Want you darling





 そもそもの切っ掛けは営業の竹中が、帰社時にいきなり倒れたことにある。
 しかもその現場に居合わせてしまった――血を吐いて倒れてしまった竹中を救急搬送し、帰宅した時には深夜を軽く回っていた程だった。

 ――明日から思いやられるな…

 帰宅してから、緊張が解けてぐったりとしながら溜息をつく。そして目に入った鏡を見て、ふと眉間の皺に指先を伸ばした。

 ――片倉さんて、そんなとこに皺よせているから、年齢不相応にしか見えないんですよ。

 思い切り楽しそうに赤毛の同僚は言った――彼はラフな格好で、買ってきた甘いキャラメルラテを飲みながら、指先で指し示してきた。

 ――そうそう…俺もさ、片倉さんの年齢聞いた時、マジで詐称していると思ったもんだ。

 傍らから銀色の髪の――お前にだけは言われたくないとも思ったが――青年が笑いながら付け加えていった。
 彼らは同僚であり、部下でもある。その言葉を思い出して、片倉小十郎は眉間の皺に指先を伸ばして、軽くそこを撫でて見た。

「まぁ…どうせ、元から厳ついんだ」

 気にするのが可笑しい――そう呟きながら、その日は早々に寝入ってしまっていた。










 正直、翌日以降、竹中半兵衛が羨ましくも恨めしいと感じるようになった。見舞いのトルコキキョウの花束を渡すと、彼は「嬉しいなぁ」とキキョウを手にして見上げてきた。
 花はこの病院の向かい側にある花屋で買った。
 その花屋には若い店長が居り、一人で切り盛りしているようだった。
 病院の傍にある花屋なのに、中に入ると意外と鉢植えの多い店だった。だが居心地が良く、店内も明るい。一緒に見舞いに行った猿飛や長曾我部は、辺りを見回して瞳を輝かせていた。

 ――これは…

 ふと目に小さな鉢が留まった。
 鉢の緑は濃く、艶やかな葉をしているが、付け根の幹が曲がって真っ直ぐに伸びることが出来ていない。そして片側だけ、葉も、枝も、つけることが出来ずにいる。

 ――まるで片翼の鳥みたいだ。

 広がる枝葉にそう感じる。幼い頃に、片翼を猫にもぎ取られた鳩を見たことがあった。その鳩の羽はもう亡くなっていたのに、季節がくると付け根から羽がふわふわと伸びて、そして落ちていく――翼を作ろうともがいても、あがいても、もう翼は戻らないのに、羽だけは生えていくのだ。

 ――似ている。

 思わず凝視してしまう。そして小十郎は手を伸ばすと、その鉢の葉に触れた。

 ――ふわ。

「――――…?」

 手に葉が触れた瞬間、すら、と葉が動いたような気がした。勝手に動くはずも無いから気のせいと思うことにし、上からその鉢をじっと見つめてしまった。
 手に触れた感触は、冷たく、硬く、凛としたしなやかさがあった。

「でね、片倉君」
「――…っ、あ、すまない、何の話だったか?」

 不意に現実に引き戻されるようにして半兵衛の声が響く。彼の傍らにはパイプ椅子に座った長曾我部と猿飛も居る。そして手には書類の束だ。
 こんな状況でぼんやりするのは、よくないだろう――いくら病室だとは言え、仕事で此処に来ているのだ。
 しまった、と眉間に皺を寄せていると、半兵衛が口の中で笑っていった。

「気にしないでいいよ、君でもそんな一面があるんだね。仕事人間だと思っていたけれど」
「おい、どういう意味だ?」
「言ったままの意味だよ」

 ふふふ、と竹中半兵衛が笑う。数日前に吐血した人間とは思えないほど、彼は皮肉をたっぷりと含ませていく。小十郎は口の中で舌打ちをしながら、再び手にしていた書類に目を落としていった。











 何度か病院に通ううちに、花屋に寄るようになった。
 その度にレジの横にあの鉢がある――そのせいで毎回、形の歪んだ鉢を見ることになっていたが、その度に気になって仕方なくなる。
 以前は営業もやっていたが、竹中が部長になってからやり方が変わっていた。一度は馴れた道だったが、いつもの業務に加えての仕事というのは負担が大きい。

 ――流石に疲れたな。あいつ、結構な量の仕事、抱え込みやがって。

 だから血なんて吐くんだ、と胸中で思う。
 だが彼は今は、主治医の豊臣秀吉と仲良くなっており――なんでも大学時代の同期だとか何だとか――入院前よりも顔色がいい様子だった。
 この病院に日参するのも疲れる原因だったが、その中でこの花屋に寄る瞬間は、何となく浮き足だってしまっていた。

 ――あの鉢植えが目に入る。

 それを自覚しているのに、どうしても手が出せない。
 片翼の鳥のように、守ってあげたいのに、どうしようも出来ない自分を自覚してしまう――いや、自分の力の無さを思い知らされるような気がしていた。
 それなのに、諦めることも出来ない。
 それどころか、この鉢を眺めることが出来る瞬間、少しでも胸内が軽くなっていくような気がしていた。
 だがそんな風に感じているのは小十郎だけではなかったらしく、気付けば猿飛も長曾我部もそれぞれに鉢植えを購入していた。
 連日のオーバーワークの最中だというのに、花を手にした彼らはどこか吹っ切れたような表情をしていた。
 助手席に座って膝に鉢植えを抱えたまま、佐助は運転している小十郎に話しかけた。

「片倉さん、結局何も買わなかったんですね」
「可笑しいか?」
「だって、盆栽とか好きでしょ?」

 そうなんだ、と後部座席から身を乗り出して元親が聞く。する、と赤になった信号に車を止める。対向車のライトが明るい。確かに盆栽などは好きだ。

「――欲しい鉢はあるんだが」

 ふと脳裏に、此処のところ目にしているあの鉢植えが思い出された。あの姿を思い出しながら、小十郎は呟いていく。

「うまく育てられるか、少し気がかりでなぁ…」

 ――花の咲く植物は、どうも苦手でな。

「片倉さんにも苦手なものあるんで?」

 後部座席の元親が、へぇ、と驚いたように問う。そして小十郎を焚きつける。

「でも気になっている時って、買い時なんじゃないですかね?」

 元親の言葉に、うんうん、と頷きながら佐助が続ける。

「俺様、何かを買う時って直感で決めるけど。だってさ、植物だって、目があうっていうか…こう、これ!って思うときじゃないと駄目じゃないですか?迷っている時って、相性悪かったり」
「――そうだな」

 信号が青になると、再び車を静かに走らせる。この方向から行くと元親の家の方が近い。先に元親からな、と後部に小十郎が呼びかけると、はーい、と気の抜けた声が返ってくる。
 その合間をぬって佐助が横を窺いながら聞く。

「で、どうなんです?」
「欲しいな、あれは」

 ふわ、と小十郎の口元に笑みを浮かべた。佐助が先を促すように横を振り仰いだ。

「だったら…――ッ」
「まあ、少し考えるよ。それより週末だからって、仕事を後回しにするなよ。猿飛、図面は?」

 微笑んでいた顔を、ぴしりと仕事の顔になりながら問う。佐助も溜息を付きながら、仕事の話へと加わった。

「はいはいっと、出来てますよ。月曜には施工主に渡せます」

 よし、と小十郎が頷く。そしてすかさず後部の元親にふる。

「長曾我部、あの展示会の進行度は?」
「上場。あとは家具配置するだけだ」

 元親が気の抜けた調子で答える。
 そうしている内に元親の家の前について彼を降ろす。再び動き出した車内で――助手席で佐助は膝にかかえた鉢植えの一番上にある、小さな、小さな、まだ緑の丸い蕾を指先で撫でた。

「片倉さん…あんた、花でも愛でて一息つけば?」
「うん?」
「仕事人間になってたら、疲れちまうよ?」

 そうだな、と小十郎が溜息を付きながら言う。すると佐助は小十郎の眉間を指差した。

「あんた、あの花屋さんでは此処に皺、寄って無かったよ?」
「そうか…?」
「うん。しかめっ面していないほうが、片倉さんは男前だと思うんだけどな」
「言ってろ」

 ふふ、と口元を綻ばせると佐助は「本当のことだよ」と気の抜けた声で言い募ってきていた。










 佐助のマンションの前で下ろしてから再び車を動かす。小十郎は窓を少し開けると、煙草を探った。彼らが居るときには控えていたが、たまに吸いたくなる。
 かたん、と助手席の下から灰皿を取り出し、口に煙草を咥える。そして火をつけてから、ふと封筒が残っているのに気付いた。

「ああ、しまった。これ…竹中に渡しておかないと」

 手にとってみて、今日渡してきた仕事に必要なものだと気付く。もし無かったら、すごい剣幕で――吐血する勢いで――責められるに違いない。
 それを思うと届けないわけには行かないだろう。小十郎は再び病院へと引き返していく。
 今来た道を戻りながら病院内に入り込み、再び半兵衛の下にいく。

「あれ、片倉君?どうしたの」
「これ…渡し損ねていたからよ。ほら」
「ああ、ありがとう。そうだね、これないと…話にならなかったね」

 他に猿飛らがいる時とは打って変わって、半兵衛の顔色が優れない。それは落ちた陽のせいでも、室内の暗さのせいでもなかった。

「――竹中」
「何?」
「あんまり無理しなくていいぞ」
「解ってるよ。でも、僕も仕事は好きだから。気にしないで」

 受け取った書類を封筒から出して、半兵衛はベッドの上に広げる。倒れてもまだ仕事を繰り返す彼に敬服せざるを得ない。
 すると、こんこん、とノックする音と共に白衣を着た男が入ってきた。

「あまり病人を酷使してはいけないよ」
「松永先生、点滴…またですか?」
「良くなったように見えていても、卿はなかなかに重症なのだよ。そろそろ自覚したまえ」

 からから、と点滴の用意をしながら男が入ってくる。その胸元には「松永」との名札があった。彼の後ろから看護師も共に入ってくる。
 小十郎が一度頭を下げて、その場を後にしようとすると、半兵衛のサイドにあったテーブルの上の切花を見て、ほお、と彼は感嘆の声を上げた。

「おや、美しい花だ。そういえば卿らは目の前の花屋をしっているかね」
「ええ…知っていますが」

 不意に話を降られて肩越しに振り返る。
 松永は構わずに話し始めた――だが手元では着々と点滴の用意をしていた。

「あの店の月下美人…狙っていたのだがね、上杉先生に先を越されてしまったよ。だが育てるのが難しいとの理由で、店に留め置いているのだ」

 そういえば入り口付近に大きな蕾をつけていた月下美人があった。それを思い出して、そんな経緯をもつ鉢なのか、と思った。
 だからあの店には意外と鉢植えが多いのだろうか、とも考えてみる。

「今はあのレジ横の【かぎろい】を手にしたいと思ったのだが…断られてしまったよ」
「え…――」
「欲しいものは欲しい時に言わねば通じないものだな」

 どきん、と胸が鳴った。確実に彼の言った鉢は――小十郎も目を奪われた鉢に他ならなかった。あの形の変わってしまった鉢――それを欲しがる者が他にもいる。そう気付いた瞬間、胸騒ぎが起きる。
 誰かに先に買われてしまうという、危機感が迫ってくる。当たり前のことなのに、どうして思いつかなかったのか。いや、それに気付いた瞬間に、どうしてもあの鉢が気になってしまっていた。
 そして気付くと、小十郎は病室を飛び出すようにして出て行っていた。










 気付いたら慶次の前に居て、彼に鉢植えを譲ってくれと頼んでいた。そして手に鉢植えを受け取った時、その重さにほっと胸を撫で下ろしてしまう。
 また何かあったら言ってください、と慶次はにこやかに言っていた。
 車の助手席――さっきまでは其処に猿飛がいたが――其処に鉢を置いて、車を滑らせていく。マンションの三階にある自宅に入ると、小十郎はほっと息をついた。
 そして鉢を先に寝室の窓の近くに置く。袋から出してみても枝葉は片方にだけ広がって伸びていて、まるで羽根のように見えていた。
 それをじっと見てから、指先で触れてみる。

「なぁ、お前…俺のとこに来て良かったか?」

 気付くと物言わぬ鉢にそんな事を聞いてしまっていた。指先に触れる冷たい葉の感触が、なんだかとても心地よく感じられていった。










 ――ヤバイな。

 そう気付いたのは寝付いて直ぐだった。身体が熱い。世界が回るように身体が布団の中でぐるぐると渦を巻いていくようだった。

 ――熱、出ているな。これは…

 少しの気の緩みが身体に影響をもたらす。滅多に出さない熱が、いかに自分が疲れていたかを教えてくれる。熱で浮かされる身体が、だるくて仕方ない。手を伸ばしても何にも触れることも出来ない。
 小十郎はぐらぐらと揺れる頭を振って、布団から抜け出すと這うようにして冷蔵庫までいき、水を取り出してそのまま再び布団に戻る。
 咽喉に流れる冷たい水の感触――それに安堵するが、それでもまだ身体は熱かった。

 ――ひやり。

 どれくらい熱に浮かされていたか解らない。
 不意に額に冷たい何かが触れてきた。

「冷たい…――なんだ?」

 乾く口元から声を絞り出す。眠気に押しつぶされそうな瞼を、こじ開けると目の前に青白い手が見えた。

 ――幽霊なんて、見たことなんてねぇが。

 白く――蒼白く浮き上がるのは、青年だった。
 右眼を眼帯で隠し、蒼と白の色に変わる服を着ている。そして心配そうに此方を見下ろしていた。

 ――直ぐ、治るから。

 額に冷たい手が触れていく。その冷たさが、熱い肌に気持ちよい。誰かの声が、肌が、これほどに気持ちよいものだとは、すっかりと忘れていた。

「熱い…――咽喉、渇いた」

 そんな風に応えると、見下ろしていた青年が、青灰色の瞳を一瞬見開いて、そしてふわりと微笑んだ。

 ――お前の熱、俺がもらってやれればなぁ。

 そんな殊勝なことを言いながら、青年が冷たい両手を小十郎の頬に添える。冷たい肌に包まれて、すう、と熱が引いていくようだった。

 ――ひたり。

 額にかかる髪の感触に、彼が額をつき合わせていると知れる。そして唇に、ふわり、と冷たい――それでいて、甘い味が広がった。
 なんだろう、と瞼を押し上げようとすると、閉じてな、と青年が言う。彼の冷たい手が瞼に下りてきて瞳を上げさせてくれない。

「気持ちがいい…――冷たい、気持ちのいい手だ」

 小十郎がそう呟くと、直ぐ治るから、と彼の優しい声が響いていった。











 燦燦と降り注ぐ朝日に、ぼんやりと目を覚ます。

「――――…」

 身体がやたらと汗を掻いていて気持ち悪い。だが寝ていた時のあの熱さ――熱が引いたと感じた。小十郎はのそりと身体を起こすと、ふう、と溜息をついた。
 自分の額に手を当ててみて、熱が下がっていると気付くと、身体を起こす。

「風呂…シャワーでも浴びるか…――」

 ぐっしょりと濡れた夜着が気持ち悪い。ふう、と再び溜息をつきなら首を動かす。

 ――さっ。
「――――…?」

 視界の端に何かが動いた。小十郎は動きを止めて、何かが過ぎった場所を見据えた。

 ――虫か?

 それにしては大きかったような気がする。

 ――ささっ。

 死角の辺りに再び何かが過ぎった。それを見咎めて、ふう、と溜息を付く。そして勢いよく振り返った瞬間、小十郎の視界に不思議なものが映った。それはどう見ても虫ではなかった。

「あ?」
「OH!見つかっちまう…――」

 眉根に皺が寄る――小十郎の視界には、小人が映っていた。そしてその小人は布団の枕元から顔を出し、小十郎の方を見て焦っていく。

「――――…ッ?」

 ――これは…俺、頭やられたのか?

「隠れるところ…――隠れるとこ…」

 思考が停止するかと思った。小十郎は視界に映る彼に視線を奪われる。
小人は只管、あたふた、と隠れるところを探している。

「はぁ…――なんか幻覚が見えるな…」
「え…見えている?」

 此処にきてふと小人が、ぴくん、と反応して小十郎をゆっくりと振り仰ぐ。そうすると小十郎の視線とぶつかり、ふぎゃ、と飛びあがった。
 そしてそんな小さな人に、小十郎はただ其処に立ち尽くして言葉をなくしていった。










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