5.



 幸村の回復力は衰える事無く、ものの数日で動き回るまでになっていた。

 ――あれってやっぱり…旦那の唇、だったよね。

 縁側に座って庭を眺める。眺める先には鍛錬に勤しむ幸村がいる。まるで舞うかのように、くるりと体勢を入れ替えて振り下ろされる槍が、ぶん、と空を切る。
 それと同時に、ぱらぱら、と彼の顎先から汗が飛び散って行った。

 ――柔らかかった。

 佐助は幸村をじっと見つめながら頬杖をつく。頬杖をついたままで、つ、と自分の唇に指を這わせてみた。
 数日前、風呂場で触れたのは確かに幸村の唇だった。間近に吸い込まれそうな瞳が迫って、あっという間に頭が真っ白になった。
 触れてきた肌の感触も、指に纏わりつく濡れた髪の感触も、絡まった舌の熱さも、まだ覚えている――いや、直ぐにでも再現してしまいたくなるくらいに、覚えている。

 ――って、待てよ…旦那から、してきたって事だよね?何で?

 はた、と思い出して佐助は眉根を寄せた。状況的に色々考えられてしまうから、その真意はわからない。
 何を考えているのか解らない――主の気紛れかもしれない。
 だがあの状況を思い出しても、どうかしていたとしか思えない。瞬時に何か術でもかけられたかのように、当たり前のように受け入れていた。

 ――形のいい唇…

 ぶん、と振り下ろされる戟に、きゅ、と引き結ばれた薄めの唇。それを視界に収めて、ほう、と溜息を零した。

「はッ!」

 ――ぶんッ。

 気合と共に目の前で剣戟が繰り広げられる。それと同時に彼の足元の砂が、ざざ、と音を立てていく。彼が常と変わらないほどに体力が戻っていれば、すぐさま手合わせをと呼ばれるに違いないが、今はそうでもない。
 自身でどれくらい回復しているかを確認しているようだった。ぎゅうと握りこむ手からそれが窺える。ひゅん、と空を割いて、くるり、と柄が弧を描いた。

 ――がちんっ。

 珍しく柄がぶつかって音を立てた。すると僅かに幸村の唇が動いて、薄く開かれる。渇いた唇を湿らせるように、ちら、と覗いた舌先が目に焼きついた。

 ――もう一回、触れたいなぁ。

 すり、と佐助は自分の唇を再び撫でた。指先で追うには感触が違いすぎる。

 ――がらんっ

「旦那…ッ?」

 幸村に見惚れていると途端に右腕を押さえて幸村が槍を落とした。取り落とした槍をそのままで、腕を押さえて眉根を寄せる姿に腰を浮かせる。
 だが幸村は直ぐに顔を起して、立ち上がった佐助を制した。

「あ、いい、いい。大事無い。座ってて良いぞ」
「そ…そう?」

 ひょい、と足で二槍を器用に掬い上げると、左手で受け止める。ぱらぱら、と汗を地面に落としながら幸村は近づいてきた。
 間近に来ると彼の肩が微かに上下に揺れ、息が切れているのが解る。

 ――やべぇ、ぼさっとしすぎてた。

 見惚れるあまりに制止のタイミングを逸してしまっていた。佐助が近づいてきた幸村にあわせて、再び腰を浮かせる――すると調度よく彼が正面に立った。

 ――あ、何か色っぽい。

 上気する肌に、滴る汗。それだけでなく、渇いた唇を舐める舌、痛みに歪む眉根、乱れた髪――それが一気に視界を覆う。そしてそれが幸村だと気付くと、どきん、と胸が高鳴った。

 ――え、ちょっと待て!

 いきなり高鳴った鼓動に戸惑っていると、不思議そうに幸村が小首を傾げてくる。傾げた瞬間に、首に筋が浮いて――それさえも佐助の視界を刺激してくるのに、目を背けることが出来ない。

「佐助?」
「あ…――、だ、旦那…ちょっとお茶、淹れてくる…」
「何を言うか。其処に用意しておるではないか」
「え、あ、そ…そうね。うん…」

 しどろもどろになりながら、この場から立ち去る口実を作ろうとしたのに、それを一蹴されてしまう。幸村は「おかしな佐助だな」とくつくつと咽喉を震わせながら、盆の横においてあった手ぬぐいで顔を拭き始めた。その仕種を見ながら、佐助は何とか縁側に腰を再び落ち着け、幸村から視線を背けた。

「しかしあれだな…やはり鈍っておった。どうにも動きが悪くてならん」
「だって寝込んでたんだもの、当たり前でしょうが」

 特に声が上ずったりもせずに、平静を装いながら話をする。少しだけ低く掠れた声が、疲労を物語っているが、幸村の声が心地よいように思えて、佐助もほっと胸を撫で下ろした。そして自分の呼吸を気付かれないように落ち着けていく。その合間にも幸村は顔を拭いたり、髪を払ったりと、立ったままで行っていた。

「これしき動いただけで、こうも汗が吹き出るとはの」
「気候のせいもあると思うけ…って!」

 ――ばさっ。

 もう大丈夫だと顔を上げかけた瞬間、勢い良く幸村が袖を払って肌をむき出しにした。

「わああああ、旦那ッ!」
「何をうろたえておるのだ?」
「だだだだって…いいから、隠してッ!」

 目を両手で隠しつつ――だが指の合間から見つつ――片手をぶんぶんと振り回すと、幸村は更に訝しんで瞳を眇めた。そして自分で首筋から胸元まで拭いていく。

「――このままでは気持ち悪い。拭いて悪いことは無かろうが」
「そりゃそうだけど…目の毒っていうか…」

 ごにょごにょと言葉を濁していると、にやりと口元を吊り上げながら、幸村が身を屈めて覗き込んできた。

「うん?なんと言った?」

 楽しそうに、少年のように瞳を輝かせながら覗き込んでくるのは、性質が悪い。さらに上気した肌に、微かに幸村の匂いが混じっている気がして、佐助の心臓が一気に駆け出した。

 ――わあああああ、もう何この色気――ッ!

 何で急にこんなに自分を刺激してくるのか解らないが、幸村を見ていたいと思う反面、近くに来られると鼓動の音が聞こえるくらいに早鐘を打ち始める。それに挙動不審になってきてどうしようもない。照れ隠しに佐助は声を張り上げながら、毒づいてしまった。

「中年の肌見ても嬉しくねぇって…ッ!」

 くるん、と幸村の瞳が少し見開かれた。そしてそれが、すう、と眇められる。そして彼は折りたたんでいた身体を、す、と戻した。

 ――あ、やば…っ。

 見上げた先の幸村は、にや、と厭な笑みを口元に刻み始めていた。まるでそれは虐めっ子のような表情だった。

「ほほう…斯様な口を利くか。よし、背を拭け、佐助」
「ぎゃあああああ、やめてよッ!俺様にさせないで」

 ずい、と手拭いを差し出される。ぶんぶんと佐助が手を振り払って拒否をすると、ぐっと手首を掴まれて手拭いを握りこまされた。

「いいや、そんな事を言った罰だッ」
「いやもう、何このおっさんッ!」

 手拭いを握りこまされて首を振っていると、バランスを崩して、どたん、と縁側に背後に倒れこんだ。だが幸村は片膝を縁側についただけの格好で、楽しそうに佐助を見下ろしている。

「俺はまだまだ枯れておらんぞ?」
「いやぁぁぁ、旦那からそんな言葉聞きたくねーッ!」

 ぶんぶん、と首を振っていると、あははは、と楽しそうな幸村の笑い声が響き出す。先程までの色を含んだような気配もなく、どたんばたん、と縁側でじゃれていった。










 気付けば、ちらちら、と幸村の口元に目が向かって行ってしまう。幸い、本人にはそれを気付かれていないようなので、佐助は毎回ホッと胸を撫で下ろしていた。

 ――俺様、これでも多感なお年頃だから。

 自分で自分をそう評価する。だが少しでも気を抜くと、あの時の事を思い出してしまう。そしてそれと共に胸が高鳴って仕方ない。

 ――これってさ、どう考えても…旦那を意識しているって事だよね。

 佐助は自分の胸の内で考えながら、ぺしぺし、と椀に飯をよそっていく。椀からはみ出すくらいに――こんもりと山を作ったそれを、さっと差し出すと幸村が受け取っていく。
 室内には幸村と佐助しか居ない。食事時は大抵二人きりになるのが当たり前になっていた。佐助が此処に来た時は幸村がひとりで食べていた。

 ――誰かが居てくれて、食事をするというのは、なんとも楽しいものだな。

 幼ない頃に大きなお櫃を抱えながら、幸村の側で控えていると、彼は嬉しそうにそう言った。その時に大きな手に撫でられたのが、つい最近のことのように思える。

 ――でも今は俺とそんなに変わらない大きさの手。

 器用に箸を動かす手を見つめる。節張っていて、触れると硬い手だ。それが箸を手繰り、ひょい、と口元に食事を運んでいく。

 ――やべ…。

 とく、と胸が鳴り出してしまう。口が開いて、食べ物が中に入り込む。食べ方の綺麗なところは流石に武家の人間だと関心してしまうが、一連の動作から視線をそらせなくなっていく。佐助は自分を抑えるように、拳を腿の上で握りこむと、ぎゅう、と力を込めていった。

「馳走になった」
「はい、お粗末様〜」

 両手を合わせて幸村が軽く頭を下げる。佐助は膝を寄せて幸村の前の膳を片付けるべく、近づいていった。

「完食だね、旦那。良い喰いっぷり」
「うむ。やはり人間、食べられなくなったら終いだな」
「あんたはむしろ食べすぎだよ」

 ――その内、太るんじゃない?

 くすくすと辛口を聞いていると、幸村が自分の腹をなでて眉を寄せた。ぷ、と膨れかけた口元にふと気付く。

「あ、旦那…」
「うん?」

 そろ、と手を伸ばすと口元に着いていた飯粒を取る。佐助は指でそれを取ると、ふにゃと眉を下げてみせた。

「あんた子どもみたいな時あるんだから。まだこんなとこ着けて…」
「――…」

 はは、と笑いかけながら告げようとすると、手首を掴まれた。幸村の手がそのまま、飯粒をつけた佐助の手を引き寄せる。

 ――ぱく。

「――――っ!」

 幸村の口が、佐助の指先の飯粒を拾い上げる。第一関節まで、ぱくりと口に含まれて、軽く吸うようにして引抜かれる。
 びく、と背に、引き連れるような衝撃を受けたが、それは幸村には伝わっていまい。一連の動作に瞬きも忘れて見入っていると、ちゅ、と音を立てて幸村の唇が離れた。

「最後の一粒まで、確かに馳走になった」
「あ…――」

 ぺろ、と下唇を舐めてから、幸村が見上げてくる。僅かに上目遣いになり――なんの邪気もない、無防備な笑顔を向けられる。
 佐助はその場に、へなへなへな、と腰を下ろしていってしまった。

「佐助?」
「勘弁してよ、もう…」
「どうしたのだ、佐助」

 くしゃ、と前髪を掻きあげながら俯く。すると不思議そうに幸村が肩に手を置いて覗きこんできた。

 ――本当に勘弁して。これじゃ身が持たない。

 どきどきと激しく鼓動が打ち始め、顔に全ての血が集まったかのように熱くなっていく。たぶん突然に赤面してしまった事に、幸村は驚くだろう。

 ――忍なのに、隠せない俺って。

 少々の自信喪失を感じながら、両手で頬を覆う。自覚してしまえば簡単なものだが、今度は意識しすぎてどうしようもない。

「佐助…――どこぞ、具合でも…」

 ゆさ、と幸村が肩を揺する。ずっと俯いたままでは居られないのは解っている。佐助が覚悟を決めて顔を上げると、それとは逆に幸村の視線が下に向った。

「旦那…?あの、ね…――って!」
「おお…――」

 感嘆の声を上げる幸村にならって、彼の視線を辿る。するとそれは自分の股間に向っていた。そして、ぐわあ、と余計に血が上ってくる。

 ――ちょ、マジですか――ッ?

 悲鳴を上げたい気分になった。既に其処はこんもりと山を作り始めていた。こんな事ぐらいで反応するなんて、と余計に落ち込んでしまうが、それ所ではない。
 佐助は瞬時に、ずさささ、と背後に身を退けていく。背を向けて、じたばたと障子の方へと向っていくと、襟首をむんずと掴まれた。

「何故逃げる、佐助」
「ぎゃあああ、ちょっとこっち来ないでッ」
「元気なのは良いことだ、うん。佐助もおのこよの」

 ふふふ、と楽しそうに――からかう要素を得たとばかりに笑い出す。その場に蹲る勢いで佐助が顔を抑えて丸くなると、隣に幸村は腰を下ろして覗き込んできた。
 恥ずかしくてどうしようもない。

「ううぅ、もうホントに勘弁して」
「若いなぁ、お前は」

 とんとん、と幸村が明るい声で背を叩いてくる。涙目になりながら――真っ赤になりながら、ぎろ、と幸村を睨み付けた。

「すみませんね、多感な年頃なんですッ」
「――――」

 丸くなりながら訴えると、幸村はふと拳を自分の口元に宛がった。きゅ、と引き結ばれた薄い唇が目に入り、余計に佐助を刺激してくる。

 ――もう駄目。さっさと何とかしなきゃ。

 恥ずかしいのは覚悟の上だ。佐助は障子に手を伸ばして、前屈みのままで出て行こうとした。

「ちょっと席外しますッ」
「何故だ?」
「だって…このままじゃ」
「仕方ないな」

 障子に手を突いていて、膝立ちになりながら出て行こうとすると、はあ、と幸村が溜息をついた。そして座ったままで手を伸ばしてくる。
 その手が佐助の腰に絡まり、背後から抱き締められるようにもとれる体勢になる。後ろから廻ってきた腕が屈んだ佐助の前を、包み込むように――布の上から触れてくる。

「って、あんた何しようとしてんのさ――ッ」
「何って…手伝ってやろうと」

 何の不思議もないかのように幸村が見上げてくる。掌で、ぐ、ぐ、と押さえるように刺激してくる手首を掴み取って、佐助は身体の向きを変えた。

「そんなことしないでいいのッ!旦那はそんな事しないでッ」
「俺とて男だ、男の生理現象くらい心得ておるわ」

 ――出せばおさまる。

 いけしゃあしゃあと幸村は告げて見せる。今でさえ恥ずかしくて、頓死してしまいそうな位なのに、これ以上何かしたらどうなるか解らない。それなのに幸村は当たり前のように小首を傾げて見せるだけだ。
 正面から幸村の手首を掴んで、どうしようかと逡巡してしまう。

「だからって…」
「そもそも、それは俺のせいだろう?」
「う…ッ」

 ちら、と幸村の瞳が下に向う。お願い見ないでよ、と小声で毒づいても彼には何の効力もない。それどころか、再び視線を上げた幸村は、にや、と厭な笑みを口元に刻んでいた。

「ならば責任を取らなくては。なぁ?」
「って、うわ…っ、ちょっと!」

 言うや否や、くる、と背後に幸村が倒れこむ。腕を掴んだままだったので、そのまま引っ張られた佐助は幸村の上に覆いかぶさるように動いた。勢いに任せて幸村の胸元に飛び込むと、直ぐに上体を起し――そして息を飲んだ。

「佐助…」

 気付けば幸村を組み敷いている。手首を掴んで拡げさせ、彼の上に乗り上げている。見下ろす先には、広がって波紋を描く髪、そして真っ直ぐな双眸が、熱を含んだように濡れている。

 ――ごく。

 咽喉が上下に動いた。背中にぞわりと戦慄が走った――それを感じた直後、幸村が静かに瞼を落としていく。

「――――…」

 ――あれ?

 間近に見える幸村の瞼に、熱く触れる吐息――その事に、自分から幸村に口付けたのだと気付いた。

「ん…――」
「だん、な…?」

 掠れた吐息が耳朶を擽り出す。そして次の瞬間には佐助は強く掻き抱くように幸村の頬に手を添えて、顔の角度を変えて何度も口付けていった。










 ――甘い。

 貪るようにして何度も角度を変えながら幸村の唇を奪う。重ね合わせた唇の合間から、ぬる、と舌先を差し込んでみれば小さな吐息が頬に触れてきた。絡まる舌先が、くちゅくちゅと音を立て始めて、もっと、と強く吸い上げる。

 ――熱いし、甘い。

 掌に触れるのは幸村の肌の感触だ。頬に手を添えて、肘を彼の顔の横について乗り上げていく。何の抵抗もなく幸村は佐助のしたいようにさせていた。

「旦那…――」

 口付けの合間に呼びかけてみると、うっすらと瞳が開かれた。少しだけ涙が滲んで、それが光を――仄かにゆらめく蝋燭の光を弾いていく。
 ちゅ、ちゅ、と頬に吸い付きながら鼻先を寄せて、確かめるようにして額を寄せる。

 ――肌、熱い。

「だん…な、もう少し…」
「ん…」

 鼻先を重ねると幸村が応じるように再び瞼を閉じる。

 ――すり。

 表面を重ねるように唇を重ね合わせながら、上唇に吸い付く。舌先をその間から中に差し込んで、上顎を擽っていった。
 触れる場所が甘く、熱く、どうしようもない。
 なんでこんな衝動に駆られているのか、自分でも理解しきれないが、頭で考える余裕はなくなっていく。

 ――もっと触りたい。

 じゅ、と強く舌先を吸い上げながら、片腕を動かして幸村の袂に差し込んだ。そのまま襟を割るように強く押し拡げる。

 ――ぐい。

「――ッ、佐助…」

 不意に肌に触れた冷気に、びく、と幸村の身体が震えた。だがそれに構っている暇はなかった。腕を動かして幸村の胸元を肌蹴させながら、掌を這わせていく。
 しっとりとした肌の感触が――それでいて筋肉のある、弾力のある肌が掌に伝わってくる。何度も触れたこともあるのに、今触れるのが始めてのように感じられる。

 ――やばい、本当に興奮する。

 胸元に手を添えながら、足で彼の足の間に身体を滑り込ませる。ごそ、と衣擦れの音がしているが、構わずに腰を擦り付けていく。

「――っふ、ん…」

 足を絡ませながら軽く腰を擦り付けると、背を僅かに撓らせて幸村が甘えたな吐息を吐き出した。それを耳朶に直に聞きながら、掌――指の合間に、胸の飾りのような突起を挟みこむ。
 小さく、形も誇示していないそれを、指で挟みこむと、上に引っ張りあげるように動かした。ぎゅ、ぎゅ、と強弱を付けていくと、じわじわと幸村の眦に涙が滲んでいく。

「可愛い…旦那。なんか、すっごく、可愛い…」
「あ…――ぅ、っ」

 咽喉を反らしながら与えられる刺激に耐える姿が、佐助を煽る。見ているだけでぞくぞくと背に戦慄が走っていく。それと同時に、かあ、と身体全体が熱くなっていく。

 ――べろ。

「っ、ふ…――っ」

 刺激に反応する幸村を見上げながら、唇を胸元に近づけて、胸の突起に舌先をゆっくりと這わせた。すると硬直するように身体を震わせる――その反応に、彼もまた感じていると気付いて嬉しくなった。

 ――旦那って、こんなに可愛かったかな。

 いつもはもっと精悍な印象を受ける。なのに、今はそうではなく、愛しくてならない。
 ふと佐助は彼の腕に視線を動かした。すると畳みの上に放り投げて、ぎゅう、と拳をつくっている。手首に筋が浮いているのに、力が篭っているときづいた。

「旦那…旦那、緊張しないで」
「あ…――」

 手を伸ばして彼の腕を取ると、握られた拳に唇を寄せた。手の甲に、指に、唇を触れさせていくと、幸村は佐助を見上げながら、咽喉をこくりと動かした。

「俺の…俺様の肩とか、背に回していいから」
「う…うむ。佐助…その…――」
「何?どうしたの」

 ふ、ふ、と小さく呼吸を繰り返しながら、言い難そうに幸村が口篭る。急に殊勝になった幸村に、どきどきと鼓動が止まらなくなっていく。

「その…な、…」
「うん、なあに?」

 業とゆっくりと応じると、幸村はかあと首筋から赤くなった。言い澱み、肌を染める姿に、いつもとの差を感じる。初めて見る幸村のそんな姿に、驚きと感動、更に言えば自分だけが宝物を見つけたかのような、そんな嬉しさを感じてしまう。
 こく、と再び組み敷いた幸村が咽喉を揺らす。
 肌を顕にしながら、佐助に組み敷かれる姿は扇情的としか言いようもない。佐助はただ視界に彼を収めているだけで、興奮してくる自身に気付きながら、ゆるゆると彼の肌をなでていた。

「失礼します、長、幸村様」
「――――ッ」

 不意に障子の外から声を掛けられた。その声に思わず、びくん、と背を揺らして、佐助は身体を起こした。声からして忍隊の者のようだ。気配で中の様子を感じ取られないように、瞬時に警戒する。

「長…いらっしゃるのでしょう?何事も御座いませんでしょうか」
「何もないよ」

 ふ、と感付かれないように、平静の声を出す。上体だけを起していると、畳に仰向けに倒れこんでいた幸村から手を離す。そして背後の障子に向って意識を集中させた。

「そうですか…一向に膳が下げられませんでしたので、何ぞありましたかと」
「直ぐに下げるから、下がってて」
「はっ」

 中々に時間をとってしまっていたようだ。消えていく気配にほっと胸を撫で下ろしながら、佐助はくしゃりと前髪を掻き上げた。そしてハッと気付いて背後から視線を前に向ける。
 すると目の前で上体を起して、もくもくと衣服を直している幸村がいた。

「えっと…旦那?」
「――…」

 視線も絡まることもなく、きゅ、と幸村は下唇を噛み締めながら襟を正す。どこか不穏な空気が満ちているようで、腕を伸ばすことは躊躇われた。
 先程までの甘ったるい空気が嘘のように掻き消え、幸村は少しだけ俯き加減になっている。

 ――うわぁ…俺、やっちまった?

 よくよく考えてみれば不敬この上ない。主を組み敷くなんてとんでもない事態ではないか。佐助は幸村の肩に手を伸ばしかけて、ぎゅ、と其れを握りこんで下ろした。そして立ち上がると、空になった膳を手にして慌ただしく障子に手をかけた。

「佐助…――」

 背後から声を掛けられる。感情を読み取るのは怖くて、振り向けなかった。掠れた、それでいてはっきりした声で呼ばれた。だが佐助は振り返らなかった。

「佐助…」
「ごめん…ッ」

 ただそれだけ言うと、勢い良く障子を開けて外に出た。

 ――たん。

 後ろ手になりながら障子を閉める。そして佐助は気配を押し殺すと、自分の目元に掌を当てて仰のいた。

 ――どうしよう…本当に、どうしよう。思わず逃げちまった。

 ぎり、と歯噛みしたくなる。あの甘い空気が嘘のように感じられるが、あれは本当のことだ。手にまだ幸村の感触が残っている。それを思い出すだけで、とっとっと、と胸が成りそうになる。

 ――ふう。

 中から幸村の溜息の音が聞こえてきた。
 軽快な音を立てる障子の袷を見つめて、幸村が深々と溜息を漏らしているのを、気配で感じながらも、佐助は自分の失態に「どうしよう」と動揺するだけだった。








 →6





100224/100226/100227 さっけが受くさく見えるままに旦那暴走…orz