Want you darling





 忙しい毎日に気付けば疲弊していた身体が、休め、と信号を出してきた。
 それは簡単な信号で、身体が熱を帯びていく。昔からこうだ、と思わざるを得ないが、自分で気付かない無理に気付かせてくれるから都合の良いものでもある。
 ただ今回は勝手が違った。
 目を覚まして、気付いたら目の前に小人が居た。しかも体長約15cmの小人だ――彼は視線が合うと、ふぎゃ、と飛び上がった。

 ――幻覚が見えるなんてな…

 小十郎はその小人を凝視して其処に立ち尽くし、言葉をなくしていった。










 汗に濡れた身体を清めてから、首にタオルを引っ掛けた状態でソファーに座り込む。すると目の前のテーブルに、ちょこ、と仁王立ちしている小人と目があう。
 じっとそれを見つめていると、次第に小人の表情が、ふにゃ、と歪みだしていく。

 ――あ、泣くか?

 だが歪んだ先から再び、きり、と顔に力を込めて背筋を伸ばしていく。その仕種に小十郎はハッと気付いて自分の眉間に手を当てた。

 ――知らず睨んでいたか。悪いことしたな。

 眉間を指先で揉みこんでから、ずっと無言で見つめていた小人に話しかけた。そもそもなんでこんな小人が見えるようになったのか、皆目検討も付かなかった。

「すまん、いくつか質問してもいいか?」
「おうッ!何でも来いッ」

 ぎゅむ、と拳を作って目の前の小人が声を張り上げる。だが良く見るとその肩が、ふるふる、と震えていた。

 ――緊張、しているんだな。

 小十郎はそっと小人に手を伸ばした。すると触れる直前に、びくん、と小人が身を竦める。それをゆっくりと持ち上げ、手の上に乗せると小十郎は自分の目の高さに持ち上げた。

「うわ…、な、何するんだよッ」
「いや…こうしている方が話しやすいかと思って、な?」
「――……」

 小人が急にぱちぱちと瞬きを繰り返す。だがその小人の顔には、右側に髪が流れており、その下が見えない。くるくると包帯を巻いた姿に、少しだけ痛々しさを感じた。

「厭か?」
「い、厭じゃないッ」
「そうか…なら、少し落ち着こうか」
「う、うん…そうだな」

 掌に載せて指先で彼の背中を撫でてやると、次第に落ち着いてきたようで、ふう、と息を吐いていく。時折、戸惑ったように小十郎の方をちらりと見ては、俯いて瞳をぱちぱちと動かす。良く見ると瞳は青灰色で朝日に、きらりと光っている。

 ――綺麗な目だ。

 小十郎は目の前の小人の背をなでる指先を、そっと顔の方へと向ける。指先が移動したのを見て、きゅ、と口元を彼は引き締めた。そうすると頬がほんのりと、ふっくり膨れていく。指先をずらして頭を撫でてやると彼は、嬉しそうに口元を、もにもに、と動かした。

 ――素直に笑えばいいのに。

 嬉しそうな仕種とは裏腹に、それを耐えている顔がいじらしい。小十郎はしつこく頭をかいぐりながら問うた。

「で、お前名前は?」
「政宗だ。伊達、政宗。伊達園芸店で生まれて、育ててくれたのは慶次ッ」

 ふん、と胸を張る姿が可愛いらしい。小さな足で胡坐をかいて、ころんとした身体の真中で腕を組んでいる。そのまま胸を張っていると後ろに倒れそうに見えた。
 小十郎は笑いたくなるのを堪えて政宗の頭をなでる手を離した。

「政宗か…いい名前だな。俺は片倉小十郎」
「小十郎……」

 ほわ、と小十郎の名前を呟きながら、政宗が頬を桜色に染める。小十郎は、そう、と相槌を打つとソファーの上にクッションを倒し、その上に政宗を置いた。
 政宗はソファーの上に乗せられて、ぽよぽよ、と足元でクッションを叩いてから、くるくると其処を回り、頂上にすとんと座り込む。

 ――確か、犬ってこういう風に寝床作るよな?

 政宗の仕種に笑い出したくなる。小十郎は笑いで揺れる肩を押さえ、口元に手をあてて小さく、ふふふ、と口の中で笑った。
 小十郎はソファーに身体を沈みこませるように、体重を預けていく。窓からはささやかに風が吹き込んできて、カーテンをふわりと動かしていた。

「ところで政宗、だったな。お前、何なんだ?」
「俺は花の精だ」

 政宗が再び腕組をしたまま、ふん、と胸を張る。ぐらぐらするクッションの上でどうやらバランスを取るのに慣れてきたらしい。
 花の精、と云われて思いつくのは窓際に置いた鉢植えだった。小十郎は顔を起して窓際にある鉢を顎で指し示した。

「花の精?――…あれ、か?」
「そ。あれが俺の本体だ」

 ――あれでも花、咲かせるんだぜ?

 にひ、と歯を出して政宗が笑う。窓際の鉢植えと政宗を交互に見ると、なるほど合点がいく。
 昔、病気になってしまって歪んでしまった枝――片方にしか葉をつけられないその姿が、目の前の政宗の隻眼と重なって見える。

「花、どれくらい咲くんだ?」

 小十郎が窓辺の鉢植えを眺めながら聞くと、ぼふ、とクッションから勢いよく飛び出して政宗は小十郎の肩に飛び乗ってきた。
 よじよじと上ってくる姿が、まるでぎこちない子犬の動きと重なる。あまりに頼りなくて思わず手を指し示すと、肩に乗った政宗が片手を小十郎の頬に当てて、覗き込んできた。

「今年は一杯咲かせてみせるからなッ。楽しみにしててくれ。ただ…」
「ただ?」

 小十郎が聞き返すと、少し恥らうように斜め下を見る。そして足元をもじもじと動かしていった。

「肥料とか、水とか、日当たりとか…」
「ああ、気をつけろって?」
「――解ってるじゃねぇか」

 ――ぺちん。

 小さな政宗の手が、小十郎の頬にぺちぺちとあたる。豪快なのか繊細なのか測りかねるが、威勢がいいのは解った。

 ――見ていて飽きないな。

 ふふふ、と口の中で笑うと政宗が、ぴん、と背を伸ばす。そして、ふわ、と頬を緩めて笑う。その仕種が小さな子どもの照れ笑い――はにかんだ姿にも似ていて、見ているほうが和んでしまう。濃い濃紺のようにも見える髪を指先でなでると、指に柔らかい感触が触れてくる。
 小十郎が指先で小さな政宗を撫で回していると、その内彼は、うひゃひゃひゃ、と笑い出した。そしてふと小十郎は思いついて政宗に聞いてみた。

「他にお前みたいなの見える奴っているのか?」
「慶次が見えるぜ」

 小十郎の頬に小さな手を当てて、政宗が小首を傾げる。
 慶次とは、政宗の鉢を手にしたあの花屋の店長のことだ。ふと彼の顔を思い出した。

「あの花屋かぁ…道理で」
「――…俺、また戻しちまう?」
「え…――?」

 ふいに不安そうに政宗が眉を下げて小十郎の顔を覗き込んできた。すると政宗は小十郎の頬に両手をつけたままで、俯いていく。
 への字に曲げた口元が――上唇が下唇にかかって、むに、としている。

「俺、俺さ…お前に貰われて良かったって思ってるんだ。っていうか、お前の元に来たかったっていうか…」
「――政宗…」

 一生懸命に言葉を選びながら、必死に言い募る政宗に、思わず胸元が熱くなる。ぎゅ、と頬にしがみ付かれ、そして再び、とん、と身体を離して政宗が俯く。

「だから、だから、いらない、って戻されたら…俺…」

 うるうる、と大きな青灰色の左目が、涙をたたえて潤みだした。

 ――こつ。

「馬鹿」
「――…ふぇ?」

 指先の――爪の部分を使って政宗の額を突く。すると、今にも零れ落ちそうな涙をたたえて、政宗が顔を上げた。

「誰が戻すかよ。俺はお前の鉢だから…欲しいと思ったんだ」

 欲しいと思っていた――それは本当だ。
 何度見ても綺麗だと思った。綺麗な、片翼の鳥のような枝ぶりに、調度良い大きさの鉢。それがこの部屋にあって――どこか部屋の中に緑の色を映えさせている。それがとても自然のことのようで、見ていてもホッとしてしまう。
 緑の効果なんてそんなに信じてもいなかったが、ただ見ているだけでも癒されている自分に気付く。それに、目の前には不思議な花の精までいる。

 ――こんな珍しいこと、そうそうあるもんじゃない。

 最初はついに頭にまできたか、と幻覚が見えるとも思った。だがこうしてしっかりと触れるし、話せる――政宗が其処に存在しているのがわかる。
 すると急に政宗は拳を、ぎゅ、と握って小十郎を見上げて叫んだ。

「小十郎…――だって、お前俺見るたびにしかめっ面してたじゃねぇか」
「いや…それはだな」

 そういわれれば、そうみえたかもしれない――小十郎は口元に手を当てて、かぁ、と頬を赤らめた。

「何だよ?言えよ」

 ――言ってくれよ!

 政宗は衝撃の告白があるのかと、肩を戦慄かせて迫ってくる。小さな身体なのに迫力だけは一人前にある。
 小十郎は恥を忍んで、ゆっくりと――たどたどしく話していく。流石に政宗相手でも恥かしいものは恥かしい。口元に手をあてて、ごにょごにょと口篭っていく。

「片翼の、羽みたいに見えて、綺麗だな…って。見惚れてたんだ。すまん、どうにも俺はこういう顔しか出来なくてな」
「――本当か?」

 きょと、と政宗の青灰色の――ビー玉のような瞳がくるりと動く。それをちらりと横目で見ながら言うと、徐々に政宗が瞳を眇めていった。

「ああ、嘘言ってどうする?」
「良かったぁ…」

 じわ、とそれに合わせて再び政宗の瞳に涙が浮かぶ。
 嬉し泣きだとわかるが、ふにゃり、と揺れた彼の笑顔に、涙がぽろんぽろんと零れた。小十郎が慌ててそれを指先で拭うと、政宗は小十郎の指先に両手を添えていく。

「泣くなよ、政宗…」
「えへへ…俺、俺うれしくて」

 ぽろぽろ、と涙が立て続けに零れる。だが政宗の顔は、ほんのりと色づいて、この上なく幸せそうだった。
 小さな手が、きゅ、と頼りなげに小十郎の指に添えられている。その事に、小十郎もまた釣られて口元を綻ばせていった。
 程なくして政宗の涙が止まると、小十郎が身体をソファーから起こして背伸びをする。

「さてと、それじゃ…ちょっと花屋まで行くか」
「Hey!待てよ」
「――…?」

 ぽふ、とクッションの上で一回飛び跳ねてから、政宗が指を小十郎に向ける。

「お前、熱出してたじゃねぇか。少し休めって」
「気遣ってくれるのか?」

 ずい、と政宗に顔を近づけると「う」とか「あう」とか言いながら政宗が戸惑う。素直に頷かない辺りが、余計に可愛くていじめたくもなるが、確かに彼の言うとおりだ。

「それじゃあ、明日、花屋に行くとするか」
「俺も連れてけよ?」

 小首を、かくん、と動かして政宗が両手を伸ばしてくる。それを掬い上げるように持ち上げると、胸に引き寄せた。すると政宗は、へへへ、と照れたように口元で笑っていった。

「さて、飯でも食うか」
「俺にも水くれッ!」

 小十郎が空腹を訴える腹を叩いていうと、抱えた政宗もまた叫んでいった。





 ――家に鉢植えが来た。小さな、片翼の鳥のような枝振りの鉢。それがこんなにも疲れていた自分を癒してくれるとは思ってもいなかった。







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