春酔宴





 ――はらはら、ひらひら。

 花びら舞う季節は休んでいる暇が無いものだ。梅が咲き、香りを振り撒くと、梅見だと勤しむ。そして桜が咲くと今度は花見だと勤しむ――それは変わらないが、あの日々から数年が経った。
 幸村の胸元までしか背の無く、声もまだ少年の色を残していた佐助は、今は青年へと姿を変えている。
 きりりと引き締まった顔は鋭ささえもあるのに、時に崩れる瞬間には、どこまで甘くなるのかと思ってしまうほど、色気のある青年だ。仕種や、声、容姿、それだけでも人目をひくというのに、彼は忍隊の長と云う立場に収まるほどに実力をも兼ね備えている。

 ――成長したものだ。

 自他共に認める存在と変貌した彼に、つい数年前には幸村に尻を叩かれていた少年の面影は無い。
 幸村はのんびりと酒宴の済んだ部屋で、宵闇に浮かぶ白い花弁を見上げながら、手元にあった盃を咽喉に流し込んだ。
 昔から、どれだけ呑んでも酔いに溺れることのない身体をしている幸村には、酒もまた水と変わりない。いわゆるザルだ。のんびりと幸村は、少年の頃に酒を呑みたがって尻を叩かれた佐助を思い出して、ふふふ、と口の中で笑った。

「…などと云うこともあったのう…」
「――――っううう」
「あの時はしきりに呑みたがったが…」
「――げほげほげほ」

 横では砂を敷き詰めた盥を抱えて嘔吐する、青白い顔の佐助が転がる。背中を擦りながらも苦笑するしかない。
 嘔吐しているとは言え、出て来るのは水分だけだ――酒しか呑んでいないことが、吐寫物からも伺えて、やれやれ、と苦笑するしかない。

 ――食べてから呑めと言ったのになぁ。

 呑み方を知らない佐助は酒だけを薦められるままに呑んでしまったようだ。転がる佐助の背中を片手で擦りながら、幸村は広くなった背中を見つめた。
 骨もしっかりしており、肩に抱えていた時が懐かしい程だ。それを見つめながら、佐助に柔らかく、諭すように語り掛ける。

「まさか、下戸だとはな。呑めないのに無理をするからそうなるんだぞ?」
「ううう…だって…」
「だってもクソもあるか」
「だって!旦那に近づきたかったんだから、仕方ないじゃないよ」
「――――っ」

 幸村の隣に転がる佐助が、ムキになって応える。だが言われた内容に幸村は仄かに瞳を見開いた。すると彼は畳みの上に横になりながら、ずるずると這って来て幸村の膝の上に上半身だけ乗り上げて、はあ、と溜息をついた。

「旦那が美味しそうに飲んでいるからさ…どんなのかな〜って」
「佐助…――嬉しいが、俺に注いでくれるだけでいいからな。な?」
「うん…そうするわ。だんなァ…手、気持ちいい。もっと撫でて」

 膝に頭を乗せる佐助に、どきどき、と胸が鳴ってしまう。こんな風に甘えられるとどうしたら良いのか判らない。
 数年の片思いの末、ようやく想い人の位置に来ることが出来、さらには身体の関係さえも持っているというのに、こうして距離が縮まると余計にときめいてしまう。

 ――こんな風に甘く触れる仲に、ずっとなりたかった。

 嬉しくて、愛しくて、幸村は少しだけ上体を折り曲げて、柔らかく佐助の頭を撫でた。少し身体を起こす彼に、水を薦めると素直に飲み込む。そして胃に水が入ると再び盥に向う。酒を少しでも抜ければいいと、幸村はじっと佐助に付き合っていた。

「…っえ、げっほ」
「――なぁ、佐助」
「なに〜?」

 ぐい、と口元を拭ってから佐助が振り返る。幸村は佐助の背に手を当てて擦りながら、視線を横に反らす。どきどきと胸が高鳴るままに、口元に拳を宛がって伺いを立ててみた。

「吐き気が落ち着いたら、一汗かかぬか?」
「此れから鍛錬?勘弁して…」

 のそのそ、と佐助は再び幸村の膝に向う。そして、はふ、と息を吐きながら仰向けに倒れこんだ。勿論膝枕になっているのだが――平常の彼ならば、そんな事をしたら飛び跳ねていく処だが、今は素直に甘えてきていた。
 幸村は膝に乗った佐助の額を、さら、と掻あげながら――ほんのりと眦に朱を刷く。

「そうじゃなくて……」
「うん?」
「その…――な?どうかと…想って」
「あ……――ぅ、うん」

 ハッと気付いたように佐助が瞳を見開く。まごまごと口篭る幸村に、その意図を察して佐助が、かあ、と同じように頬を朱に染めた。だが佐助の承諾を得ると、幸村はすっくと立ち上がった。

「宜しい」

 ――ひょい。

 その際に膝枕から畳に落ちることを覚悟した佐助だったが、くるん、と身体が浮き上がった気がした。何が起こったのかと瞳をぱちくりとさせていると、ぱしん、と障子が開く。そして、ずんずん、と幸村が動くに合わせて揺れていく。

「え…何これ?旦那?」
「そうと決まれば、閨に行くぞ」

 よくよく見てみれば、佐助は幸村に抱えられていた。それも米俵を担ぐかのように、肩に抱え上げられている。下に向けられる頭――視界の先には、幸村の長い髪の尻尾と、彼の踵がひらひらと袴から覗いて見える。

「だぁらっ!何で旦那が俺を抱えるわけ―?」
「いけないか?」

 ぴた、と幸村が止まって振り返った。不思議そうに告げてくる幸村に、はあ、と佐助は溜息をついてしまう。そして、ぐん、と身体に力を入れて、くるん、と器用に動く。

「どうせなら…」
「む?」

 ――ひょい。

 足元が床につくと同時に、あっという間に幸村を横抱きに抱え上げた。急に廻った視界に、幸村がきょとんと瞳を見開く。間近で、こつん、と額を押し付けると佐助は彼に囁いた。

「俺様に旦那を抱かせてよ」
「――――…ッ」

 かああ、と幸村の頬が染まっていく。幸村の何処に琴線があるのか判らないが、佐助の言葉で彼はよく赤面してしまう。ツボを付かれてしまうのだろう。
 くるん、と佐助の首に両腕を回して、身体を引き寄せると、佐助の耳元に毒づいた。

「――恥ずかしい奴」
「どっちが」

 ふふふ、と笑いこむと、歩きながら幸村の耳朶や、頬に口付けていく。その度に僅かに身体を震わせながら、幸村がしがみ付いていく。
 はらはら、ひらひら、白い花弁が宵闇に浮き上がるかのように舞っている。その中を甘く過ごす為に歩いていった。






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