春酔宴



 ――はらはら、ひらひら。

 花びら舞う季節は絶え間ない。梅が咲き、香りを振り撒くと、梅見だと勤しむ。そして桜が咲くと今度は花見だと勤しむ。
 花の季節には人は浮かれ、宵闇に紛れながら、花を愛でて酒肴に舌鼓を打っていた。
 真田の邸でもそれは変わらず、客をもてなしながらも、皆花を愛でていた。ばたばたと回廊を歩き回る家人たちに混じって、佐助もまた酒宴の手伝いに走りまわる。

 ――宴も今日までだしね。

 夜宴は今日で最後――佐助は膳を下げたり、盆を運んだり、小さな身体でちょこまか、ちょこまか、と動き回っていた。

「佐助、これも持っていっておくれ」
「はいよ〜」

 軽く応えながら、酒の並々と注がれた徳利の置かれている盆を手にする。ひょいひょいと走りまわりながら、ついでに帰りには盆を下げてくる。

 ――ちょいと、すみませんよ。

 ばたばたと動き回る家人の合間を縫って、佐助はひょいと廊下から横に逸れ、使っていない回廊の一角で、下げてきた酒の徳利を手に取った。

 ――とぷん。

 左右に揺らしてみると、まだ半分くらい酒が入っている。しめたもんだとばかりに、佐助は口元に舌先をぺろりと出して、周りをきょろきょろと見回した。
 そして誰も居ないことを確認すると、懐から小さな瓢箪を取り出して、中に酒を注いでいく。

 ――どんな味なんだろう?

 まだ佐助は齢十四程になったばかり――まだ手足は細く、だが伸び伸びとしてきている頃合だった。だがまだまだ幼さは十分にその面にあるもので、酒を薦められることはなかった。むしろ主である幸村が、良しとしてくれない。

 ――でも、大人って旨そうに呑むんだよね。

 酒を咽喉に流して、この世のものとは思えぬほど、美味しそうな顔をする。時には陽気になったり、時には静かになったり、酒の威力と云うものは中々のものだ。
 それを目にしている分には、興味が湧いても仕方ない。

 ――とぷぷぷ。

 盆の中身を全て入れきると、佐助は瓢箪の重さににやりとした。我ながらよく考えたものだと思ってしまう。大々的に呑むのが赦されなくても、こうして少しばかり拝借して、こっそりと味わってみればいいのだ。

 ――俺様、頭良い〜。

 上機嫌になりつつ、佐助は胸内で自画自賛する。そして再びきょろきょろと辺りを見回してから、瓢箪を少しだけ口元に近づけて、ぺろ、と舐めてみた。

「佐助…ッ!こらッ」
「――ッ!」

 ――やっべぇ。

 不意に対角に位置する廊下の先から声を掛けられる。びっくん、と大きく背中をびくつかせると、そろりと振り返った。すると声の主は、ずかずかと歩いてきて、座り込んだ佐助を遥かに上の位置から見下ろしている。
 しかもその表情は怪訝なもので、口元はへの字に曲がっており、眉間には皺を寄せていた。佐助は冷や汗を掻く気分で、そろ〜り、と振り仰いだ。

「ちょっと、旦那、何おっかない顔してんの?」
「お前、まだ年端も行かぬというのに、酒など呑もうとしおって」

 首根っこを掴まれて立ち上がらせられる。後ろ手に持った瓢箪を、さささ、と短い裾から帯に挟み込む。
 引き上げられても、佐助は幸村の胸元くらいしか背が無い。まだ成長期の身体は、未だに主である幸村の体つきには届いていなかった。

「え?何のこと?」
「隠すでない。酒を呑んで居っただろうが」

 じろりと睨みつけながら幸村が叱って来る。佐助は白をきろうと視線を背けたが、くい、と幸村の手によって顎先をつかまれ上に向かせられてしまう。

「呑んでおったではないか」
「呑んでないよ!」
「呑んでおった」
「呑んでない、舐めてただけ!」
「同じであろうがッ!」

 ――ごんっ

「いってぇ…!」

 ムキになって思わず事実を述べてしまう。すると空かさず彼の拳骨が脳天に降って来た。佐助は頭を押さえながら、その場にしゃがみ込んだ。
 じわ、と涙が出てくるほどに彼の拳骨は痛いものだ――いつも武田の大将と殴り合いをしているだけあって、その威力は相当のもの、しかし本気でないのがせめてもの救いだろう。
 涙目になりながら佐助が見上げると、幸村は鼻息も荒く、ふん、と踏ん反り返っている。

 ――くっそぅ、旦那の馬鹿力ッ!

 口にはしなかったが、胸の内で毒づく。のろのろと立ち上がると幸村は腰に手を当てて胸を反らす。そして訥々と諭していく。

「しかも下げた酒を集めて飲もうとするとは…なんてみっともない」
「だって俺が頼んだって飲ませてくれないじゃないッ!旦那のお客さんになら、高い酒出すだろー?」

 ばれてしまったのなら仕方ない。佐助はまだ頭を撫でながら、唇を不満に尖らせる。すると幸村は、深い溜息を付きながら額を押さえた。

「お前にはまだ早いッ」
「そういう事じゃなくてさッ」

 拳をぎゅっと握って、背伸びをして、幸村を見上げながら向きになる。膨らませた頬に、幸村が片方の眉だけを上に上げて、ふ、と苦笑した。だがそれも直ぐに消え、幸村は眉間の皺を深くした。

「ああもういい…ッ!来いッ」
「え…って、うわーッ」

 くるん、と視界が廻る。何が起こったのかと思えば、あっという間に幸村に抱え上げられていた。
 だが抱き上げるというよりも、荷物か何か、いや米俵を抱えるように肩に抱えられる。

「来い、説教だっ!」
「ちょっとやめてよ!下ろしてよっ」

 肩に腰を乗せて、気付くと幸村の背中が目に迫っている。佐助の頬に、かあ、と朱が上った。将に荷物のように抱え上げられてしまうのが――自分が幼く、軽いものだと、突きつけられたかのようで、悔しいやら恥ずかしいやらだ。

「下ろしてよ、旦那っ。自分で歩けるって!」
「五月蝿いぞ」

 じたばたと手足を動かす。幸村の背を、ぺちぺち、と手で叩いて、足をバタつかせるが、幸村は構わずにずんずんと歩いていく。

「やだやだやだッ!おーろーせーッ」

 ――ガツッ

 不意に踵が何かにぶつかった。佐助は動きを止めて、上半身を持ち上げると、恐る恐る――幸村の肩の上で振り返った。

「あ……」
「いい度胸ではないか。主の顔を足蹴にしてくれるとは」

 ぴた、と足元を止めた幸村が、頬を少しだけ赤くしてしっとりと視線を投げてくる。さあ、と佐助の背が冷えていった。ぶつかったのは幸村の頬だったのだ。

「あう…旦那、だいじょう…ぶっ!」

 ――ばし

 不意に臀部に軽い痛みが走る。ふぎゃ、と伝わる振動に身体を――毛のある動物なら、総毛立つ処だろう――びくつかせた。

「そういう悪い子にはこれだ」
「あ…?え、ええええええっ」

 ――ぱんぱんっ

 立て続けに臀部に衝撃が振ってくる。いたって真面目に幸村は佐助の尻を叩いていた。叩かれるたびに、ふぎゃ、と声を上げたくなる。生まれてこの方、こんな風に尻を叩かれた事があっただろうか。佐助は瞳を白黒させて、幸村の背に手をついた。

「だっ!ちょ…旦那っ!――…だっ!」
「問答無用」

 ――ばし、ばし

 もくもくと幸村は佐助の小さな、薄い臀部を片手で叩いている。佐助は徐々に恥ずかしさが相まってきて、真っ赤になりながら抗議した。

「や、やや子じゃないんだから…ケツ叩くのやめて――ッ」
「――大体な…――うん?」

 ぺし、とおまけとばかりに軽く叩いてから、幸村が口を開く。だがその先に繋がることなく、幸村は佐助の臀部に掌を当てたままで止まっていた。
 流石に怪訝に感じて佐助も振り返る。

「どうしたの?――わっ」

 ――ぺん。

 もう一度、幸村が軽く佐助の臀部を叩く。強さはなく、彼の手が叩いたと同時に、ぽよん、と少し跳ね返ったのが解った。

 ――むに。

「ふぎゃっ!」

 そして今度は、むにり、と鷲掴みにするように幸村が佐助の臀部を掴みこんできた。薄い少年の臀部だが、流石に若さも相まって張りはある。
 もにもに、と幸村は掌を動かしてから、ふむふむ、と驚いたかのように呟いた。

「ほほう…やわっこいの」
「え…?」

 佐助の臀部の感触が気に入ったのか、幸村はにやりと口元を吊り上げて、手を動かした。その手の動きを見て、佐助が鳥肌を立たせる。

「ぎゃーッ!旦那、変な気起さないでぇぇぇぇ!!」
「どれ、もう一度…」
「いや――――ッ!」

 ぶんぶんと首を振る佐助を他所に、幸村は単純に手触りが気に入ったのか、廊下を歩きながら――しかも楽しそうに笑いながら――佐助の臀部を叩いていった。
 はらはら、ひらひら、と桜が舞う中、二人の間には喧騒さえも寄せ付けない。家人達は、佐助を米俵のように抱える幸村を見て、和やかに――微笑ましく、見守るだけだった。




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100321 酔いどれ〜。