Cheer!cafe



 ――好きだから…だから、恋人になってくれ。

 幸村からの告白を受けて佐助の気持ちは一気に舞い上がっていた。坂を駆け上がっていく幸村の後姿を見送りながら、じわじわと胸が熱くなっていく。佐助は胸元を握りこむと暗くなった空を振り仰いだ。

 ――恋人になってくれ、だって。

 胸の中で彼の言葉を何度も反芻する。そのたびに、じわじわと暖かくなっていくような気がした。佐助は口元に手を添えて――そのまま、笑い出しそうになってしまう己を抑えながら、店へと戻っていった。






 閉店準備を終えて、軽くミーティングを終えると時間は23時を大幅に過ぎていた。粗方の準備は終わってしまっている。目の前に出していた小さなエスプレッソ用のカップを集めながら、小助は店の隅に座っている幸村に視線を流した。

「寝ちゃってますよ…もう、佐助さんが待たせすぎるから」
「仕方ないでしょ、俺様もそんなに器用じゃないし」
「どの口がそんなこと吐くんですかねッ!」

 べえ、と小助は舌を出しながら流しへと向う。それぞれの豆の味と特徴を覚えておかなくては、レジ担当としてお客様に説明できない、と彼は事細かにノートにメモを取っていた。そしてその横で海野もまたメモを取りつつ頷いている。

「お前にしては珍しい狼狽ぶりだったな」
「海野まで…あんまり言わないでよね。俺、これでも少しは凹んでるんだからさ」
「で?この後は?」
「あ、後は俺がやっておく。旦那を待たせた埋め合わせしないと」

 たぷん、とコーヒーポットを手にして佐助が笑うと、海野はさっと手を伸ばしてきた。そして佐助の色の明るい髪に指先を差し入れると、すい、と撫で付けるようにして動かす。

「海野?」
「乱れてるぞ。カッコ、つけたいんだろ?」

 ――あの子にはさ。

 こっそりと耳打ちされると、海野はニヤニヤしながら席を立った。佐助は半ば照れたように口をへの字に曲げると、黒いエプロンの腰に手を添えて胸を張る。

「そりゃ…そうだけど、俺様そんなにあからさま?」
「俺の目にはあからさまに見える」
「あっそう…」

 佐助は平静を装いながらも何度も乱れてくる髪を掻き上げる。その仕種に気付いた小助がピンを差し出すと、ひょいひょいと留めていった。

「じゃ、佐助さん後は宜しく〜」
「おう、さっさと帰んな」

 着替えた小助と海野を見送ってから、佐助は薄暗くなった店内に戻った。そして隅のソファー席で寝ている幸村の側に行く。

 ――よく寝てるなぁ。起すの可哀相。

 すうすう、と寝息を立てる幸村は薄く唇を開いている。指先を其処に向けそうになって、さっと佐助は手を引っ込めた。

 ――キス、する時、開いてくれると良いんだけどなぁ。って、いやいや、まだそんな…。

 じっと薄い唇を見つめながら、佐助は再びそろりと手を動かした。

「――…」

 指先を丸めて、息を殺しながら、手の甲を彼の頬に触れさせる。そしてそのまま、顎のラインに沿って手を動かした。
 柔らかい感触の肌に、手の甲にかすかに触れる睫毛の感触――それに、ごく、と咽喉が鳴ってしまう。佐助は身体を覆いかぶさるようにして上から覗き込むと、そっと彼の耳元に唇を寄せた。

「旦那…、起きて」
「――…ッ、ん?」
「目、覚めた?準備出来たからさ…こっち来て」
「あ、ああ…ッ?済まぬ、寝ていたか」
「うん、そりゃもう気持ち良さそうにね」

 佐助は咽喉の奥から笑いを絞り出しながら、身を起す幸村の背に手を添えた。そしてカウンター席の方へと誘導していく。

 ――危なかった…もう、寝てるとことか手出そうとするなんて、俺最低…ッ。

 ぐるぐると頭の中で思考は廻る。あのまま幸村の頬に吸い付きたくなっていたけれども、流石に其処で目を覚まされてしまったら、言い訳も何も出来ない。
 何とか自制できたとばかりに胸を撫で下ろしていると、背後から幸村が顔を覗かせてくる。背後から両腕をきゅっと握られて振り返ると、幸村はぎくりと身構えてから、ぱっと俯いた。

「どしたの、旦那」
「あ、いや…その、な」
「ま、いいか。はい、座って、座って」

 つかまれていた腕を解いて、すい、と引き寄せる――そしてそのまま彼の肩に手を添えて椅子に座らせると、目の前に佐助は小さなエスプレッソ用のカップを、とん、とん、と置いていった。










 いくつか飲み干した後に、うわぁ、と幸村が驚いた声を上げた。それを佐助は斜向かいに座って片肘を付きながら眺める。

「ね、味違うでしょ」
「本当だ…これ、すごくさっぱりしているのに…なんだか柑橘類を食べたような」

 新しい豆で淹れたコーヒーに幸村は感想を述べてくれる。確かに、シトラスの風味のある豆だ――夏の暑い時に、これでアイスコーヒーにしたら、さぞ美味しかろうと佐助も想像して微笑んでしまう。

「これ新作なんだよ。ほら毎年のシーズンごとの…で、事前にスタッフでテイスティングするんだけど、旦那にも飲ませたくてさ」
「美味しい〜、まだ飲みたいくらいだ」

 じんわりと幸村は頬を染めながら手にあったカップを置いた。その中に佐助は空かさず、からん、と氷を入れると、ポットから注いでいく。

「アイスでもどうぞ」
「忝いッ!」

 幸村が嬉しそうに瞳を眇める。それを蒼いランプの――店内の落とした照明の中で見ていると、なんだか愛しい気持ちだけが募るようだった。

「あの…さ、旦那」
「うん?」

 こと、とポットをテーブルの上に乗せると、佐助は少しだけ俯き加減で口を開いた。それにあわせて、氷まで口にいれた幸村が、もごもごと口元を動かしながら小首を傾げる。

「旦那は俺に、恋人になってくれ、って言ってきたけど」
「あ、ああ…」

 ――がり。

 幸村の口の中で氷が噛み砕かれる。数時間前の遣り取りを思い出したのか、佐助が顔を起すと、彼の方が今度は俯き加減に視線を反らしていく。手元をきゅっと握りこむ仕種に、此処で彼を逃してなるものかとさえ思ってしまう。

 ――あ、逃げないで。

 幸村がテーブルの上から引いてしまいそうになった拳の上に、佐助は空かさず自分の手を乗せた。そして椅子から腰を浮かせて乗り出すと、幸村に迫るようにして訊ねていく。

「あの告白、本気?」
「あ、当たり前だ!」

 ぶあ、と蒼い照明の元でも解るほどに幸村の顔が赤らんでいく。表情に出やすいんだな、と感心しながら佐助は流れるような動きで顔を寄せた。

 ――ふ。

「――――…ッ」

 音もなく、ただ触れるだけで、掠め取るようにして幸村の唇に己の唇を重ねる。そして直ぐに離れると、佐助は閉じたままの幸村の唇に――下唇に――人差し指を、く、と押し付けた。

「恋人ってことは、その…こういうことも…する、っていうか…したいんだけど」

 ――そこんとこ、解ってる?

 わざと強く人差し指を押し付けて、ぷる、と下唇が捲れるようにして指先を離す。すると捲れた唇をかすかに舐めてから、幸村は肩を怒らせながら応えた。

「か、構わぬ…ッ」
「本当に?」

 確かめながらも顔を寄せていく。手でもう一度幸村のこめかみに触れると、ぴく、と身じろいでいく。そしてそのまま引き寄せるようにして顔を近づけ、鼻先を触れあわせる。

「――――…」

 間近で視線を触れ合わせると、すい、と幸村が瞼を落とした。佐助は引き寄せられるようにして唇を触れさせる――ひたり、と表面を触れさせ、直ぐに離すと、角度を変えて押し付けた。

「ん…」

 小さく幸村が鼻先から吐息を吐き出す。佐助は何度か擦り合わせるようにして幸村の唇に触れ、押し付けたり啄ばんだりを繰り返した。

 ――口、開かないなぁ。

 下唇を食んでも、幸村はしっかりと――噛み締めているかのように――唇を閉じてしまって、中々解してくれない。
 顎先を手で押さえて口を開くように動かしても、幸村は必死に口を閉ざしたままだ。

 ――ちゅ、ちゅ。

 佐助の啄ばむ音が響くたびに、幸村はぴくりと反応を繰り返す。それなのに、この先までの侵入を拒んできている。
 佐助は痺れを切らして、ぱく、と幸村の唇を唇で食んで、ゆっくりと吸い上げた。

 ――ちゅぅ。

 吸い上げられて赤さを持った唇を離して、佐助は額を押し付けた。すると幸村も変化に気付いて瞳をぱちりを押し上げた。

 ――あ、今旦那の睫毛が、頬に触れた。

 瞼が押し上げられる瞬間のくすぐったさに、ふとそんな風に思う。そして佐助は彼の頤に指先を這わせながら囁いた。

「旦那、口、開いて」
「え」

 ぽかん、と瞳を見開いている彼の唇は既に赤く熟しているかのようだ。佐助は吐息混じりに、そっと彼の耳元に囁いた。

「もっと深くしたい。舌、入れて、口の中味わいたい」
「な…そんな、破廉恥なッ」

 ぐ、と幸村はそれだけで佐助の肩に手を突っ張って、俯いてしまった。佐助は恥らう幸村を眺めてから、ふ、と表情をゆがめ、次の瞬間には強く幸村の背を引き寄せて抱き締めていた。だが彼の耳元で聞かせているのは腹の底から絞り出し――押さえきれなかった笑い声だ。

「あははははははッ」
「な、に…が、おかしい?って、あ…ッ」
「だって…」

 ――経験薄いんだろうなぁ。

 慌ててしまって声が上ずっている幸村は、自分の裏返った声に驚いて、ぱくぱくと口を動かしている。徐々に耳まで熱くしていく彼が愛しくてならない。佐助は人差し指をくの字にまげて、こつ、と彼の唇に押し当てた。

「可愛くて」
「あ…っ、う…ッ」
「ね、本当に、いや?」

 佐助は唇を彼の耳元に引き寄せて囁いた。すると幸村は、困ったように眉を下げてから、ぱくぱくと口を動かして、しどろもどろになりながら応えた。

「ここは…此処では」
「ん?」

 言われてから佐助は自分の方へと幸村を引き寄せたままで、くるりと周りを見回した。言われて見れば此処は職場だし、ガラス張りの外から中が見えないとは限らない。それにカウンター席には青白いランプの明かりもあるわけだ。確かにこれでは落ち着かないかもしれない。

「あー…そうね。此処俺様のお仕事場所だし。外から丸見えだし?」
「――――…ッ」

 こくこく、と頷く幸村は、佐助に抱き寄せられながら――佐助の鎖骨に額を押し付けている――何度も頷いていく。佐助は嘆息してから、すい、と彼から身体を離した。

「じゃ、今日は此処までね」
「佐助…」

 離れてしまうと、今度はそれが不安にさせたのか、幸村が手を伸ばして佐助のエプロンを握りこんだ。佐助は彼の手をやんわりを離させると、すっと立ち上がり、カップをトレイに入れて踵を返す。

「さ、佐助…ッ」
「送ってくから、ちょっと待ってて」

 追いすがるようにして幸村が呼びかけると、佐助はにこりと微笑みながら、そっとカウンターの中に入っていった。
 内心ではこのまま此処でがっつきそうになった自分を諌めつつ、片づけをしながら、しゅん、と項垂れる幸村に何故か胸裡がむず痒くなっていく。

 ――やばいくらい可愛い。

 今すぐこのカウンターを越えたいと思ってしまうのを押し込めながら、佐助は早々に手元の作業を終えるために集中していった。






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