pink panic



 幸村との生活も一週間ともなると慣れて来る――この場合、実体化した幸村との生活、という意味だ。
 時々理性を試されることもあるが、それはしっかりと耐えてきた。そんな自分に「グッジョブ!」と親指を立てて激励したくなる。
 例えば小さかった時に出来て、今では出来ないことも多々ある。

 ――お風呂とかさ…。

 思い出すと苦笑しか浮かばない。一緒に入っていたものだから、当然幸村は佐助が風呂に入ろうとすると、あの花のついたシュシュを持ってぱたぱたと近づいてくる。だが、この状態で一緒に入るわけにはいかない。
 狭いから、という苦肉の言い訳でどうにかその場を収めて、何とか納得して貰ったほどだった。
 そんな一週間の間に、幸村のピンクの花は三回程咲いた。間をおかずに次々と蕾が大きく膨らんで、まだまだ咲くのが解る。それに合わせて幸村の大食漢ぶりも変わらない。
 しかし其処はそれ――佐助は家での自炊も楽しくなってしまっていた。だって幸村が嬉しそうにご飯を食べるのだ。それも「佐助の作ったご飯は真に美味である!」などと言われた日には頑張らない訳は無い。
 こっそりと本屋でレシピ本を立ち読みして帰ることもあるくらいだ。

 ――俺様、ちょっと主夫っぽい。

 がさがさとスーパーの袋を手にして、更には肩にはエコバッグを下げている自分の姿にそんな風に思うが、それもまた幸せの形として思えば鼻の下も伸びる。

 ――本当はさ、俺様の彼女だって自慢したいくらいだけど。

 脳裏に元気な幸村の姿が浮かぶ。
 大きな瞳に長い睫毛、それにピンク色の唇に、元気な声。くるくると動き回る姿に目を奪われることも多くある。
 しかし悲しいかな、幸村は『彼女』ではない。

 ――だってさ、告白してないし。

 家には美少女が待っているというのに、それに佐助の気持ちもかなり彼女に傾いているというのに、二人の関係と言ったら同居人の域を出ては居ない。
 それでも甘んじてその関係でも受け入れている自分が、今までになく真摯に彼女に向き合っているのだと気付くと、佐助はほんのりと胸を熱くするのだった。

「ただいまぁ」
「おかえりなさいでござる!」

 家のドアを空けると、中からぱたぱたと駆け込んでくるのは幸村だ。

 ――ああもう可愛い!抱き締めたいッ。

 このままこの両の腕で彼女を抱き締めてしまいたい。しかしそんな気持ちを押さえ込んでから、佐助は「直ぐにご飯にするね」と言うと、幸村は「ではお手伝い致します」と瞳を輝かせた。
 手伝いといっても、テーブルを拭いたり、皿を用意したりする程度だ。

「今日は何のご飯でござるか?」
「うんとね、生姜焼き。調度お肉が安かったからさ」
「どんな味でござろうか。某、佐助のご飯が一等好きでござる!」

 エプロンをする佐助の背後から、ちょろちょろと動きながら幸村が言う。

 ――堪んない…頑張っちゃうもんね!

 佐助は手を伸ばして幸村の頭を、くしゃ、と撫でた。すると撫でられて嬉しいのか、幸村ははにかみながら布巾を手にしてテーブルへと向った。
 ふんふんとテレビの音に合わせて鼻歌を歌う幸村を横目に、佐助は気合をいれる。今日は晩御飯の他にもミッションが残っているのだ。
 ピピピ、と炊飯器の音がしてご飯をよそいながら、幸村が佐助の手元を覗き込んでくる。手際よく集中していたせいもあって、既に生姜焼きは出来上がっている。それを千切りキャベツとトマトを添えた皿に乗せると、はい、と幸村に渡した。
 幸村はにこにこしながらそれをテーブルに持っていく。
 後片付けついでに、先に玉葱や人参などの野菜を切ってから、一度手を止めて夕飯へと向った。
 今日のメニューは生姜焼きに掻き玉スープ、それからデザートに西瓜だ。
 幸村は丁寧に正座をしながら、頂きます、と手を合わせている。そんな礼儀正しさにも、きゅうん、と胸が引き締められてしまうから不思議だ。

「あふ…熱いっ。うぬ…この、生姜焼き、というのは…また絶品…」
「旦那、口から零れちゃうよ?」

 ほかほかと湯気を立てる肉を食べながら、幸村はもくもくと口を動かしている。目一杯に詰め込まれた頬が、もこもこと左右に揺れる。
 まるでリスのようだと思いながら笑うと、幸村は空かさずご飯のお代わりをしてきた。

「ええと、旦那ぁ、お風呂の使い方解る?」
「解るでござる」

 二杯目のご飯をよそって差し出しながら、不意に佐助が問いかける。すると幸村は箸を咥えたままで、こくりと頷いた。

「電話の使い方と、テレビと、戸締りと…ええと電子レンジの使い方…」
「凡そできるようになり申したぞ!いつまでも子ども扱いしないで下され」
「ごめん、ごめん」
「某、結構覚えたのでござるぞ」

 えっへん、と胸を張る幸村に、くすくすと笑ってしまう。前に突き出された胸が、ぽよん、と揺れているが逸れはあえて観ないことにしておく。
 立て続けに家の中の電化製品の使い方を聞くと、幸村も流石に不思議に思ったのだろう。スープを口にしてから佐助に真意を聞いてくる。

「して、何故にそのような?」
「明日から二日くらい出張になるんだよ」
「しゅっちょう?」
「家を空けること。お仕事でね」

 実は今日の仕事の際に、通達されたばかりだった。急だが、受け持っている仕事の都合上、ヘルプでも現地に行って見ないといけない状況になってしまったのだ。
 いつもなら大抵、上司である元親ひとりでこなしてしまうが、今回は元親が別件で動いており、自然と佐助が動かざるを得ない状況という訳だ。

「え…佐助殿、いないのでござるか?」
「うん。だから色々準備してて…」

 不意に幸村の大きな瞳が翳った。しゅん、と萎んでしまうように眉が下がる。慌てて佐助が身を乗り出すと、幸村は真剣な面持ちで顔を上げた。

「某も連れて行ってくだされ!」
「ええええ?そんな駄目だよ。仕事だし!それに女の子を連れて行くわけには」
「なれば小さくなりまする!」
「鉢植ごと持っていくわけにも行かないし…」
「…駄目でござるか?」

 駄目駄目、と両手を振ると、幸村はしょんぼりとして肩を落とした。

 ――参った、こういう時、どうしたらいいのかな。

 佐助は料理の時に結んだ髪を解きながら、肩を竦めてしまった幸村を見詰めた。そしてそっと手を伸ばして幸村の頭を撫でる。

「お留守番、頼んでいいかな?」
「大人しく待っておりまする」

 こくん、と頷きながら幸村が唇を尖らせる。本当は佐助について来たいに違いない。だがそれも仕事だし、状況的に邪魔になってはいけないと解っているのだろう。

「ごめんね、旦那」

 佐助が再び謝ると、幸村は真面目な顔つきで顔を起こす。側に置いてあった水を飲み込んでから、幸村が佐助の方へと向き直る。

「なれば、しばしお願いが」
「何?」
「ちゅー」
「へ?」
「ちゅーして下され」
「…へ?」

 ずい、と身を乗り出してくる幸村に、思考が追いついていかない。何でそんな事になっているのだろうかと真っ白になってしまう。

「別れの時には、ちゅーするのでござろう?」
「はあああああああ?どどどどどこでそんなのを…ッ」

 ことんと小首を傾げてみせる幸村に、やっと思考が追いつく。目の前にはぷるんとしたピンク色の唇があって、出来れば直ぐにでも口付けたいが、それは真相を聞いてからだと理性で衝動を押し退ける。すると佐助の咄嗟の努力など全く関与していない幸村は、胸を張って情報源を口にした。

「てれびでござるッ!」
 ――えっへん!

 そう言えば最近の幸村のお気に入りは海外ドラマだった。文化の違う海外ドラマの内容を観て、それを日常のものだと理解する彼女に、本来の無垢さを感じる。
 幸村にとっては初めての事だらけの毎日だ――その中で、逐一教えている訳ではないのに、いつの間にか解っている処をみると彼女なりに勉強しているお陰だろう。
 その情報源がテレビからのものという点では、偏りが出来てしまうのは否めない。

「違うのでござるか?」
「ああ、いや、その…」

 じりじりと側に膝でにじり寄ってきた幸村が、そっと佐助の肩に手を添えてくる。肩に触れられた瞬間、電撃が走ったかのように、びくん、と身体が揺れた。しかし幸村は考えるような素振りをして、すい、と佐助に顔を寄せてきた。

「目を閉じるのでござったか?」
「うん、そうだね」
「では目を閉じよう」
「う、うんッ」
 ――ありがとう、海外ドラマ!

 間近にある彼女の顔に、正直ありがとうとしか言えない。間違った知識だとしても、今の佐助にとっては好機に他ならなかった。

 ――でもこんな風に近くに旦那を見るのって、最初の朝以来かも。

 ふと瞼を閉じた彼女にそう思ってしまう。瞼を閉じて、少し仰のいた顔が此方にむかっている。ふ、と頤に手を添えると幸村が、ぴく、と小さく揺れた。

 ――あと少し。

 どきどきと鼓動だけが大きくなっていく。触れるすれすれまで薄く瞳を開いて、彼女のことを見詰めていると、急に幸村が大きな瞳を見開いた。

「でもお出かけになるのは明日でござったな」
「あ…ッ」

 すい、と幸村が自分から顔を反らした。肩透かしを食らって、その場に倒れそうになる佐助だったが、彼女はそれには全く頓着せずに手を打っている。

「そんな訳で、ちゅーは明日の朝でござった。某、早とちりでござった」
「そ、そうだね」

 がく、と項垂れる佐助を前にしながら、幸村は膝で自分の席に戻り、再び食事の続きを始めていく。しかし一度ついた火に身体が反応してしてしまったようで佐助は項垂れつつも、すっくと立ち上がった。

 ――おいおいマジかよ。

 こんな格好悪い処を彼女に見せたくない。即座に背を向けて、佐助はバスルームへと向うべく歩を進めた。

「佐助?」
「うん、俺ちょっと風呂はいってくるね」

 誤魔化すようにして言うと、幸村はお茶碗を抱えて口をもくもくと動かしている。肩越しにそれを見つつ、佐助は弁明した。

「まだご飯残っておりますぞ。残すなら食べてしまいますが」
「うん、いいよ、旦那食べて」

 ひらひらと手を動かしてから、そそくさとバスルームに身を滑り込ませる。部屋からは見えない場所にあるバスルームでよかったと思ってしまうが、中に滑り込んでから佐助は戸に寄りかかって仰のいた。

「くっそ、期待しちまったよ、俺!」
 ――情けねぇ。これだけで反応しちゃうなんて。

 観れば自分の下半身ははっきりと形を示している。持ち上がっている下肢の感覚に、ふう、と溜息をつくと、佐助は即座に服を脱捨て、シャワーの音に紛れてそれを鎮めに掛かっていった。










 前日に山盛りの牛丼と、カレーライスの準備をしておいて、それを冷蔵庫に押し込める。側で幸村がじっと見つめながら佐助の説明を聞いていた。

「牛丼もカレーもお鍋ごと冷蔵庫に入れておくから、冷凍庫からご飯を取り出して、解凍してからこれをかけて、一緒に電子レンジでチンね」
「ふむふむ。最初にご飯を解凍でござるね」
「そうそう。でも旦那の事だから、お水だけでも大丈夫なんだよね」
「本来はそうでござるよ」
「だと思って、お水、冷蔵庫に2?のを5本入れておいたから」
「ありがとうござる!」

 きゃあ、とご飯以上に幸村が喜ぶ。最初は鉢植ごと誰かに託そうかと思った。しかし幸村は自分で実体化しているから、留守番くらいできるという。

 ――それなら任せちゃうもんね。

 そう決めて色々準備をしたわけだ。しかし本当は彼女も連れて行きたい。寂しい思いをさせてしまうのではないかと、不安が先に立ってしまう。

「俺様居なくて困ることって、他にあるかな」
「暇だったら某、本体の中で休んでおりますし…大丈夫でござる」
「本当に?泣いたりしない?」

 佐助はからかうように言うと、幸村は唇を尖らせて、拳を握り締めた。

「大丈夫でござる!見事、留守番を勤めてみせますぞッ」
「いや、気負うようなものでもないけど」

 ――子どもの初めてのお使いとか、お留守番みたいだよね。

 内心そんな風に感想を抱いてしまう。しかしそれは幸村には告げずに、佐助は玄関口まで歩いていった。
 今日の幸村はTシャツにジーンズというラフな姿だ。うっすらとラグランスリーブになっているシャツの陰に、ピンク色の下着が肩に見えていたが、それは見ないことにした。

 ――サイズが大きいんだよね。

 元親に貰ったのは紛れもなく女物だったが、幸村のサイズには大きかったようで、時々ぶかぶかになっている。だがそれもまた可愛く見えてしまうから不思議だ。
 佐助がカートを手にして玄関口に向う。座り込んで靴を履いていると、たたた、と駆け込むようにして幸村は付いてくる。そして立ち上がる前に、背後から幸村は圧し掛かってきた。

「旦那?」
「佐助、行く前に…」
「え?」
「ちゅーでござる」

 ハッと気付く。そういえば前日にそんな遣り取りをしたばかりだった。思い出して佐助は身構えた。

 ――持ってくれよ、俺様の理性ッ!

 流石に童貞でもあるまいし、朝からトイレに駆け込むような事態は避けたい。だが背中から圧し掛かってくる幸村を肩越しに見詰めると、うっとりとしたように瞳を伏せており、長い睫毛が揺れている。ほんのりと眦から染まる頬に、柔らかそうなピンク色の唇が、ちょこんと其処にあるのだ。

 ――堪らん…旦那って綺麗な子だよな。

 鼻血でも噴きたくなるくらいの状況に、とくとくと小さく鼓動が跳ねだしていく。

「佐助、ちゅー」
「はいはい…って、旦那、目閉じて」
「こうか?」

 主導権を此方に持ってくれば何とかなる、と心に決めて、佐助はそっと振り向きながら幸村の頬を撫でた。そして鼻先に触れるか触れないかの処まで顔を寄せる。

 ――ちゅう。

 とくとくと鳴る鼓動が五月蝿い。そのまま彼女の唇に口付けたい衝動に駆られていたが、咄嗟に佐助は幸村の頬に口付けた。

「はい、ちゅー終わりッ」
「え?」

 触れた頬の感触に、ぱち、と幸村が瞳を見開く。そして頬に手を添えたまま、小首を傾げた。

「此処にでござるか?口ではないので?」
「良いでしょ、同じだから!不満?」
「そういう訳では…」

 幸村は両手で頬を覆うと、ぽわ、と鼻の頭を赤くした。その姿に更に佐助が額に唇を寄せると、ん、と小さく声を上げる。

「それじゃ行って来ます」
「行ってらっしゃいでござる」

 座ったままの幸村の頭に手を乗せる。すると幸村はすっくと立ち上がって身を乗り出した。正直後ろ髪を引かれるというのはこういう事をいうのだろう。

 ――本当は抱きしめてキスしたい。

 でも急にそんな事をしたら驚かせてしまうに違いない。
 嫌われたくないという気持ちが先にたって、佐助はぎゅっと拳を握り締めた。そして荷物を持つと、もう一度振り返って幸村に「行って来るね」と告げてからドアから出て行った。
 たかが出張――それなのに、こんなにも寂しく感じるのは何故だろうか。

「さぁて、お仕事、お仕事!」

 佐助は青く澄んだ空に向って叫ぶと、急いで出勤して行った。










 出張は延長する事無く終えることが出来、帰って来たら冷蔵庫に入れていた作り置きのご飯が全てなくなっていたことに、佐助はホッとしてしまった。だけど彼女の、嬉しそうに、美味しそうに、沢山のご飯を食べる姿を見られなかったことは残念で仕方ない。
 その日、戻ってきたのは深夜遅くで、そうっと鍵を開けて入って――自分の家なのに息を潜めていることに、なんだか可笑しくて苦笑が浮かびそうだった。
 だけど目に飛び込んできた光景に、疲れも何も全て吹っ飛ぶものがあった。
 幸村は「本体で休む」と言っていたのに、観れば佐助のベッドの上ですうすうと寝息を立てていた。

 ――なんか行動が本当にいじらしい。

 さらさらとしている後ろ髪を指先で掬って、そっと口元に引き寄せる。寝入り様にお風呂にでも入ったのだろう。まだ髪は仄かに濡れていた。

「ん…」

 小さく寝返りを打つ姿に、そっと顔を近づける。柔らかな頬に口付けてから、ぶわ、と顔に熱が込み上げてきた。

 ――俺、今何した?

 自分の行動にハッとする。
 そしてそれが自分の中の恋心を自覚する切っ掛けになった。
 勿論、幸村の事は可愛いと思ってきた。可愛いし、目が離せない。実体化してからは余計にそれが顕著で、ことあるごとに胸が高鳴って仕方ない。でも其れが全て恋心からだとしたら、理由も何も納得がいく。しかしそうなると今度は意識してしまって上手く振舞えなくなっていった。

 ――俺様、器用な方だと自負してきたんだけど。

 でも本当の恋の前では只の男でしかなかったようだ。そんな風に思いながらも、日々を過ごしていく。

「佐助殿ぅ、今日も蒸し暑うござったでしょう?お背中流しましょうか?」
「うわッ、ちょ…駄目!入ってきちゃ駄目って何度言ったら解るの?」

 そっとバスルームのドアを開けて幸村が顔を覗かせる。
 ざぷんと首まで湯に浸かってから、佐助が慌てて腕を延ばして追いやろうとすると、幸村は唇を尖らせた。

「そうは言いますが、某何度も一緒に入っておりまするっ!今更そう言われても…」
「小さいときと今では違うでしょ。それに実体化してからは駄目ってずっと言ってきたでしょ。ね?」
「しかし…某も何か佐助のお役に立ちたく」

 しゅんとしている幸村の手にはタオルが握られている。髪は例の赤い花のついたシュシュで纏め上げられていた。佐助は顎先に伝い落ちてくる雫を拭いながら、そっと手を伸ばして幸村の頬を撫でた。

「気持ちだけで十分だから、ね?」
「しかし…それでは某の気持ちが」

 上目遣いで見上げられて、きゅん、と胸元が締め付けられる。佐助は「ええと」と考える素振りを見せてから、思い出したように彼女に告げた。

「じゃあ、さっき洗った食器拭いて片付けてて」
「解り申したッ!」

 すっくと立ち上がって幸村はバタバタと台所に向っていく。その足音を聞きながら、とぷん、と湯船に落ち込みながら、佐助はこの先を乗り切るには如何したらいいだろうかと考えるばかりだった。
 しかし問題はそれだけでは済むはずもない。
 テレビを見たり、動いたり、一緒に買い物に繰り出す時の幸村を観ているだけで、何も行動に動かせない自分がもどかしい。
 それなのに幸村は無邪気に佐助を煽ってくる。

 ――観ているだけで満足だなんて嘘。

 買い物帰りに幸村は、最初に買ってあげたワンピースを着て、スニーカーを裸足の上に穿いて、ととと、と駆け込んでいる。首に結んでいるリボンが、彼女の動きに合わせてひらひらと動いた。
 長く尾を引く赤い流線――それに瞳を眇めてみていると、太陽よりも眩しい彼女の笑顔が注がれてくる。

「佐助ぇ、某、あれが食べてみたい!」
「ええ?カキ氷?いいよ、何味?」
「あのピンクのがようござるっ」
「苺ミルクね」

 スーパーマーケットの外に出ていた売店を指差して幸村が言う。手に冷たいカキ氷の器を持って、美味しそうに食べる姿が愛らしい。

「旦那、ほら、舌真っ赤になっちゃうよ?」
「う?」

 ぺろ、と舌先を佐助に向けて「染まっているか?」と聞いてくる。迂闊だったとしかいえないが、佐助はさっと視線をそらして「赤いね」と答えた。
 すると佐助を見上げていた顔が、嬉しそうだった筈なのに、さっと影を落としていく。

「――?どうしたの?」
「何か…最近、佐助は他所他所しいでござる」
「え?」
「某、何か粗相をしたでござろうか」

 幸村は自分の足元を見詰めながら歩いた。手にはカキ氷だ。それを、さくさくと崩しながら歩く。

 ――だって意識しているなんて、言えない。

 佐助は咽喉元まで出そうになった告白の言葉を飲み込み、笑顔を作った。

「気のせいじゃない?」

 佐助の作り笑いの顔に、幸村が再び閉口する。そしてストローの先についたスプーンでかき氷を掬うと、口に運びながら無言で歩き出す。

「もしや…」
「え?」

 不意に聞えた声は、ただ風に紛れるだけだ。カキ氷を一気に掻き込んだ幸村は、振り返るといつもの明るい彼女に戻っていた。
 その事に安心してしまう己は何処まで矮小なのかと思うが、今はまだこの距離感で精一杯だとしか言えない。
 肌に触れる風が徐々に秋の香りを含んでいく。不意に見上げた空に、少し前を歩いていた幸村が呟いていた。

「遠くなっていくのでござるな」
「旦那…?」

 小さな呟きに、ただ彼女のワンピースのリボンが、はらはらと揺れる。長い後ろ髪がさらりと風を含んで撓む。
 一緒になって空を見上げながら、ふと秋が迫ってきているのを感じていった。







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