狐の恩返し



 鍛錬をしている幸村が佐助の気配に気付いたのは、ころころ、と茂みの中から金平糖が転がり出てきたからだった。
 一息いれようと持っていた鍛錬用の槍を下ろすと、ぱらぱらと自らの汗が飛び散る。そうだ咽喉が渇いた、と思いついて顔を上げた。

 ――ころころ。

「――…?」

 視界の端に見えた光、それが金平糖だと気付くにはそうそう時間は掛からなかった。傾く日差しを受けて白色の糖が転がってくる。幸村はその金平糖の場所まで、辺りを見回してから、そっと足を向けた。だが何の音沙汰もない――幸村はそれでも足音を極力出さないように茂みに近づき、零れ落ちていた金平糖を摘み上げた。
 そして茂みの中に向って首を伸ばし、そっと覗き込む。すると其処に柿渋色が仄かに見えた。

 ――さては佐助か。

 ほわりと笑みを浮べながら幸村は脅かしてやろうと身を乗り出す。茂みを掻き分けても気付かない子どもは、すうすうと寝息を立てていた。
 だがより深く茂みを選り分けた瞬間、幸村ははたりと気付いた。

 ――尻尾?

 小さな身体をくの字に曲げている姿に、見慣れないものがついている。幸村はふと顎先に手を当てて考え込んだ。

 ――はて、斯様な尻尾、今まで着いておっただろうか?

 幸村はじっくりと考えてみた。だが今まで佐助にそんなものが生えていた事はなかった。そして健やかな寝顔を見たのも初めてだった――その事に幸村は、ははあ、と納得する。だが佐助から事実を告白された訳ではない。

「――…」

 幸村は気付かれないように、ゆっくりと茂みを掻き分ける手を元に戻し、縁側に向っていった。










 ――危ない、危ない。

 佐助はばたばたと夕餉の膳を運ぶ為に厨に向っていた。
 すっかりと寝入ってしまっていた――少し冷えた空気に、ぷちん、と小さなくしゃみをする。それもその筈で、幸村の鍛錬を見ながらすっかりと転寝をしてしまっていた。だが茂みに居たことで気付かれてはいない。

 ――俺様、寝ている時は狐に戻っちまうし。

 その程度はその時による。夜、布団に入るときなどはすっかりと狐の姿になってしまうし、転寝をしようものなら、耳や尻尾が零れ出てしまう。
 まだまだ成長期――術が安定しないのだと、御山の大将は教えてくれた。成長すれば安定するとも言われており、それまで待つのだとも告げられた。だが佐助は幸村の元に行きたいが為に、それほど待つことは出来なかった。

 ――隠しておかなくちゃ。

 頭を少年の手でぺたぺたと触り、耳が出てないことを確認する。そしてお尻の辺りをぱんぱんと払うと、尻尾が出てないことを確認する。

「よし…ッ!」
「おや、佐助ちゃん。身嗜みかい?」
「坊主も一丁前に色気づいたか!」
「五月蝿いよ!そんなんじゃないってば…」

 佐助は揶揄される言葉に、唇を尖らせて否定する。だが使用人の皆はにやにやと愉しそうに口元をゆがめているだけだ。

 ――皆、旦那が好きだもんな。

 幸村は本当に優しいし、皆に慕われている。それを肌で感じながら、佐助が運ぶべき膳を探していると、とん、と目の前にお櫃と膳を差し出される。

「ほら、もう幸村様の膳が出来ているよ」
「うわ、本当だ!旦那、お腹空かせてるだろうな」

 細腕の何処にそんな力があるのかと疑いたくなるが、佐助は片手で膳を持ち、もう片方の小脇にお櫃を抱えた。
 そんな運び方があるか、と怒られるところだが、今は贈れた分、早く幸村に夕食を届けたかった。佐助は「急げ、急げ」と呟きながら厨を後にして行った。










 幸村の部屋の前に行くと、お櫃を横に置き、膳も置く。そして締められている障子戸の中に向って声をかけた。

「旦那、夕餉の時間です。遅れてすみません」
「よい、入れ」

 中から常と変わらない幸村の声が聞こえた。佐助はそれを合図に、から、と戸をあけて中に入ると、思い切り動きを止めてしまった。

「だ…旦那?何してるの…?」
「見て解らぬか」

 幸村は部屋の真ん中に仰向けで寝転がっていた。それを見下ろしながら、膳を一度中に入れて――それでもまだ寝転がっている幸村の側に行って見下ろす。

 ――するり。

 側に立つと直ぐに幸村の手が、佐助の足首に掛かった。

「お前も寝転んでみろ」
「駄目だよ、もう…ご飯、冷めちゃうからさ」
「つれないなぁ。この処の佐助は可愛ゆうない」
「あのねぇ…って、わわわッ」

 はあ、と嘆息して幸村に説教を垂れようとすると、足をぐんと引っ張られた。だがバランスを崩した先にあるのは畳み――ではなく、幸村の腕だった。
 気付くといつの間にか幸村は胡坐をかいており、自分はその膝に乗せられている。

「…旦那?」
「やはり小さいな。食っておるか、佐助」
「食べてます。毎日たんまりと」

 それでも幸村に横抱きの様相で抱きかかえられている足は、細くぶらぶらと動く。幸村の片腕で身体の全てを支えられてしまうほどだ。

「もっと食え」
「旦那ぁ…それよりの旦那が食べてよ」
「ならば一緒に食そう」
「ちょ、冗談じゃない…ッ」

 いきなり幸村はとんでもない事を告げてくる。否定しようと毛を逆立て――しかし今はその痩身に毛はないが、気分的にそんなものだった――佐助が彼を諭そうとすると、くしゃり、と頭を撫でられた。

「すまぬが、誰ぞ椀と箸を持ってきてくれ。その後は人払いを頼む」

 幸村は佐助の茜色の頭を撫でながら、ぎゅっと胸元に引き寄せてくる。そして天井に向って言っていることから、忍隊の誰かに頼んでいるとも気付いた。だがそれよりも佐助の鼻に擽る香りに、意識が向ってしまう。

 ――あ、これ…この香り。

 鼻先にふわりと良い匂いがした。それも幼い時に嗅いでいた柔らかい香りだった。佐助が動きを止めて、ぎゅっと幸村の羽織にしがみ付くと、幸村は満足気に佐助の頭に顎先を乗せて、今椀と箸がくるからな、と幼子にするように呼びかけてくる。

「今日は此処で食っていけ。そうだな、ついでに一緒に休もうか」
「湯たんぽの季節ですもんね」
「そう言う訳ではないぞ?」

 向かい合って食事を摂ることは彼に拾われた時、よくやっていた事だ――ただ、その時には佐助は仔狐で、彼は自分の食べる姿によく満足そうに笑っていた。
 そしてそれは変わる事無く、幸村は少年の姿の佐助を前にして、終始愉しそうに箸を奨めて行った。佐助は何処か気恥ずかしいような気がして、幸村の瞳を直視できなくなりながら、もそもそと盛られた飯を口に運んでいった。





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