Cheer!cafe



 ――好き。好きなんだ。旦那は?

 聴かれて直ぐに答えを言えなかった。何故なら彼にそんな風に聞き返されること自体、自分の気持ちを疑われていると同じだからだ。

 ――好きじゃなきゃ、応えたりしない。

 触れられて、口付けられて――好きじゃなきゃ、そんな恥ずかしいことを赦したりはしない。幸村は答えを言う代わりに、佐助の頬に手を添えて引き寄せた。
 口唇を重ねて、触れさせるのが精一杯だった。そしてすぐに離れると、ただ身体を触れ合わせて抱き締めあっていった。








 夏は疾く過ぎ去り、夏休みも過ぎ去った。それでも今年は暑い日々が続いている。幸村は大学構内にあるラウンジの外の席で、レポート用紙をペンで突きながら、心此処に有らずといった風情で溜息をついた。

「秋は人恋しい季節って言うけどよ。まだ秋はお預けだな。それなのに…」

 す、と幸村の目の前に影が下りる。待ち人が来たのかと顔を起こした幸村に、逆光を背負った青年が口の端を吊り上げて微笑んだ。

「Yo,幸村、お前何をそんなに思いつめた顔してんだ?」
「政宗殿…」

 幸村が拡げていたレポート用紙や、本を整えて向い側の席を薦める。すると政宗は小さく「Thanx」と言いつつ座り込んだ。彼が向いに座り込んでも幸村はまた溜息を付く。その様子に彼は頬杖をついて、眉を上げた。

「ついこの間、steadyな関係になったって喜んでいたのに。もう破局か?」
「な…めめめ滅相もないことを言わんでくだされ!」
「じゃあその湿気た面をどうにかしろ」

 ぶわ、と顔に熱が篭る。急に恋沙汰について指摘されて、免疫の無い幸村はどう対応したらいいのか判らなくなる。しかし彼を呼び出したのは相談をするつもりだったからだ。
 幸村がじっと拳を握ったり開いたり、唸っている間に、政宗は慣れているのか単行本を鞄から取り出して読み出す。十分に時間を置いてから、幸村が思い切って顔を上げた。

「――政宗殿ッ!」
「何だよ」
「折り入ってお聞きしたい事が…っ」

 幸村が顔を赤らめながら言うと、政宗は嘆息してから本を閉じた。ラウンジに入れば涼しいだろうが、此処はそれなりに暑い。直射日光は当たらないが、運ばれてくる風は温いものだ。政宗は場所を移そうかと思いつき、幸村に向って告げる。

「改まるような話か。しかし暑いな…じゃあ其処のス○バにでも…」
「あ、いや!その、其処は場所として宜しくござらんッッ」

 びく、と肩を揺らして幸村が両手をぶんぶんと勢い良く振り回した。その様子に眉間に皺を寄せながら政宗は問う。

「何でだよ、俺、コーヒー飲みたいんだけど」
「其処だと大学から近いので、誰に聞かれるか解り申さぬ」

 ぐぬぬぬ、と唸るように言われてしまっては、強く推せない。政宗が幸村の調子に合わせるようにして腰を浮かせると、ひらり、と背を向けた。

「聴かれたくない話か…じゃあ、足伸ばして紅茶でも飲みにいくか」
「でしたら某良い店を知っておりまするッ」
「決まりだな、案内しな」

 がたがたと幸村は席を立ちながら彼の隣に駆け込む。そしてお互い隣に並びながら歩き出す。世間話のように「片倉殿は息災でござるか」と聞くと、政宗は少し幼い表情になって「放っておけ」とだけ告げてきた。
 二人で並んで歩くのは久々な気がする――大学に上がる前は同じ高校で、家も近所だったからよくこうして歩いた。しかし今、学部が異なると会う機会が少なくなっていた。
 幸村は久々の友人との時間を楽しむように、少しだけ歩調を緩めながら歩いていった。










 重厚な趣のドアを開けると、中には黒い缶に入った紅茶と、芳しい香りが鼻に触れる。そして白い制服に身を包んだ青年が、ふわりと振り返った。

「おや…今日はあの馬鹿面は一緒ではないのか」
「はい。あの、佐助には内密に」

 振り返ったのは毛利元就だ。彼は幸村を見上げてから、く、と顎を引いて後ろから付いてきていた政宗に視線を向けた。そして瞼を落しながら、静かに告げていく。

「心配せずとも良い。此処は茶を喫する場ぞ。ゆるゆると味わうが良い」

 口にする言葉には刺があるように感じる。しかし悪意は無いから気にならない。幸村はぺこりと会釈をすると、案内されるままに二階へと足を伸ばした。

「あんたにしちゃ、センスがいいな」
「以前つれてきて頂きまして」

 席に案内されて直ぐに政宗が驚いたように言った。幸村の好みとしては珍しいように感じられたのだろう。それもその筈で彼と一緒に行く店で、幸村が案内したのはこれが始めてだった。それくらいに幸村は世間の動きに疎かったが、全く意識していない。

「へぇ…で?どんな話だ」
「ちゅ、注文が終ってからで宜しいかッ?」

 政宗が身を乗り出しかけた時、背後に注文を取りに来た店員に気付く。すると幸村は慌てて場を取り繕った。切り出されると、どき、と胸が鳴ってしまうのは仕方ない。

 ――相談しずらい、けれど知らぬままではいられぬ。

 幸村はどくどくと鳴り響く鼓動に何度も深呼吸する。どうにかしたい――その一心だった。幸村は自分なりの糸口を欲している。だからどんなに恥ずかしいことだろうと、子の機会を逃す気はなかった。

「政宗殿はこういう事にも長けておるだろうと…某、殊、色事には疎くて」

 決死の思いでそれを告げると、政宗は「だろうと思った」と小さく呟く。だが幸村にはその呟きは聞えてはいなかった。先を促がすように、ひらり、と掌を動かして見せる。

「で?何があった」
「その…どうしても、恥ずかしくて」
「あ?」

 幸村は肩身を狭くしながら、しおしおと告げていく。徐々に語尾が小さくなっていく素振りが彼にしては珍しい。いつも断言する勢いで話す素振りとは全く異なる。
 政宗はそんな幸村の様子を興味深く眺めていた。

「何が恥ずかしいのかわからねぇが、続けな」
「は、は、は、恥ずかしくて、口付け以外出来申さぬ…どうしても先をしなくてはならぬのでござろうか?」

 この告白に、政宗は手にしていたお冷を取り落とそうとしてしまった。だが直ぐに体勢を整え、己を保つ。そして呆れ顔で政宗は頬杖をついて幸村を指さした。

「お前…本当に男か?」
「な…ッ、某れっきとした男児でござるッ!」

 ――ばんッ。

 勢いに任せてテーブルを叩く。すると上に来ていた元就が一瞬冷ややかな視線を送ってきたが、幸村が慌ててぺこぺこと頭を下げると、ふん、と鼻を鳴らして階下へと向っていった。政宗は小さくなっている幸村に、少しばかりに口角が緩む気持ちだった――言ってしまえば悪戯心、苛めたいような、そんな気持ちだ。

「じゃあよ、好きって気持ちの中に、相手に触れたいとか、くっ付いちまいてぇとか、簡単に言えば、ヤッちまいてぇとか思わないの?」
「うあああああ」

 頭を押さえて顔を隠す幸村に、ははは、と盛大に笑い飛ばす。

「照れてる場合かよ」

 頭を押さえている幸村の耳までもが真っ赤だった。それを見詰めながら運ばれてきた紅茶に口をつけると、政宗は満足気に微笑む。しかしその余裕の笑みも、幸村の小さな告白で消え去った。

「そ、その…先日、胸元を」
「胸?」

 それくらい揉んでやれ、と言おうとして口を開きかけた政宗が、次に続いた幸村の言葉に、開いた口が塞がらなくなった。

「ち、乳首を、捏ねられ…某、泣いてしまい」
「――…ッ!」

 がく、と口を開けたままの政宗に、幸村が顔を起こして瞬きする。長い付き合いの中で政宗のそんな締まりの無い顔を見るのは初めてだった。だが政宗も直ぐに我に返る。

「政宗殿?」
「あーそう…で?下は?」
「下?」
「触らせたのかよ?」
「めめめめめ滅相も無い!!」

 政宗はひくつく自分の口元を押し隠すように頬杖をついた。女気は全くなく、健全育成された感の強い彼はことさら色事に疎い。そんなのは以前から知っていた事だ。ちょっとやそっとでは取り乱すまいと、政宗は先を続けた。

「天然記念物…お前相手の女に全部任せてしまえ」
「いえ、佐助は男でして。某が抱かれるのかと、些か戦々恐々と」
「――――…ッ」

 ――がんッ。

 意に反してケロッとした幸村が真実を述べる。その瞬間、政宗は額を窓に打ち付けた。というよりも窓際の席だったこともあり、窓側に身体が傾いだというのが正しいところだろう。

「政宗殿?」
「すげぇ、ダメージ…じゃあ、いいよ。男相手なんだよな?だったらやり方くらいは教えてやる」
「おおおお其れでこそ政宗殿!」
「shit!いいから此処おまえ持ちにしろよッ」

 一瞬で幸村への見解が変わりそうな気もしたが、あまり驚いていない自分に驚きながらも政宗は歯噛みした。
 しかし政宗の葛藤には全く気付いていない幸村は、両手で政宗の手を取ると「恩に着まする!」と嬉しそうに笑顔を向ける。
 そんな二人の間に、ほんわりと花の香りを持った紅茶が漂っていった。










 政宗と別れてから、幸村の思考は取りとめも無くなってしまっていた。というのも、政宗に聞いた知識というのが、幸村にとっては想像の範囲を超えてしまっていた。

 ――家に帰ったら、自分の身体で確かめてみるか。

 そんな素っ頓狂な結論を導いてしまうほどに、幸村は思いつめてしまう。いきなり男女の恋愛をすっ飛ばして、男同士の睦み合いの知識を持ってしまったものだから、悶々としてしまう。

 ――佐助のことは好きだし、触れたいと思うが。あの先は俺の想像を超えている。

 政宗に教えて貰った事を反芻するだけで、毛穴という毛穴から火を噴出しそうな心持だった。

 ――今、佐助が居たら…。

 不意にそんな事を考えてしまう。思い切り意識してしまって、たぶん彼の眼すら見れないのではないだろうか。
 幸村がぐるぐるとそんな事を考えていると、真横に近づいてきたバイクがあった。

「旦那…今帰り?」
「佐助…っ」

 どるん、と一度音を鳴らしてバイクが止まる。それにあわせて幸村も足を止めると、佐助はヘルメットを取って覗き込んできた。

 ――あ、佐助だ。かっこいい。

 下から見上げるような視線が、何かに挑むときのような光を持つ。その姿に、きゅん、と胸が鳴ってしまって、幸村は自分の胸元をぎゅっと握った。そうしている間にも佐助はもう一つのヘルメットを取り出して幸村に差し出してくる。

「送ってくよ。後ろ乗って?」
「いいのか?」

 ぽん、と手に馴染んだものを渡される。彼に送られるのも慣れて、自然と自分に与えられたヘルメットにも慣れてしまう。幸村が手にそれを包んでいると、佐助は再びバイクに跨り、嬉しそうに微笑んだ。

「うん。俺様としては旦那から触ってくれるから役得?」
「そそそそそれなら某は遠慮して…」

 ずい、と受け取ったはずのヘルメットを付き返そうとする。すると佐助は、からからと笑いながら顔を近づけてきた。

「何言ってんの…って、ん?」
「どうかしたか」

 不意に首を伸ばして、幸村の方へと鼻先を向ける。その仕種が犬のようだと思いながだ、幸村がじっとしていると、佐助は「ううん」と唸ってからぼそりと言った。

「紅茶の香り?」
「政宗殿と共に紅茶を飲みに行って来た」
「そか」

 ふ、と佐助の表情が曇る。

 ――あ。

 一瞬にして変わった佐助の雰囲気に、彼の機嫌を損ねたのだと気付く。幸村は手を伸ばして佐助の肩を掴んだ。

「あ…勿論コーヒーが好きだ。佐助の淹れてくれるコーヒーがッ」
「え?――あ、ありがとう」

 幸村が咄嗟にそれを告げると、佐助は瞳を見開いてから、ほんわりと目尻を染めた。そして「うん」と頷きながら辺りをちらり、と見回した。そして流れるような動きで、さらり、と幸村の後ろ髪が風に吹かれる。

「あ…――」

 何だろうかと気を緩めてしまった途端、伸び上がるようにして佐助の顔が迫る。一瞬、時間が止まってしまったのではないかと思う程、それが緩やかに見えた。

 ――ちゅ。

 小さく触れた瞬間に聞えた濡れた音。深さは無くても、触れた瞬間に相手の唇の――肌の熱さがわかる感触。そして名残を惜しむようにして離れていかれると、直ぐに追いかけたくなるのも不思議だ。
 そのまま引き合うようにして吸い付いていけば、後には蕩けるような感覚が待っている。それを知っていてきかける自身に、ハッと我に返って幸村は彼の肩を押した。

「さ、佐助…こ、此処では何だし」
「どうしたの?」
「――…」

 きゅ、と下唇を噛み締めてしまう。自分の下唇は薄くて、あまり噛み締め甲斐はない。だが、きゅう、とそのまま噛み締めていると、佐助が指先でそれを解くように触れてくる。

「駄目だよ、傷ついちゃうじゃん。あ、まさかまだこの間の…」
「そんな事ではないがっ」

 ぐあ、と佐助の指摘に反論する。思い出しても恥ずかしくて仕方ないのは、泣き出してしまったからだろう。それに今しがた政宗に聞いた話も十分に影響している。
 佐助がいつの間にかバイクから降りて、そっと幸村の前に立つ。腕を延ばすと抱き合えるほど近くで、触れる吐息で心裡までも見透かされるのではないかと思った。

「じゃあ、何?どうしたの、旦那…」

 佐助が不安そうに聞いてくる。彼の顔を見返すことが出来ない。それなのに鼓動だけはどくどくと鳴り響いてどうにかなりそうだった。渇いて、からからになってくる咽喉を、何とか動かして出した言葉は、結局幸村を救うものだろうか。

「――家で」
「え?」
「家で、少し話さぬか?」
「いいよ」

 ようやく出せた言葉はただ行き先を告げるだけだった。しかし佐助はそのまま幸村の手からヘルメットを受け取ると、そっと幸村の頭に被せてくれた。そして彼の後ろに乗ってバイクを滑らせていく。ただその間もずっと幸村の鼓動は早鐘を打ち続けていった。




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