4.



 団子を買いに街まで行って、帰ってくると既に幸村は縁側に出て待っていた。今の今まで寝込んでいた人とは思えない所業に、佐助が青くなりながら布団へ押し戻そうとする。だがそれにも頑として従わずに、縁側にどんと構えてしまった。

「全く、頑固なんだからっ!子どもっぽいたらないね」
「お前には世話を掛けさせるな」
「全くだよ…ホントに」

 くすくすと幸村が楽しげに笑ってみせる。その笑顔ですべて許してしまう自分もどうかしている――だがそれ以上意地になることもないだろうと、佐助は観念して縁側に団子を広げた。拡げられた団子を前にして、幸村が嬉しそうに手を伸ばす。

 ――寝っぱなしだったからかな、唇かさかさになってる。

 陽光の下にくると全てがよく見える。薄暗くなっていた彼の居室では気付かなかったことに、気付く――そうして幸村の観察をしながら、佐助は座り込んで腿に肘をついた。更にその上で頬杖をついてみせる。

「何時になったら…落ち着いてくれるのかねぇ。本来ならお嫁さんでも貰ってる年だってのに」
「何を申すか。おまえが出来すぎるのも問題なのだぞ」

 ぺろ、と指先に付いた団子のたれを舐め取って、しれっとして幸村は佐助にいった。思わず佐助は腿からがくりと頬杖を滑らせてしまう。

「言いがかりは止めてよね」
「言いがかりなどではない」

 幸村は団子の串を横に置いて、湯のみに入った茶をゆっくりと飲み込んだ。いつもならば、立て続けに五本位は軽く食べつくすのに、今はようやく二本目を食べ終えたくらいだ。

 ――ごくん。

 茶を飲み込む音が響く。口の中も渇いて、なかなか飲み込めないのだろう――だが主の最初の希望が「団子が食べたい」ならば、無理でも通してしまう。

 ――本当はもっと消化の良い物とかの方が良いんだけど。

 佐助は「後は取っておく?」と聞くと、幸村は「もう少し食べる」と簡潔に応えた。

「で?言いがかりじゃないって、どういうことさ」
「佐助はよう俺の身の回りのことに気付く。身の回りだけでなく、俺自身のことにも」

 ――時には俺が気付かないようなことにも。

 どきり、と胸が鳴った。
 気付いていたのか、と――いや、部下として上司のコンディションを推し量るのは当たり前だが、それを彼は知っていた。

「出来うるのなら、それ程に…機微すら推し量れる相手が良いと思ってしまうのだが…これが、なかなか…」

 其処まで言うと、幸村は口元にほんのりと笑みを浮べて、瞳を眩しそうに眇めた。そして隣で並んで座っている佐助の頬に、掌を伸ばしてくる。

 ――かさ。

 乾燥して、少しだけ荒れている指先が、佐助の頬に触れる。導かれるように幸村の方へと顔をむけると、正面から視線がぶつかった。正面から幸村の強い視線に射抜かれると動きが止まってしまう。まるでヘビに睨まれた蛙のようになってしまう。

 ――慣れない。

 この瞬間――幸村の視線にぶつかる瞬間にはどうしても慣れることが出来ない。彼の視線で全て胸内まで見透かされてしまうかのようで、何も言えなくなる。ただ鼓動だけが、とくとく、と早鐘を打ち始めていく。
 覗きこむように幸村が見つめてきて、そして一呼吸置くと、彼はふわりと瞳を眇めた。

「佐助程の女子など見つからぬのでな」

 言ってしまってから、とん、と佐助の鼻先を指で弾く。まともにそれを食らってしまって、佐助は鼻を押さえた。

「俺様のせい?少しくらい妥協して、早く身を固めてしまえばいいのにさッ」
「む…良いではないか」

 鼻を押さえたままで吐き捨てると、幸村がムッと口唇を尖らせた。こんな風に佐助をあしらう時は、どこか上から目線になってくるものだ。年長者だから仕方ないのだろうが、その合間に見せる彼のあどけなさが、佐助の心に突き刺さる。こんな時はどうしても甘い顔をしてしまうものだ。

「ねぇ…旦那?」
「うん?」

 これで今日は終わりにする、と幸村がもう一本の団子に手を伸ばした。とろりとしたたれの付いている団子に、幸村が身を屈めて――たれが落ちないように――口に入れようと、ぱかりと口を開く。

「心に決めた人でもいるの」
「――――…」

 ――え?

 今の今まで口に入れようとしていたのに、その口を閉じてしまう。閉口する幸村の視線は庭先に向っていた。そうしている間に、ぽと、と足元に団子のたれが落ちてしまう。

「そういえば先方、政宗殿にお子が生まれたと言っていたな」
「あ〜…そうだね。何人目だっけ?」

 いつもの幸村とは違う様子に佐助が微かに狼狽する。いけないことでも聞いてしまったのだろうかと、真顔になっている主に戸惑うだけだ。
 幸村はたれてしまった団子のたれに目もくれず、振り返った――その表情を目の当たりにして佐助が息を飲む。

「政宗殿への祝いは何がよいかの」
「…知りませんよ」

 言い捨てながら立ち上がる。佐助の立ち上がるのを目で追いながら、幸村は口元に、ぱく、と団子を運んでいった。そんな幸村と視線を合わせないように佐助は背を向けた。

「旦那、数日振りなんだし、湯浴みしたくない?」
「んー…そうだな。やはり匂うか?」

 くん、と幸村は自分の袖口あたりを嗅ぐ。その仕種をちらりと肩越しに見やってから、業と佐助は自分の鼻を摘んでみせた。

「俺様の鼻にはちょっときついかな」
「そうか…ならば支度してくれ」

 すまんな、と付け加えて幸村は団子を食べ終わり、ぷは、と腹をなでていった。佐助は頷きながらも廊下を歩いていく。
 角を曲がったところで足を止めて、とん、と柱に寄り掛かった。それと同時に掌で顔を覆った。

「――――…ッ」

 ――なんて顔してんの。

 先程の振り返った幸村の表情が目に焼きついて離れない。
 泣き出しそうな、頼りない微笑み――そんな顔は見たことがなかった。
 佐助は何度も頭を振っては、幸村の残像を振り払おうと必死になる。ずかずかと廊下を歩いては、ぶんぶん、と頭を振る――其れを繰り返しながら、湯殿の準備へと足を向けていった。











 右腕に傷を負っていた幸村の手伝いをしながら――といっても然程いつもとすることは変わらないが――幸村の背を流していく。ただいつもと違うのは、やたらと無口になっていたくらいだ。

 ――綺麗な背中。お武家さんて皆、こんな背中してんのかね。

 幸村の背には傷跡のひとつもない。其処には綺麗に浮き出た骨と筋肉があるだけだ。だが寝込んでいたせいか、いつもよりも骨が浮いて見える気がした。
 風呂場で無防備に背中を見せる姿は、気を赦して貰っていると言う自負にも、ささやかながら繋がってしまう。

「旦那、腕、あげて」
「うむ…」

 左の腕を手にとり、手拭いで拭っていく。ごしごしと動かしていくと、ぼろぼろと垢が出てくる。戦帰り――しかも、数日もかかるのが戦だ――それから更に数日、床についていたのだから、汚れが浮き出るのは当たり前だ。
 だが他人の汚れでも、然程厭な気もせずに、佐助は手元の作業を繰り返していった。

「ふぅ…」
「あ、痛かった?」
「いや…――何ぞ、やっと戻ってきたような気がしてな」

 不意に出てきた溜息に、佐助がびくりと肩を揺らす。だが幸村は少しだけ背を丸めて俯くと、安堵したように吐息を漏らしていく。
 ざあ、とそんな彼の背に湯をかけてから、掌で背に触れた。汚れはもう殆ど出てこない。その証拠に直に触れてみると、掌に滑らかな、それでいて弾力のある感触が触れてくる。
 これが汚れているとなれば、べったりと、なんだか油を触ったかのような感触になる。

 ――よし、洗いきった。

 最初に髪も洗ってしまって、長い筋を作る後ろ髪は首から前に流してしまっている。佐助は再び桶に湯を汲むと、幸村の肩に手をついた。

「佐助」

 不意に振り返った幸村と視線がぶつかる。湯のせいで上気して、桜色に頬を染めている彼が、目の前に迫る。
 顔を上げる。
 間近に幸村を見つめると、大き目の瞳が迫ってきていた。

 ――あれ?

 がらん、と佐助の手から桶が落ちた。中の湯が零れて佐助の衣服も濡らしてしまうが、それよりも幸村の左腕が伸びてきて、佐助の首に絡まった。
 ぐい、と強い力が首にかかって、気付くと身体が沈み込みそうになる――あまりに間近に見える幸村の顔に、はた、と瞳を見開いた。

 ――え、この…柔らかいのって…?

 見つめる視界の中に触れる感触――それは柔らかく佐助の唇を塞いでいる。驚いて動けずにいると、ふ、と幸村が腕の力を弱めて顔を離した。

「――――…ッ」

 だが次の瞬間、両腕が佐助の首と背に回りこみ、濡れた幸村の胸が、佐助の胸元に飛び込んでくる。条件反射で抱きとめて、そして絡まる唇に気付いた。

「ん…――っ、ふ」

 重なる唇に、間近に迫っていた幸村が瞬きをしながら瞳を閉じた。

 ――あ、睫毛、長い。

 こんな状況なのに暢気だ、と思わずにはいられない。佐助は腕の中の幸村からの口付けに応えるように、顔の角度を変えた。すると、ぬる、と熱い舌先が滑り込んでくる。
 くちゅ、と音を立てて、少しだけ絡まった舌先に、さもするとうっとりと構えてしまう。このままずっと蕩けるように唇を重ねてしまいたくなる。

 ――って、ちょっと待て!

 ふ、ふ、と気持ちよさそうな吐息を繰り返す幸村に、ハッとなる。佐助は正気に返ると、ばっと力強く幸村の肩を押した。

「だ…旦那?」

 いきなり引き剥がされて幸村は不満気に眉根を寄せた。そして濡れた唇を左の手の甲で拭う。そして、つい、と佐助から視線を横に流すと、深く溜息をついてしまう。

「なんだ、もう終わりか?」
「え?」
「…まぁ、それでも構わぬが」
「え、ええ?」

 佐助が動揺している間に、寄り掛かるのを幸村はやめて、再び背を向けた。その背に手を伸ばすことは躊躇われてしまって、佐助はその場に膝立ちになったままで呆然としていた。

 ――どういう事?

 ぽたん、と天井から滴が落ちてくる。
 先程触れていた筈の背が、今は思い切り佐助を拒絶していた。佐助が様々に思考をめぐらせている間に、背を向けたままで幸村が大きな溜息をついた。

「佐助」
「あ…はいッ」

 反射的に、びくん、と背を伸ばす。すると幸村は立ち上がりながら、そっと肩越しに佐助を振り返った。その顔は常日頃と変わらない。

「もうあがる。まだ少しだるい。床の支度を」
「う…うん、解った」

 佐助は、こくこく、と頷きながら、湯殿から飛び出すようにして出て行った。主を一人で湯殿に残すなど、言語道断だろう。だがこの時ばかりは思考がそこまで追いつかなかった。
 ばたばたと慌てて出て行く佐助の後姿を見送ってから、幸村は自分の肩に手を添えて、はあ、と深く溜息を付いていった。





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100219 踏み出せ、佐助!