pink panic



 幸村の葉をシャツの胸ポケットに入れて出勤した。
 自分で自覚して幸村を連れてきたのは初めてだったが、幸村は勝手知ったる様相で、早々に佐助のデスクの上に降り立つと、辺りをきょろきょろと見回した。
 そして、ぴく、と身体を揺らしたかと思うと、背後に向って身構えた。当然、佐助は何が起こるのかわからず、同じように身構えるだけだ。

 ――ひゅんっ。

 すると途端に空を切る音がして、それに合わせて飛び込んでくる塊に気付いた。

「真田、ゆき、むるあああああああッ!」
「伊達、まさ、むねえええええええッ!」

 待ち構えていたとばかりに幸村が足を踏ん張る。

 ――がしッ。

 飛び込んできた塊に力いっぱいに幸村は体当たりを食らわせる。だが相手の塊も負けておらず、直ぐに体勢を整えると幸村の元に駆け寄ってきた。

「元気そうで何よりだな」
「政宗殿も」

 佐助が呆然と見詰めながらも、静かにデスクの椅子に腰掛けると、幸村は彼を紹介してきた。

「佐助殿、こちら伊達政宗殿でござる。あれなる片倉殿の鉢植でござるぞ」
「OH!伊達政宗だ。小十郎の処で世話になってる」
「片倉部長の…?」

 ――まさか盆栽?

 目の前の三頭身の小人を前にして訝しんでしまう。政宗は青い服を着ており、何の植物なのか想像が出来ない。もしかしたら竹とか松とかそんなところかと口元に手を宛がって考え込んでいると、頭上に影が落ちてきた。

「盆栽じゃねぇ、見事な冬の花だ」
「あ、片倉部長」

 見上げるとこめかみに手を当てて――しかも眉間に皺をよせた顰め面をした上司が其処にいた

「あれ、もしかして片倉さんも見えてます?」
「見えてる…当たり前だろ」

 目の前の二匹の花の精を指差すと、片倉小十郎は頷いた。そっと手をデスクの上に差し伸べると、ちょこん、と其処に政宗が乗り上げる。そのまま肩に乗せると、政宗は腕を組んでご満悦だ――だが、よくよく見てみると政宗は小十郎の首に寄りかかり、ぴったりと甘えているようだった。

 ――あ、なんか可愛い。この厳しい上司にファンシーな花の精…。

 見上げながら佐助がそんな風に感想を抱く。デスクの引き出しから髪を留めるピンを取り出し、さくさくと器用に前髪を留めていると、はらはら、と其処に飾りの付いたゴムが落とされた。

「これもやるぜ、佐助」
「騒がしいわ、このうつけ共めッ」

 聴きなれた声に見上げると、其処には長曾我部元親――佐助の直属の上司に当たる主任だ。彼が小十郎と同じように肩に緑色と白い服を着た小人を乗せている。

 ――まさかと思うけど、この人も?

 厭な予感を感じていると、空かさず元親は佐助の前の幸村に挨拶した。

「よう、幸村。お前も元気そうだな。これやろうか、可愛いぜぇ」
「おおおこれは長曾我部殿!かたじけのうござる」
「やっぱり可愛いよなぁ、このビーズとかさ…」

 元親がさも当たり前といったように幸村に差し入れをする。幸村はめい一杯に身体を逃して、元親の手からゴムを貰うと、先についているキラキラしたキューブ型の飾りに、ほわあ、と喜んで行く。

 ――旦那ってなんか趣味が女の子っぽい?

 ふと佐助はそんな風に思った。
 お風呂だってバブルバスが好きだし、食べ物も一見可愛いものが好きで、この前など三色団子にご満悦になっていた。

 ――それとも彩が鮮やかなのが好き?

 可能性はいろいろとある。佐助は想像を膨らませつつも、元親に向って「見えているンですね」と諦めたように告げた。すると元親は「何を今更」と豪快に笑うだけだった。

「あ、行ってしまわれる!佐助殿、佐助殿ッ!長曾我部殿の肩に乗られておる御仁は、毛利元就殿と申しまする!」
「毛利…元就ね。はいはい」
「それは匂い立つ、見事な花でござるよ〜」

 幸村がうっとりと頬に小さな手を添えて紹介した。
 その紹介に向って元就もまた当たり前とばかりに、ふん、と鼻を鳴らす。そうしている内に始業となり、幸村は佐助のデスクの上で遊ぶ傍ら、政宗に誘われて元就の元へと向っていった。
 元就の居場所は、元親のデスクだ。元親が仕事をする傍らに悠然と座している。元親のデスクは佐助達よりも幅広で、横には仕事用に作ったと見られる模型なども置かれている。その一角で元就は小物であった筈のソファーに座して、日がな日光を浴びている。
 ちまちまと幸村と政宗が彼の元に近寄ると、さっと座布団を差し出していく。それに腰掛けながら、彼らは彼らなりに情報交換を始めていった。

「元就殿…そうでござった。某、博識な元就殿にお伺い致したいことが」

 話の途中で思い出したように幸村が膝を打った。すると元就も、さらりと水を口に運んでから先を促がす。

「何だ、簡潔に申してみよ」
「その…先日の朝、某…不思議なものをみたのでござる」
「不思議なものとは何ぞ?」
「某の目線からすると何やら不気味なものとしか」
「不気味?」

 幸村は数日前の朝を思い出しながら、恐怖に近いような表情で語り始める。幸村の様子に隣に座っていた政宗もまた胡坐を掻きつつ、身を乗り出す。

「佐助殿の下着の下から…こう、動くものが」
「は?」
「佐助殿の下着の奥で、動きに合わせて動いており申した。ゆらゆらと、それは影のごとく…く、黒うて、はっきりとは判別でき申さず」
「――…」
「しかしそれは確実に、不気味に動いておりまして」

 幸村は構わずに見振り手振りを交えて説明した。それは数日前の朝の、例の件だ――所謂、佐助のあらぬ処を見てしまった件に他ならない。
 幸村は右耳の上にさしたピンク色の花を揺らしながら、思い出すと恐ろしい、とまで身を震わせていく。だが直ぐに検討のついた元就と政宗は呆れ顔だ――それもその筈、二人にだって当然付いている。
 政宗は、深く溜息をついてから皮肉るようにして幸村に説明しようとした。

「おい、幸村それって…」
「黙っておれッ」

 しかし横から、びし、と元就の肘鉄が入る。抗議しようとした政宗に、元就は首を振って止めさせる。
 その間にも幸村はだらだらと額に脂汗を浮べていった。

「あれは何でござろうか?某には到底検討も付き申さぬぅ。もし佐助殿の身に禍するものであったらと思うと心配でなりませぬ」
「あ〜、幸村、それはな、俺達にも…おぶッ」

 ――ばちんッ。

 政宗の鼻先に横から元就の平手が入る。背後に政宗が倒れこみ、鼻を押さえてじたばたしていると、元就は静かに咳払いをした。

「幸村よ、気にしなくてよい。害は全くないものだ」
「そうでござろうか?」

 パッと幸村は顔を上げた。見れば今の幸村には佐助を気遣う心もあったのだろう。不安そうに歪められた顔が、希望を得たとばかりにほんわりと和んでいく。

「我のいう事が信じられぬか?」
「いえ、滅相もございませぬッ」

 ぶんぶんと幸村は首を振った。元就の言葉にホッと胸を撫で下ろしつつ、幸村は肩の力を抜いた。そして思い出したように自分の下衣のウエスト部分を握った。

「しかし…」

 ――ぺろ。

 最初の時のように自分で確認してみる。座っている様子からも何かついている気配はない。その事に小首を傾げつつ幸村は呟いた。

「某にはついてござらんな…」

 ひょい、と拡げた下衣の中を横から身を乗り出して政宗が覗きこんでくる。はた、とそれに気付くと幸村が火を吹きそうな勢いで真っ赤になった。

「おー、見事に真っ平らだな。あ、でも腹が…」
「破廉恥――ッ!」

 ――ばしーん。

 勢い良く横から幸村の平手が政宗にヒットする。そして幸村は転がった政宗のウエスト部分に手を添えて、ぐいぐいと引っ張った。

「見たからには政宗殿も見せられよッ」
「Ah?嘘だろ、見せるわけねぇだろが」

 ぎゃああ、と叫びながら政宗が逃げ出す。それを追って幸村が駆け出す。そんな騒がしい二人を見送ってから、元就は「やれやれ」と嘆息するばかりだった。










 晩夏といってもほぼ初秋だというのに、今年の暑さは例年の比ではなかった。
 そのせいか冷たいものが食べたくなるのは仕方が無い。もともとあまり肉付きの悪い身体つきをしているものだから、少しくらい肉が付いたって構わなかった。

 ――骨が浮いているのが常日頃だし。

 佐助はそんな風に自分に言い訳をしつつ、アイスを買って帰宅する。ただ暑さをどうにかしたいという気持ちもあるが、本当はアイスを幸村と一緒に食べるのが楽しみということが理由だった。
 今日は留守番をしていた幸村が、がさがさとコンビニの袋の中からアイスを取り出す。だがいつも幸村が見ていたアイスとはそれが違っていて、小首を傾げていた。

「これは何でござるか?」
「アイスだよ、アイス。アイスを求肥で包んであってね…」

 佐助が側に座って、ぺりぺりと包装をあける。すると中から二つの大福が現れた。幸村は興味津々にそれを見詰め、こくん、と小さく咽喉を鳴らす。

「食べてみる?」
「宜しいのでござるかッ?」

 がば、と顔を上げた幸村にひとつ持たせる。すると重いこともあるだろうが、一度少しだけよろけてから、ぱく、とそれに齧り付いた。

 ――むち〜ぃ。

 思いっきり求肥部分を引き伸ばしつつ、もっちもっちと咀嚼していく。手には大福の粉がついて、下にぼろぼろと零れていた。
 しかし佐助は別段気にもせずに、自分もひとつ齧り付いた。

「どう?美味しい?」
「うぅぅぅぅぅ…」
「だ、旦那…?」

 伺ってみると、幸村がぷるぷると身体を震わせる。もしかして気に入らなかったのかと、一瞬だけ身構えてしまった。しかし次の瞬間、幸村は嬉しげな声を上げた。

「美味いでござらぁぁぁ!なんたる美味!斯様に美味なもの、生まれて初めてでござるッ」

 そう言ったが最後、食べつくすまで幸村はあっという間だった。
 そして中身のバニラアイスを手に、ぺろぺろと舐めている姿に、流石に佐助も頬杖をついて和んでいく。

「疑問だったんだけどさ、お花なのに食べても大丈夫なの?」
「何も問題ないでござるよ」

 ふく、と頬をぷにぷにさせて幸村が答える。手にはまだ融けたアイスが付いており、其のたびに幸村はぺろんと舐め取っていく。

「それにしても…」
「う?」
「いっぱい食べる旦那は可愛いねぇ」

 佐助は頬についた幸村のアイスを掬い取ると、自分の口元に引き寄せた。そしてそれを舐めとって見せると、幸村は真っ赤になって「破廉恥でござる!」と叫ぶ。

「だって沢山食べる旦那って可愛いんだもん」
「それがし、そんなに食べないでござるよっ」

 ぶう、と頬を膨らませるが、全く説得力がない。鉢植の方だって、沢山の水と肥料を欲しがるような子だ。大食漢としか言いようがない。

「でもそんな旦那が可愛いと思っちゃうんだけどね」
「そうでござるか?」
「うん。俺さ、元々あんまり食べないんだけど…旦那と一緒にごはん食べていると美味しいと思うし」

 ――誰かと一緒のご飯はいいね。

 それがお八つでも、と付け加えると、幸村はにっこりと口元を微笑ませた。そしてすっくと立ち上がり、佐助の元に行くと両手を伸ばしてくる。
 何だろうかと顔を近づけて見せれば、幸村はそっと佐助似擦り寄った。

「旦那?」
「某を見て、嬉しいとか、幸せと思ってくれるのなら、これ以上の幸せはござらん」
「え…?」
「某とて、佐助殿と出会えて幸せでござるぞ!」

 率直な幸村の物言いに、佐助の背中がぶわりと熱くなる。合わせて鼓動がどんどん早くなっていった。

 ――ばたん。

「佐助殿?」
「あ〜もう…俺、駄目」

 背後に倒れこんで仰向けになる。すると幸村が慌てて佐助の上に飛び乗ってきた。それを、ぎゅうと抱き締める。

「うおおおお佐助殿臭がするでござらあああああ」
「なんと言おうと構わないもんねッ!旦那、可愛いッ」
「ぬおおおおおおお、離すでござるうううう」

 ぎゃああ、と叫びながら幸村はじたばたと暴れた。こうして引き寄せると嫌がるくせに、そうでない時は自分から寄り添ってくる。

 ――単なる照れ隠しだって、もう知ってるんだもんね。

 佐助は心裡で舌を出しながら、暴れる幸村を抱き締め続けた。
 開け放ったままのベランダから、少しだけ冷たくなった風が入り込んでくる。揺れるカーテンに合わせて、ゆらり、と幸村の鉢でも葉が揺れていた。そして葉の上では、咲くのを今か今かと待ち望むように、そっとピンク色の蕾が身を延ばしていった。









 花が咲く――そんな言葉を寝入り様に聴いたような気がする。
 落ちてきた瞼を引き上げることは難しくて、曖昧に答えたまま眠ってしまった。だが幸村は「そろそろ咲きまする」と嬉しそうに話していた。

 ――旦那、咲いたら可愛いだろうな。

 最初幸村の鉢を見た時の事を思い出した。ピンク色の花びら、そして奥に向かって赤くなる色合い、それがひらひらとしていてまるで花嫁のようだと思った。

 ――早く見たいな。

 小さな幸村の右耳の上にいつも挿されている花も、その花だ。しかし実物よりは小さく、幸村を象徴するだけのものだ。
 大きく花開いた幸村の花が待ち遠しい。
 そんな風に思いながら眠りに落ちて、そして朝を迎える頃にはいつも幸村の声で起きるはずだった。

 ――ぺちぺち。

「ん…旦那、もう少し…」

 いつものように頬に触れてくる柔らかな感触がある。
 それに対して直ぐに幸村だと気付いた。佐助は瞼を落としたままで、ううん、と身を捩った。ころり、と身体の向きを変えてみる。

 ――するり。

「佐助殿、佐助殿、起きてくだされ」
「ん?」

 再び触れてきた感触に、おや、と違いを感じる。小さな幸村の手では、頬を叩くくらいしか出来ない。時々実力行使に出て、棚上から身体ごと飛び込んでくることもあるが、それは別だ。
 頬に触れてくる感触が何時もと違う――包むようにして撫でられ、何だろうかと瞼を押し上げた。

「今朝、花が開きましたぞ。是非、見てくだされッ」
「え?」

 ぼんやりと霞む視界に飛び込んできたのは、大きな瞳だ。佐助に乗り上げる勢いで覗き込んで来ている。大きな瞳はぱちりと光を弾いて輝き、長い睫毛が揺れる。
 そして右耳の上に飾るようにピンク色の花が挿されている。
 さらり、と長い髪が肩から滑り落ちてきて、佐助の首元を擽ってきた。

「おお、目覚められたか!」
「え?ど…どちら様?」

 乗り上げてくる姿は如何見ても佐助と同じ大きさだ。しかしその骨格は著しく異なっている。
 自分が知っている花の精の実体化した姿ならば、勿論それは青年である筈だ。しかしどうみても目の前の相手は、自分よりも一回り以上小さい――それに柔らかそうな肌をしているし、触れてきた指先は細くしなやかだった。爪だって桜貝のようにピンク色で、見れば唇もきらきらと光るピンク色だ。

 ――ふに。

 不意に自分の胸元に触れてきた柔らかさに気付いて、佐助は視線を動かした。

「どうかされたのでござるか?佐助殿…まだ寝ぼけておいでか?」
「え…?」

 ――胸?

 不思議そうに覗き込んでくる姿に、はたりと気付く。思わず手を動かしてそっと肩を押し退けてみると、如何見ても其処には柔らかそうな谷間が出来ており、実際佐助の胸元に触れてきているのは、柔らかい胸だ。
 まさか、という気持ちを抑えきれずに佐助は、ひく、と口元を引き攣らせた。

「あの…、本当にどちら様で…?」
「幸村でござるよ?」

 あっさりと自分に乗り上げてきている少女が言う――いや、少女と云うには成長しているとは思えるが、彼女はにこりとピンク色の唇を笑ませた。

「ええええええええええええええええええええ?」

 自分の認識と全く違う現状に、佐助はただ叫ぶしか出来ない。しかし幸村は何故、佐助が驚いているのか解らないとばかりに、きょとんとしていくばかりだった。






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