Want you darling





 政宗が小十郎の下に来てから着実に時間は過ぎていった。気付けば初夏の陽気も梅雨のじめじめした空気もいつの間にか追いやって、うだるような暑さの夏が来ていた。
 時間を一緒に過ごすようになってから徐々に政宗の警戒心ともとれる人見知り的な態度が薄れていく――それに多少の喜びを感じない筈は無かった。

 ――何より、泣き出すよりも笑った顔が可愛い。

 元が花というだけあって、花のかんばせ、とはよく言ったものだ、と小十郎は脳裏に思い描いてしまう。
 小さい姿の政宗が時々見せる笑顔は、思わず見惚れてしまうほどだ。いつもは口の端を吊り上げて、にやりとほくそ笑む――小粋なような、何か企んでいるかのような、そんな印象を受けるのに、小十郎と二人で居る時には、時々――本当に時々だが、得も言われぬ笑顔を見せてくれる。

 ――笑わせたいな。

 政宗のいる日常になれてから思うのは、そんな事だった。

「なぁ、猿飛」
「何ですかぁ?」

 既に定時を過ぎている時間に、こうしてフロアに残っているのは、仕事が終わらないからだ。かたかたとキーボードを打ち込む佐助の元に、彼専用のマグカップにコーヒーを淹れて持っていくと「ありがとうございます」と受け取っていく。そして机に置くと、てくてくと幸村が出て来てカップの縁を覗き込んだ。
 そしてそのまま渋い顔をしたかと思うと、デスクの端からスティックシュガーを三本手にして戻ってくる。

「佐助殿、お砂糖でござるッ」
「旦那、気がきくね」

 スティックシュガーを受け取って、佐助は指先で幸村の頭を撫でた。すると幸村は嬉しそうに頬を膨らませて微笑んでいく。

「これくらいお任せくだされッ」
「うん、頼もしいなぁ」

 目の前で繰り広げられる佐助と幸村との遣り取りに、側にあった椅子を引き寄せて座りながら、小十郎はふむと頷いてみた。

「で?片倉さん、どうかしたんですか」
「いや…お前らを見ていると、羨ましくなるよ」
「えっ、な、何で?」

 ぼぼぼと佐助が珍しく頬を赤らめて狼狽える。変化に驚きながら見入っていると、幸村もデスクにぺたんと座ったままで、じっと大きな瞳で佐助を見上げていた。

 ――幸村くらい、政宗も素直なら。

 こう感情表現がストレートならば、もっと彼を喜ばせるものを思いつくだろうにと、そんな風に感じてしまう。佐助は幸村から受け取ったスティックシュガーをコーヒーの中に、さらさらと入れていく。

「で?何で羨ましいんですか」
「うちの…あ、いや、政宗なんだけどな。意外と人見知りで」
「そりゃ、片倉さんが怖い顔してんじゃないですか?」
「で、ござるッ!」

 幸村がぴんと腕を上げて佐助の言葉尻を取ってくる。思わず苦笑が浮かんでしまう。すると佐助が人差し指を伸ばしてきて、小十郎の眉間に当てた。

「ほら、また皺」
「ああ…寄ってたか」
「まずそれ無くせばいいんじゃないですか?」

 こくんとコーヒーを咽喉に流し込みながら佐助が椅子をくるりと動かした。同じように小十郎もまた自分の分のコーヒーを咽喉に流し込む。

「俺はもっと政宗を笑わせてやりたいんだがなぁ…あいつが好きなものとか、あまり思いうかばねぇんだ」

 正直な所、それは真実だった。
 喜ばせたい、笑顔が見たいと思っても、中々そんな場面には遭遇できない。それに彼の好きなものを考えても――政宗は花だ――予想できるものといえば肥料くらいしかないという体たらくだ。

「肥料とか水とか?そんな位しか思いつかねぇ」
「へぇ…片倉さんて、意外と器用に見えて」
「何だ?」
「不器用な人なんですね」

 くすくすと佐助が楽しそうに微笑む。なんだか気恥ずかしいような気がして、ふん、と鼻で弾き飛ばすと、幸村が大きな瞳をくるりと動かして、ことん、と頭を傾げた。

「政宗殿は、新しいものが大好きでござるぞ」
「旦那?」

 佐助がデスクの上に視線を向けると、不思議そうに幸村が小首を傾げて訴えてくる。小さな身体で――10cm足らずのちんまりした身体だ――ちょこんと正座をしながら、大きな瞳だけがくるくると動く。
 正直、幸村は愛らしいと思ってしまう。だがそれよりも小十郎には政宗が可愛くて仕方ない。

 ――不器用なのはお互い様か。

 苦笑しながら小十郎が幸村に問いかけていく。

「幸村は政宗の好きなもの、知っているのか?」
「それは勿論。政宗殿は、新しいものとか、音楽とか、映画とか、色々好きでござる。いつも慶次殿と一緒になって色々買ってきたり、にゅーすを見たりしておりました」
「ニュース…そういえばあいつ、朝起きると一番にテレビつけて観てるな」

 毎朝の光景を思い出して唸ると、ぶは、と佐助が噴出した。

「オヤジ道まっしぐらじゃないっすか」
「む、そうか…?」
「で、ござるッ!」

 幸村が再び腕を振りあげて、佐助の言葉尻を取る。それを見下ろしながら、小十郎が手を伸ばして幸村の頭をなでると、幸村は「うひゃひゃ」と擽ったそうに笑っていった。










 最近の朝といえば、覗き込む政宗の視線と一番に目が合うようになった。
 小十郎がぼんやりしながら、乱れた前髪を掬っていると、ぺちぺち、と政宗が額を叩いてくる。

「おい、小十郎。起きろよ、もう朝だぜ?」
「ん…解ってる。でも今日はまだ…寝ていたい」
「仕事は?」
「休みだ」

 ぱたん、と枕に頭を押し付けると、政宗が腕を組んで見下ろしてきていた。そして少しだけ瞳を――包帯を巻いていない左目をくるりと動かしてから、蒼い色を弾く瞳を天井に向けた。その仕種を横目で見つめていると、今度は上唇をきゅっと前に突き出して、下唇を隠してしまう。

「あひる…」
「え?」

 ふと呟くと政宗がびっくんと肩を揺らした。小十郎は自分の唇に指先をつけて、政宗に「唇」と指示する。そして小十郎は小さく掠れたままの声で「あひるみたいだ」と政宗の口元に指先を、つん、と触れさせた。

 ――むに。

 政宗の小さな唇の感触が、指の腹に触れてくる。そしていると瞳を大きく見開いていた政宗が、徐々に真っ赤になってきた。

 ――え…?

 だらだらと汗もかいてきてしまう。
 その変化に驚くのは今度は小十郎の番だった。指先を下ろしてみると、空かさず政宗は小十郎の指先に両手を添えて、俯いた。ほわほわと頬が赤くなっている。そして俯いた際に旋毛が見えたが、地肌さえも赤くなっていた。

「政宗?どうかしたのか…」
「Oh…奪われちまった」
「は?何を…――?」

 そろそろと顔を起した政宗は、まだ顔を真っ赤にしたままだった。そして再び自分の唇をきゅっと噛み締めてから、キス、と呟いた。

「小十郎から、間接キスされちまった…」

 ――するなら花期になってからと思ってたのに!

 ぐあ、と叫びのように政宗が告げていく。その言葉に小十郎は再び、ばふん、と枕に頭を沈ませることになってしまった。脳裏に幸村の言葉が蘇る。

 ――政宗殿は、映画とか新しいものが好きでござる!

 その言葉を思い出すと、なるほど、と思わずにいられない。彼の時々飛び出す英語も、そんなメディアの影響が強いのだろう。

 ――人見知りで、不器用で、でも好奇心旺盛で。

「小十郎?おい、大丈夫か?」
「――――…」

 枕に沈んだ小十郎を安堵して政宗が慌てて側に寄ってくる。そして冷たい手で、ぺた、と小十郎の頬に手を添えてきた。小十郎は横目でそんな政宗を見つめると、ぐいと手を伸ばして彼を引き寄せていく。

「うおおおおおおお、どうした、小十郎――ッ?」
「政宗、お前って結構可愛いんだな」
「え?え…ええええええ?」
「ちゃんとキスしてみるか?」
「ぎゃあああ、やだ――ッ」

 ぐいぐいと引き寄せると、政宗が真っ赤になってジタバタと暴れ出す。そうしているとじゃれているのが楽しくなってきて、小十郎は笑い声を立てながら、彼をからかっていった。その間ずっと政宗はじたばたと手足を大きく動かして暴れていく。

「さて…起きるか。こうも暑いと寝ているのも億劫だ」
「そ…そうしてくれ」

 がばりと小十郎が起き上がると、枕元で政宗がぜえぜえと荒く呼吸を繰り返していた。小十郎はそのまま起き上がるとテレビをつけてから、軽く顔を洗いにいく。戻ってくるまでにそんなに時間は掛からなかったが、顔を拭きながら戻ってくると、小さな蒼い塊がテーブルの上で、ぽよん、ぽよん、と跳ねていた。

 ――何してんだ?

 ばくん、と冷蔵庫を開けて、中から麦茶を取り出しながらテーブルを見つめる。その背後でテレビから音楽が聞こえてきていた。

「Hey!Hey!」

 時折政宗の掛け声が聞こえる。どうやら政宗はテレビの曲にあわせて踊っているらしかった。小さな手足が、ちまちまと動き回る。まるでリスなどの小動物が動いているようで、見ていて飽きないものだ。
 ぷっくりしたお尻がふりふりと動いている。これで尻尾があれば掴みこみたくなるに違いない。
――面白いな。
 リビングの入り口に寄りかかりながら、手に麦茶を持って眺めていると、くりん、とターンをした政宗と視線が合った。

「――――…ッ!」

 視線が合うと、ぴた、と動きを止めた。そして政宗の瞳が白黒していく。

「もう終わりか?政宗」
「う、あ…――っ」
「まだ音楽、鳴ってるぞ?」
「ひぎゃあああああああッ」

 途端に絶叫しながら政宗がその場にしゃがみ込む。今日はなんだか彼の叫びを何度も聞いているような気がする。小十郎が側に近づいて覗き込むと、政宗はころりと丸くなっていた。

「どうした、政宗?」
「おおおおお恥ずかしいぃぃぃぃ」
「何がだ、上手くできていたぞ」
「えッ」

 がば、と今度は丸くなっていた頭を勢いよく上げた。

 ――ごちんッ。

「――――ッ」

 見事に政宗の頭と小十郎の顎がぶつかり合う。暫し二人とも打ちつけた処を押さえて、痛みに耐えた。じんじんと顎先は痛んだが、顔を起した政宗は上目遣いになりながら「上手かったか?」と聞いて来た。

「ああ、上手だな」
「よかった」

 ――あ。

 ふわ、と政宗が嬉しそうに瞳を細めて笑った。ひらりと蒼い衣が揺れる。ぺたりとテーブルに座った政宗が、薄桃色に頬を染め、ふくふくした頬を隆起させていく。

 ――この顔だ。

 微笑む政宗の笑顔を見つめながら、小十郎は胸がどきんと音を立てるのを聞いた。政宗の滲み出すような笑顔――それを見ると、何故か胸が熱くなる。暖かい気持ちになっていくのを押さえられずに、小十郎は手を伸ばすと、政宗の丸い頭を柔らかく撫でて行った。










 いつも通りに政宗を連れて出勤する。ただ政宗は冬の花だと本人も言っていた通り、あまり暑さには強くない。それでも外に咲いているのだからと声をかけると「俺はデリケートなんだ」ときっぱりと云われてしまった。
 コピー室から出てフロアに戻ると、見知った後姿が見えた。直ぐにそれが佐助だと知れえる――だがその隣にいるのは、長い髪を背に流した青年だった。

 ――あれは、もしかして。

 目の前に背を向けている青年の特徴が、どう考えても体長10cmの花の精にだぶって見える。赤い服を着て、いつも元気よくはしゃぎ回っている姿が目に浮かぶが、確証は無かった。しかし小十郎は足を進めて彼らに近づくと声をかけた。

「おはよう、猿飛、幸村。今日は一緒か」

 振り返った青年は、小十郎の予想していた相手だった――そう、幸村に他ならない。勘付かれたことに気付いて、佐助は表情を明るくして振り返った。小十郎が通り抜け様に、幸村の頭を上から、ぐりぐりと撫でると、幸村は口元をむにむにと動かしていた――照れくさいらしい。

「おはようございます〜。そうなんです。そんな訳で、早退、良いですか?」
「――どんな訳だ。ま、いいぞ。そろそろ竹中も復帰するしな」
「やったッ!」

 佐助が言い様に腕まくりをした。すると、ぴょん、と小十郎のデスクの方から飛び込んできた青い塊があった。
 小さな青い塊――それは政宗に他ならない。ばっと大きく身体を飛び込ませると、佐助のデスクの上に飛び乗る。そして開口一番に幸村に飛びついた。

「Good-Morning!幸村」
「政宗殿…ッ!一足お先に花期になり申したぞ」

 小さな政宗を両手で受け止めて、幸村が満面の笑みになる。政宗と幸村のやりとりを、満面の笑みで幸せそうに眺める佐助に、小十郎は今コピーしてきたばかりの書類を渡した。佐助は彼らを見ながら、小十郎から受け取った書類に眼を通し始める。
 小さな手を幸村に当てて、政宗は嬉しそうに話しかけていく。

「花期か…良かったじゃねぇか。おい、今回は花は見れないのか?」
「確か佐助が携帯で写真を撮ってくださっておった筈……佐助、某の花を政宗殿に見せたいのでござるが」
「――Ah?」
「何か?」

 つんつん、と隣で幸村が佐助の服を引っ張る中で、政宗が小首を傾げた。そして大きな青灰色の瞳を、くるん、と動かすと、びし、と佐助を指差した。何かが引っかかったらしい。小十郎はデスクに寄りかかりながら、やりとりを眺めつつ、胸ポケットに入れていた眼鏡を掛けた。だが政宗はまだ幸村に詰め寄っている。

「今よ、こいつの事、なんて言った?」
「え、あ…さ、佐助」

 言った側から、かあ、と幸村が紅くなる。名前を呼んだだけで、かあ、と顔を赤くして照れた幸村に、はは、と鼻先で佐助が笑っていく。そんな二人を交互に見比べてから、政宗はにまにまと意味深に口元に笑みを浮かべた。

「へぇ〜?」
「なななな何でござるか!」

 真っ赤になりながら幸村が激すると、ぴょん、と幸村の手の上から飛び降りる。そして両手を伸ばして小十郎に、抱き上げろとばかりに強請ってきた。

 ――やれやれ。

 小十郎が片手を差し出して掌上に乗せると、政宗は腰に手を宛がって胸を張った。

「おい、小十郎。こいつら一線越えちまったようだぞ」
「…お前はどうしてそういう…」

 ――何処でそんな言葉を覚えてくるんだ?

 政宗の勘違いに額を押さえる小十郎に、畳み掛けるように佐助が訂正をいれる。

「違いますからね、片倉の旦那。外で『殿』呼びされた日には吃驚ですから」
「だよな…政宗、お前何処でそんな知識もって来るんだ?」

 ぴん、と額を指先で弾くと「あう」と頭を仰け反らせて政宗が掌の上でひっくり返る。そのまま小十郎は自分の胸ポケットに政宗を突っ込むと、佐助に「午前中で早退だな?」と確認してきた。

「はぁい。それまでにこのお仕事、上げときますんで」
「せいぜい、幸村を楽しませてやれ」
「勿論そのつもりですって」

 くしゃ、と小十郎は佐助の頭も撫でてから自分のデスクに戻る。小十郎はひらりと手を肩に触れさせた。すると政宗が軽やかに其処に乗り、咲いたんだな、と呟いた。

「政宗…」
「俺も、あんな風に綺麗に咲きたい」

 耳元に響く政宗の声は真摯だった。小十郎がちらりと視線を背後に流すと、佐助の側でイヤホンを耳にした幸村が、デスクに頭を乗せて彼を見上げていた。
 柔らかく、綺麗に――まるで恋焦がれるように佐助を見つめる幸村に、花とはそういうものなのかと思った。

「お前も…」

 ――あんな風に、咲くのか?

「うん?」

 思わず口にすると、政宗が小首を傾げてくる。だが今すぐに政宗が花期になるわけでもない。確かめる術は今はない。小十郎は軽く首を振ると、小声で政宗に「今日は早く帰れるように頑張るな」と告げた。
 すると政宗は、にしし、と口の端を吊り上げて笑いながら、此処で見張っててやる、とデスクに飛び乗っていった。






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100513 up/色々リンクしているので時間の流れが速いのです。