狐の恩返し 使用人として働く佐助の仕事が一つ増えた。それは書物を読む際に幸村の側にいること――名目としては幸村が佐助に文字を教えてくれる、というものだ。 だがその実、佐助は殆どの字を読めたし、彼に教わることも少ない。することといえば、幸村の膝に乗って、湯たんぽの代わりにされているようなものだった。 「寒くなったな…」 「そうだねぇ、旦那。眠いならお布団敷きますけど」 「いや、要らぬ。昼日中から布団でなど寝て居れぬ」 ――でも眠たそう。 膝に佐助を抱えた幸村が、佐助の頭に顎先を乗せて欠伸をする。佐助は折り曲げていた足を伸ばして背後の幸村に体重を掛けて身体を捩った。 ――ぎゅっ。 「旦那?」 「佐助ぇ、お前なんて暖かいんだ…ッ」 「そりゃ俺まだ子どもだし…」 「ぬくくて眠うなる…」 足をばたばたと動かしていると幸村がぎゅうぎゅうと抱き締めてくる。子ども体温な訳で佐助の体温は高い。それに増して本性は狐だ――外気の変化を読み取って身体が自然と反応する。 殆ど手足をむき出しにしている佐助と違い、幸村は羽織を羽織っても背中を丸めている。この上田の地は冷え込みが激しくなってきていた。もとより熱い精神を持っている幸村としても、寒さを感じる季節である。 ――人間って不便。 ぷらぷらと足を動かしながら佐助は少しだけ思う。もし今此処で尻尾を、毛を、耳を出すことが出来たら、余計に幸村は温まることが出来るだろう。彼を包んで暖めてあげたいと思う。 ――冬は俺様よく旦那の首元で遊んだよなぁ。旦那、暖かいってよく頬摺り寄せてくれた。 幼いときの記憶を思い出して、佐助は頭を上げる。すると半分眠っているのか瞼を落とした幸村が視線に入る。 ――起きないで。 そっと細い腕を伸ばして彼の首に絡める。そして身体の向きを変えると、佐助はぎゅっと彼にしがみ付いた。そうすると暖かいのか、幸村もまた腕に力を篭めて抱き締めてくれる。 「旦那…」 頬を摺り寄せて甘えるように触れる。睫毛が彼の頬に触れたのか、一瞬だけ幸村はむず痒いように唸った。だが佐助はそのまま背中を伸ばして彼の頬に頬を寄せてしがみ付いた。 ――あ、なんか…気持ち良い。 ほわほわと頬と頬が触れる。お互いの肌が触れる場所が心地よい。佐助がそうして幸村にしがみ付いていると、途端に今度は幸村が目を覚ました。 「…佐助、お前よく見ると随分薄着だな…」 「あ、起きちゃった?」 「こうしてくれるッ!」 幸村は間近でにやりと笑うと、自分の羽織を大きく広げて佐助ごと閉じ込めてしまう。 「ぶは…旦那、旦那ッ!あっついッ」 「大人しく俺に抱き締められておれ」 「やだーッ!」 じたばたと手足を動かすが、幸村は笑いながら拘束してくれる。きゃっきゃと声を上げて騒いでいると、忍隊のひとりが茶菓子と茶を持って現れた。 「あれま…幸村様、お邪魔でしたか」 「おお、三好!邪魔などではないぞッ」 「うああああん、三好さぁん、助けてーッ」 聞き馴染んだ声に足元をじたじたと動かす。すっぽりと幸村の羽織に包まれて頭ごと覆われていた佐助は、足だけを伸ばして訴えた。 「やれやれ。これだから使用人たちの噂の種になるんでしょ?幸村様、すこし加減しておやりなさいよ」 「可愛いから致し方あるまい」 「そういう事を公然と言うんじゃありません」 びし、と三好に忠告されて幸村はしぶしぶ羽織の袷を解いた。中から顔を真っ赤にした佐助が転がり落ちてくる。 「暑かった…た、助かった」 四つん這いになりながら佐助がぜはぜはと呼吸を荒くしていると、程なくして彼らの笑い声が響いていった。 幸村の元で過ごす時間もそれなりにあるにせよ、一応は使用人と云う立場である佐助は、家の中の仕事をこなして行く。洗濯、掃除、買い物など、できることに携わりながら、ぱたぱたと一日中走り回る。夜は時々幸村に呼ばれて湯たんぽになりに行く。朝は早くから山に入って食材を物色してくる。 家人たちはそんな佐助を微笑ましく見つめてきた。小さな身体で一生懸命に――頬を赤くしながら、走り回る彼は健気にも見えていた。 洗濯物を取り込んでから、佐助はそれを畳む女性達の元へと何度か往復していた。そして全て運び終えると、彼女らは佐助に小さな包みを手渡してくれた。 「何?これ…」 「お駄賃だよ。幸村様が下さったんだが、お前さんにもね」 「へぇ?ありがとう!」 中年の女性はまるまるとした微笑を面に刻んで佐助に包みを渡してくれた。ついでに言うと今日は夜まで休んでいいという――佐助は浮き足立ちながら、ぽてぽてと幸村の部屋の近くに進んだ。 幸村の部屋の見える庭の低木の合間に身体を滑らせる。そして気配を消すと、佐助はじっと庭先を見つめた。 「はッ…――ッ!」 ぶん、と木刀が振り下ろされる音がする。それを身体を縮めて眺める。幸村は昼間にこうして庭先で鍛錬をしていることが日課だ。そして時間があればそれを眺めるのが佐助の楽しみだった。 ――昔みたいに側で見ることは出来ないけど。 それでも彼の雄姿を見ていたい。何度見ても見飽きることのない彼の動きに、時には胸を躍らせながら見つめていた。佐助は手に持った小さな包みの中を開けて、わ、と小さく喜びの声を上げた。 中に入っていたのは金平糖だった。それをひとつまみ、口に放り込んでから、再び佐助は幸村を眺めた。 ――甘いなぁ。美味しい。 ころころと口の中で金平糖を転がしながら、幸村の鍛錬を見つめる。その幸せな時間に浸りながら、そして陽気にあてられながら、佐助は迂闊にもまどろんでいった。 →next 100925/101030 up |