狐の恩返し 今まで気にもしていなかったと言うのに、よくよく注意してみるとやたらと幸村は佐助の身体に触れてきているような気がしていた。もとより撫でられたりするのは狐の頃から好きなので、どうしてもそれを拒否する気にもなれない。だが使用人たちの言葉が頭から離れなかった。 ――食われる。 その言葉を聴いて、ぶわり、と尻尾が膨らむ想いだった。 佐助は一人で与えられている部屋の、布団の中で身体を余計に小さく縮めて、ぶるぶると震えた。 ――旦那ってば俺様をいつ食うつもりなんだろう?やっぱり肉がついたら食べるつもりなのかな。 それならば冬に備えてしっかりと食べている今が頃合なのかもしれない。 ――うぅ、やだよぅ。俺、旦那の側に居たいけど、食べられるのはイヤだぁ。 小さな狐の姿で丸くなりながら、佐助はがたがた震えた。脳裏には想像の産物だが――鍋にされる自分だとか、丸焼きにされる自分だとかが浮かぶ。その度に小さな前足で耳までも抱え込んで、ひぃぃぃ、と小さな叫びを漏らしそうになっていた。 ――おし、決めた! だがあまりに恐れ居ていては、どうしてこの屋敷に――人間として此処に来たのかがわからなくなってしまう。 佐助はそこで一大決心をした。 ――ほど良い食べごろにならなければ良いんだ! これには佐助自身、ぱあ、と目の前に光明が差すかのような思い付きだと思った。肉をつけなければ良い、すなわちご飯をあまり食べなければ良い、と考えたのだ。 ――いつもの山盛りご飯、ちょこっと残すもんね! ふんふん、とそれを思いつくと鼻息荒く決心する。そして安心すると佐助はそのまま夢の中へと落ちていった。 毎日の仕事は変わらず、ばたばたと佐助は走り回りながらこなしていく。小さな少年がぱたぱたと動くのは見ていて微笑ましい気持ちにもなってしまうが、此処のところ佐助はご飯をあまり食べない。 それに気付いた家人たちが、あれこれと佐助の茶碗の上におかずを乗せてくれるが、佐助は困ったように眉を下げるだけだった。 そしてそんな話は勿論、幸村にも届いてしまっていた。 「旦那ぁ、休憩にしたらどうですか?」 「うん?」 ――ぶんっ。 庭先で素振りをしていた幸村に声をかけると、はらり、と木の葉をちらつかせて幸村が振り返った。 既に秋も深まっており、暑さとは程遠いのだが、そうして鍛錬をする幸村の肌からは珠のような汗が迸っていた。 それが日の光を受けて、キラキラと光る。 ――旦那ってば綺麗だなぁ。 素直な感想を持ちながら、手に茶と茶菓子を持ち、佐助は縁側から声をかけた。 「今日はお茶と、お饅頭があるんですよぅ」 「そうか、頂こう」 幸村は肌に浮いた汗を拭いながら此方に歩いてくる。佐助はハッとして、入れ違いに庭先に飛び出すと、急いで桶に水を張って持って来た。 「旦那、旦那、これに手ぬぐい浸して拭いたほうが気持ちいいですよ」 「む、そうか。かたじけないな」 ほわほわと蒸気すら浮べている幸村から手拭いを受け取って、佐助は小さな手でちゃぷちゃぷと洗った。そしてそれを今度は差し出すが幸村は手を出さない――暗に、拭いてくれ、という意思表示だと受け取った佐助が、そっと幸村の肌に手拭いを滑らせていった。 「おお、気持ちがいいな」 「でしょう?水は冷たいから、動いた後は天国です」 「お前は本当に気が効く」 ふふ、と幸村は嬉しそうに笑った。笑う幸村の目が眇められ、しっとりと此方に向う。それを眺めていると思わず、ぽわ〜と見つめてしまいそうになって、佐助は軽く首を振った。そしてさっさと彼の肌を拭き終えると、持ってきていた茶と茶菓子を差し出した。 幸村は躊躇いなく、ぱくん、と其れを食べる。佐助は隣から伸び上がって見つめながら伺った。 「どう?おいしい?」 「うむ、うまい。これは新しい味だな。栗が入っておる」 「良かったぁ、俺様、町までひとっ走りした甲斐があったよぅ」 佐助がほっと胸を撫で下ろすと、幸村は瞳をぱちりと動かして、口元の饅頭を飲み込んだ。こくん、という音を聞きつけて、佐助の腹の虫が微かに、ぐう、と鳴る。 「お前が買いに行ってくれたのか」 「うん、新しく出来たって聞いて…」 「佐助はえらいのう。よし、これを一つやろう」 ずい、と山盛りにしていた饅頭のひとつを幸村は掴むと佐助に向けてくる。確かに此処最近、食事を減らしていることもあって、そんな甘味を見せられたらお腹がぐうぐうと鳴ってしまう。だが悟られてはいけない――佐助は慌てて手をぶんぶんと振った。 「え、いいよ。それは旦那の…」 「一緒に食べると美味いものはもっと美味しくなるのだが」 しゅん、と幸村が落ち込んだように眉根を下げる。そんな彼の姿を見ていると、きゅうん、と胸元が締め付けられてしまう。佐助は葛藤の最中にありながらも、ううう、と唸ってから、おずおずと手を伸ばした。 「そ、そう言うなら」 「そうか!よし、佐助、此処に来い。な?」 ひょい、と抱え上げられたかと思うと、幸村はさっさと自分の膝の上に佐助を抱え込んでしまった。読み書きを教えてくれる時の体勢と変わらないが、背中に幸村の温もりがある。もともと幸村は焔の異能をもつ人間だというから、その暖かさは常の人より少し高い。 「ほれ、口を開けい」 「俺様、ひとりで食べられるよ?」 頭を動かして見上げると、幸村は愉しそうに佐助を抱え込む。ぐいぐいと口元に饅頭を差し出され、仕方なく佐助はそれにそのまま齧り付いた。 ――がぶ。 もくもくと口元を動かしていると、食べ挿しのそれを幸村がひょいと自分の口に運ぶ。そしてまた饅頭を取り、佐助に一口、自分に一口、と繰り返していく。 「美味しいぃぃ、甘いぃぃ」 「そうだろう?美味いものだな」 「うん!」 じんわりと染み渡る甘さに、佐助は身体中が満たされるような気がしていく。甘い饅頭、それに毎日の仕事の程よい疲労感、そして幸村から伝わる温もり――それらが、佐助をまどろみへと誘い始めていた。 ――駄目駄目、寝ちゃ…駄目。 うとうとしてくる瞼に、佐助は何度も瞬きを繰り返した。だが最近は食も細くなっており、疲労感はいつもよりも強い。佐助はうかつにも幸村の膝の上でうとうとし始めていた。 「佐助…?」 耳に幸村の声が響く。 ――旦那の声、好き。 昔から彼の声が好きだ。それを心地よいと思うくらいには大好きだ。それを思いながら、背後の彼の温もりと、甘い饅頭の味に佐助は転寝をしてしまった。 ――むず。 ふと頭の上や、腰の辺りがむずむずする。柔らかく撫でてくる手がある。それを気持ちよいと思いながらも、徐々に佐助は意識を浮上させた。 ――柔らかい手、耳、撫でてくれて…。 うっすら開いた視界に、幸村の覗きこむ顔が見えた。かと思った瞬間、しまった、と佐助の血の気が引いていった。 ――耳?え…まさか。 それもその筈で、幸村が撫でていたのは自分の耳――それも頭の上の、大きな耳だ。そして恐る恐る自分の腰元に手を添えると、尻尾がほんわりと存在を誇示している。 ――ししししししまったあああああああああ! 佐助は膝枕になっていた幸村の膝から、ぴょん、と飛び跳ねると、彼に背中を向けて小さく丸まった。 「さすけ…?」 「あ…――」 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう、ばれちゃったっ! もうこれで幸村の側には居られなくなる。たぶん追い出される。それを思った瞬間、じわり、と瞳に涙が浮いてきた。 「その、耳と尻尾は…」 幸村の声に、ゆっくりと首をめぐらせて、佐助はぶわりと涙を零した。そしてぼろぼろと大粒の涙を零しながら、庭先に降り立った。 「佐助、何処に…」 「うわぁ――――ぁぁん」 佐助は幸村の呼び止めを聞かず、庭先に下りると一目散に――泣きながら走り出していった。 →next 101015/101102 up |