の娘が誑かされたのだろうか。

「もしかして嫉妬?」
「お前はいつも俺にばかり詮索を向けるが、俺だってお前の事は良いことも悪いことも知りたいのだ」

 にやにやと口元を吊り上げている佐助は楽しそうに「そう?」と相槌を打ってくる。

 ――いつも先手を打たれているような気になってしまうな。というか、余裕があるのはそんなに俺の事を深く思っていないから、とか…。

 ふと嫌な方向に思考が向いそうになってしまう。
 付き合っているとは言っても、男同士だし、始まりはナンパに近かったようにも感じる。それに決定的といえばそうかもしれないが、未だに肉体的な繋がりも無い。

 ――それでもいいと、俺がいいのだと、佐助は言うが不安だ。

 確証のない関係のように思えると不安が募る。幸村がむっつりと口元を尖らせていると、目の前にカルパッチョと食前酒が運ばれてきた。

「旦那、ご飯の時は楽しくね」
「うむ…消化に悪いからな」
「そうじゃなくて。俺様との食事なんだから…その、一緒に居て楽しいと思って欲しいんだけど」

 ――むくれ面はもう辞めてさ。

 瞳を上げると佐助が微かに眉を下げていた。困っていたのだろう。佐助は自分のこととなると、全てを隠そうとするかのような時がある。それに気付きながら、いつも気付かない振りをしている。
 目の前で佐助が食前酒に手を伸ばす。同じようにしてグラスを持ち上げ、ちん、と重ね合わせてから咽喉に流した。
 しゅわしゅわ、とシェリーが咽喉に軽快に流れていく。

「美味しい…」
「でしょ?旦那、はい、あーん」
「あー…って、自分で食べられるッ」

 シェリーに感動している間に、口元にフォークに突き刺された鯛のカルパッチョが迫っていた。傍からの視線も気になるというのに、一瞬口を開け掛けてから拒むが、佐助はにこにことしながら進めてくる。

「いいからさ、ほら」
「ぬ…――っ」

 目の前にオリーブの香りのする鯛が迫る。幸村はそろりと口を開くと、次の瞬間にはがぶりとそれを口に引き入れた。

「あ、っと…」

 フォークを満足気に戻しかけた佐助が、長く傾けていたせいで垂れてきたオリーブオイルに気付く。指先に付いたオイルを、静かに口元に運んでから、ぺろ、と舐めた。

「――…ッ」

 どき、と小さく咽喉が詰まりそうなほどに鼓動が跳ねた。佐助の細く長い指に舌先が這う――それを見ていただけなのに、どうしてか鼓動が跳ねて仕方ない。口の中の鯛の味などよく解らなくなってきた。
 咀嚼さえも忘れていた幸村に気付いて佐助が瞳だけを向けてくる。彼の髪の色と同じ、色の薄い睫毛がぱちりと見えた。そんな小さな造形でさえ、全てが大きく音を伴って自分に迫ってくるような気がしてしまう。

「何?どうしたの」
「破廉恥…」
「え?」
「お前の食べ方は、いやらしい」

 ぷう、と頬を膨らませてから、シェリーと鯛のカルパッチョにフォークを向けた。たっぷりに掛かっているオリーブオイルに唇が濡れる。

「なにそれ?俺様に言わせたら旦那の方が…」

 佐助もまたフォークを突き出して口に放り込むと、くす、と口の中で笑った。そして一度フォークを置くと、腕を組んで身体を乗り出してくる。
 側にあったシェリーを軽く咽喉に流してから、ふふふ、と何時ものように笑い出す。こんな笑顔が店では出ないことに最近気付いたのだが、そのことは本人には告げないでおいている。
 佐助は正面から幸村に向き合い、そして口元だけでほんわりと笑うのだ。

 ――綺麗な男だな。

 不意にそんな風に思ってフォークを咥えて止まっていると、佐助は先を促がしてきた。
「辞めよっか、この話」
「そうだな」

 こくん、と頷く。そうしているとカプレーゼが運ばれてきた。紅いトマトに、白いモッツァレラチーズが重なり、これまたオリーブオイルが掛かっている。

 ――かちゃ。

 運ばれてきたカプレーゼを綺麗に重ねたままスプーンに取り上げた佐助が、すい、と先に幸村の口元に向ける。
 二度目は拒むこともなく、ぱく、とそれに口を付けた。彼はその後に自分の皿にも取り分け始める――最初のひとくちは幸村にくれるのだ。

「なんか意識しているでしょ?」
「しない訳があるまい」

 言われなくても意識はしている。別にこの後のことだけでなく、佐助と一緒にいる時はいつも意識している。

 ――どういえば伝わるのだろう。

 幸村はフォークを手にしたまま、じっと佐助と皿を往復して見つめた。ほわほわとした湯気を伴ってブッタネスカもテーブルに運ばれてきた。
 かちゃかちゃ、と器用にそれらを取り分ける佐助に、全てさせてしまって申し訳ないと思いつつも、やはり器用だな、と関心したりもする。

「緊張は…しているが」
「だよね…でもさ、俺、無理強いはしたくないんだけど」
「無理じゃないッ」

 ――ぱちん。

 幸村が両手を伸ばして佐助の頬を包み込んだ。急な幸村の動きに、今度は佐助が驚いたように瞳をぱちりと動かした。
 勢い余ってかなり頬を叩いてしまったようにも思える。だが後にも引けずにいると、佐助は幸村の手首に手を添えてから、また柔らかく微笑んできた。

「――泣かせたくないし」
「あ…」

 ハッと今までの経緯を思い出して、ぶわあ、と背筋が熱くなった。彼に無理に触れられた時の怖さや、自分の知らなかった感覚の波――それを思い起こすとどうにも脂汗が浮かんできてしまう。

 ――逃げたいッ。でも…!

 でもこれからもずっと側に居たいと思う。それに彼をもっと知りたいと思うし、触れたいと思うのも事実だ。
 どうなるかなんて解らない。幸村はするりと佐助の頬から手を離すと、触れられるままに指先を絡めた。

「や…」
「え?」
「優しく、してくれるのなら」

 精一杯の気持でそう告げる。恥ずかしさのあまり、顔を起こすことが出来ない。だが同時に絡めた指先がぎゅっと強く握りこまれた。

「――…ッ、頑張ります」
「――…ッ!」

 佐助の真面目な声に顔を起こすと、今度は自分よりも真っ赤になっている佐助が顔を伏せていた。耳まで真っ赤になって、鼻の頭には汗まで浮いている。そんな姿は今まで見たことがないように思えた。

「佐助…」
「うん?」
「食事が冷めてしまう」
「そうだね…食べよう?」

 ぱっと手を離してフォークを持ち直す。そしてお互い紅い顔をしながら向き合うと、俺たち恥ずかしいね、と話していった。

「こ、恋、などと云うのは、恥ずかしいものでいいのではないか?」
「お、旦那も言うね」
「偶にはな。なぁ、佐助…ティラミスも食べたい」
「いいよ、でもお勧めのパンナコッタとカタラナも食べて欲しいなぁ」
「一緒に頼んでつつき合えばいいではないか」

 もくもくと口元を動かしながら幸村が言う。それに合わせて佐助はグラスワインを飲み干すと、いいよ、と優しく告げて言った。

「ね、もう少し食べてからさ、それから…」
「それから?」
「俺の家に行って、コーヒー、飲もう?」

 佐助の淹れるコーヒーというだけで心躍らないわけは無い。だが、彼の穏やかな物言いに、何故か落ち着いた。誰にも邪魔されずに一緒に呑むコーヒーの味は格別だ。それを思い出しながら、幸村は静かに頷いていった。



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