狐の恩返し



 佐助は小型犬くらいの大きさの狐のままで、とたとたと廊下を歩いた。そうして歩いていても、尻尾がふっさりと動くのが解る。少し立ち止まって見てみると、金色の毛並みの中にきらきらと光る銀色の毛があった。

 ――俺様、ただの狐の時よりも銀色が増えたかな。

 お山の大将の元で修行していた時にも言われたものだった。妖に近づくにつれて変化があることもあると――それが佐助にとっては体毛の色の変化だった。
 自分のこのふさふさの尻尾や毛並みを、幸村は好いてくれているのは知っている。それはまだ幼かった時から変わらず、よく懐に入れられていた。そんな時の彼の手はいつも優しく、ゆっくりと佐助の耳や背を撫でてくれたものだった。

「――…」

 ――てか、ええと…なんか今日は狐のままでいた方がいいような気がする。

 ぴた、と立ち止まって足元を見つめる。足先は白くなっているが爪は黒い。じっとそこを見つめながら、先ほどの幸村のことを思い出した。
 頬を紅潮させて、柔らかく触れられる感覚――それがあまりにも自分の腹を飢えさせてくる。咽喉がぐるぐると鳴るし、どうしても幸村を「美味しそう」と思ってしまう。

 ――俺様、雑食だけど人間は食わないし!でも旦那が美味しそうってやばいよね。

 どうしようかと考えこむと、すとん、とその場に腰を下ろした。ふわふわと尻尾が動く。自分一人の頭でものを考えていると、どんどん方向性を見失ってしまいそうだった。

 ――ふわ。

 目の前に一羽の蝶が目に入った。鼻先を上に向けて、それをふんふんと嗅ぐ。そうして前足を出して、捕まえようと動き出すと、背後からぬうと影が降りてきた。

「おい…邪魔だ」
「あ…ごめん。才蔵…だったよね。今退くから」

 見上げたままで言うと、耳に先ほどの蝶が降りた。そのまま、のそのそと動いて端に寄るがどうしたことか、才蔵が動かない。

「――?」
「お前…なんで今日は狐のままなんだ?」
「え…あ、いや…」

 上目使いになって口籠ると、才蔵はその場にしゃがみこんできた。才蔵とはつい先日顔合わせをしたばかりだ。佐助が見上げていると、彼の頭の横に黒いものが揺れた。なんだろうかと思って瞳を凝らしてみていると、それは彼の耳だった。

「そういうあんただって半妖の姿じゃ…」
「俺は屋敷にいるときは半妖のままだ。人狼はむしろこんな中途半端な格好の奴が多いものだ」
「へぇ?黒い耳と尻尾てことは、あんた全体も黒?」
「そ。黒光りして時々陽炎のようだと幸村様は褒めてくれる」
「へぇ〜」

 自慢されたのだろうが、佐助は感心しながら聞いていた。すると才蔵は調子を狂わされたとばかりに、ち、と舌打ちをした。

「お前…妬いたりしねぇの?」
「なんで?」
「何でって…ここにいる妖は皆、幸村様を慕っている。今みたいに自慢すると大抵絡んでくるもんだが」
「そういうもんなの?」
「そうだな。だからまぁ、急にお前が表れて、中には良く思っていない奴だっている」
「あんたも?」

 大きなお世話と言った所だが、よくよく見てみれば才蔵は佐助に忠告するかのようだ。何処か彼がお人よし――いや、世話を焼いてくれているかのように感じて、佐助は小首を左右に傾けながら聞いていた。
 その合間も、銀色の尻尾がふわふわと左右に揺れる。

「お前が邪魔ならとうに喰ってる」
「だろうねぇ」

 狼に食べられるのを想像すると背筋に悪寒が走る。元の獣のままならそれもあっただろう展開だ。佐助は後ろ脚を使って、器用に耳を掻いた。すると止まっていた蝶が、ひらり、と舞い上がって行ってしまった。

「調子狂うなぁ。おい、佐助とかいったな。お前生まれてどれくらいだ?」
「んー…一年と半分くらいかな。もう少しで二年。でも俺様たちの種族で言ったら、立派な大人だぜ」
「大人、ね」

 にや、と才蔵は微笑みながら腕を伸ばしてきた。されるままにしていると、ひょい、と身体が浮いて抱き上げられる。そのまま胸に引き寄せられて見上げると、才蔵の耳がぴくぴくと動いていた。

「大人にしては軽いし、ちっこいな」
「うるさいなぁ、それは本性だからだっての」
「まだ発情期も来てないガキなのに、大人ねぇ?」
「――…」

 才蔵に抱き上げられながら廊下を動いていると、彼は鼻で笑ってきた。佐助は鼻先を上向きにして、口をぱかりと開けた。

「はつじょうき?」
「――…ッ?」

 きょとんとした反応に、びく、と才蔵が足を止める。そして胸に抱いてきている佐助を見下ろして瞳を見開いた。

「はつじょうき、って何?」
「おま…発情期も知らないのか?」
「え…って、それ、大事なこと?」

 驚かれて逆に佐助も焦る。小さな前足を彼の胸元につけて、碧色の瞳をきらきらと光らせたままで見上げた。

「俺様、知ってなきゃいけないこと?ねぇ、ねぇ、教えて」
「教えて、って言われても…というか、発情期も知らないガキに…幸村様、お労しや…」

 口元に手を添えながら心底憐みの瞳を才蔵は向けていた。そうされると佐助の胸元がもやもやとしてきて、居てもたってもいられなくなる。彼の腕から逃れて、くるくると自分の身体を才蔵の首に絡めて肩に乗る。

「ちょっと!そんなに大事なわけ?」
「大事っちゃぁ、大事だな」

 ううん、と悩む素振りで才蔵が腕を組む。そのまま進まれても落ちることはない。だが先を聞く前に鼻先に朝ごはんの匂いがしてきて、佐助は鼻を動かした。
 目当ての場所は皆の朝食を摂る部屋だ。そこに足を踏み入れた才蔵が、末席に近い場所に腰を下ろす。
 それでも佐助が肩から降りないでいると、小助が膳を差し出して「おや」と小さく声を上げた。

「いつの間に仲良くなったんです?」
「今しがただ」

 山盛りに盛られた茶碗を受け取りながら才蔵がしれっとして言う。佐助はするりと彼の肩から降りて膝の上に乗った。

「ん」

 ひょい、と目の前に小魚を吊るされて、ぱく、と噛みつく。そのまま、もぐもぐと口を動かしていると、小助が佐助の分の膳を才蔵の横に置いた。

「なんか兄弟みたいですねぇ…」
「んな訳あるか」

 がつがつと御飯を掻き込む才蔵が、佐助の食べるのに合わせておかずを口元に持ってきてくれる。佐助が人型になれば問題もないのだが、そこまでは頭が回らなかった。

「な…ッ!」

 がたた、と急に上座の方から大きな声がして、ふと才蔵と佐助、そして小助が首をめぐらせる。すると其処には、きっちりと身支度を整えた幸村が居て、下座の自分たちの方を見つめて固まっていた。

「幸村様、幸村様!まずは着席なさって」
「あ、ああ…」

 海野に耳打ちされて幸村がぎこちない動きで上座に座る。間に何人もの人間がいるのに、幸村の視線は佐助に向けられていた。
 佐助は「幸村が御飯を食べに来た」くらいにしか思っておらず、次に自分の口に入るであろう煮物をじっと見つめては、才蔵を見上げている。

「ほら、芋っころで良いんだな?」
「うん」

 ぱく、と里芋の煮っ転がしを口に入れて、もっちゃ、もっちゃ、と動かす。口の中に広がる甘辛い味に舌鼓を打ちながら、ふと幸村の方へと視線を向けると、幸村は茫然とこちらを見つめているだけだった。

 ――旦那、どうしたのかな?早くご飯食べればいいのに。

 次々と胃袋に収まってくる食事は、どれも絶品だ。佐助はある程度食べると、才蔵を見上げて「ごちそうさま」と告げて、彼の膝の上で丸くなった。

「すっかり懐かれましたねぇ、才蔵さん」
「こいつまだガキだから…」
「佐助も狐のままだと可愛いもんですねぇ」
「まぁな…早く大人になってもらいたいもんだ。でなきゃ、俺たちが幸村様に殺される」
「ごもっともで」

 呟く才蔵が、再び残っているどんぶりご飯を掻き込んだ。小助が同意しながらも肩をすくめて食事を続ける。そんな彼らの遣り取りを、じっとりと見つめている幸村の視線に、気付かないのは佐助だけだった。








 一方、衝撃的瞬間を見てしまった幸村は、かたかたと手を震わせながらも食事を続けていた。それを横で海野が嘆息しながら見守る。

「うう、おのれ才蔵め…なんて羨ましい…」
「幸村様、お気持ちはわかりますが、言葉に出ております」
「仕方あるまいっ」

 ずず、と茸の汁ものを啜りながら幸村が唇を尖らせる。朝方には一緒に寝ていた二人だが、何を感じたのか――はたまた野生の勘か、佐助は獣の姿のまま人型に戻ってはいない。
 それどころか、気付けば才蔵と仲良くなっているようで、今では幸村の視線にはご飯を食べさせあっているかのようにさえ見えている。

 ――まるで雛だな。

 海野にしてみればそんな感想だ。しかし幸村にとっては別のフィルターが掛って見えているようなもので、嫉妬に駆られている。些細なことでも佐助のこととなると目の色が変わるようだ。
 幸村の変化にも驚くが、相手があの狐っ子だと思うと、海野にしてみれば不安が全くないとは言い切れない。

 ――身体は大人でも、まだ中身は子どもだ。

 嘆息しながらも海野はただ彼らを見守るしかない。そうこうしている内に、幸村が「ああっ」と声を上げた。それもその筈で、佐助は満腹になった心地よさから、才蔵の膝の上で丸くなって瞼を閉じている。

「愛らしい…なんと羨ましい。おい才蔵ッ!」
「は…はッ?」

 急に上座から呼ばれた才蔵が、びく、と背中を伸ばして上座に視線を向ける。すると幸村は真っ赤な顔になって――だが眉は下がっていたが――才蔵に告げた。

「俺とかわれっ!今すぐにだっ」
「お言葉ですが…今、俺が動くとこやつ起きてしまいますが」
「ぐ…それはならんっ。しかし、その…」

 拳を握りしめ、下唇を噛みしめる幸村は、少しうつむいて考え込んだ。そして顔を上げると、一気に自分の膳を片付け始めた。そんな風に一気食いをする幸村というのは珍しい。幸村は悔しそうに、半ば自棄になりながら残っていた朝ごはんを掻き込んでいった。






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