狐の恩返し



 成長してもどってきた佐助は、以前と変わらずに働き回っていた。しかし冬にはまだ子どもの姿だった彼が、今や青年の姿になっている――屋敷の者たちはそれぞれに「本当に妖だったんだなぁ」と実感するだけだった。
 厨で集まって飯を掻き込んでいる使用人たちに混じって、佐助もまた茶碗を手にしていた。以前は一生懸命に食べていた飯も、今では軽く食べられる。

「あらぁ、よく食べるようになったこと」
「一応俺様、これでも成長期なのよ」

 おかわりを強請って茶碗を差し出すと、下女は嬉しそうによそってくれた。口元に笑い皺のある笑顔が佐助に向けられる。

「へぇ、もう『佐助ちゃん』なんて呼べないねぇ」
「呼んでくれても構わないよ」
「嫌だよ、もう!こんな男前捕まえて、『ちゃん』付けなんてさッ」

 ――バシッ!

 勢いよく隣から肩を叩かれる。すると回りは、わっと笑い声を立て始めた。こんな風に再び受け入れてくれるのが嬉しくて佐助は声を立てて笑っていた。

「でも『佐助坊』とは呼べねぇなぁ」
「呼んでくれていいって」
「だってよ、お前、俺よりもでかくなっちまって」

 隣で佐助より二周りほど小さな少年が口を尖らせる。それもその筈だ――この中では一番最後に入ってきた佐助よりも、かなり年長のイメージがあったのだが、今では佐助の方がすっかり大人に見えてしまう。
 佐助は自分でとってきた魚をぱくりと口に入れた。すると下女達は好奇心の塊のような瞳を向けてきた。

「佐助ちゃん、あんたさ、また耳と尻尾だけ出すとかできるのかい?」
「出来ますよ〜」
「やって見せておくれな」
「ええええ?」

 身を乗り出してくる彼女らに、眉間に皺を寄せて膨れる。すると彼女らはきゃあきゃあと声を色めきたたせて言った。

「だって可愛かったもの!凄く可愛かったもの!」
「ふわっふわの耳でしょ!ぴくぴくしてて可愛かったわ」
「尻尾だってふわふわだったもの!幸村様が枕にされているお姿を、羨ましく思ってたりなんて言えないわっ」

 口々に言う彼女らに「もう言ってるよ」と何処からともなく突っ込みが入る。佐助は最後のひとくちを口に納めてから、片手で急須を手にして茶碗に茶を注ぐ。そのまま、ごくごくと飲むと手を合わせて「ごちそうさまでした」と告げた。
 あまりに皆が好奇の目で――いや、期待の目だろう――佐助を見てくるので、佐助は口元に人差し指を当てて、しい、と回りに促がす。

 ――ふわ。

「おおおおおッ!?」
「ま、こんなもんだってね」

 あっと言う間に耳と尻尾が現れる。耳はふわふわとしていて、色が少し銀色掛かっているし、尻尾も同様に色を変えていた。
 その変化に皆が今度は息を飲んだ。

「どうしたの?」
「いや…なんかお前、色気が増したな」
「は?」

 向かいにいた下男に言われて、ぽかんと口を開いてしまう。だが下女達は頬を染めて、こくこくと頷いていた。

 ――馬鹿らし。俺様に色気とか、何それ?

 ふん、と鼻を鳴らす。それと同時に嗅ぎなれた匂いが鼻について、佐助は下座の方へと勢い良く振り返った。佐助の反応にあわせて使用人たちも下座を向く。

「な…ッ、だだだ旦那?何時の間に…ッ」
「幸村様――っ?」

 佐助が素っ頓狂な声を上げると、慌てて使用人たちも居住まいを正した。だが当の本人は気にもしていないようで、胡坐の上に頬杖をついてこちらを観ている。
 周りは視界に入っていないかのように、佐助だけをじっと見つめていた。

「旦那…?えっと、俺様何かした?」
「いや…――そうだな」

 一度は否定したはずなのに、直に幸村は肯定した。そのことに気付くと、佐助の耳が瞬時にへたりこむ。ぺしょ、とへたりこんだ耳を幸村がじっと見ているとは気付いていない。

「え…――っ、俺様、旦那に怒られるようなことしたかな?」
「そうではない。姿はでかくなっても子どもだな」

 ふふふ、と幸村が瞳を眇めて笑う。下座で笑いながら、近くにあった握り飯に手を伸ばしていた。これから山に行くもの達のために作られている最中の塩むすびだ。
 もくもくと幸村の頬が動くのを睨みながら、唇を尖らせる。尻尾がふわふわと左右に揺れた。

「そんなことないよ」
「そんなことあるぞ」

 幸村はにこにこしながら、塩むすびを咀嚼していく。そして大きな口で――およそ三口目だ――最後のひとかけらを口に入れると、指についていた米粒をぺろりと舐め取った。

「まぁ、良い。後で俺の部屋に来い。それと…塩むすびを少し包んできてくれ」
「何処か行くの?」
「そんな処だ。馳走になったな」

 よいしょ、と声をかける処をみると、若年寄だなと思わずには居られない。だが幸村はそのまま背中を見せて行ってしまった。
 佐助は再び茶碗に注いでいた茶を一気に飲み干すと、ごっそさん、と手を合わせて慌てて飛び出していった。










 佐助が竹の皮に包まれた握り飯を手にして幸村の部屋に赴くと、既に縁側に彼は座り込んでいた。

「どうしたの、旦那?」

 出しっぱなしの尻尾が、ゆらゆらと左右に揺れる。光を浴びると銀色に光るそれに、幸村がにゅっと手を伸ばす。そして止める間もなく、先っぽを握りこまれた。

「――…な」
「え?」
「俺以外に、その姿を曝すな」
「――…なんで?」

 幸村が言い難そうに言ったのに対して、佐助は不思議に首を傾げる。半妖の姿は力が出しやすいので、これからも出すだろうと自分で気付いていた。だから幸村の言葉には頷けない――しかし何か言い分があるのだろうと、佐助は尻尾を握られたままでその場に座り込んだ。

「何で、旦那以外に見せちゃ駄目なの?」
「何でもだ」
「それ、命令?」
「――…」

 立て続けに聞くと、幸村は座った佐助の膝に目掛けて、身体を横倒しにしてくる。なれたものとして受け止めながら、ゆるゆると幸村の頭をなでていると、幸村は珍しく眉間に皺を寄せてから、ふう、と溜息をついた。

「すまぬ…単なる嫉妬だ」
「嫉妬…?」
「お前の尻尾も、耳も、とても触り心地が良いからな。俺だけのものにしておきたかった」

 そんなことか、と佐助は上機嫌になって、上半身を屈めて幸村の顔を覗き込んだ。すると幸村が、ころり、と仰向けになる。

「旦那は俺様のこの耳とか、好き?」
「ああ…柔らかくて、ふわふわしていて、気持がいい」
「良かった。ちくちくしない?」
「したことはないな」

 ごろごろと咽喉が鳴りそうなほど気分が良かった。銀色になる毛並みを気に入ってくれたのだと思うと、何だか嬉しい。それに他の誰でもない幸村がそれと云うのだ――喜ばないはずは無かった。
 佐助は尻尾を左右に、ふさふさと揺らしていた。感情に忠実な其処は、先程からゆったりと揺れている。

「佐助……」

 ふいに幸村の指先が伸びてくる。
 再び「佐助」と呼ばれた声はどこか艶めかしくて、どきん、と胸がなってしまった。そして幸村の手が佐助の耳に触れ、そのままぐっと力が篭ってくる。
 鼻先が触れそうなほどに近づいた時、思わず息を飲んでしまった。

「佐助…この意味を教えてやろうか」
「何の意味…?」

 囁かれた声には色があった。しっとりとしてくる言葉に引き寄せられるように唇を見詰めてしまう。あと少しで触れるのだろうと思うと、されるままになってしまう。

「幸村さまッ!」
「――――…ッ!」

 びっくん、と尻尾をぴんと伸ばして佐助が身体を起こす。すると庭では眉間に皺を寄せた海野が居た。幸村は「ちっ」と舌打をしながら、佐助の膝に頭を乗せたままでそちらを観た。

「邪魔するな、海野」
「そうは言いますがね、こんな昼日中から…」
「夜なら良いのか」
「そういう問題じゃないでしょ」

 ぎりぎりと海野が歯切りをする。佐助はどきどきと心臓が高鳴って鼓動を元に戻すのに、何度も深呼吸を繰り返していった。

「幸村様が遠駆けしたいというから、馬を連れてきたんですがね」
「そうであった…佐助、お前もこい」
「あ…うん、解ったよ」

 幸村はのそりと起き上がると、縁側に足を下ろす。そして振り返りながら佐助に共を頼んだ。佐助が腰を浮かせる中、海野と幸村はまだ何か話し合っていた。だが佐助はその会話を耳にすることが出来ないほど、何故か動揺していたのだった。






next

110508 up