Want you darling



 ――デートしよう。
 そう決めたのはホワイトデーの朝だった。頷いた政宗に小十郎は早速支度を始める。直ぐに朝食に使っていた食器を洗い始めると、政宗もハッとして口に最後の卵焼きを入れて食器を持ってきた。

「こ、これも!」
「ゆっくり食べていていいぞ」
「だってデート、遅れたくねぇし!それにデートだろ?待ち合わせとか、一緒に手つないだりとか」

 食器を受け取りながら、小十郎が「ううん?」と唸った。政宗は興奮して頬まで紅潮させている。だが気付かずに続けた。

「待ち合わせは…無理だろ。ここから一緒に出るし」
「先にお前が出るとか…待てよ、遅く来たお前が【待ったか?】って聞くのがいいッ!」
「夢見てるなぁ…」

 ざあざあと洗った食器を流水ですすぐ。軽く小十郎が、ふ、と笑うと政宗は上目使いになってこちらをじっと見上げてきた。

「何だ?」
「ダメか?」
「――何が?」
「だから…夢、見ちゃダメか?」

 ――俺、お前とすることなら、夢でも見て居たい。

 消え入りそうな声で政宗が言う。しゅん、と項垂れる頭が――つむじが見えて、できればこのまま思い切り抱きしめたい気持ちに駆られた。だがそれをぐっと押さえて、小十郎は彼の青みがかった黒髪に手を乗せた。

「見てていいぞ、良い夢ならな」
「小十郎…」

 俯いたままで、小十郎の手首に手を伸ばして握りこむ。比べると大きさが随分と違うことに気付く。小十郎はそのまま、するりと手を離してから「どれ着て行くかなぁ」と言いながら自室に向かう。直ぐにまた政宗がその後ろを追っていくと、二人で慌てながら支度をしていった。










 デートと言ってもこれと言ってすることが思いつかない。買い物をして、食事をして、とそのくらいが浮かんで消える辺り、いつもと変わらないような気もするし、そうでないような気もする。
 3月とはいえ、まだ冷える日も続くというものだ。見た感じでは少し薄着に見える政宗が、首元を晒したままで振り返る。寒風に、項に髪が絡みつくのが目に入って、やたらと色気が強く感じられて目の毒だ。

「寒くないのか?」
「俺を誰だと思ってやがる?」
「――…政宗?」
「俺は冬の、そして早春の花だからな」

 ――これくらいは何ともねぇよ。

 笑顔で振り返る政宗に、うっかり手が伸びる。そのままどこかに飛んで行ってしまいそうな勢いだった。先に歩く政宗の手に、手を伸ばす。触れ合う瞬間に、思い切り踏み込んでから、手首をぐいと引き寄せた。

「わ…ッ」

 ――どん。

 引き寄せた力が強すぎて、己の胸元にぶつけてしまう。驚いた政宗が肩越しに振り返ろうとするのを、覆いかぶさるようにして抱きしめた。

「こ、小十郎…ここ、外…ッ」

 焦った政宗が胸の内側で告げてくる。だがそれよりも何故か己の懐に彼を抱きしめたままで居たかった。

「すまん、もう少しこのまま」
「でも誰かに見られたら恥ずかしいんじゃ…」
「恥ずかしくない」

 ぽんぽん、と彼の後頭部を撫でてやると、ふう、と政宗の肩から、身体から、緊張が解けたのが解った。

「あのさ、小十郎…」
「うん?」
「もう少し、このままで居ていいかな?」
「そりゃ、勿論――…ッ」

 言いかけて、ぴく、と小十郎が動いた。それもその筈で、政宗の手が腕にかかる。そして腕を伝って、小十郎の手に触れてきた。

「手、繋いでいたいんだ」
「――お前、ちょっと少女趣味だな」
「そんなんじゃねぇよ」

 ぷう、と膨れた彼を見下ろし、少し身体をずらす。多分周りにはバランスを崩した政宗を受け止めたようにしか見えなかったに違いない。それくらいに短い時間だったが、なぜか凄く長いように思えた。
 並んで歩きながら、政宗が手を握ってくる。そういえば今朝彼にデートを申し込んだときにも、手を繋ぎたい、とか言っていなかっただろうか。
 それを思い返すと、政宗が心なしか嬉しそうに微笑んでいるようで、小十郎の胸元がぎゅうぎゅう締め付けられていく。

 ――可愛いな。可愛いって、本当に思う。どうしたらこいつをもっと笑顔にさせてやれるのだろうか。

 そんな事を考えていると、政宗が金色の瞳をポスターに向けて止まった。人ごみの中を歩くのも随分と慣れたと思うが、彼がこんな風に目を奪われて足を止めるのは珍しい。

「どうした?」
「あれ…――見てみたい」

 促される先には、群青色の空に輝く星がある。そう、プラネタリウムのポスターだ。

「プラネタリウムか…水族館も併設されてるな」
「それも見たい」
「いいぞ、入ろうか」

 ふわ、と政宗が瞳を動かしたのが解った。長い、切れ長の睫毛が上から見ても揺れたのが解る。そしてくるりと振り返ると、陽光に輝いて金色に瞳が輝く。

 ――ああ、綺麗だ。

 思わず見とれていると、首に彼の腕が回ってきた。

「Thank you!My darling.」
「え…――」

 飛びつかれて反射的に受け止めようとしたら、とん、と直ぐに彼は地面に足をつける。一瞬の出来事に小十郎が動けずにいると、手首をつかんで引っ張ってくる。

「早く、早く!」
「あ…ああ、そう引っ張るなよ」

 まるで休日の親子の遣り取りに逆戻りだ――そんな風に思いながらも、小十郎は抱きつかれた時に頬に触れた柔らかいものが、何だったのかを、あえて考えないようにしながら中に入って行った。
 プラネタリウムと水族館の併設された館内に入ると、先に時間を確認する。プラネタリウムの上映時間が少しずれていて、先に水族館を観て回ることにした。
 休日だけあって、人は多い方だ。その中で政宗が瞳を輝かせて水槽に見入っている。

「すげぇ、これ何?」
「これはエイだな。で、あっちが鰯……」
「鰯?鰯って今朝食べた奴?」
「そう、その鰯」
「へぇぇ、すげぇな〜」

 政宗はどれもこれも目新しいのか、凄い、と連発気味だ。一緒になって魚の遊泳を観ていると、以前来たのは何時だったか、と自然と過去を思い返していた。

 ――ああ、最後に来たのは確か。

 随分と昔だ――それも当時付き合っていた彼女と来たのが最後だった。場所はここではないが、確かに誰かと来たのはデートの時だった。

 ――俺も変わってないのかな。

 デートで思いつくことがないなんてのは嘘だ。本当はあれやこれとすることはたくさんある。ただ忘れていただけだ。忘れるほど、日々に追い詰められていただけだ。
 小十郎はそっと自分の眉間に指先を向けた。ここに皺が刻まれるほど、睨んで、力を籠めて、そうして頑張って来ないと行けなかったはいつからだっただろうか。

 ――つ。

「政宗…」

 つい思案にふけっていると、眉間の手に政宗の手が触れてきた。ハッとして彼を見下ろすと、政宗は指先で眉間のしわをぐりぐりと動かした。

「おい、こら…」
「お前、あんまりここに力入れていると怖い顔になるぞ」
「怖い顔なのは元から…」
「そんなことない」
「政宗…」
「お前は、か…かっこいいよ」

 ぽかん、と思わず口を開いてしまう。すると政宗も流石に恥ずかしくなったのか、手を離してからくるりと背を向けて、目の前にいたアザラシの水槽に顔を寄せた。
 横に並んでから、彼を見下ろす。
 鼻先まで赤くなったのが見えて、ぷ、と噴き出してしまった。

「お前、ほんっとに…――」
「な、なんだよ?」
「可愛いな」

 びく、と肩を揺らした政宗が、勢いよく顔を上げる。じわじわと赤くなってくる顔に見入っていると、一緒に彼の黄金の瞳に涙がじわりと浮かんだ。

「え、おい…ちょっと待て」
「だったら…何で…――ッ」
「――…」
「――ごめん、何でもない」

 ぶんぶんと首を振った政宗が、大きく深呼吸をする。再び顔を起こした彼は、まるで一瞬で顔を変えたかのように、さらりと切れ長の瞳を流した。
 先に歩を進める中で会話は消えて行く。でも何故か、先ほどよりも距離が縮まっていくような気がした。

 ――歩く度に、胸が、鼓動が強くなる気がする。

 隣に並んで歩いているだけなのに、どうしてか鼓動が跳ねる。それを聞かれまいとしてふるまうと、どうしても無口になってしまう。それなのに、触れている指先や、手が、どんどん二人の間を縮めていくような気がした。

「なぁ、小十郎」
「うん?」
「そろそろだってよ、プラネタリウム」
「行くか?」
「ああ」

 会話もいつもと変わらないペースだ。でもそれが逆に心を落ち着かせる。並んで歩けるのだって、もしかしたらあと少しかもしれない。今朝観てきた彼の花は、見事なまでに開いて、八重の花びらが黄金色に優しく光っていた。

 ――でも蕾はあとひとつ。

 それが既に膨らんでいて、花開いたら終わる。
 花期が過ぎれば、こうして間近で吐息を感じることも、鼓動を感じることもなくなる。前の三等身の小さな姿に戻って、変わらない毎日を過ごすだけだ。
 それも幸せだが、こうして等身大で触れ合うには、時間が限られている。

 ――解ってる、解ってるんだ。

 プラネタリウムの座席が傾いて、空が目に入る。

【春、夏、秋、冬…まずは冬の星座から…】

 そんなアナウンスが耳に届く。暗くて解らないが、たぶん政宗の瞳も空の――人工的な星を追って、きらきらとしているに違いない。

 ――つん。

「――――…ッ」

 隣に手を伸ばして直ぐに、彼の手に触れた。指先が動いて、くるりと反転する。わざわざ隣を観なくても解る。
 迎え入れるようにして開かれた手に、己の手を重ねてから、小十郎はそっと指を絡めていった。










 水族館とプラネタリウムを観てから、軽く食材を買い込んだ。それから一緒にインテリアを観て――つい仕事に頭が向きがちになってしまうのは仕方ない――軽く何か食べてから帰ろうかと持ちかけた。
 小十郎の運転する車の助手席で、政宗が窓を外を眺めている。

「何が食いたい?イタリアンでもフレンチでも、何なら和食でもいいぞ」
「――ほし」

 ぽつ、と政宗が呟く。何だろうかと耳を澄ませると、政宗は外を見つめながら告げてきた。

「星ってさ、あんなもんだっけな?」
「どうした?」
「俺、もともとは大樹から生まれたから…いつも満天の星を見てきた」
「都会は光が多すぎて、そんなに星は見えないからな」
「星が見たいな」

 助手席の窓越しに反射して、政宗の瞳が見えた。少しだけ郷愁を思わせるセリフに、どん、と胸元を叩かれたような気がした。小十郎は、ふ、と呼吸を整えるとハンドルを思い切り切って方向転換をした。

 ――ぐん。

 ぐる、と車が方向を変える。遠心力で身体を持っていかれそうになった政宗が、驚いて運転席の小十郎を見上げた。

「おい、どうしたんだよ」
「飯は後だ」
「え…――ッ」

 ぐ、とアクセルを踏み込む。そのまま政宗の問いかけには答えずに車を滑らせていく。いくら聴いても向かう先を教えて貰えない政宗は、聞くことを諦めて口を閉ざした。
 二人の間には無言の空間が出来る。
 いつもは何かしらと政宗が喋っているし、家に帰るとテレビを点けてしまう。だから音が無い――人の声のしない空間が、酷く久しく感じられた。
 どんどん市街から離れていく。それに合わせて辺りに木が増えてきた。街灯も薄れて、高台まで来ると夜景と湾岸が見えるくらいに遠くに光が見える。

「着いたぞ」
「――…此処は」

 先に小十郎が運転席から降りると、直ぐに政宗も降りる。そして少しだけ歩いていくと、ふわりと小十郎が政宗の後ろに回って背後から抱きしめた。

「小十郎…?」
「上、見てみろ」

 言われるままに見上げると空一面に星が瞬いていた。だがそれも満天とまでは行かない。それでもいつも見ている空に比べると遥かに星のまたたきが多かった。

「正月に俺の実家に行っただろう?」
「うん…」
「あそこ位だと、夜になると星が降ってきそうな程になるんだ。それは多分、お前が見てきたのと変わらないだろうけど」

 ――でも今のここじゃ、此れが精いっぱいだ。

 一緒に見上げた空には星が瞬く。だけど、これ以上の「降るような」星空を政宗に見せたいと思った。でもこの場所ではこれが精いっぱいだ。プラネタリウムの偽物の星空もそれなりに綺麗だが、こうして見上げる本物の星はもっと美しい。
 空を見上げる政宗を見下ろすと、静かに小十郎は彼の唇に唇を重ねた。触れるだけのキスに、政宗が唇を少しだけ開く。

「あのな、政宗…」
「――…」

 腕の中に、背後から抱きしめて、抱え込んだ温もりがある。この小さな温もりを大事に思う気持ちには変わりはない。大事だから、余計に大事過ぎて壊せないものだってある。
 大事過ぎて、守りたくて――もしかしたら相手には大きなお世話で、本当はそんな関係を望んでいるんじゃないのも知っているけれども、どうしても今のこの関係を壊したくなかった。
 小十郎は腕の中の政宗の頬に、ふ、とキスを落としてから、彼の肩口に顔を埋めて、くぐもった声で「ごめんな」と告げた。

「――俺は狡い大人だから、本当は欲しくて、咽喉から手が出るほど欲しいけど、でも出来ないんだ。小心者なんだよ」
「――…」
「お前の事、凄く大事だ。いつでも笑顔で居て欲しいと思う」
「――…」
「だけど、今の此れが俺の精一杯だ」

 背後から抱きしめて、肩口に顔を埋めている体勢では、今の政宗の表情は見られない。いや、この場で彼の落胆する貌など見たくない。
 だが頭に、そっと政宗の手が触れてきた。そして彼の明るい声が耳朶に突き刺さる。

「――…抱けない、ってことだよな?」
「政宗…」
「いいぜ。俺は待つから」
「ごめんな…」
「謝るなよ。お前が俺を大事に思ってくれているのは解る。だけど、まだレンアイカンジョウじゃないって事だろ」

 ぐしゃぐしゃと政宗の手が髪を乱していく。それでも解ってしまうのは、政宗の身体が小さく――ほんの小さく、震えている事だった。彼は必死に今の落胆の気持ちを流そうとしている。でもこれだけは伝えておきたかった。

「しっかり恋だとは思う」
「良いって。お前、不器用だし。鈍感だし。晩生だし。時々、古臭いし…」
「政宗…」
「でもそんなところも全部含めて、俺、お前の事大好きだから」

 震えが収まったと思うと、顔を上げるように政宗の手が頬に触れた。腕の力をわずかに緩めると、直ぐに政宗が身体の向きを変えて、乱れた前髪を掻きあげてくれる。そして、頬に手を添えられて、彼が少しだけ背伸びをしたのが解った。

「好きだ…小十郎」
「――…ああ」

 星空の下で交わしたキスが、どこか涙の味がしたのは、気のせいではない筈だ。
 気持ちを偽ることもない――でも、少し静かな恋を始めた瞬間だった。






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