Cheer!cafe ――君はどんな顔をするかな。 朝の店内をセッティングしていくと、穴山小助はふと隣でドリップをセットしている青年に声をかけた。 季節は春――窓の外にはひらひらと花びらが飛び散っていて、見ている分にはとても綺麗なものだが、掃除をする方としてはどうかと思う。そして今日からは新フレーバーの登場だ。 「そういえば佐助さん、最近は落ち着いているんですね」 「は?何が」 「女遊び」 じっとりとした視線を小助はむけてくる。佐助は眉根を寄せて彼を睨んだ。 「小助ぇ?お前、俺様を何だと思ってたわけ?」 「だってこの店、潤いがないじゃないですか。誰のせいだと思っているんです?」 きぃ、と小助は叫ぶ。開店前だからフロアは殆ど人はいない。彼が声を荒げても誰も咎めるものはいないが、ついでにレジカウンターをばしばしと叩いていた。 「俺のせいじゃないでしょ」 「佐助さんのせいです」 「それは一理あるなぁ」 ぷう、と頬を膨らませた小助の後ろから、ぬ、ともう一人の店員が顔を出す。緑のエプロンをした彼は、眠そうに欠伸をひとつ天井に向ってしてみせた。 「海野…」 佐助がじっとりと彼を睨みつけると、海野はまったく気にしてないとばかりに、首をこきこきと動かしながら、新フレーバーの確認をしたり、ケースの中身を整理整頓していく。 「手前ぇが次々と店の子に手出すから、うち、女の子入れられねぇからよ」 「俺は手なんて出してないよ。寄ってくんだよ」 佐助が手を洗いながら反論すると、肩を怒らせて小助が思い切り佐助の足を踏みつけた。濡れた手で手元は不自由だ――佐助は同じように足で応戦する。 そうこうしていると、のんびりと入れたてのドリップを手にして海野が佐助に指を指してきた。 「お前なんでこの仕事したいと思ったの?」 今まで志望動機なんて聞いてくる相手はいなかった。佐助は瞬時には応えられず、ううん、と唸ってからショートサイズのカップを手にして自分で淹れたコーヒーに口をつける。そのままレジカウンターによりかかりながら、海野に歯切れ悪く説明していく。 「それは…ほら、もともと俺、大将の元で育ってるし。コーヒー好きだったから…バイトしてそのまま就職しちゃったんだよね」 「へぇ?それで、ブラックまでいけるわけ?」 「――聞きたいの?」 佐助が切り返すと、あっさりと二人は頷いた。店内にふわふわとコーヒーの香りが漂っている。カップから上るか細い湯気を眺めながら応える。 「まだずっと前に学生がさ…俺様が初めて作ったラテで、美味しいって、言ってくれたんだよね」 今でもその光景を覚えている。 制服姿の男子学生が二人連れ立ってきた。一人は注文するにもメニューをじっと見つめて不思議そうにするばかりで、隣から手馴れたようにもう一人にフォローされていた。 「二人連れで来た男でさ。でも俺の作ったラテ飲んで、驚いた顔してから、隣の友だちにすごく嬉しそうになんか話してて…」 受け取って席に座って、熱いラテに口をつけてから、彼は薄い唇を――ラテのフォームで白くなっていた――ぺろりと舐めてから、ぱちぱちと瞼を瞬かせた。隣では何食わぬ顔で連れの男がドリップを飲んでいる。彼にむかって、嬉しそうにマグカップを両手で支えていく。それをカウンターの中から眺めて、じわりと胸が熱くなった。 「帰り際に『美味しかった』って」 わざわざカウンターにきて、彼は満面の笑顔で背伸びをしながら告げてくれた。その時は何の気の利いた言葉も返せず、ただ「ありがとうございました」しか言えなかった。 ――あの子の顔、まだ覚えてる。 あの嬉しそうな顔は未だに忘れられない。 「ま、それだけだよ」 佐助は其処まで言うと、口元にドリップコーヒーを近づけた。鼻先に触れるナッツのような香りを嗅いでから、こくりと飲み込むと、小助が同じようにカウンターに寄りかかりながら見上げてくる。 「で、その人には会えたんですか?」 「それは無理。俺様、優秀だから何度か異動しているし。そもそも相手は覚えていないよ」 ぱたぱたと手を振ってみせる。もう一度会いたいと思う気持ちはあるけども、そんな奇跡は起きないだろう。 ――いいんだ、俺様の胸裡だけに留めておけば。 何か辛いことがあるといつも思い出していた。たった一度の、その瞬間の出来事をいまだに忘れられない。何度、誰に「美味しい」と云われても、たぶんあの時の気持ちにはかなわないだろう。 「さて、無駄口叩いてないでお仕事、お仕事!」 飲み干したカップを流しに向けて、佐助は腕まくりをした。黒いシャツから伸びた腕を、ぱしり、と叩いて見せてから、三人で頭を寄せ合わせて「今日もよろしくお願いします」と言って行った。 奇跡は起こるもので、それから間もなく佐助は運命の出会いをすることになった。 「うわああああああああ」 バックスペースに駆け込んでから、頭を抱えてその場にしゃがみ込むと、休憩中だった海野が不思議そうに此方を見つめてきていた。 「どした?ゴキでも出たか?」 「ちちちち違う…来た!」 「何が?」 「俺の運命の人」 真っ赤になりながら蹲ると、ひたり、と海野の手が額に触れてきた。顔を起すと彼は真剣に自分の額と佐助の額を比べている。 「熱でも出たか?」 「違うって!前に話した…俺にブラック目指させた人」 「何だと?」 どこだ、と海野が立ち上がりかける。だが既に彼は退店した後だ。緑色のエプロンの背中を押さえて、海野が飛び出そうとするのを押さえる。 「お前、それ本当か?」 「間違える筈ないよ。どどどどどうしよう、俺話してきちゃった。可愛いんだよッ!タンブラー手にしながら、うちが好きなんですねーみたいな話してたら…」 「うん」 「最初に飲んだラテが美味しくて、って…俺様もう涙腺崩壊する」 へなへなと腰砕けにその場に蹲ると、暫くしてから海野が佐助の頭を撫でてきた。眉根を寄せながら顔を上げると、海野はにやにやと口元を吊り上げる。 「お前にしては熱いなぁ。でも其れくらいがいい」 「海野…」 「どうせまた来てくれるさ。今度は俺にもその人見せろ」 ――長い付き合いなんだしよ。 にやりと笑う彼に背中を擦られながら、佐助は何度も頷いていった。 彼の言葉の通り、彼はそれから何度も店に来てくれた。その度に佐助は徐々に彼に近づこうと、レジに入ってみたり、話しかけたりを繰り返していく。 そして気付けば隣に座って、告白の言葉を述べてしまっていた。 「旦那ってさ、朝来るの好きだよね」 「朝の方が店内に香るコーヒーの香りが強い気がするからな」 赤いランプの下で、佐助が抹茶クリームフラペチーノを差し出す。緑色のそれに、ふわふわのホイップをたっぷり載せると、幸村は頬を隆起させて微笑んだ。 「はい、抹茶フラペ」 「おおお、旨そうだ!」 幸村は赤いタンブラーに入れた抹茶フラペチーノを両手で包んでから、セルフのスプーンを手を伸ばして取る。朝の店内はまだ人が少ないからこんな風に話すのも容易だ。 「あのさぁ…」 「うん?」 立ったままでスプーンを咥えた幸村が顔を起す。 「どうでもいいけど、そろそろドリップ飲んでよ。旦那の為に淹れるから」 「――これはこれで好きなんだがな」 ぺろん、と口の端のクリームを舐める幸村は、最近フラペチーノに嵌っている。その度にトッピングを色々教えて見せるが、できれば彼がコーヒーを飲んだときの笑顔が見たい。 「そんなこと言われると俺様寂しくなっちゃう」 「――佐助」 「うん?」 泣き真似をしてみせると、幸村は周りを気にしながら声を潜める。 「今日、空いてるか?」 「空いてるよ」 「それじゃあ…その…きょ、今日…」 「なぁに?」 言いながら俯いていく幸村の眦が染まっていく。それを見ていると、どきどきと鼓動が高鳴ってくる。だがあえて眺める徹したい気もするが、茶化したくもなる。 ――かーわいい。 絶対に彼には言えないけれども、そんな風に胸内で呟く。幸村は手元をランプ下のツールに載せて身を乗り出してきた。 「お、終わったら…一緒に…ッ」 「デートのお誘いだったら喜んで」 佐助は中から身を乗り出して、貸して、と幸村のタンブラーに手を伸ばして。そして抹茶クリームフラペチーノにベリーソースをくるりとかけてみる。 「美味しいから食べてみて。でも直ぐにね。融ける前に」 「う、うむ!」 「お代わりはドリップ以外受け付けないから」 最後に釘を刺すと、幸村は唇を尖らせた。そして混み始めてきた店内に気付いて、幸村はテーブル席に移動して行く。 彼のゆらゆらと揺れる尻尾のような髪を見ながら、くすくすと佐助は笑った。 ――いつか、旦那に教えてあげよう。 今の自分があるのは、あの時の彼が居たから。ずっと前に出会っていたことを、彼は覚えては居ないだろうが、いつか言えたらいい。 佐助が手に付いたベリーソースを、ぺろ、と舐めていると、テーブル席の幸村と目が合った。彼は慌てたようにスプーンを口に運んでく。そんな光景を見つめて余計に、浮き足立ちながら、佐助は笑顔で他の店員と共に「ありがとうございました」と声を張り上げていった。 →next 100601/100606 up コネタ。 |