Want you darling



 クリスマスが過ぎるとあっという間に正月が迫ってくる。慌ただしく家の中を掃除する小十郎を横目に、政宗は柔軟体操をしていた。
 掃除が済んだかと思うと元親のところから貰った餅で雑煮を作り、朝風呂に入って、のんびりマラソンを観ていた。
 朝風呂は一緒に入りながらで、政宗はぱちゃぱちゃと湯船の中を泳ぐ始末だった。そうしてのんびりおせち料理を――取り分け、伊達巻だが――食べていたところに、電話が鳴った。

「すまん、政宗。やっぱり実家に行くことになった」

 もともと正月は実家に帰らずに、政宗と共に過ごすと宣言していた小十郎だ――しかし実家からの再三の電話に、ついに小十郎が折れた。
 溜息を付きながら政宗に言うと、手に持っていた伊達巻をじっと見つめてから、俯き出す。小さな手に乗っている伊達巻が、ふるりと震えた。

「Tsee,じゃあ、俺は大人しく留守番してる。本体の中で寝てるから…」
「顔上げろ、な?」

 こつん、と小十郎は指先で政宗の額を突き、指先で上を向くように促がす。政宗はしぶしぶ顔を上げる――下唇を噛み締めている顔に、小十郎は一瞬だけ眉を潜めてから、ふう、と溜息をついた。

 ――泣きそうな顔しやがって。

 手にした伊達巻を引きちぎる勢いで、ぎゅっと握っている政宗を放っておける筈など無い。それに、じわじわと涙まで浮かんで来ているのに、放っておけるわけが無い。

「留守番なんてさせられるか。こんな顔して」
「な…俺、どんな顔してるって言うんだよッ!」
「泣きそうじゃないか。それに元々置いていく気はねぇよ」
「え?」

 じわりと滲んできていた涙がひゅっと引っ込む。不思議なくらい素早く涙が引っ込んで、小首を傾げて見上げてきている姿が、やたらと愛らしくて抱き締めたくなってくる。そんな衝動を抑えながら、小十郎は俺から視線をずらして口元に手を宛がった。

「いや…その、さっき花期になったら実家に連れて行くって言ったじゃないか。まだ花期じゃないけど、その予定を繰り上げてもいいか、お前に聞こうと思って」

 視線をちらりと動かして政宗の様子を窺った。
 朝風呂の時に、花期になったら実家に行って、温泉に行こうと約束した。

「お、俺はいつでも構わないぜ?」
「そうか?それじゃあ…鉢ごと持って行くから」
「え…ッ」
「車で行くから。あ、そっか途中で何か手土産買わねぇと」

 ハッと気付いて小十郎ががくりと肩を落とす。手土産というものをすっかり失念していた――実家には義姉のほかに弟もいる。それを考え、さらに隣近所の分も考えてしまう。これから帰る算段をしていると、政宗が手にした伊達巻に、かふ、と噛み付いていた。

 ――義姉さんの手料理あるだろうし、こいつに美味いもの食わせてやれるな。

「暫く俺の手製の御節だけになりそうだと思ってたけど、もっと旨いもの食えるぞ?」
「え?」
「義姉さんは料理上手いからな」

 指先で頭をぐりぐりと撫でると、政宗は伊達巻を必死に口に押し込めていった。小さな両手を口元に持っていく姿が可愛らしい。まるでリスのように両頬を膨らませている姿に和んでしまう。
 そして小十郎は政宗をつれて実家へと向っていった。
 実家では喜多の作った伊達巻を食べ、雪で遊ぶ政宗を観ながら、小十郎は雪の上に咲く彼を想像していた。
 まだ小十郎の住んでいる地域では雪は積もる程でもない――それに、政宗が咲くのももっと後だ。

 ――でも、咲いたら見事だろうな。

 雪の上に、光を受けて咲く姿を想像する。小十郎の実家は日本家屋で、庭もしっかりと造りこまれている。縁側から、雪兎の上にのってきゃっきゃと喜ぶ政宗を見詰めながら、のんびりと正月を過ごしていくだけだった。










 小十郎と政宗の関係は徐々に親しくなっていった。それもその筈で、流石に同居生活が一年近くになっていくと打ち解けてくるところも多くなってくる。

 ――こいつには全て見せているからな。

 小十郎は仕事とプライベートの区切りを付ける方だが、その両方を政宗は見ている――観ていながら、小十郎の隣で邪魔にならないくらい、ちょこん、と座っている。
 仕事をしている時、ふと疲れを感じて目線をデスクに置くと、気付いたように座っていた政宗が視線を上げてくる。
 そんな時に、ほ、と胸元が和らぐのを感じる。これは自分にとって良い傾向なのだろうと、元親に言われた言葉を思いだしていた。

 ――最近、片倉さんって眉間の皺が取れていい感じですよね。

 そう言って来た元親に、逆に驚くしかなかった。
 小十郎は正月を過ぎてから急激に寒さを増した外に出ると、ふう、と溜息をついた。ついた溜息が白く浮き上がる。

「小十郎!」
「マフラーの中に入ってて良いのに」
「あのな、今朝言い忘れたんだが…」

 マフラーに身体を一緒に挟み込んでいる政宗が、肩の辺りで顔だけを出してくる。残業をするのはいつもの事だが、今日は結局一番最後になってしまった。しかもこういう時に限って車ではないものだから、電車で帰らなくてはならない。途中で何か買って帰ろうかと考えていると、政宗はもぞもぞと身体を揺らした。

「何だ?言ってみろ」
「あのな…えと…んー、帰ってからにするか?」
「もったいぶるなよ」
「じゃあ、言う!」

 政宗は顔だけをマフラーから出して、何かの宣言をするかのように前に向って大声を出した。

「蕾が膨らんできた!」
「――…ッ」
「帰ったら確認しろよ、もう5個は付いてるんだッ」
「お前…」

 政宗の主張に、ぴた、と足を止めてしまう。確かにここ数日忙しくて枝のひとつひとつを見ることはなかった。水遣りのタイミングも掴んでいたし――足りなくなれば政宗が強請るから解りやすい――記憶の中では葉がきらきらしているまま、変わらないと思っていた。

 ――なんて見逃ししてんだ、俺は!

 小十郎は急に足早になり始めた。そのせいで肩の上の政宗ががくがくと揺れて「うぎゃああああ」と悲鳴を上げていた」

「小十郎、小十郎!いきなりどうしたんだよ…ッ」
「どうしたも、こうしたもあるか」
「え…」
「何でそんな大事なこと、はやく言わない?」

 必死になって駅からの道を歩き出す。自宅までは徒歩ならば15分は掛かる。しかし一刻も早く政宗の花を――まだ蕾だが、見たいと思った。

「小十郎…」
「俺が、喜ばない筈はねぇだろう?」

 ――違うか?

 小十郎が前を向いたまま、歩調を変えずに歩いていくと、政宗は小さな手をぴたりと小十郎の頬に当てた。
 小さな手なのに、しっかりと暖かさが伝わってくる。
 だが政宗は何も言わずに家までの道のりを、ずっと小十郎の肩の上で――マフラーに包まれながら、小十郎にしがみ付いていくだけだった。










 始めに見た政宗の蕾は、小指ほどの小さなものだった。しかも蕾は緑色の殻に包まれて花の色さえも解らない。触ってみると硬く、つんつん、と突くたびに政宗が擽ったがって、きゃっきゃと騒いだ。
 だがそれもバレンタインが目の前に迫ると、形を変えてくる。
 硬かった蕾から、ほんのりと白っぽいような花びらが覗き出していた。だが変化はそれだけではない。

 ――最近、政宗の目が…金色に光って見えるんだよな。

 まるで猫みたいだ、と思いながら、小十郎はことことと音を立てる鍋を見詰めた。中では肉じゃががほんのりとじゃがいもに色を載せており、あと少しで出来上がりそうだった。小十郎がキッチンに立つと、政宗は必ず興味津々に肩の上に乗ってくる。今日もそれは変わらず、政宗はじっと側の小十郎を見上げてきた。

「どうした、もう直ぐ出来るぞ?」
「お…おぅ」

 政宗の視線に即座に気付いて小十郎が優しく告げた。一緒に覗き込んでいる鍋の中には、ほくほくのじゃがいもとしんなりとなった玉葱が見えている。更に小十郎は手元で菜の花の辛し和えに取り掛かり始めていた。
 皿に出来たものを載せて、小十郎がテーブルに運ぶ。それと共に、政宗はテーブルに載り移り、側にあった布巾で回りを拭いていった――小さな身体でテーブルを拭くと、どうしても雑巾掛けのようにしか見えない。小さな三頭身の身体で雑巾掛けをしている政宗に、思わず笑いが零れそうになる。
 まるいお尻が、ぷにぷにと動いているし、時々「Hey!」だの「Ya-ha!」だのと騒ぐ姿が面白い。一人で盛り上がっていて、突っ込みを入れたくなってしまう。取り皿を手にしてテーブルにいくと、政宗は最後のひと拭きを終えたところだった。

「いつもありがとうな」
「気にすんな。それよりな、小十郎…」

 政宗が仕事をやり遂げたとばかりに、額を拭く真似をする。いや実際に彼にしてみたら重労働だろうが。小十郎が労いを篭めて、取り皿に――政宗専用の、小さな皿だ――肉じゃがを取り分けて渡す。

「ほら、お前の分」
「おぅ、Thank you」

 つい、と皿から政宗用に取り分けられて、両手で受け取る。そうして準備が整うと、小十郎が手を合わせるのを真似て、政宗も手を合わせた。

「頂きます」

 二人で声を揃えてそう言いながら、箸を取る。因みに政宗用の箸は、元親が元就用に大量に作ったので、それを貰っている。

 ――元親は本当に器用だよなぁ。皿や家具とか…色々作ってるし。

 同僚の甲斐甲斐しさを思い出してしまう。ぱくん、とジャガイモを口に運ぶと、ほろほろと口の中で崩れていく。今年のじゃがいもはよく出来ている、と実家から送られてきたじゃがいもに舌鼓を打っていると、政宗は拳を握りながら、ふるふる、と身を震わせ始めた。

「う…うめぇぇぇぇッ!小十郎、お前って本当に料理上手いよなッ」
「褒めても何も出ないぞ」

 ふふ、と笑いながら小十郎が頬杖をつく。政宗は青灰色の瞳を瞬いた――それと同時に、政宗の瞳が一瞬だけ、きら、と色を替える。

 ――これだ。

 最近の変化は其処にある。これが何かの予兆なのだろうかと、じっと身体を屈めてみてしまう。だが当の本人は気付いていないようで、もじもじと小さな手を組み合わせていた。

「小十郎…あのよ」
「うん?どうした…なんだか歯切れが悪いな」
「俺…俺…――さぁ」

 手に持っていた箸を皿の上に戻すと、政宗はその場に立ち上がった。きゅっと拳を握り締めて、口元を引き締める。

「俺、もう直ぐ…咲く」
「え…――?」
「お前に、俺の花、見せてやれる」

 一瞬、食べていたじゃがいもを咽喉に詰まらせそうになった。慌てて側に置いてあったビールを口に含ませる。政宗はいつもの彼とは思えないほど、もじもじと指先を組んだり離したりしている。

「でもお前、俺の花…気に入るかな?俺、普通の花じゃないから…」

 同じ種類の花は沢山ある。だが政宗はその中でも希少種だ――辺りに見かける、同種の花とは風情も何も変わっているらしい。
 だから政宗は咲いた時に小十郎が気に入るかが不安でならない様だった。それでなくても、片方が既に過去の病気のせいで、枝をつけられずにいるという、不恰好さがある。
 その伸び方はどう観ても片翼の鳥のようだが、本人はそう思っていないようだった。

 ――俺が気に入ったのは、紛れもなくこいつなんだがな。

「馬鹿だなぁ…」
「――――…ッ」

 小十郎の指先が、政宗の頭上に降り注ぐ。政宗が顔をあげると同時に掌の上に政宗を乗せて小十郎が顔を寄せた。

「お前の花を、楽しみにしない筈ないじゃないか」
「小十郎…」

 うる、と青灰色の瞳が潤みだす。そうすると小十郎の指先が政宗の頬に触れて、ふに、と拭うように動いていった。政宗は彼の手の暖かさの中で、嬉しそうに笑うと「見ててくれ」と小さく告げてくる。

 ――もう直ぐ、咲く。

 そう言った政宗の瞳が、きらきらと金色の粒を弾いて、まるで月明かりのようだな、と小十郎は思っていった。










 今年のバレンタインは日曜日――それを良いことに、朝早くから宅急便の音で目を覚まされた。半分寝ぼけ眼で玄関口に行き、小十郎は降りている前髪の鬱陶しさに溜息をついてから、荷物を受け取った。

 ――まだ9時前じゃねぇか…って、いつもよりは寝坊しているか。

 日曜でも自分のペースを崩さないのが小十郎だ――しかし、連日の残業に身体も疲れきっていたようだった。
 手にした小さな箱を見てから、べりべりと包装紙を剥がした。

 ――喜多義姉さんからか。

 ごそごそ、と中を開けてから、何度か瞬きを繰り返した。中にはチョコレートのパウンドケーキが丸々一本入っていたのだ。
 しかもパウンドケーキの上にはオレンジの蜜掛けが乗っている。どうみても手作りだ。さすがだと感心しながら、小十郎はふと政宗を脳裏に思い描いた。

 ――これで一緒に朝飯にするか。元親の家にいくのは昼だし…。

「政宗、居るか?」

 リビングから声を掛ける。するといつもは直ぐに返ってくる声がない。だが小十郎は湯を沸かすためにキッチンに向いながら再び声をかけた。

「政宗〜、義姉さんからケーキが来たんだ。一緒に食べよう」
「――…」

 此処まできてから、返事が無いことに気付く。そして小十郎が振り返ろうとした瞬間、す、と視界の端に見えたものがあった。

「ま…――」
「小十郎…ッ」

 ――トン。

 振り返りきる寸前に、背中にぶつかってきた感触があった。そして耳に届くのは紛れもなく政宗の声だ。
 何が起こったのかと、目の前が白くなる――しかし、するり、と背後から片腕が回ってきて、小十郎の腹に絡まった。

「小十郎、驚かないで、ゆっくり振り返ってくれ」
「政宗、なのか…?」

 こつん、と背中に頷く気配を感じる。だが今腹に見えている手の大きさは、いつもの彼の大きさではない。それに背後に感じる温もりだとか、足元の影だとかに気がつく。導き出される答えはひとつだ。

「――…ッ」
「小十郎、俺が三つ数えるうちに、ゆっくり…」

 政宗がじっくりと声をかけて寄越す。それに頷くと、静かに彼は数を数え始めた。最後に「one…!」と息を飲むように数えきった政宗の手を――手首を掴んで解く。
 そしてゆっくりと振り返った。

「政宗…――っ」
「やっと咲いたぜ。観てくれ、俺の花」

 政宗は青年の姿で目の前にいた。いつもの青い服装のまま、瞳が月のようにきらきらとしている。そして手には自分の鉢を持っていた。

「――…ッ」

 ぐ、と言葉に詰まる。
 政宗の手にしていた鉢植には、小さな八重の――黄金色の花が咲いている。小さいながらもそれは肉厚で、なんとも清楚な雰囲気を湛えていた。それなのに、葉などはしっかりとした輝きを持っており、洗練されたものを感じさせられた。

「なぁ、感想はないのかよ?」

 じっと花と彼を見比べていた小十郎が、ハッとすると目の前で政宗は不安そうに――だが、何処か嬉しそうに此方を見ている。
 政宗が自分の鉢をそっとテーブルの上に置いたのを確認すると、手が伸びた。そして小十郎はそのまま政宗を自分の胸元に引き寄せた。

「こ、こ、こ、小十郎?」
「綺麗だ」
「え…」
「凄く、綺麗だ。政宗…」

 ぎゅう、と自分の胸元に引き寄せながら、彼の――小十郎の手には小さな後頭部を引き寄せる。すると、ふう、と政宗の吐息が首元にふれてきた。

「そうだろう?俺、綺麗に咲けてるだろう?」
「ああ…見事だ」

 抱き締められながら、政宗が嬉しそうに声を上げる。だが彼を胸元に引き寄せながら、小十郎は自分の中に新たな気持が生まれてくるのを感じ取っていた。
 目の前に実体化した政宗――彼を見た瞬間に、息を飲むほど心を揺さ振られた。その事実を隠すことなど出来ない。
 小十郎は彼を離したくないと思いながら、ただ引き寄せていくだけだった。


 ――最初の花が開いたのは、バレンタインの朝だった。




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