Want you darling





 軽い疲労で熱を出した翌日、目が覚めてみれば、体長約10cmの花の精が目の前にいた。だがその事に違和感を得たのは最初だけで、気付いてみると馴染んでしまっている。

 ――というよりも、こいつが俺の邪魔をしないようにしているんだろうな。

 静かにテーブルの上に座ってテレビを見ていたり、置いていた布巾を雑巾のようにして――どどどど、と拭いてくれたりする。
 だが余計な事を言うわけでもなく、ただ小十郎の方を見て、はにかんだような――笑むのに慣れていない子どものように微笑む。

 ――いじらしいって言うか…。

 常備している解熱剤を飲みながら、指先で政宗の頭を撫でてやると、小十郎の指に手を伸ばして軽く触れ、へへ、と俯きながら笑う。
 右眼に掛かっている包帯は見ていると可哀相になってくるが、それ以上に動きがちょこまかしていた。

「なぁ、政宗……お前、どんな色の花なんだ?」
「気になるか?」
「ああ…咲くとしても冬だろうけどな」

 ――今はまだ夏だし。

 だがその事を考えてみると、手入れにも予定を立てやすい。植物の種類によっては、日光の当たり具合で色味がまったく違うようになってしまうこともある。

「so,Secret!」
「あ?」

 ぷい、とそっぽを向いて政宗が叫ぶ。秘密にするようなものなのだろうか。背中を向けて――丸い、ころんとした背中だが、それを向けて座りながら政宗は腕組をしていく。

「咲いてみてからのお楽しみだぜ?」
「そうは言っても…」
「最初から知ってたら、面白くねぇだろ?」
「まあ…うん、そうだな。お前が言うならそうかも」

 こくり、と側に置いてあった水を飲み込みながら言うと――小十郎の咽喉が、こくり、と音を立てたのを聞くと――政宗は耳聡く振り返って、口を少しだけ空けた。

「――――…」
「何だ?お前も飲むか?」
「い、いいのか?」

 ぽわ、と頬を赤らめて政宗は立ち上がった。先程鉢植えに水を上げたばかりだが、量が少なかったのだろう。彼は側にくると差し出されたコップを両手で支えた。

「ん…ッ、ん…――」

 残っている水を飲もうと必死でコップを傾ける。だが中々水の入っている部分まで到達しない。コップの方が政宗よりも大きく、更に言えば縦長だったのが禍した。

 ――じわ。

 呑めない水に、政宗がしゅんと項垂れる。目元に涙の膜が出来てしまっていた。

「小十郎ぅ…」
「すまん、失念してた。ちょっと待ってろ」

 小十郎は泣き出しそうな政宗の頭に、指先を触れさせてからキッチンの食器棚を見つめた。趣味で集めている食器の中に、確か小さなものもあった筈だ。

 ――しょうゆ皿、駄目だ、犬じゃねぇんだ。

 ううん、と唸りながら彼に調度いいサイズのものを探す。だがコップ状のもので彼に合う物は中々なかった。
 ちら、とリビングに視線を向けると、政宗が大人しく――両足を投げ出して座りながら、コップにしがみ付いている。

 ――何だか可愛いな。

 かたかた、と食器棚を探っていくと、かたん、と一つの食器に行き当たった。

「あ、これなら良いかも」

 手にしたのは銀色の小さなカップだ――よく喫茶店に行くとミルクが入っているあれだ。理由は忘れたが、ずっと前に貰って使っていなかった。小十郎は其れを洗うと、政宗のところに持ってきて、中に水を入れて差し出した。

「ほら、これなら調度いいだろ?」
「お、おう…」

 手に差し出されたミルク入れは、政宗の手にしっくりときていた。ちょっとだけ大きいマグカップといったところだろう。
 くい、くい、と飲み込みながら政宗は一気に咽喉を鳴らしていく。

 ――ぷは――ぁ!

「ぶ…ッ!」
「?な、何だよ?」
「いや、いい呑みっぷりだと思って」

 水を飲みきった瞬間の政宗は、まさにビールに舌鼓を打つおっさんのようだった。それを小さな、こじんまりとした彼がやるものだから、何だか微笑ましくて笑ってしまう。
 くっくっく、と腹を抱えながら笑っていると、政宗は「何だよう!」と小十郎の腕を足で蹴っていった。










 翌日は日曜日なのを良いことに、普段怠りがちな家事に専念していった。日課のジョギングは取りやめて――というよりも、政宗が止めたのだが――部屋の中を、掃除機を掛けていく。
 洗濯は既に終えて、ベランダにはシーツがと布団がしっかりと干されている。
 政宗は窓辺の自分の鉢に寄り掛かって、気持ちよさそうに眼を細めて、うとうと、としていた。

「政宗、昼飯食ったら花屋に行くぞ」
「Um…、解った」

 こく、と三頭身の頭を下げて政宗は頷いた。だが温まる日差しが気持ちよいのが勝っているのだろう。そのまま瞳を閉じて鉢に寄り掛かっていく。
 小十郎は、かち、と掃除機のスイッチを切ってから、ベランダに向った。其処にはプランター栽培をしている野菜が少しばかりあった。

 ――トマト、もう獲り時だな。

 元々土いじりは好きな方だ。こうして実益も兼ねてプランター栽培もするくらいでもある。ベランダでプチトマトを、ひとつひとつ取っていると、ふわりと温まった風が頬を撫でて行った。
 鼻先にトマトの蒼い匂いがする。

 ――もっと昔は、濃い、トマトの匂いって奴を嗅いでいたのにな。

 ふと実家のある場所を思い出してしまう。ベランダから見える景色は鉄筋だの、住宅だので、緑は少ない。下を眺めれば車の行きかう道路が眼に入る。

 ――自然が少ないよなぁ。

 だからかもしれない。
 小十郎の育った場所はもっと自然が多くあったし、忙しない毎日でも、こんなに疲弊することもなかった。だが進学と共に出てきてからは、そんな事を考える余裕さえなくしてきていた。
 ベランダに座って、ぱく、とトマトを噛み締める。じわりと出てくる味に満足しないわけでもないが、昔に味わった方が美味しかったように感じてしまう。

「ま、考えても詮無いことか」

 ふう、と溜息をついてから小十郎は立ち上がり、中へと戻っていった。すると鉢の横で、腕組をしながら政宗が仰向けに寝転んで、ぷうぷう、と寝息を立てていた。

 ――可愛い、かも。

 いや、可愛い。そんな風に思ってじっと見つめてしまう。大きな瞳は今は閉じられているが、ぴくぴく、と動いているし、頬はふっくりとしている。三頭身の姿だとしても、十分に愛らしいものだ。

 ――ふい。

 指先を伸ばして政宗の頬に触れさせる。すると、ふに、と柔らかい感触が指先に伝わってきていた。

 ――見えなかったものが見える。

 その事に驚きがなかった訳ではない。だが、こうして見えているのだから、しっかりと存在しているのは確かだ。それにこうして触れる事だって出来る。

 ――不思議なものだな。

 受け入れてしまっている自分にも驚くが、全く厭な気がしない。それ処か、なぜか胸が温かいような気持ちになって行くではないか。

「うう…ん…――っか」
「ぶふ…ッ」

 ころ、と横を向く政宗が、まさにおっさんのように鼾をかいてみせる。こんな愛らしい姿なのに、時々みせる男らしさというか、おっさん臭さは何なのだろうか。
 くくく、と腹を抱えながら――だが、笑い声で政宗を起さないように――小十郎はキッチンへと向っていった。










 昼食に軽く焼きそばを作って食べてから――政宗は流石に花の精と云うこともあって、小十郎が作った料理を眺めるだけで首を傾げていた。

 ――人間って、本当に色々食べるよな?

 関心しているのが窺える。一応薦めてみたが、政宗は首を横に振った。
 その後、こうして車に乗って花屋に向っている訳だが、ちゃっかりと助手席には政宗が座り込んでいた。

 ――俺の葉っぱ、持っていてくれ。そうしたら、俺も一緒に行けるから。

 そんな風に言って、両手で差し出してきた葉は、濃緑で艶々としていた。それを受け取って定期入れに挟み込み、身に付けている訳だ。
 すいすい、と車は道を滑っていく。そうすると視界の先に、緑が沢山見えた。

「あれ?」

 ――ささ。

 信号待ちで車を止めると、見えていた視界の中に、等身大の人間が沢山いるように見える。だがそのどれもが同じような顔立ちをしていた。

 ――なんだ?

「お、すげぇな。此処は桜並木か」
「政宗?」
「小十郎、あれはみんな桜の精だぜ?」

 ――樹齢がかなり経ってるんだろうな。

 わあ、と政宗が頬を仄かに染めて助手席から――よたよたと小十郎の膝まで上ってきて、腕を伝って窓にしがみ付く。

「桜…ああ、道理で」

 そういえばこの道は桜並木だった。今は新緑に包まれているが、確かにそうだ。そして見えていた人影は、緑色の服を着ており――だが裾は綺麗な桜色をひらめかせている。

「満開の時に見てみてぇなぁ」
「じゃあ、来年、一緒に来るか?」
「え…――ッ」

 小十郎が再び車を動かすと、おう、と声を上げて膝の上に政宗が転がってくる。そして体勢を元に戻すと、政宗は大きな瞳を見開いて小十郎を見上げてきていた。

「何だ?見てみたいんじゃないのか?」
「う、うん。そうだけどよ…良いのか?俺が一緒で」
「当たり前だ。花見は一人でするより、誰かと一緒がいいじゃねぇか」

 ちら、と視線を動かしながら答えると、政宗はまた俯いてしまった。片手で小十郎がそな政宗を持ち上げると、目の高さに来るようにハンドルの奥に座らせる。

「顔、上げてみろ」
「――――…ッ」

 ふるふる、と首を振りながら俯く政宗は、小さな手を拳にしていた。仕様がねぇなぁ、と指先で政宗の顎先を上げさせると、もにもに、と口元を動かしている政宗が――真ん丸い、青灰色の瞳には既に涙の膜が張りそうになっていた――今にも泣き出しそうな顔でじっと唇を噛み締めていた。

「そんなに口、噛むなよ」
「だって…」
「嬉しい時は、笑っていいんだぞ?」

 そう告げると、政宗はこくりと頷いた。そして再び顔を上げると、ふにふにと頬を動かしながらも、にっこりと柔らかく微笑んでいく。

「上出来だ」
「おうッ!」

 俄然元気に答える姿には、既に先程のしおらしさもない。だが、彼のこんな二面性は小十郎の胸を打っていった。

 ――ヤバイな。

 そんな風に感じる。このままどんどん、政宗に嵌っていくような気がする。

 ――俺はこいつを、喜ばせたい。

 うずうずと胸の裡に沸き起こるのはそんな気持ちだ。どうしても目が離せなくなってしまうのではないだろうか。
 政宗は窓の外の桜の精に向って、ぶんぶん、と腕を振って見せている。それを微笑ましく窺いながらも、小十郎は少しだけそんな不安を抱えて車を滑らせていく。

 ――ま、とりあえずは花屋に行かなくちゃな。

 軽く頭を振ってから、小十郎はハンドルを切った。
 その瞬間に勢いでバランスを崩した政宗が「Noooooo!」と叫びながらころころと転がっていった。










 花屋に行くと既に時間は夕方に差し掛かっていた。まだ日も長い時期なのであたりは明るい。そんな中で首にタオルを巻いた慶次が、ふう、と腰を伸ばしたのが眼に入った。

「慶次ィィィ!」

 小十郎の肩に仁王立ちになって――しかも腕組をしながら――政宗は慶次のことを呼んだ。するとその声に反応して慶次が振り返る。

 ――やっぱり。

 振り返った慶次が、あ、と小十郎の顔を見つめてから「いらっしゃい」とはにかんだ。目が合った瞬間に、慶次は【見えている】という事を告げてきたようなものだ。そうしている内に慶次が近づいてきて、軽く頭を下げた。

「来ると思ってました」
「そうだろうな…その分じゃ」
「慶次ッ!こいつな、こいつ…小十郎!俺のこと見えるんだって」
「良かったねぇ、政宗」
「おうっ!」

 ――ぴょん。

 小十郎の肩から慶次に飛び込んだ政宗は、興奮しながら伝えていく。政宗の様子から、小十郎と話せるようになって嬉しいのだと、しみじみと伝わってきた。

 ――俺と一緒の時は、まだ緊張してるんだな。

 砕けながら、手をぶんぶんと振り回しながら慶次に話す政宗にそう気付く。だがそれさえも微笑ましくて、小十郎は口元に笑みを浮かべていた。

「片倉さん、此処じゃ何ですんで…中で」
「そうだな。邪魔する」

 ふふ、と口元に笑みを浮かべながら慶次は店内に誘っていく。顎先から滴る汗を拭きながら、慶次は「今日は千客万来」と呟いていったが、小十郎の耳には届いてはいなかった。







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