狐の恩返し



 幸村が飛び出して行ったものだから、さすがに家人達はざわめいていた。だが幸村が小さな狐を抱きかかえて戻ってくると、皆胸を撫で下ろした。よくよく見てみれば面々の中に、忍隊の者達もいた。

「幸村様、急に飛び出して行かれるから…」
「もう、驚かせないで下さいまし」
「すまぬ、すまぬ…思わずな」

 口々に話す家人達は幸村の胸元の仔狐を見て、ほわり、と眦を下げた。

「幸村様、今度はその狐を飼うのでございますか?」
「何だか見覚えのある狐っこですね」
「うん?ああ…そうか、これ、皆に挨拶せい」

 幸村は胸元に抱き締めていた佐助をひと撫でする。佐助は大きな瞳をぱちりと動かしてから、幸村の肩に両手を乗せて、ひょい、と背後へと身を躍らせた。

「あ…逃げちゃいますよっ」
「よい、良いのだ」

 ひらり、と身をかわした仔狐に面々が手を伸ばそうとする。しかし次の瞬間、幸村の背後から、小さな子どもの手が伸びてきた。
 そして幸村の袴を掴んで、そっと顔を彼の背後から出す。

「佐助坊…?」
「佐助ちゃん?」

 家人達が驚いて声を上げる。おずおずと顔を出した佐助は、一度幸村を見上げた。すると幸村は佐助の頭に手を置いて撫でながら、尻尾は、と聞いてくる。その方が皆にも判り易いだろうと、佐助は尻尾だけを出して前に進み出た。

「皆…ごめん、俺…」
「冬に拾った仔狐よ。それがこうして戻ってきた。皆も仲良くな」
「はいはい、まったく幸村様にはかないませぬ」

 佐助がどんな罵声を浴びせられるかと身構える中、皆は大らかに笑うだけだった。もとより忍隊には妖がいるといわれている真田隊だ――その辺の免疫は出来ているのだろう。
 佐助は半妖の姿で皆に頭を撫でられながら、再び眦に涙が出てきていた。

「また明日から頼むよ、佐助ちゃん」
「う…うん、任せといて!」
「おい、坊主、明日は魚獲りに行くんだからな。付き合えよ」
「解ってるよ…っ」

 皆は口々に言うと、何ら変わりなく佐助に声をかけて持ち場に戻っていく。呆気に摂られつつ、また皆が恐れたり蔑視しないことが嬉しくて、佐助の胸には暖かさが滲み出てきていた。頬が熱くなり、視界が徐々に潤んでくる。

 ――そ。

 俯きかけた佐助の手に、ふわり、と指先が絡む。顔を見合わせると、しゃがみ込んだ幸村が正面から手を繋いできていた。

「よく、戻った。これからも宜しく頼む」
「うん…っ」

 佐助が大きく頷くと、その涙を皆から護るようにして幸村は佐助の薄い胸を、ぎゅう、と自分の方へと抱き締めていった。









 佐助の正体がばれてから程なくして、妖の忍隊員たちが戻ってきた。それぞれ定期的にそれぞれの種族の里に里帰りしていたとかで、朱雀の海野は真っ先に佐助を見つけると幸村に釘を刺したほどだった。

「まったく留守にした途端に連れ込むんだから、幸村様はッ!」
「そう言うな、海野」
「それも、こいつ…あの時の狐でしょ?」
「見れば解るでしょうが、海野のおっちゃん」
「おっちゃ…なんだと、この狐ッ!」

 縁側で狐の姿のままで幸村の腹の上で丸くなっていると、海野が突っかかってくる。庭先では焚き火をしており、今その中に栗をいれて焼き栗を作っている。
 火加減を見ていた海野が、縁側の佐助に敵意をむき出しにして羽根を出した。

「上等だ、相手になるぜ?ええ?仔狐が…ッ」
「旦那ぁ、あんなこと言ってるよ〜。大人気ないよねぇ?」
「全くだな。海野、羽根を仕舞え」

 幸村はくすくすと笑いながら佐助の小さな身体を引き寄せた。佐助は身体を起こして伸びをすると、尻尾をふわりと自分の身体に引き寄せた。

「のう、佐助…」
「何?」
「その…人型で、尻尾と耳だけ出せぬか?」
「出せるよ?」

 幸村がじっと見つめてくるものだから、佐助は縁側にとことこと歩いて行き、自分の尻尾をぱくんと咥え、くるくると廻った。そして直ぐに、ぽん、と人間の姿になる。
 だがその頭には耳、そして腰元にはふさふさした尻尾がある。

「此れでいいの?だん…って、ぎゃああああッ」
「うおおお、もふもふでござらあああああっ」

 半妖の姿になって振り返った瞬間、滑り込むようにして幸村が佐助の腰元に抱きついてきた。勢いで佐助はそのまま、ばちーん、と縁側で転び、強かに鼻先を打ってしまった。

「ふかふかの尻尾だ…心地よいのう…」
「そそそそれは解ったけど、あああああんまり、頬すりしないで…」

 幸村は佐助のふんわりした尻尾――しかも冬毛だ――にしがみ付いてしまう。だがそうして尻尾に擦り寄られると、むずむずと体が疼いてくる。もともと弱点の場所だ――できればそんなに触れてほしい場所でもない。
 ばたばたとじゃれている姿を見つめながら、羽根を仕舞った海野が焚き火の中から栗を取り出して、ぱちん、ぱちん、と皮を剥がしていく。

「でもまぁ…仔狐よ」
「佐助だってば」
「佐助、お前…もっと幸村様の役に立ちたくねぇの?」
「え…」

 幸村は海野と佐助に構わず、佐助の尻尾に頭を乗せてふわふわの感触を楽しんでいる。佐助はあぐらを掻いて、尻尾だけ幸村に向けながら、手で耳を掻いた。

「せっかく変化まで覚えたんだ、お前なら忍隊に入れると思うんだよなぁ。ずっと幸村様の湯たんぽやっているだけが、役に立つことじゃないしな」
「旦那の…役に立つ…」

 海野は手に皮を剥いた栗を持ち、縁側に近づく。それだけで彼の横に上がっていた焚き火が、まるで生き物のように一瞬だけ消え、そして再び沸き起こった。
 火の属性に位置する朱雀――それが海野の正体だ。
 差し出された栗を幸村と共に摘みながら、佐助の小さな胸に、ぽつ、と小さな火が沸き起こるようだった。
 それは季節が冬へと移行しても佐助の胸にいつも燃えて、忘れられない火となっていた。
 雪がしんしんと降る中、佐助は旅支度を整えて、来たときと同じように玄関先に立った。背には風呂敷、そして笠を持って振り返る。

「俺、もっと旦那の役にたてる男になって還って来るから」

 くるりと振り返る佐助は耳も鼻も真っ赤にしていた。雪が深く降りしきる年明けに、佐助は決心して一度お山に戻ると決めたのだ。

 ――大将の元で、もう一度修行してくる。

 修行したら再び戻ってくると幸村に告げて許可を得た。しかし幸村は何処か寂しそうに腕を組んで、ああ、とか、うん、とか呟くだけだった。見送りには海野もきており、幸村の後ろで控えていた。

「じゃあ、俺様いくね」

 佐助は後ろ髪を引かれる思いをしつつも、背を向けようとした。

「佐助、近う寄れ」

 ふいに幸村が呼びかけてきた。何だろうかと近づき、見上げると、幸村は自分の首に捲いていた首巻をさらりと取り外した。

 ――ふわ。

 屈みこんだ幸村が、佐助の首に首巻を捲きつける。ふわふわとした暖かさと共に、幸村の顔が近づいてくる。佐助がされるままに動かずにいると、額に柔らかい感触が降りてきた。幸村の動向に海野が赤面したのだが、佐助には気付けなかった。

 ――ちゅう。

「――?」

 直ぐに離れた感触は、彼の唇の感触だった。佐助が口付けられた額を撫でると、幸村は悪戯っ子のように微笑みながら、屈んだままで言う。

「まじないぞ」
「――…」

 ぽん、と佐助の頭に幸村の掌が乗る。わしわしと撫でられたかと思うと、幸村はすっと背を伸ばした。そして皆に聞こえる大きな声で佐助に告げる。

「しかと此処に、幸村の元に戻って参れ」
「はいっ!」

 佐助は背を張って、一度深く頭を下げると、真田の屋敷の玄関先を後にした。後から後から雪が降りしきり、佐助の小さな足跡は直ぐにでも掻き消されていった。















 仔狐の佐助が居なくなって数ヶ月。上田に遅い春が訪れ、はらはらと桜が舞い始めていた。梅の香りの強い時期には、寒さに佐助が居ればと思ったことも多かった。
 しかし既に寒さも淡くなっており、幸村は縁側でうとうとしていた。既に午前から鍛錬に勤しみ、先程甘い団子をお八つにと食べてから、この心地よい空気に眠気が迫ってくる。

 ――すん。

 不意に鼻に水の香りがした――というよりも、乾燥した土が巻き起こす匂いだ。それを嗅ぎ取りながら、幸村はそっと瞳を上げた。

 ――さあああああああああ。

 幸村が視線を向けた先には、太陽が出ている。しかし小雨が霧のように降り始めており、降り落ちてくる花びらさえも、きらきらと光っていた。

「なんと麗しい…」

 その光景の美しさ――光と雨のもたらした輝きに瞳を眇める。

 ――天気雨、狐の嫁入り、か。

 そういえば前にもこんな事があった、と思い出す。その思い付きが脳裏に浮かんだ瞬間、ふわりと雨が上がった。そしてそれとは逆に、花びらがふわふわと落ちてきていた。

「旦那」

 聞き覚えのある呼び方に、脇息から身体を離す。幸村が身体を起こして見上げる先には、桜の樹がある――そしてその枝には、先程までなかった筈の人影があった。

「だぁんな」
「――…ッ」

 柔らかく伸びる声に、どくん、と胸が鳴った。既にその声は少年のそれとは響きを異にしていたが、明らかに幸村の待ち望んでいた相手だった。幸村は慌てて身体を起こすと、転げ出る勢いで庭先に駆け出した。同時に桜の樹から、すと、と音もなく人影が降り立つ。

「ただいまッ、旦那。元気にしてた?」
「おう!」

 駆け寄る先には、成長した狐――佐助が両手を広げて構えていた。幸村は躊躇う事無く、その面に笑顔を浮べて彼の胸元に飛び込んでいった。



next

101017/101106 up
一部完。次は成長した狐との日々です。