Cheer!cafe



コーヒーはお好きですか?



 大学の学年が変わってキャンパスが変更になった。そして新しいキャンパスにいく途中にある、一軒のカフェに幸村は足しげく通うようになっていた。カフェと言ってもチェーン店だが、大層美味しいと噂の店だ。最初は半信半疑だったのだが、それも直ぐに真であると認識した。それから毎朝のように幸村はそのカフェに通っていた。

 ――寝坊した…ッ、一時限目間に合うであろうか。

 小道を駆け上がりながらそう思う。

 ――今朝は寄ってる時間はないな。致し方あるまい。

 バックの中にはいつも赤いタンブラーが入っている。そして視界にいつものカフェが見えたが、幸村はそれを横目で通り過ぎようとしていた。朝のカフェは人が少なく、よりコーヒーの香りがつよく鼻に触れる。その瞬間が好きで朝行くことが多いのだが、今日ばかりはそれも無理だ。
 無常にも時間を告げる時計を見下ろしてから、後ろ髪を引かれる思いでカフェを通り過ぎようとする。

「あ」

 ふと声を出してしまう。中にいた青年が――黒いエプロンをしている――顔をあげてこちらを観た。そして、口を動かしていた。

 ――あ、と、で、ね、

 それだけ読み取ると、何故か幸村は頬を赤らめながら頷いて、坂道を全力疾走で駆け上がっていった。










 講義が済むと幸村はバックの中のタンブラーを確認してから、急ぎ足でカフェに向った。戸を開けると既に店内は満員に近い。辺りをぐるりと見回してから、窓際のカウンターを選んで荷物を置く。そして財布とタンブラーを手にしてレジに向った。

「いらっしゃいませ〜、こちらでお召し上がりですか?」

 すかさずレジの店員に問われ、幸村は頷いた。黒い蓋を外しながらオーダーをしていく。

「ええと、キャラメルマキアートのグランデで…」
「キャラメルマキアート、グランデですね」

 レジを打つ音が響く。以上で、と聴かれたので頷き返した瞬間、レジの店員の背後から黒いエプロンをつけた青年が顔を出した。

「駄目。ドリップのグランデにして」
「あ…」
「朝一は俺様が心を込めてドリップ淹れてるんだから、是非それを飲んでほしいんだけど」

 ちらりと彼の視線が幸村に向けられる。幸村はあたりを少しだけ見回してから、小声になりつつ彼に告げた。

「でも、某…甘いのが飲みたくて。今朝は朝食を食べ損なった故…」
「だったら尚更だよ。軽めのカフェオレに蜂蜜入れて。それとこっちのパンケーキがペアリング最高だから」
「む…では、それを頂こう」

 幸村がこくりと頷くと、彼は静かに微笑んだ。彼は幸村の赤いタンブラーを手にして背後に向う。それを眼で追いながら促がされるままに赤いランプの下に行くと、店員に「お席までお持ちしますよ」と耳打ちされた。
 幸村はタンブラーの蓋を掌で持て余しながら、先に取って置いた席に座って外を眺める。先程自分が走っていた道を、学生がちらほらと登っていくのが見える。幸村は携帯を取り出すでもなく、本を取り出すでもなく、ただ窓の外を見ていた。
 このカフェに通うようになって直ぐ、一人の青年と言葉を交わすようになった。
 幸村がタンブラーを購入しようと、棚の上を見上げていた時に話しかけてきたのは、黒いエプロンをした店員だった。他の店員は皆、緑色のエプロンをしている。

 ――何かお探しですか?

 流麗な声音で問われ、気付いたらあれこれと話し込んでいた。そうして気づけばこうして気軽に話す間柄になっている。

「お待たせしました」
「忝い。あ…」

 物思いにふけっていると、今まさに思い描いていた相手が、目の前にトレーを持って現れた。トレーにはカフェオレの上にホイップ、そして蜂蜜が薄く黄金色を垂らしていた。さらにパンケーキの横にもふわふわとしたホイップがある。幸村はトッピングを頼んでいないと思い出して顔をあげた。だがすぐに、ぐ、と詰まった。彼が顔を寄せてきて、唇に人差し指をさしていた。

「ちょっとだけサービス」
「でも…」
「ちゃんとコーヒーを楽しんでくれる人だもん、旦那は。だから此れくらいはね」

 ――いいから、食べてみて。

 彼はにこにことしながら幸村を見下ろしてくる。そうして笑っていると眼元が弧を描いて細まっていく。後ろに撫でつけた髪は明るい色をしており、時々、毛先が跳ねていく。

 ――いつものことながら、端正な面持ちをされているものだ。

 幸村は彼を見つめてから、胸内で嘆息する。これでは引く手数多だろうと――接客も手馴れたものだし――関心する他なかった。
 幸村は手を静かに合わせると「いただきます」と口にした。幸村を眺めながら、彼は側に立っている。

「――っ!美味しい…」
「でしょ?俺様、朝は特に心を込めて淹れてるから」
「どうして?」
「だって…好きな人が飲みに来てくれるから」

 すとんと彼が言った言葉が咽喉に詰まった。ごくん、と飲み込むと、何故か胸がつきつきと傷む。だが幸村はそのまま顔を上げて彼に問うた。

「それは…幸せ者だな、その御仁は」
「うん?」
「そんな風に、貴殿に思われているなど…」
「ちょちょちょ、ちょっと待って!」
「――?」

 幸村は、慌てて手を降り始めた彼に、口を閉ざしてみせた。すると彼はフロアを見回してから、こほ、と咳払いをして――徐に幸村の隣に座って肘をついた。目線が近くなり、幸村は少しばかりの居心地の悪さを感じながら、コーヒーに口をつけた。
 甘いはちみつの味が舌先にのると、ほっと和んでいく。和む幸村とは裏腹に彼は焦っているかのようだった。

「あのね…俺、自分で言うのもなんだけど、仕事に関してはシビアなの」
「――それは良いことでは?」
「だから、普段はおまけなんてしないの」

 つい、と彼の指先が伸びてきて、幸村の口元に触れる。ずいぶんと綺麗に整えられている指だと暢気に思っていると、彼は嘆息しながら吐き捨てるように言った。

「下心がなければ、こんなことしねぇよ」
「え…」

 する、と薄い唇の腹を指先で撫でられる。首を横に向けて彼の方に向けると、彼は口元をきゅっと引き締めてこちらを伺っていた。今言われたのは、もしかして、とゆるゆると脳が理解し始める。
 彼の言葉を何度も反芻していると、随分と長く押し黙ってしまった。幸村は応えようと口を開きかけた。

「猿飛さーん、すみません」

 ふいに店員の声が響く。すると彼はすいと立ち上がってカウンターの方へと「直ぐ行く」と告げた。

「あ、あの…」
「また、帰りにも来てくれる?」

 見上げた彼は視線を合わせてくれなかった。幸村が強く頷くと彼は「待ってる」とだけ告げて中に戻っていく。その後姿を――細身のせいで、シャツにたくさん皺のある背中を見送りながら、幸村は自分のタイミングの悪さに胸元を握りこんでいった。










 飲みきってしまって空になったタンブラーと、レシートを持って幸村は再びカフェに向った。ドリップコーヒーの場合、二杯目はレシートがあれば割り引きされるのだ。

 ――最初はそれもあの人に教わった。

 話していくうちに彼が砕けた口調を聞かせてくれるようになった。耳打ちするように教えてくれた事は数知れない。いつもの道に挨拶をする相手が増えてことは、幸村にとって喜ばしい限りだった。だが今はいつもと違って少しだけ重苦しい気持ちだったが。

 ――今日も一杯持って、ゆっくり飲もう。

 そうして一日の終わりをほっとしながら過ごすのは悪くない。幸村はタンブラーをきゅっと握ってから、店内に足を踏み入れた。
 店内に入ると中から彼が顔を出してきた。だがいつものようなエプロン姿ではない。既に終業していたのか私服姿だった。私服姿を見て余計にどきどきしてしまう――いつもの仕事の最中のかれよりも、余程洗練されている気がしてならなかった。幸村は知らず背筋を伸ばしていた。

「あ、来た。旦那、お疲れ様」
「お代わりを頂こうかと…」
「うん、待ってね」

 直ぐに彼はタンブラーを手にしてカウンター内に向ける。そして店員に何かを囁いてから、タンブラーを持って戻ってきた。

「はい。中、新しいのでね、来週からのハニーラテだから」
「え…でも」
「あのさ、これから時間ある?」
「勿論でござる」

 幸村は暖かいタンブラーを手にしてこくこくと頷いた。それを見つめてから、少しだけ背の高い彼は幸村に合わせて背中を丸める。

「少し…俺に、付き合ってくれる?」

 泣き出しそうな笑顔を向けられて、幸村はぐっと胸元を握り締めた。

「じゃあ善は急げだ。旦那、行こうか」
「承知仕るッ!」

 慌てて応えるとやたらと時代掛かった口調になってしまい、振り返った彼が驚いたかのように笑った。彼の笑顔を見つめて幸村は胸を撫で下ろしながら、今受け取ったタンブラーを抱えていった。
 彼に着いてカフェの裏手の従業員用の駐車場に向う。彼は手馴れた風に一台のバイクを目の前まで持ってくると、さらりと幸村を促がした。その促がし方が慣れていて、他の誰かにもそんな風に勧めたのだろうと想像してしまう。

「後ろ乗って?」
「――あ、あの某…」
「大丈夫。俺様、運転はうまいよ?」

 ふふ、と笑いながら彼はヘルメットを渡してくる。それを受け取ってはめるようとすると、空かさず彼は手を添えて「こうやって被るの」と手伝ってくれた。そしてバックシートを勧めると、そのままバイクのエンジンを掛けていく。

「では、失礼致す…」
「はいはい」

 幸村はハンドルを支えている佐助の後ろから、ひょい、とバイクの後部に座った。
 初めて乗るバイクに手元をどうしようかと、座席の縁に当てたりしていると、ひらりと彼が運転席に座る。そして前に座った彼が振り返って腕をとってきた。そして自分の腰に当てると「つかまってて」と告げてくる。気恥ずかしくて幸村が彼の服を握り締めると、そっちでもいいけどね、と苦笑された。
 そして程なく走り出したバイクに、さらさらとした風の感触を感じていく。じっと見つめる先には彼の背中しかない。風を含んで撓むシャツに、細身だなぁ、と改めて感じた。

「ねぇ、旦那はさぁ」
「何でござるか?」

 前から声を掛けられて聞き取りずらい。彼の声を聞こうと身体を寄せると、後でいいか、と彼は呟いた。そうして直ぐに目的地と思しき、個人経営のカフェ前についた。
 促がされて中に入ると、ふわりと焙煎の香りがする。
 充満するコーヒーの香りに、ふんふん、と思い切り香りを吸い込んでいると、目の前のカウンターの隅から気合の入った声が轟いた。

「フンッッッッッ!!!」

 ――ざららららららら

 勢いよい声に合わせて、気合を込めてコーヒー豆が投入される。その熱血振りに圧倒されて幸村が歩を止めていると、背後から肩を抱かれた。振り向けば彼が顔を寄せてくる。

「いい匂いでしょ」
「あ、そ、そうでござるな」

 幸村が慌てて応えると、彼は嬉しそうに――幸村の横をすり抜けて、カウンターに向う。

「大将、いつもの二つ頂戴よ」
「なんだ、佐助か。見て解らぬか、儂は今忙しい。勝手に淹れろ」

 焙煎機の前で太い腕を組んだ男性は、額からじわじわと汗を滲ませながら、此れが最後なのだ、と睨みを聞かせている。彼はそのままカウンターに腕をついてから、唇を尖らせた。

「飲ませたい人連れてきたんだからさ…大将、いつも俺様に好きな人が出来たら連れて来いって言ってるじゃない。コーヒー淹れてくれるからって」
「何人目だ?ぬ?少年か」

 体格の良い男性がカウンターの中から身を乗り出す。綺麗にそられた頭が、頭上のライトを反射していた。男性は幸村を視界に収めると、これは珍しい、と大きな口を弓形にして笑う。

「おおおおお、ちょっと待っておれ」
「はいはい。旦那、あっちに座ろう」
「ぬぅぅぅぅぅんッッッ」

 ――ザバ――ッ

 がらがらと鳴り響くコーヒー豆の音に圧倒されながらも、幸村は彼について窓際の席に向っていった。










 目の前に出されたコーヒーは、琥珀色を濃くしたコーヒーで、甘いような香りが鼻先に触れてくる。棒についたシュガーをくるくるとカップの中に入れてから、静かに口をつけると、ふわ、と柔らかな味が口いっぱいに広がった。

「ふ、…おおおおっ、これ…なんともッ」
「美味しいでしょ――?ね?」

 幸村が感動して口元を押さえてから、エプロン姿の男性を振り仰ぐ。すると髭にたくわえた顔の男性はにやりと笑って見せた。そして彼もまた幸村の目の前で頬杖をついて微笑む。なんだか子どものように嬉しそうに笑っていた。

「ほら、大将。やっぱり大将のコーヒーは旨いんだよね」
「年期が違うからのう。小僧と違って」
「どうせ小僧ですよ」

 へっ、と憎まれ口を叩く彼に、大将と呼ばれた男性は大きな手で彼の頭をかき回してから、カウンターへと足を向けた。すると程なくして客が増えてきた。

「美味しい…某、このようなコーヒーは飲んだことがござらん」
「最近は色々可愛く、甘くなってるからね。でも豆の味がわかる方が良いよね」
「あの…どうして此処に?」
「旦那には、俺の好きなところとかも知って欲しいと思ってさ。ここ俺の第二の実家みたいなものでさ。バリスタ目指した切っ掛けの場所だし」
「ほう…――」
「俺のこととか、もっと知って欲しいなって…」
「――…ッ」

 さらりと言った彼に幸村は手を止めた。かた、とソーサーの上にカップを置くと、彼を正面から見つめる。すると彼は居心地悪そうに視線を泳がせた。

「いや、性急だったと思って。ちょっとやそっと声掛け合うだけで、俺、いい気になってて…こっち見てほしいな、とか…」
「そ、それは…――その、某、そういう事には疎いのでござるが」
「俺、旦那が好きなんだわ」

 あっさりと告げられた言葉に、幸村はあんぐりと口をあけて彼を凝視した。すると再び彼は自分の頭を掻きながら「ごめん、また急いた」と目尻を赤くしていく。

「ごめんなさい。俺、ホントに旦那のこと好きでさ…旦那が店に来てくれるようになってから、俺、もう毎日天国よ」
「某とて、毎日旨いコーヒーが飲めるし、話も楽しいし…それに」
「それに、何?」

 彼は身を乗り出してくる。口をぴりりと引き絞って、緊張しているかのようだった。幸村は視線を減ってしまったコーヒーに向けてから、ぼそぼそと応えた。

「気になる…のは、事実でござる」
「本当?じゃあ、もっと俺のこと知ってみない?」

 がば、と佐助は勢いに乗って幸村の手を取った。だがすぐに、ぱっと離すと思春期の少年のように、へへ、と照れ笑いを浮べていく。

 ――斯様に可愛い御仁だっただろうか。

 いつもの颯爽とした雰囲気とは打って変わっている。その違いに戸惑いはなく、幸村は余計に興味をそそられていった。

「ならばひとつ伺いたい」
「なんでもどうぞ」

 ささ、と彼は椅子に横に座って、こちらを斜に眺めてくる。照れ隠しなのだろう。

「名前、なんと申すのか…教えてくださらんか」
「あ。嘘、言ってなかった?」
「聞いておりませぬが」

 がた、と座る向きを直して彼が身を乗り出す。組んでいた足を組みなおすと、幸村の足に少しだけ爪先がぶつかって、ごめん、と彼は謝った。
 正面に座りなおして、彼は背筋を伸ばすと、深々と頭を下げた。

「猿飛、佐助です」
「真田、幸村でござる」
「へへ、それは知ってる」

 ――店にくる女の子に聞いたから。

 幸村が同じように挨拶をすると、彼はふにゃりと表情を緩めて顔を起した。だが彼の言葉に幸村は、ちくん、と胸の痛みを感じた。

「斯様な質問、さっさと某に聞けばよかったのに」
「あ、妬いてる?」
「知らぬ。――馳走になった」

 ぷい、と顔を背けると彼は、かたん、と席を立った。そして幸村の前の空になったカップに手を伸ばす。

「お替わり、あるよ?」

 見上げる先の彼は、心底嬉しそうに頬を染めながら見つめてくる。そんな風に誰かに見つめられたことがあっただろうか。彼の笑顔に見惚れながら、幸村が頷く。

「今度は俺が淹れてあげる。もっと話そう?」

 佐助はそういうと、幸村の指先に手を絡めてから、そっとカウンターの方へと向っていった。彼の細くしなやかな背を見送りながら、幸村はことんと額をテーブルに預けた。

 ――好き、かも。

 まだよく解らないけれども、こうして向けられた言葉にも、彼の存在にも、嫌悪は無い。むしろもっと知りたいと願ってしまう。

 ――某、どうなるのでござろう。

 明日の朝、再びいつもと同じようにカフェに足を向けられるだろうかと危惧しながら、鼻先に香ってくる芳しい香りに、幸村は身を浸していった。










 朝の、開店と同時に店内に入ると直ぐに、黒いエプロン姿の彼が顔を出した。まだ少し眠そうにしている彼に、赤いタンブラーを渡す。

「おはよう、旦那」
「おはよう、佐助」
「いつものでいい?それとも…」
「お前の淹れてくれるものなら何でも」

 幸村がカウンター越しに言うと、彼は手にしていたタンブラーを取り落としそうになり、わたわたと手元を動かした。慌てる仕種など、この店内では初めて見た。

 ――新鮮でござる。

 佐助はまだ客がいないフロアを見回してから、幸村を指先で呼んだ。そして顔を寄せた瞬間、さらりとメニューを立てて隠しながら、ふ、と顔を寄せてきた。

「え…――」
「おまけだよ、旦那」

 ――ちょっと待っててね。

 くすくすと笑いながら佐助がタンブラーを持って奥に向う。その後ろ姿を見送りながら、幸村はレジの前にずるずると蹲り、触れられた唇に手を当てながら真っ赤になっていった。




 朝には一日の始まりを。昼にはちょっとブレイクに。そして夜には甘く、寛ぎの為に――コーヒーは如何ですか?







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ス○バがすきですv 設定は大体貰ってますが、いろいろ捏造。
まだ続きます。