Want you darling



 ホワイトデーの日、遅くに家に着いてみると、二つ咲いていた内の一つの花が落ちていた。残る蕾はまだ硬いままだが咲くのは遠くない事が解った。
 金色に光る八重の花びらが、少しだけ下を向いていて、キスをしてから言葉を交わさずに俯いている政宗の姿と被って、思わず目を背けてしまった。
 気まずいまま、気付けば桜の蕾も膨らんできていた。

「だからって…どうしたら良かったんだ」

 会社のデスクで思わず零すと、とん、と目の前にコーヒーが置かれた。見上げるとそこには眼鏡をかけた元親がいる。

「部長、ちょっとブレイクしませんか」
「長宗我部…」
「また眉間に皺、寄ってますよ?」

 指摘されて思わず手が眉間に伸びる。言われてみると随分と其処に力を入れていたように思えた。小十郎は背もたれに背を預けて、ふう、と大きく嘆息すると、淹れてもらったコーヒーに口を付けた。

「どうします?」
「何が?」
「ちょっと外出ましょうか」

 ず、とミルクをたっぷりと入れたコーヒーに口を付けながら、元親が問いかけてくる。提案しているが既に彼のスーツのポケットには元就と幸村が入り込んでいた。それを見上げてから小十郎もまた椅子から立つ。

「そうだな…少しくらい息抜きするか」

 今日は佐助が現場に行っており不在だ。二人で外に出るのも珍しくないが、このところいつも三人で動いてたせいか、少しだけ気配がないことに違和感を感じていた。
 近くのコーヒーショップに腰を落ち着けると、元親はクッキーをひとつ頼んで、それを幸村と元就の前に差し出す。チョコレートチャンクがごろごろと入ったそれを、二匹は手元でぶちぶちと引きちぎっては口に運んで、そして甘さに思い切り頬を緩めていた。

「政宗は…卵焼きが好きなんだよなぁ」
「――どうしたんです、急に」
「いや、こいつらみたいに甘党じゃないな、って思って」

 政宗が好むのは卵――それから、塩味の効いたもの。
 柔らかい素材のシーツや枕。
 白い、両手に抱えるくらいの大きなマグカップ。
 あと、ゲームと洋画。
 彼の好きなものを頭に思い浮かべながら、紅茶を口に運んでいると、にやにやとしながら元親が身体をこちらに向けてきた。肘をついているから横から見つめられている気がして落ち着かない。

「あんた今、政宗の事考えてるでしょ」
「――やっぱり気付くか」
「顔が違う。すっげぇ、幸せそうだ」

 ふふ、と優しく笑う元親の眼元に、眼鏡が光る。その下で長い睫毛が揺れている。彼の視線の先には同じように愛しく思う花の精が居る。たぶん元親に元就の事を聞いても、同じように甘い言葉が返ってくるに違いない。

「あいつの事、結構解ってきたんだけど…やっぱり越えられなかった」
「で、反応は?」
「待つって…でも無理しているような気がする」

 昨日の今日だ――それに最後の蕾も開いてしまった。あと一週間くらいで花は落ちるだろう。それを「早く」とも思うし「まだ落ちるな」とも思う。
 肩を落として俯く政宗の背中を、抱きしめるしかできない。
 それすらも本当は酷いことかもしれないけれども、ちゃんと好きなのは好きだ。でもあまりにも純粋に彼を好きになって、汚したくなくて手が出せない。
 開花の早い今年の桜を見上げて、花見をしたのがついこの間だ。その時には木蓮の盃を前にして、政宗は寄りかかってきて苦しい胸の内を告げてきた。

 ――手くらい、出せよな…。

 あれは紛れもなく本心だろう。だけれども、その話になると気まずくて逃げてしまう。あと一週間もしないうちに年度も替わって、新入社員も入ってくる。気持ちも新たにしなくてはならないのに、こんな風に気持ちを掻き乱されるのはどうしたらいいのだろう。

「本当に、参っているよ…単に、好きなだけなのに」
「本気なんでしょ?」
「――…」

 とん、と元親が答えを落とす。まるで背中を軽くたたかれたような衝撃だった。小十郎が貌を起こして元親に視線を向けると、彼はクッキーを元就に千切り分けてやっていた。それを小さな手を伸ばして元就が受け取っている。

「本気だから、慎重なんだ」
「――…」
「何も恥ずかしいことも、焦ることもない。あんたは愛されてますよ」
「あい…って、おい!」

 さらりと言われて、かあ、と顔に血が上った。他人に自分の気持ちを代弁されることが、こんなにも恥ずかしいとは思わなかった。

「大丈夫だって。政宗は情が深い。なぁ、幸村、元就?」
「そうでござるよ。政宗殿は優しいお方でござる」
「一途だしのぅ…」

 もふもふと口を動かしながら二匹の花の精が答える。そして大きなチョコレートチャンクを飲み込んだ元就が、こほ、と咳払いをして小十郎を見上げてきた。

「良いか、これは他言無用ぞ?」
「何だ…?」
「政宗はな、お前に初めて会った時から、お前だけを見て来ていた」
「――…ッ」

 元就が告げると、幸村は両手にクッキーを抱えたままで頷いた。そして言葉を繋げる。

「そうでござる。政宗殿は、片倉殿が来てくれると信じておられた。某には強がって、売れ残るとか言っておられたが、再会した時の政宗殿の視線には必ず片倉殿が居り申した」
「――…お前ら」
「なぁ、片倉さんよ。あんた、こんなに愛されてんだぜ?」

 ――まだ不安かよ?

 にこにこと微笑む元親に、それから幸村と元就に、思い切り頭をハンマーで殴られたかのような気がした。自分が確証も持てずにいた感情を、すっかりと読み取られてしまっている。

「いつ捨てられんだとか、嫌われるんじゃないのかとか、色々不安はあるもんよ。それが人付き合いだ。それがましてや恋愛なら尚の事、深いところまで読み込もうとする」
「――…」
「でも臆病になっちゃいけねぇよ、片倉さん」

 ぽん、と肩に手が乗る。小十郎は静かに頷くと、そうだな、と答えた。確かにそうだ。言い訳をしている内は自分は安全だ――相手のせいにも出来る。でも違う。

「俺から踏み込んでも良いんだよな」
「そうそう」
「精を出すがよい、片倉の」
「ヤル時にはヤルでござるぅ!」

 急に的を外した幸村のセリフに、ぱちん、と空かさず元就の平手が飛ぶ。小さな手の平手に、あう、と幸村がのけぞった。それを見つめながら小十郎は小さく、ありがとう、と彼らに告げていった。










 最後の蕾はもう開いてしまっている。
 家に帰ってから出迎えてくれる政宗が、少しずつ不安そうにしているのは、いつ花期が終わるか知れないからかもしれない。

「ただいま、政宗」
「お、おかえり…えっと、暇だったから、掃除しておいた」
「ありがとうな、お前はいい子だよ」

 思わずそう述べて、頭を引き寄せてしまう。つむじに口づけてから、頬に手を伸ばすと、びく、と政宗が震えた。顔を近づけてから、じっと彼の黄金の瞳を覗いた。
 つい、と逸らされる瞳――あのホワイトデーの日から、キスもまともにしていない。覗き込んだ彼の瞳の黄金が陰り、時々、青く光る。

「ダメか?」
「――な、にが?」
「キス、したい」
「――…っ、曖昧なのは嫌だ」

 きゅ、と下唇が引き絞られる。それをじっと見つめてから、小十郎は両腕を広げて、政宗を自分の胸元に押し付けた。

「お前、花期がそろそろ終わるだろ?」
「知ってたのか」
「毎朝、お前の花を観てるんだ。気付くさ」
「――…前の姿に、早く戻ればいいよな。そうしたらお前も気を使わないし」
「馬鹿野郎」
「え…」

 胸に押し付けられてくぐもった声で話す政宗が、いじけているのは解る。思わず強い口調で遮った。

「俺はお前に恋をしている。それは変わってねぇ」
「恋…って」
「恋だよ。まだレンアイじゃない」
「――解らねェよ」

 ぎゅ、と背に回ってきた彼の手が、シャツを握りしめてくる。
 だけど、政宗の前で嘘はついてこなかった。迷っても、不安になっても、正直に告げてきた。だから彼にとって辛い言葉でも、知ってほしいから告げる。

「恋はさ、想い焦がれている間だ。お前に恋しているよ。でも恋愛は二人でするもんだ。だから…」
「じゃあ、いつになったら愛に変わる?」
「――…ッ」
「俺の、花の時期は短いんだぜ?次は一年後だ。その間に、どうやってお前の気持ちを繋ぎとめて置けばいい?」

 ――どん。

 不意に強く胸を突かれた。そして腕の中の温もりが消え、涙を浮かべた政宗が此方を睨んでいる。

「俺はそんなの嫌だ!お前だけ見てきて、お前だけ欲しくて…でも、花が落ちたら…お前は俺に興味なんて…」
「政宗…」
「俺を好きになれよッ!俺を愛せよっ!俺を……ッ」
「――…」
「もう嫌だ、こんな苦しいのは…ッ。でも、俺…」

 ぼろ、と政宗の瞳から大粒の涙がこぼれた。ぼろぼろと次々に零れ落ちる涙が、フローリングの床に落ちて行く。俯いているせいだろう。小十郎は唇を噛みしめて俯く政宗の頭を引き寄せると、勢いよく抱きかかえた。

「え…、ちょ…――小十郎?」
「まだ花は咲いていられるか?」
「たぶん、明日には落ちる…――」

 抱きかかえた政宗が現実を告げてくる。明日になればこうして触れ合うのは終わる。それが目の前に迫ったら、頭の芯から背中にかけて戦慄が走った。まるで電流のように、びりびりとした感覚が駆け降りる。
 小十郎はそのままベッドルームに行くと、ゆっくりと政宗を下ろした。彼が座り込んでいるのを見下ろしたまま、ゆっくりとネクタイに指を掛ける。

「小十郎…?」

 ひく、と政宗の咽喉が揺れる。ベッドサイドに置いた彼の花が、落ちるのを待ち望んでいるかのように俯いてきていた。

「謝っておく」
「――…ッ」
「抱くわけじゃない。でも、お前を見せてくれ」
「小十郎…?」
「まだ俺の手で穢したくない。でも触れていたいんだ」

 膝を折って、ベッドに座る政宗に視線を向ける。涙に赤くなった目が、不思議そうにこちらを見下ろしていた。彼の手を取って、その甲に口づけてから視線だけを彼に向けると、ゆっくりと政宗の手が伸びてきた。

「じゃあ、俺にも…触らせてくれ」
「政宗…」
「一年後まで、絶対に忘れないから」

 くしゃ、と眉が下がる。誰かに跪いたのなんて初めてだ。互いに向き合って、笑い合いながら何度も唇を重ねて、ゆっくりと服を剥いでいく。
 手に滑る感触を忘れないように。
 唇に触れる熱さを忘れないように。
 肌にだけ刻むようにして触れて、そうして抱き合って眠りについていった。









 ――あのな、小十郎
 ――何だ?
 ――俺をしっかりとその目に焼き付けて置いてくれ。来年まで忘れるなよ。浮気なんて許さねぇからな
 ――浮気なんてしないさ…絶対に他所なんて見ねぇよ
 ――本当だろうな?
 ――誓うさ。そうだな、あと何年かしたら、一軒家でも立てて、玄関先ににお前を植えてやろう。日当たりの良い場所が良いよな。鉢植えから地面に…
 ――地面……?それって、俺を樹にしたいって事か?
 ――そう。そのまま一緒に年を重ねて、ずっとずっと一緒に居ような
 ――…小十郎ぉ
 ――おい、泣くなよ
 ――だって俺嬉しくて。そうなったら毎年、お前に俺の花を見せてやる。今の鉢植えよりももっと…一年、一年、お前への思いの分だけ、花を増やしてやる
 ――そうしたら俺の家はお前の花でいっぱいになりそうだ
 ――もし…――お前が居なくなったら
 ――……
 ――俺は、静かに枯れるから
 ――政宗…


「だから、傍に置いて」






 朝日がまぶしくて、腕に抱いていた感触もまだ残っていたのに、翌朝に気付けば花は落ちていた。そして三等身の青い服を着た政宗が枕元でじっとこちらを見下ろしていた。
 青い瞳の彼を見上げて、小さな姿になっても愛しくて、両手で包み込んで引き寄せた。










「あ〜…やっぱり小十郎の卵焼きは最高だぜ」

 昼下がりに政宗が爪楊枝を手にしながら呟く。残り物ばかりを詰め込んだ弁当箱を広げて慶次の花屋で寛ぐ。何だかんだでこの花屋にはよく来るようになった。今はレジ横に薄紫の花が置かれており、弦がうねっている。時々その鉢植えの花の精が貌を見せるが、どうにも険悪だ――というよりも威嚇しているようにしか見えない。

「本当に片倉の旦那の卵焼きは美味しいねぇ」

 慶次が頷きながら箸を伸ばす。今日は政宗の肥料を買いに来たのだが、外には偶然出会った佐助と幸村、元親と元就もいる。この後は軽く食事でもして帰ろうと思っているくらいだ。

「どう?政宗を育てるの大変?」
「いや…最初は枯らすんじゃないかと心配もしたがな」
「そうだねぇ、この子、病気して片方にしか伸びられないしね」

 ふわ、と指先で慶次が政宗を撫でる。そうすると気持ち良いのか、政宗が「へへ」と嬉しそうに笑った。

「でも綺麗だったでしょう?」
「え…」

 ――政宗の花。

 慶次は煮物を口に入れながら言う。この花屋はいつ来ても居心地がいい。ふわふわと漂う花の精の光や、ちょろちょろと姿を現す三等身の花の精が自然になじんでいる。

「――ああ、凄く綺麗だった」
「小十郎、マジか?」
「勿論だ。咲いても綺麗だが、落ちても綺麗だ」
「て、れる…――じゃねぇか」

 ごくん、と卵焼きを飲み込んでから、政宗が背中を向ける。丸い背中がこちらに向けられるが、後ろから見る耳までも赤い。

「まあそうだよね、椿だし」
「うん?」
「しかも原種の、希少種『かぎろい』だもん。珍しいし、綺麗だよね」

 慶次が頬杖を付きながら言う。それに頷きながら小十郎は政宗を摘み上げると、彼の前でそっと政宗に唇を寄せた。

「こここここ…ッ!」
「もう返さないからな」
「返されたら困るね」

 ははは、と慶次が思い切り笑う。そして手を合わせると「色んな意味でごちそうさま」と告げて行った。肥料の入った袋を手にしてドアに手をかけ、小十郎は肩に政宗を乗せて慶次に言う。

「いつか政宗の…椿を地面に植えてやりたいんだ」
「いいねぇ…恋だねぇ」
「その時にはアドバイス、また宜しくな」
「いつでもどうぞ」

 店先で挨拶を交わしてから、元親や佐助に声を掛ける。そうすると三等身の花の精たちは慶次に大きく腕を振って行った。その後ろ姿を見送りながら慶次が「恋だね」ともう一度嬉しそうに呟いていった。











120212up
政宗は椿でした。
後日談は後程。三等身で、足でPS のコントローラーを叩く政宗を入れられなかったのが無念。