Cheer!cafe



 朝の喫茶店の店内には、まるでカラメルのような香りが立ち込めていた。その香りを嗅ぎながらも心此処にあらずといった風情でカウンターに座りながら、佐助は嘆息を繰り返した。

「ぬぅぅぅぅぅぅんッッッ!!」

 ――ザザーッ!

 目の前ではこの喫茶店の主である武田信玄が、先程から熱く焙煎を繰り返している。光る頭に汗を滲ませながら、その豪腕で焙煎を繰り返す。

「佐助ぇ、ぼけっとしておるなら手伝わぬかッ」
「俺様今そんな気分じゃないの。大将、勘弁して」
「ぬおおおおおおおッッ!」

 ――ザザザザーッッ!!

 はあ、と溜息を付きながら佐助は手をひらひらと振って見せた。すると一段楽したのか、カウンターの向こうに信玄はエプロンを掛けながらやってくる。素早い手つきで側にあったサイフォンを用意し、それと同時に厚切りのパンをトースターに入れた。

「まったく良い若者が朝から溜息とはけしからんッ」
「だってさ…このままじゃ俺、絶対にもっと泣かせちゃう」
「女子は泣かせてナンボ!」

 どん、とカウンターを打ち付けるせいで、びりびりと佐助にまで振動が伝わってきた。そっぽを向いていた身体を正面に戻すと、佐助は再び頬杖をついて見上げるような格好を取る。

「いや、男の子なんだけどさ」
「――…以前店につれてきた若人か?」
「そ。好き過ぎてどうしよう、もうッ」

 ――ばんばんばんッ。

 今度は佐助がカウンターを叩いた。それをじっと見つめる信玄が、片手を顎先に持っていき、ニヤニヤと笑い顔を作った。

「めずらしいの」
「大将?」
「お前が珍しゅう熱くなっておるな」

 にやつく顔は抑えずに、信玄はトースターの「チン!」という軽快な音に手を伸ばす。中から先程のトーストを取り出すと、素早くはちみつを塗り、スライスしたバナナをトッピングした。そしてその上にシナモンシュガーを振り掛ける。
 一連の動きを見詰めながら、佐助は唇を尖らせた。

「だって…可愛いんだよ、真田の旦那。でも、泣かせたい訳じゃなくてさ」
「良いのう、若いと云うのは」

 ――とん。

 嬉しそうな笑みを浮べた信玄がカウンターから皿を差し出す。受け取ると其処には今のシナモントーストがあった。そして次いで出されたのは淹れ立てのコーヒーだ。

「大将、これ…」
「しっかり食っていけ。恋も仕事も体力勝負じゃッ!」

 むん、と腕を振り上げる信玄の二の腕にはくっきりと筋肉がある。それを眺めながら、はいはい、と緩く答えつつも、佐助は心づくしのモーニングセットに舌鼓を打っていった。










 前回、幸村の家に行き彼に対して嫉妬交じりの所業に出てしまってから、実は顔を合わせる機会を逸していた。佐助はいつも通りに早朝に出勤すると、グリーンエプロンをひっかけてレジに立った。

「いらっしゃいませ〜」
「さすけ」

 何度目かになる接客の後、聞き馴染んだ声に一瞬肩が揺れた。それと同時に胸が、どきん、と鳴って「どうしようもないな」と思った。
 目の前に居たのは誰でもない、真田幸村だ。彼はいつものように赤いタンブラーを手にして其処にたっていた。

 ――今日も可愛いなぁ。

 思わずそんな風に思ってしまう。きりっとした瞳に、きゅっと引き締められた唇――彼の容貌を見るたびに、今では愛らしくて仕方ない。一瞬、そんな風に彼を観察してしまって反応が遅れてしまう。佐助はハッと我に返ってオーダーを伺った。

「あ…――っ、な、何にする?」
「フラペに決まっておろう。今日は抹茶クリームフラペにする」

 ムッと突き出された下唇がまだ赤い。ちらりと其処を見てしまうと、思わず視線も下降してしまうというものだ。佐助は自分の腰に引っ掛けていたポーチから小銭を出して、たたた、とレジを打った。

 ――暫くは驕りだもんね。

 ちん、とレジに小銭を納めて釣りをポーチに戻す。そして幸村からタンブラーを預かりがてら、そっと見上げた。

「そうでした。どう?治った?」
「見て解らぬか」

 ――つん。

 不意に手を伸ばして、幸村の唇に触れる。すると伸びてきた指先に、幸村がびくりと肩を揺らした。

「――…ッ」
「ちょっと腫れたね。ごめんね。まだ痛む?」
「いや…もう痛くは無いが」
「ごめんね…ホント」
「…――るな」
「え?」

 佐助が眉を下げながら告げていくと、ぼそ、と幸村が呟いた。唇の動きを見ていて彼の言葉を把握すると、彼はどうやら「謝るな」と言ったようだ。
 しかし幸村は口元を手の甲で押さえると、そのまま踵を返してしまった。

「なんでもない、ランプの下で待ってる」
「うん、作ってくから」

 佐助はぽかんとしながら幸村の後ろ髪を見送る。そして再びハッとしてから、自分のグリーンエプロンを外して、ブラックエプロンを付け直した。
 素早く海野と入れ替わり、手元を動かす。彼のオーダーに合わせてフラペチーノを作りながら、ホイップの硬さを見る。

 ――チョコレートソース、トッピングしよう。

 彼の嗜好にあわせて、でも唇に染みるといけないので、さらりとだけソースをかける。そしてランプの下から顔を覗かせると、幸村が蓋を持って其処に立っていた。

「お待たせ、旦那」

 タンブラーを差し出すと、幸村がそろりと手を伸ばした。そしてそのまま彼の方から佐助の手を握ってきた。

「あ…っと、旦那?」
「佐助、その…今日は暇か?」

 ぐっと下唇を噛み締めながら、上目遣いに見詰めてくる視線に、くらくらと視界が揺れそうだった。できればこのまま抱き締めてしまいたくなってしまう。幸村の瞳は期待に輝いている。

 ――ちょっと待て、佐助!正気に返れッ!

 自分の中の欲望を落ち着かせながら、ふう、と息を吐く。そして佐助は思い切って告げた。

「あ…あ〜、ごめん。今日は新作の打ち合わせで」
「そうか…解った」

 しゅん、と肩を下ろした幸村が、寂しそうに視線を下げる。そして手をずらして佐助の手から離れると、タンブラーだけを持って背を向ける。
 その背中に向って「ごめんよ、旦那」と胸裡で告げながらも、あんな風に肩を落としている姿に胸がツキツキと痛んだ。
 幸村はそのまま荷物をいつものリュックに納めて、とぼとぼと店を出て行く。出来るならこのまま本当に腕を引っ張って引き戻したいくらいだった。

「うそつき」
「何だよ、小助」

 横から刺のある声が響く。ぴく、とその声を聞きつけて佐助は冷たい視線を送った。横からの声は小助だ――しかも少しだけ幸村に似た顔つきで睨みつけてきていて、いつもよりも迫力を増していた。

「打ち合わせなんてないのに」
「間を置いてんの!」

 ぐぐぐ、と手元で拳を握りこむ。食い込む爪が掌に痛い。しかし小助はまだ疑いの眼差しで此方を睨んでいた。

「まさか…もう飽きたとか?あんなに好きだ好きだ言っていたのに?やだな、これだから佐助さんって遊び人だって言われるんですよ」
「っるっせ!言っておくがな、俺様は本気。旦那を手放す気なんてないの」
「でも嘘ついてた」
「大人の事情だ、馬鹿」

 小助の追撃に吐き捨てる。まだ納得いかないようで、小助は唇を蛸のように尖らせていたが、直ぐにオーダーが入るとにこやかな笑顔を向けてレジに向っていく。責められて辛くない筈はない。舌打したい思いでいると、横からぼそりと海野が話題に入ってきた。

「…だが可哀相だな」
「海野…」
「お前、あの子泣かせたんじゃないのか?で、気まずいとか」
「――…ッ」

 オーダーに反って海野が手元でミルクを温める。フォームをふわふわに作る為に、温度を見ながらも、ちらりと佐助の反応を見て嘆息した。

「図星か」

 はあ、と溜息をつかれながら、佐助もオーダーに反ってカフェモカを作り出す。幸村のことを思うと心が躍るのは変わらない。

「だってさ、可愛くて。マジでもう抱きたいくらいでさ」
「抱けば?」
「ば…ッ!そんな、簡単じゃねぇよッ」

 カッと頬に熱が込み上げてくる。佐助が真っ赤な顔をしている中で、さらりと海野は手元からカフェモカとラテを取り、ランプ下の客に渡していった。
 全て渡し終えると、海野はしたり顔でこちらを振り返ってくる。

「したいんだろ?欲情すんだろ?だったら素直にそう言ってやれ。お前の気持をぶつけて、後は」
「後は?」

 言葉尻を取って先を促がす。すると、一瞬だけ口をぱかりと開けてから、海野はにやりと厭な笑みを作った。

「あの子次第だな」
「海野ぉぉぉ」
「骨くらいは拾ってやる」
「酷いじゃねぇかぁぁぁ」

 彼の半袖の白シャツにすがり付いて、がくがくと揺らすと彼は「はははは」と楽しげに笑っていた。その様子を客が微笑ましく見ているとも知らず、佐助は真っ赤になりながらも半泣きの声を上げていった。










 海野に言われたこともあるが、終業と同時に小助に急き立てられ、早々に幸村に会うことにした。彼はこの店の坂の上の大学に通っている――当然、この道を通るはずだ。
 そう踏んで軽装のままで樹に寄りかかって待っていると、少し視線を伏せたままで坂を下りてくる幸村に気付いた。

「旦那っ」
「――…ッ、佐助?」

 呼びかけると瞬時に顔を挙げ、ふわ、と笑顔になる。そんな幸村の仕種にきゅんと胸が締め付けられてしまった。佐助は気持をセーブしながらも坂を小走りに駆け上がる。同時に幸村も足早に坂を下りてきたので、お互いが辿り着く時には微かに体当たりをしてしまった程だった。

「旦那、今仕事終ったからさ」
「お前、打ち合わせは?」
「うーんと、延期」
「そうか…」

 見るからに幸村は嬉しそうに瞳を眇める。坂道のせいで、幸村を見上げる形になっているのも珍しい。

 ――そういえばこの道でキスした。

 ふとそんな事を思い出した。あの時、幸村の方からも付き合ってくれと言われたのを思い出して、ぶわりと身体が熱くなってくる。佐助は幸村の隣にポジションを移すと、そっと彼の手を握った。

「ね、一緒に帰っていい?」
「勿論だ」

 幸村は重ねた手に戸惑いながらも、こくりと頷いてきた。徐々に彼の掌が汗ばんできて、緊張しているのだと気付く。だが幸村は怯えたり、構えたり、というよりも、単純に照れているようだった。
 佐助はわざと、ぶん、と繋いだ手を大きく振った。

「でね、この後も俺様に付き合ってくれる?」
「付き合っているが…」

 振られた腕に慌てながらも幸村は答える。そして二、三歩歩いてから、佐助は自分の上着のポケットにそのまま彼の手を突っ込んだ。
 秋も終わりが近いから寒さも募ってくる。これくらいは赦されるはずだ。佐助は重ねた手の、指先を絡め取った。そしてそのまま幸村の手をぎゅっと握りながら、ポケットの中で暖める。徐々に幸村の肩が寄ってくると、佐助は静かに彼に告げた。

「そうじゃなくて、夕飯。デートしようよ」
「デート…」

 その言葉に、幸村は瞳をふわりと見開いた。
 何度かいろんなところに一緒に行っているが、最近は外に遊びに出ていなかった。幸村は純粋に「いいなぁ」と呟いてくる。それを耳にしながら、佐助は続けた。

「ご飯食べて、夜景見て…ああそうだ、今だとまだ水族館開いているし見に行ってもいいかな?それから…」
「――…」

 ぴた、と足を止めた。まだ坂の途中だ――釣られるようにして幸村が足を止める。ポケットの中で佐助に握られた手に、幸村も同じように力をこめてきてくれた。

「それから、俺の家、こない?」
「え…――ッ」

 真面目に、真顔になりながら佐助が幸村の様子を伺う。幸村はきょとんと瞳を見開いたが、佐助の言葉を反芻したのだろう。次の瞬間、彼の頬がふわりと桜色になった。
 握り合った手が、ポケットの中で力を失くす。幸村の手から力が抜けたのに気付いて、佐助は決断を迫るように強く握った。

「どうする?」
「あ……」

 つ、とポケットから手を引くように幸村が動き出す。何とか引きとめようと佐助は更に続けた。しかし彼が厭だと言ったら引くつもりだった。

 ――でも、どうか。

 幸村のペースにあわせてあげたい。でも自分の気持がいつ暴走するか、もう抑えきれない――そんな葛藤の中で、佐助はじっと幸村の瞳を覗きこんだ。

「俺様は、急がないけど…」

 ふ、と頭を下げるようにして視線を下に動かす。その瞬間、ポケットの中の幸村の手が、強く佐助の手を握り返してきた。驚いて顔をあげると、幸村が頬をさらに染めて此方を見つめていた。彼の咽喉が、こくり、と動いたのが解った。

「――ッ、だん…っ」
「行く」
「――ッ」
「佐助と、明日も、明後日も、ずっと一緒に居たい…から」

 幸村の強く握りこんでくる掌が、しっとりと汗で濡れていた。佐助はその手を勢いよくポケットから引き出すと、その場で強く幸村を引き寄せて抱きしめた。

「旦那…っ」
「俺だって、何時までも若子ではないのだぞ?」

 そろりと背に幸村の手が上ってくる。彼の手に、背筋がぞくぞくと震えてくる。受け入れられた事がこんなにも嬉しかったことが今まであっただろうか。

「佐助の家に行くのは初めてだ!」
「そうだっけ?」
「いつも俺の家か、外だったからな。だがその前に、で…デートも連れていけ」
「仰せのままに」

 ふふふ、と笑いながら少しだけ顔を起こす。周りをさっと見回して、人気がないのを確認すると、幸村の鼻先に素早くキスをしてから、佐助は幸村の手を引いて坂を下りていった。





 →next





110202 up