コイスルオトコノコ ――何時までも子どもと思わないで。でも、待っていて。 引っ越した先は、二件隣にアパートがある。住んでいるのは学生から社会人と幅広いようで、ランドセルを背負って朝に其処を通る時には様々な人と行き会う。 そんな中で彼に出会ったのは、春まだ浅い時期だった。 ――ばたばたばた。 いつも通りに佐助がランドセルを背負ってアパートの前を通りかかった時、階段を慌ただしく飛び出していく音が聞えた。何だろうかと顔を起こすと、目の前に大きな影が出来、あっという間にその瞬間に飲み込まれてしまった。 「――…ッ、あぶな…ッ!」 「な…ッ!」 どちらの言葉だったか解らない。しかし階段から足を踏み外した相手が、自分よりも大きく、そして落下地点に己が居るのは明白だった。それなのに瞬時に相手の手が伸びてきて、佐助を抱え込むようにしてバランスを崩す。 ――どんッ! ばさばさばさ、と後からノートなどが落ちる音が響く。その音に恐る恐る目を覚ますと、佐助は先程目の合った相手を下敷きにしていた。 「え…ちょ、何で?あんた、大丈夫?」 「う…――」 「頭とか打ってないよね?ね、大丈夫?」 抱え込まれて身体を動かしにくい。しかし細身の佐助は背負っていたランドセルを何とか外すと、彼の頬を軽く叩いた。 「はッ!」 「あ、目、開いた…」 「これは…無事でござるか?」 「あ、うん」 腕に抱きとめられたままで問われる。すると彼はホッとしたように眉を下げた。そして、のそり、と身体を起こすと、辺りに散乱したノート類や本を見て「あー…」と呆然と見回していた。 佐助は彼の膝から飛び出すと、辺りに散らばった書類を手にし始める。 「あ、良いのでござる。それは…某の不徳の致すところ、某が…」 「どうせ俺様、遅刻だし。これくらいは任せてよ」 「しかし…」 彼は散らばったノートなどをそのままにして、まだ手を出せないで居る。見てみると足元の靴が片方脱げており、どうやらそれが階段を転げ落ちた原因のようだった。佐助は手にしたノートを差し出しながら彼に手を伸ばした。 「お兄さん、お名前は?」 「真田、幸村、でござる」 「俺、猿飛佐助」 ――宜しくね。 佐助の延ばした手に、彼の大きな手が重なる。その瞬間、彼が照れたように微笑んだ顔に、何故だか胸元がぎゅうと締め付けられる想いをした。 「佐助、お前…またあのパン屋に行くのか?」 給食当番の支度をしながら、クラスメイトのかすがが声をかけてきた。三角巾を被りながら、白い割烹着を着る。どうにかならないかな、とその格好に思いつつも、一応形は崩さずに着用する。 「うん。今日だったら、たっぷりパンの耳買えそうだし」 「小遣いでだろ?」 がらがら、とワゴンを押しながら進む。他の当番の子たちも前を歩いている。幼稚園で一緒だったこともあり、かすがとは直ぐに仲良くなれた。というよりも、彼女も小学生の真ん中とはいえ、かなり大人びていたし、女子の中でも浮いていたとも取れる。そして佐助もまた同年代の子達の中にいるのに、苦痛を感じるほど大人びていた。 「まぁね。そういう、かすがは?おつかい?」 「そんな処だ。あの方が、メロンパンが食べたいと」 「っていうかさ、それお前が食べたいパンじゃん?」 「うううううるさいッ」 耳まで真っ赤にしてかすがが反論する。かすがの言う「あの方」というのは、かすがのピアノの先生だ。かすがが幼稚園から通っているピアノ教室の先生で、教室の無い日は大学で講師もしているとのことだった。かすがは彼に執心中とうい訳だ。 金色の髪をふわりと揺らして、かすがが佐助に問う。 「で、パン耳をどうするのだ?」 「揚げたり、フレンチトーストにしたり、それからミートソースとチーズでラザニアもどきとか…」 「――…」 「何だよ?」 色々とバリエーションを述べてく。さらさらと口から出てくるのは、普段から料理に慣れているからだった。共働きの両親の元、祖父と二人暮らしのときですら、一緒に料理をしていた程だ。 そんな佐助に、かすがはにやりと笑って見せた。長い睫毛が、ぱちり、と一緒に動く。 「お前、既に主夫だな」 「なななな何言ってんの!ってか、俺様はともかく旦那は…旦那は」 言いながら、ずううん、と落ち込んでしまう。すると横でかすがが、ちっ、と舌打をした。 「自分で言ってめげるな」 「旦那と俺だったら、絶対に障害だらけだよね」 「恋する男に玉砕はつき物だ」 「嫌なこと言うなよなぁ」 がらら、とワゴンをカーブに向ける。其処から一番奥の教室が自分たちの教室だ。わいわいきゃあきゃあと忙しない声が響いている。 「子どもなのを利用すればいいではないか」 「え…」 「こどもだって考えている。でも大人はそう見ていない。だから、お前が教えてやれ」 びし、と人差し指を向けられてしまう。かすがのそんな仕種に、女の子って怖いなぁ、と頭に思い描きながら、自分もまた恋するだけの男なんだな、と考えていく。それだけで、ぶわりと顔に熱を持ちそうになるが、佐助は大きく――薄い胸に――空気を溜め込むと、給食を待つクラスメイトに向けて「昼飯だよ〜」と軽く声を掛けながら教室に入っていった。 学校が終ってから、掃除当番をさっさと済ませるとかすがと共にパン屋に駆け込んだ。目当てのパンの耳は不揃いで、かなり大きなものもある。それを両手に一杯になるくらいに抱えながら帰宅すると、佐助は台を持ってきてせっせとお八つを作り出した。 そして出来たてのお八つを大きな煮物用の器に、キッチンペーパーを敷いた上にたっぷりと乗せて、残りは両親にメモを残して、彼の家に向った。 「旦那、居るかな?」 家の真ん前でどきどきしながら手を伸ばす。チャイムに手が届くには背伸びをしなくてはならない。佐助は、すう、と深呼吸をしてから、チャイムに手を伸ばした。 ――ぴんぽーん。 軽快な音の後に、足音が中から聞えてきた。そして程なくしてドアが開けられる。 「おお、佐助か。入れ、入れ」 彼は――幸村は、眼鏡を掛けたままで、無造作に伸ばされた後ろ髪が、さらりと靡いていた。間近で見なくても、かなり整った顔つきをしているのは解る。どきん、と佐助が胸を鳴らしたのには彼は気付いていない筈だ。 佐助はあの衝撃の出会いから程なくして、こうして幸村の元に通うようになった。両手で器を抱えて中に入り込む。 「お邪魔しまーす」 「ぬ…これは、お前何か食べ物を持っているな?」 くんくん、と幸村は鼻を鳴らして見せる。手に器を抱えているのだからばれているのは当たり前だ。しかし佐助は器の表面を布巾で蓋をしていた。中に入ってから、さ、と布巾を取り除いてみせる。 「えへへ?解った?はい、差し入れ」 「おおおおお揚げパンか!」 「腹持ちいいし。あ、シナモン大丈夫?」 「大丈夫だ」 今にも涎を垂らしそうな勢いで幸村が器を見詰める。佐助はその器を幸村に渡すと、お茶挿れるね、と電気ポットに水を入れ始めた。 幸村の家は掃除はしてあるものの、四六時中色々な本や課題が散乱している。かなり優秀だと訊いたが「理系の研究室に籍を置いている二十歳の学生」というのが彼の肩書きだ。 生活能力は佐助にしてみれば、あまりあるとは言い難い。思わず世話をしたくなるというものだ。 佐助が背伸びをしながらキッチンでインスタントのコーヒーを入れていると、背後の冷蔵庫が、ばくん、と開いた。肩越しにふわりと花のような香りがしたかと思うと、背後――というよりも上から幸村が覗き込み、手元のマグカップのひとつにミルクを入れて、カフェオレにした。 そして何も言わず、砂糖だけの入ったコーヒーを手に取ると、カフェオレを残して部屋に戻る。 ――いつもミルク入れてくれるよね。 頃合を見計らって、まだ子どもの舌の佐助のは、カフェオレだ。家ではブラックでも飲める佐助だが、彼のそんな好意が大好きだ。 照れながら両手でカップを包んで、こくん、と咽喉にカフェオレを流す。 何だがこんな簡単な遣り取りなのに、嬉しくて堪らない。踊り出したい気持で佐助は幸村に続いて部屋に向った。 「そうだ、佐助。お前、春休みは暇か?」 「うん、暇〜」 佐助の作って来たのはパンの耳での揚げパンだ。幸村はひょいひょいとその口に運んでいく。その度に「うまい、うまい」と嬉しそうに言ってくれるものだから、佐助もまた嬉しくなって「えへへ」と笑いながらカフェオレを飲んでいく。 幸村はぺろりと指先を舐めてから、佐助の方へと向く。部屋の中には小さな一人暮らし用のローテーブルがあり、其処が幸村の机兼テーブルだ。なのでこうして佐助が来る時は、広げていたものを全て棚のほうへと片付けてくれる。それを取っ払ってしまうと、本当に簡素な部屋の出来上がりだった。 「佐助、あのな?」 「なに?」 「ものは相談なのだがな…ご家族に聞いてみてほしいのだ。お前には世話になっておるし…その、郷里の温泉にでも一緒に行きたいのだが」 「えッ」 顔を覗き込むようにしてくる彼に、距離が近いよ、と言いたい気持になってしまう。しかしその近しい距離がまた嬉しかったりするので、佐助はどきどきしながら同じように頭を寄せた。 「やはり同じ年頃の子と遊ぶが楽しいだろうと、言うに言えず…しかし、礼をしたいとも思ってな」 「っていうか、旦那、俺なんて誘っていいの?か、かの…彼女とか」 両手に包んだマグカップが、かたかた、と揺れる。合わせた親指同士を何度も擦り合わせて、もじもじとしながら伺ってみた。以前から訊いてみたかったことでもある。 ――だって、旦那ってカッコイイし…女の人が放って置かないと思うんだよな。 子どもだから、年下だから、たぶん踏み込めない部分は多くある。でも子どもだから無邪気に聞くことも出来る。佐助が打算を組み込みながら伺うと、幸村はマグカップを持ち、こくんと一口飲むと、くしゃ、と佐助の茜色の髪を撫でた。 「馬鹿者が。勉学に励む身として、そのような破廉恥なことは出来ぬ」 「旦那、彼女いないの?」 「何度も言わせるな」 眉根を寄せて、幸村は唇を尖らせた。こうした事に疎いことは知っている。今でさえも微妙に幸村は――平然を装いながらも、首筋をほんのりと朱に染めている。更に言えば、くしゃくしゃと余計に佐助の頭を撫で回した。 佐助は頭の上にある幸村の手首をぎゅっと握った。すると幸村の動きが止まる。 「行く」 「え…――」 がば、と顔を上げて幸村を真正面から覗き込む。幸村の黒い瞳が、きらり、と光を弾いたように見えた。多分、今幸村は手を佐助にぎゅっと包み込まれていることよりも、見上げてきた佐助の表情に気を取られている。それくらいに、じっと見つめてきていた。 「俺様の親なんて、旦那のこと頼りにしているしさ。大丈夫だよ、直ぐに了承なんて得られるよ」 「そうか…?しかし、了承は得てくれ」 「うん!勿論ッ」 こくこく、と何度も頷くと、幸村はほっとしたように瞳を細めた。薄い唇が弓形になるのを見詰めながら、佐助は其処に触ってみたいと思ってしまっていた。 「さて、佐助。今日の宿題は?」 「うん、此処でやってく!」 持って来たよ、とプリントを斜め掛けにしていた鞄から取り出す。もともと是くらいのプリントは簡単なものだが、幸村に教えてもらう、というのが捨てがたくて一緒にやるようになった。プリントを幸村が嬉々として覗き込んでくる。 「どれどれ?」 「あ…」 ――砂糖、付いてる。 間近に迫る幸村の顔に、薄い唇の端に、ほんの少しだけシナモンシュガーが付いていた。 ――そ。 気付いたら手が伸びていた。指先で幸村の唇の砂糖を取り、指の腹が彼の唇を掬うように辿る。そして指をそのまま自分の口に持って行っていた。ほんのりと口の中にシナモンシュガーの味が広がる。 「あま…――っ、あ」 「佐助…お前……」 思わず口に出してから、間近から幸村の驚いたような声が響いた。しまった、と思っても後の祭りだ。背中に嫌な汗を掻いたような気がする。さあ、と血の気が引く想いがした。 「え、と…あの、ね?」 佐助が弁解しようとしていると、はあ、と溜息をついて幸村がパンの耳の揚げパンをひとつ摘んだ。そして佐助の口元に向ける。 「お前ももっと食べたいのだろう?ほれ、一緒に食べような?」 「う、うん」 差し出された揚げパンを、ぱく、と咥えこみ、佐助は俯いた。だが幸村は構わずにぱくぱくと口に運びながら「さあ、宿題だ」と上から覗き込んで言った。 →2 110405 up 499999hit るあ様のリクエスト。現代で旦那が大好き10歳佐助と20歳くらいの旦那の話 |