猫じゃないんです、虎なんです 確かにトラ柄の猫だったと記憶している。 信玄が拾ったといっていたのは、確かに猫の子どもだったと記憶している。それなのに、いざその猫が育ってみれば、あれよあれよという間に猫の大きさを越えてしまった。 ――此れは参った。 大きくなった猫を見つめて信玄公は首を捻った。しかもこの猫、ただの猫でもなかった――妖だったのだ。 気付けば本人は遊びのつもりだったのだろうが、口から火の玉を吐いて回る始末だ。当然、居住していた館が半壊してしまったのは仕方ない。 ――少しの間、預かってくれんか? 半分焦げたように煤をつけたままの信玄公に言われて首を横に振るなどと云うことは出来るはずも無い。 幸村は二つ返事でその妖――妖虎を預かることになった。 「虎殿はこう…鼻のあたりが硬くて気持ちいいでござるな」 縁側で指先をつかって掻いて行くと、虎は気持ちよさそうに咽喉を鳴らした。細められた瞳が、じっとりと動いて幸村に擦り寄ってくる。 「お?ここでござるか?」 首に片腕を回したままで、さくさく、と毛の中に指先を突っ込んでいく。そうすると、余計に虎はぐるぐると咽喉を鳴らしていく。虎は幸村には懐いており、しきりに咽喉を鳴らしては擦り寄っていく。 幸村が耳の裏側を手で掻いていく様に撫でると、目を瞑って頭を摺り寄せてくる。幸村もまたそんな虎の姿に愛らしさを感じてしまう。 「あはは…虎殿?」 ふる、と頭を振った虎が身体を起こして、べろん、と幸村の頬を舐めた。そして首元に鼻先を埋めると、くんくん、と匂いを嗅ぎ始める。重い虎の体重でぐいぐいと押されると身体が傾しがっていく。 脇腹に鼻先が近づいて、柔らかい鼻の辺りの毛が触れてくると、ぞくぞくと擽ったさに身体が震えた。 ――べろん。 大きな虎の舌が、むき出しの幸村の腹に触れる。すると幸村は、びくん、と身体を震わせた。 「ぎゃあ、腹を舐めないでくだされぇッ」 べろべろと虎は幸村の腹から首元を舐め上げていく。ごろごろと咽喉を鳴らしている辺り、虎は完全に遊んでいるようだ。 「――っ」 べろり、と舐め上げられる瞬間、胸元に虎の舌がじっとりと触れてきた。その刺激に思わず息を飲んでしまう。 虎の唾液で濡れた服が素肌に擦れて、あらぬ刺激を与えてくる。 「あ…。それ…や、やめ…」 声が上ずると、舐めていた虎も気付いたのか小首を傾げて見下ろしてくる。幸村は身体を起こしながら、虎の首元に両腕を回した。 ――うる…るる 後を引くように虎が身体を摺り寄せてくる。大きな前足を、たし、と幸村の腿に当てながら、咽喉のあたりの柔らかい毛を幸村に擦り付けてきた。 「とら、殿…舌が、ざりざりするでござるな…」 はあはあ、と息を切らしながら言うと、虎は綺麗な蒼を弾く瞳で、のし、と身体を起こした。そして再びぐいぐいと幸村を押し込めるように上体を動かす。 「ん…あははは、ちょ…、これっ!」 ――どさん。 身体を乗り上げてくる虎の体重は幸村の数十倍ある。気を赦している状態では抑えることも出来ずに、幸村は仰向けに倒れこんだ。 「某に乗り上げるとは…っ、うわっ、くすぐったい…」 抗議してみるが、虎は尻尾をゆらゆらと動かして、口元を触れさせてくる。ほわほわ、と口元の毛が幸村の――舐められて濡れた胸元に触れると、虎の息吹でさえも敏感に感じてくる。 「は…っ、ん」 かあ、と頬に朱が上るのを感じて、幸村が腕を突っ張る。すると虎は遊んでくれるものと思ったのだろう。後ろ足までも浮かせて、ふんふん、と匂いを嗅ぎに来る。そして、のしり、と自分の下に敷きこんでしまった。 幸村がじたばたと虎から離れようとすると、するり、と揺れていた尻尾が動いて足に絡まる。 「や…ちょ、待て待てっ!尻尾、が…」 ゆらゆら、と揺れる尻尾が、あろう事か幸村の股間に触れてきた。 「――…あぅッ」 咄嗟に出てしまった声に自分で驚いて口元に手を当てる。まさか虎相手に――と信じられないような気分だ。なんとか気持ちを落ち着かせて、下から虎の咽喉を撫で始めていくと、虎はぐるぐると再び咽喉を鳴らし、口をくわりと開けて来た。 ――べろん 「うあっ!」 臍の下から顔に掛かるまで――虎は上機嫌で、べろり、とゆったりと舐め上げてくる。肌の上に滑るぬらりとした感触――その中にざらざらとした感触もするが――に、身体が火照ってくる。 ――何やら…いけないことをしているような。 幸村が困って眉根を寄せる。しかし虎は尻尾を揺らめかせて、幸村をべろべろ舐めるのを止めない。虎を抱き締めたまま、さてどうしようか、と首を仰のかせると、からり、と背後の戸が開いた。 「旦那ぁ…」 「お、おおっ!佐助!」 不意に現れた佐助は、部屋の中を掻い潜って此処に到達したらしい。廊下ではなく、部屋を繋いでいる襖を開け放って来たのだろう。 手に茶菓子を持っている佐助だが、目の前の光景に息を飲んだかと思うと、大音声を響かせた。 「――何やってんのさぁぁぁぁぁっ!」 「じゃれておるだけでござろう?」 「ぐる?」 淡々と応える幸村と虎に、ずかずかと佐助は近づいてくる。そして側に茶菓子の盆を置くと、眉根を寄せたまま、ぐい、と虎を押しのける。 「ああもう、トラっ!どいて!旦那に乗り上げていいのは俺様だけなんだからっ」 「何をいきなり申すか――ッ」 ぐわ、と敷きこまれたままの幸村が叫ぶ。どさくさに紛れて何だか凄いことを言われたような気がしてならない。なのに目の前の佐助は幸村に構わずに虎を睨みつけている。 「そんな訳で、俺様が乗るから、トラはどいてて」 「ちょ、こらっ!佐助ッ」 ぐいー、と虎を押しのけると、虎は不服そうに尻尾を立てた。その隙に幸村が虎の下から這い出てくる。佐助は空かさず幸村に手ぬぐいを渡してから、ぐるる、と咽喉を鳴らす虎に向き合った。 「あ?何…なんか文句あるの?」 ――ぐるるるる 先程までの甘えるような咽喉の鳴らし方ではない。明らかに不満を訴える虎に、すとん、と佐助は庭に下りた。 「俺様とやろうっての?いいよ、相手になってやる」 ――ぐるるるる 休日という事もあって、髪を後ろに縛っている佐助が、さらりと首の後ろに触れてから虎を見下ろす。虎も尻尾をゆらゆらと動かしながら、目の前に出てきた佐助と間合いを詰めていく。 「大体ね、畜生の分際でおこがましいんだよッ!」 ――ぐる、ぐる、ぐる、 「佐助ッ、虎殿ッ!いい加減…ッ」 幸村が言葉を発しかけるが、既に二人――ひとりと一匹は――聞いていない。 牙をむき出しにしながら、ぎりぎり、と虎が威嚇してくる。だが佐助は手元に苦無をしゃらんと構えると、顎をしゃくって見せた。虎は不満をぶつけようとして威嚇しているのに、佐助には全く効いていないらしい。 佐助は見下ろす虎に、人差し指で挑発する。 「いいよ、掛かって来な」 ――後悔、させてやるから。 ぐ、と佐助が目の前の虎を睨みつけると、ごう、と虎から炎が沸き起こった。それを眺めながら、幸村は呆れ果てつつも静かに佐助の持って来た茶菓子に、そろり、と手を伸ばしていった。 →2 100108 up |