Cheer!cafe 一日を通してカフェの客層は様々に変わる。穴山小助は欠伸を噛み殺しながら、朝のカフェでそんな事を考えていた。朝は比較的、サラリーマンが多い気がする。それに大学が近いこともあって、此処は学生もそれなりにいるものだ。 店内には今のところ店員といえば自分と、海野六郎、根津甚八それから先程から商品整理をしている三好伊三くらいだ。 ――ことん。 「いらっしゃいませ、おはようございます〜」 レジカウンターに置かれた音で顔を起すと、見知った顔が其処にいた。 きりりとした眉に、大き目の瞳、それに薄い唇――手には赤のステンレス製のタンブラーを持って、メニュー表を見つめている。だが彼は小助に気付くと、小助の背後に視線を投げた。誰かを探しているかのような動きだが、彼は何食わぬ顔でメニュー表に視線を戻した。 「ええと…」 「ご注文、お決まりでしたらどうぞ」 「それでは、ラテをグランデで」 かたた、と小助は素早くレジを打ちながら、見知った顔の彼に声をかけた。 「それだけで良いんですか?」 「え…――」 タンブラーを差し出した彼が驚いたように顔を上げる。そんな彼に少しだけ顔を寄せて、こっそりと耳打ちした。 「佐助さん、今日は夜のシフトなんです」 明らかに図星だとでも言いそうな勢いで彼が鼻先から赤くなっていく。 ――へぇ、顔に出やすいんだ? 小助は彼の変化に驚きを隠せなかったが、そこはそれ――接客のプロとしての姿勢は忘れない。揶揄うようなこともせずに、しゃんと背を伸ばしてみせる。だが彼は口元に手を添えて、外したタンブラーの蓋を握り締めている。 「あ…い、いや、いないのなら別に」 「そうですか?」 小助は会計を済ませると彼をランプの下にと誘導した。彼はそのまま移動しかかり、くる、と踵を返して小助に改まって聞いてきた。 「あの…」 「はい?」 「何時くらいなら、居るんでしょうか」 一大決心のように、掌に蓋を握り締めて彼はかちこちになっていた。思わず、ふ、と口元から笑みが零れそうになりながら、小助は佐助の出勤時間を告げた。すると彼は大きく――90度に頭を下げてから、いそいそとランプの下にと向う。 背後に隣のレジで注文を取っていた三好伊三が、咽喉を震わせて笑いながらこっそりと話しかけてきた。 「可愛いねぇ…なんか素直って言うの?」 「佐助さんが執心する訳だよねぇ。ていうか、気付いた?あの子、佐助さんがいないとカスタムしないんだね」 既に彼はこの店舗では顔を知られている――その原因の張本人は今日はまだ出勤してきてはいない。 温まったサンドウィッチをトレーに載せて、スライドさせるようにして海野に渡すと、海野はカップに付箋を張りながら呟いた。 「そういえばさ、佐助の奴、よくオーダー貰った後に眺めて、凹んだり、盛り上がったり、忙しなかったな」 「そうですねぇ…あ、いらっしゃいませ、おはようございまーす」 ふふふと笑いながら小助は応え、直ぐに別の客の応対に入っていく。その間も店内ではぼんやりと外を眺めながらラテを飲む彼がいた。 まるで恋しい人を待っているかのような背中に、店員が時々、ほんわりと瞳を眇めてみていたことを彼は知らない。ただ彼は赤いタンブラーを時々傾けながら、ふう、と溜息を吐いていた。 数ヶ月に何度か訪れる新作の時期が迫っていた。佐助はいつものように店舗に出勤するのではなく、本社に一度顔を出していた。昼からの会議で、候補に挙がっている新作を目の前にして意見交換をしたりするのだ。 休憩になると、佐助は緑色のタンブラーを傾けながら、隣に座っていた才蔵に声をかけた。彼とは同じ店舗で働いたこともある同期で、彼もまた佐助と同じブラックエプロンの称号を持っている。 「そんな訳で、来月のプロモの件だけど」 「うん?」 椅子に座ればいいのに、会議室の壁に寄りかかって、絨毯張りの床に足を投げ出して座る。咽喉元に流すのは今日はソイラテだ。だが彼らの側には小さな試飲用のカップが置かれており、佐助は水を咽喉に流し込んでから、再度側にあったカップを口に運んで唸った。 「才蔵、これ甘すぎねぇ?俺だったら、ソースはオレンジとかが良いと思うんだけど」 「そうだなぁ。キャラメルだとくどいな」 才蔵もまた水で舌先をリセットしてから、同じようにレシピと試飲を見比べてさらさらとメモを取っている。その横で今度はドリップのカップを鼻先に持っていきながら、佐助は思いつくままに彼に告げていく。 「だろう?で、こっちの豆の方は…」 「相変わらず熱心だな」 眉をはの字にまげて才蔵が斜めから覗き込んでくる。すると佐助は胸を張ってから、つんつん、と自分のブラックエプロンを突いて見せた。 「あら、俺様優秀だからね?これくらいは当たり前だっての」 「いや、以前より格段に真面目というか」 才蔵は彼の尊大な態度にも構わず、ふん、と鼻を鳴らしてから揶揄うた。だがその言を聞いてから直ぐに佐助は、へへ、と鼻先を指で擦って見せた。そして柔らかく小首を傾げた。 「飲ませたい人がいるからさ」 「ほう?」 ――お前にしては珍しい。 興味深そうに才蔵は頬杖をついてから、自分で持ってきていた黒いタンブラーに手を伸ばした。佐助は彼のタンブラーに自分の緑色のタンブラーを、こつん、と当てると満面の笑みを見せた。 「俺様、ただいま春真っ盛りだからね」 「頭がか?」 「違うっての」 軽口叩きあいながら、再び新作の話に集中していく。佐助は才蔵と新作の話をしつつ、脳裏には幸村の顔を思い浮かべていた。 ――旦那、甘いの好きだもんね。 ふわふわのホイップに、冷たくてしゃらしゃらと融けるフラペチーノ、それにトッピングを添えて彼の前に出したら、幸村はどんな顔でそれを食べて、飲んでくれるだろうか。 それを考えると佐助は自然と新作に真剣に取り組んでいった。 すれ違いというのは正しく此れだと思う――穴山小助は、目の前でしゅんと肩を落とした彼に、思わずフォローしたくなる気持ちを抑えながら笑顔を作った。 「今日もいないのでござるね」 「そうなんですよ。ちょっと新商品の事で燃えているみたいで」 「――そう、でござるか」 慌てて応えると、彼はタンブラーをすいと前に出してオーダーし、嘆息しながらランプの下に移動していった。 ――佐助さんが今まで女の子泣かせてたのは見てきたけど。これは…こっちの胸も痛むなぁ。 明らかに項垂れながら差し出されるタンブラーを待つ彼は、置いていかれた子犬のように心細そうだった。 ここ数日、佐助の出勤時間を教えても、佐助の方が本社からの戻りが遅く、中々出会えずに終わっている。顔だけ出して中を覗いていく彼の姿が甲斐甲斐しい。 それなのに、なにを必死になっているのか、佐助は生き生きとしながら新作プロモのことを告げていくだけで一日が終わるのだ。 「なんか背中がしょんぼりしている」 見ている間にも、きい、とドアを開けて出て行く彼の後姿があった。背に流れる髪が、ふら、と揺れて余計に哀愁が漂っているかのようだ。 既に時間は夕方を過ぎて、仕事帰りのサラリーマン達がふらりと寄るような時間だ。閉店まではあと四時間ほどある。それまで此処で粘って――レポートをしていたのは知っている――どう考えても、佐助を待っていたとしか思えない。 「はよーござーまーす」 小助が貰い泣きしそうになっていると、元気な声でバックヤードから佐助が姿を現した。佐助は黒のシャツを腕まくりし、黒いエプロン姿だ。全身真っ黒な上に、少し長めの髪をゴムでくるりと結んでいる。 「ちょ…ッ、佐助さんッ」 「おう、小助、久しぶり〜」 手をひらりと上げる佐助に詰め寄りながら、小助が背伸びをして口元を尖らせた。 「久しぶりじゃないですよッ!あの子、可哀相じゃないですか」 「え?」 佐助がきょとんと瞳を丸くする。小助が頬を膨らませていると、レジに客が来たのが解り、小助はくるりと踵を返して接客に入った。取り残されて、ぽかん、とする佐助に、空かさず休憩上がりの海野が耳打ちしてくる。 「お前、携帯の番号も教えてないんだって?」 「あ、ああ…ッ!忘れてた…ッ」 ハッと気付いて佐助は自分の携帯を探るように、腰につけていたポーチをぱんぱんと叩いた。その仕種に海野が、ばしん、と佐助の後頭部を叩いてみせる。 「普通最初にするだろ、そういう事はッ」 「っていうか、え…旦那来てたの?」 叩かれた場所を撫でながら佐助が振り返る。一連の彼らの言葉に、彼――幸村が来店していたのが伺えた。だが今このフロアに幸村の姿はない。どうしようかと佐助が動きを止めていると、ばし、と海野が背中を叩いてきた。 「まだ間に合うから行って来いや。今さっき退店したばかりだ」 「――――…ッ」 張られた背中は痛いが、海野の好意はありがたかった。佐助は一度振り返ると、そのままの格好で――カウンターを越えて店のドアを勢い良く開けると、大学の方向に向って伸びている緩やかな坂を駆け上がり始めていった。 坂を少し上ったあたりで、さらさらと背中に長い髪を一筋揺らめかせた背中が見えた。佐助はその背中に向って声を張り上げた。 「旦那ぁッ!」 「佐助…?」 すると、びくん、と肩を揺らしてから、前方の彼の背中が止まった。そしてくるりと振り返る。幸村は手に赤いタンブラーを持ったままで、肩にバックを引っ掛けていた。そして佐助の姿を見つけると、ふわり、と口元を緩めた。 「旦那、ちょ、ちょっと待って…ッ」 一気に坂を駆け上がり、上がった息に胸元を動かしていると、幸村はじっと足を止めて見上げてきた。 なんだか凄く久しぶりに彼の顔を見た気がする――佐助はまじまじと幸村を見下ろしてから、ふう、と呼吸を整えた。すると幸村は小首を傾げながら、赤いタンブラーをバックの中に入れながら、少し遠慮がちに問うてきた。 「仕事は、もう良いのか?」 「――――…ッ」 自分で言いながらも、少しだけ寂しそうに眉を下げた幸村に、ぐう、と胸元が締め付けられるようだった。佐助は両手を広げると、なりふり構わずにぎゅうと幸村の身体を抱き締めた。 「ささささ佐助ッ、こ、ここ…往来…ッ!」 「誰に見られたっていいよ。ごめんね、待たせて…」 「わ、ちょ…ちょっと、待ってくれッ。お、俺は困る…ッ」 いきなり抱き締められた幸村は、腕をどうしたらいいのか判らずにじたばたと動かしている。そんな彼に「背中に回してよ」と苦笑しながら告げると、更に彼は真っ赤になって俯いてしまった。 時々抱き合う自分たちの横を、学生がすり抜ける。その事が気になるのか、幸村は顔を背けて俯くだけだ。佐助は思い切って抱き締める腕を振り解き、ぐいぐい、と引っ張っていく。 「さ、佐助…?」 唐突のことで幸村が焦る声を出す。坂道の横には桜のがあり、並木になっている。その裏に幸村を引っ張っていくと、幸村の背中が幹に当たるようにして再び抱き締めた。これなら通りからは見えない――幸村は再び抱き締められて、きょろきょろと周りを見回したが、正面に佐助の顔を見上げてから、こく、と咽喉を鳴らした。 「旦那…――」 「あ…――ッ」 掠れた声で顔を近づける。背後は木だ――逃げることは出来ない。佐助は鼻先を寄せて、ふ、と幸村の唇に吐息をかけた。そしてそのまま幸村が逃げないのを確認すると、ふわ、と唇を触れさせる。 「――ッ、ん」 触れた唇は薄くて、少しだけ開いていた――このまま深く口付て、舌先を絡めてしまおうかと、佐助は瞼を薄く押し上げた。だが眉根を寄せて、真っ赤になりながら唇を触れさせている幸村に、ただ愛しさだけが込み上げてきた。 静かにもう一度、唇を柔らかく触れさせて、ちゅ、と啄ばんでから、こつんと額を押し付ける。すると幸村は額をつけたままで、両手を佐助の頬に添えて、涙を目元に浮かべながら、ぐっと唇を真一文字にした。 ――拗ねているのか、おこっているのか。 ぶう、と膨れたように見える彼の表情に、再びぎゅっと抱き締めて耳朶に囁く。鼻先に触れる幸村の香りに、店のコーヒーの香りがしみこんでいるように感じた。 どれくらい待っていてくれだのだろうか、と胸がきゅうと押しつぶされそうになる。 「ごめん、俺浮かれてて…すっかり手順間違えてた」 「それは最初からだ」 「そうだっけね。連絡先、交換しよ?」 「うむ…」 ごめん、と何度目かになる謝罪を述べてから、互いの携帯の番号を交換する。光る液晶画面を見つめて、幸村は少しだけほっとしたようだった。そんな彼を再び引き寄せて、ちゅ、と頬に口付けると、幸村はびっくりしたように瞳を見開いた。 「それからさ、時間あるなら店が終わる寸前に来て?」 「え?」 「新作のテイスティングするから」 ――だから来てよ。 佐助は身を屈めて、下から覗き込むようにして伺う。幸村は単純に好奇心を擽られたのか、ほわりと頬を赤らめた。 「いいのか?」 「旦那に飲ませたいんだ」 そう告げると、幸村は嬉しそうに頷いた。 ――旦那に飲ませたい。 そんな一念で作ってきたコーヒー達だ。いつだって彼のことを想って淹れている。その最初の一杯をどうしても幸村に味わって貰いたかった。 佐助は幸村と今夜のことを約束すると、幸村はレポートを出してくると言う。手を繋いで通りに向ってから、坂の下の店と坂の上の大学に分かれる。 あと数時間なのに、それがはるか彼方の時間のように感じてしまう。佐助は坂の向こうに向っていく幸村の背中を見つめながら、其処から離れ難くなっていた。 「佐助」 「なに?」 坂の半分まで行った処で、くるん、と幸村が振り返った。彼の長い後ろ髪が、ひらり、と半弧を描く。その軌跡があまりにも綺麗で、思わず見惚れていると、幸村は少しだけ身を屈めて口元に手を添えた。 「俺はちゃんとお前が好きだからな」 「――――ッ」 「いや、うん。好きだ」 こくこく、と頷きながら幸村は坂の上から佐助に告げてくる。いきなりの告白に、ぶわあ、と背中に熱が走った。不意打ちの告白だ――予想していなかったことに、佐助の方が戸惑いそうになる。 ――そういえば、旦那から告白されてなかった。 自分の方は「好きだ」と伝えている。だが彼からは答えを貰っていなかった。恋人でも、友人でもないような、曖昧さに頭を悩ませもしたが、彼の隣を譲りたいとは想ったことがない。だから待っていた――そして今、彼は告白をくれた。 幸村は畳み掛けるように――あたりは暗いが、彼の頬が朱を帯びているのは解った――手を口元に添えて、そして今度は胸を張って告げてくる。 「俺から言ってなかったから、今言う。好きだから…だから、恋人になってくれ」 「――…ッ」 「返事は後でいいからなッ」 くるん、とそのまま幸村は坂道を駆け上がってしまった。勢い良く駆け込んでいく幸村が、そのまま「うおおおおお」と雄叫びを上げていくのを見守りながら、佐助はその場にへなへなと腰砕けに蹲った。 「マジかよ…」 ――可愛すぎる。 答えなんて決まっている。佐助は今の彼の言葉を耳に残しながら、ふわふわとしながら店に戻っていった。 →next 100603/100614 up |