pink panic




 ――視線を感じる…。

 ここ数日、どうも視線を感じる。佐助はバスルームで着ていたシャツを脱ぎ払うと、何となくそんな風に感じて小首を傾げた。
 大体視線を感じるのはこのバスルームでだ。そんなに広くないバスルームだ――そこでこんなに視線を感じること自体が不自然だ。

 ――俺様の予想が外れなければ。

 佐助は何食わぬ顔でシャツを脱捨て、ぽい、と洗濯機へと放り込む。そして腰に手を掛けながら、さらりとタオルを引っ掛けてから下着を脱ぎ払った。

 ――ちっ。

 小さく、何処からか舌打ちが聞える。その音の方向に向って即座に佐助は手を伸ばすと、がらり、と戸を開けた。

 ――びくん!

 案の定、僅かに開いていたバスルームの戸が、あっさりと開かれる。そして視線を下に向けてみれば、三頭身の姿が其処にあった。

「こぉらッ!旦那、何してんのッ」
「ぬ…っ、そ、それは」
「覗きだなんて、旦那ってば破廉恥ィ!」
「そそそそ某、そのような、つもりは…皆目ッ、ないでござるっ!」

 業とらしく顔を近づけて皮肉るように言うと、幸村はだらだらと脂汗を垂らしながら抗議にでた。しかしいまいち説得力に欠ける。
 なぜなら幸村はうっすらと開けた戸から、バスルーム内をこっそりと見ていたのだ。いつもなら、何処でも佐助の行くところには付いて来たがるのに、この時ばかりは覗き込んでいた――しかも、こっそりとだ。

 ――こそこそしているとは解っていたんだけどね。

 視線に気付いたのは直ぐだった。
 だが何を意図しての行動なのかわからなかったので、そのまま幸村を泳がせていたのだ。そしてまんまと佐助の思惑に引っかかったのが、今のこの状況の幸村だ。
 佐助似見つかって、じりじりと脂汗を浮かべ、幸村の小さな体の下には水溜りが出来ていく。どうしたら良いのか解らずに、瞳を白黒させている姿に、佐助は嘆息すると落ちてきていた前髪を掻きあげた。

「もしかして、お風呂入りたかったの?」
「――ッ」

 ハッと幸村は顔を振り上げた。大きな瞳が、ぱちぱちと瞬きをしていく。あんまり苛めるのも良くないかと、佐助は掌をさらりと幸村の前に差し出す。すると幸村は、おずおずと佐助の掌の上に乗った。

「だったら言ってくれれば良いのに」
「う…うむ」

 持ち上げてみれば幸村は眉をはの字にして、こくん、と頷く。そんな三頭身の姿が愛らしくて、佐助は自分の肩に幸村を乗せると一度バスルームを出た。
 季節は晩夏――タオル一つの格好でもそれほど寒くは無い。佐助はそのまま部屋に向って、タオルを入れているクローゼットを開けると鼻歌を歌いながらあれこれと手にして戻った。
 佐助が持って来たのは、タオルとハサミだ。
 ローテーブルの前で膝をついて、ハサミでしょきしょきとタオルを切り出す。出来れば、切った布を解れないようにしたいところだが、それは後で縫うことにする。
 幸村は佐助の肩からテーブルの上に飛び移る。ひらり、と後ろ髪がひらめいて、花の飾りが揺れた。

「なんでござるか、これ」
「何ってタオル。旦那がするとバスタオルになっちゃうね」

 ハイ、と渡すと幸村は両手でぐんと受け取ったタオルを拡げてみせる。それからタオルを小さな両腕で、ぎゅっと抱き締めると「ほわあ」と声を上げた。

「おお、ふわふわでござる」
「ふわふわといえば、こんなの貰ったから、一緒に入ろうか」

 佐助は床に放り投げていたバッグから紙袋を取り出して幸村の前に差し出した。紙袋の中から、小包装された塊を取り出す。
 それは白とピンクの、キャンディのような塊だった。佐助がビニールを引きちぎって中身を取り出すと、幸村も興味を持ったらしく、顔を近づけてふんふんと匂いを嗅ぎ出した。

「何でござるか?これ…甘い、甘味でござるか!」

 くわ、と口をあけそうになる幸村に佐助が慌てる。パッと幸村からそれを取り上げると、半分にそれを分けた。

「違うって。これをお風呂に入れるの」
「ほう?」

 幸村が首をぐんと佐助に向けて仰向くと、こてん、と横に倒す。

「そうするとね、泡がもこもこ出てくるんだって」
「なんと…ッ!気になるでござるぅぅ」
「じゃ、一緒に入ろうか。ね?」

 きゃあきゃあと喜ぶ幸村に佐助もほんわりと微笑む。そして泡風呂の準備をしつつ部屋で待つ。その間、ずっと佐助は腰にタオル一枚と云う格好だったわけだが、幸村は泡風呂に気を取られてしまっていた。
 幸村は佐助の目の前で、服の上からバスタオルを身体に巻きつけて、きゃっきゃと遊んでいる。くるくると廻るたびに、後ろ髪が一緒にくるくると廻る。

 ――かーわいい。

 見ているだけで飽きることもない。忙しなく動くせいもあるだろうが、幸村がその場にいると和んだ気がしてしまうのが不思議だった。

「そういえば…」

 佐助は思い立って再びバッグを引き寄せた。ごそごそと漁っているうちに、幸村は廻りすぎて目を廻していた。

「あった、あった。はい、これ」
「ぬ?」

 差し出したのはシュシュだ。しかも先には赤い大きな花が付いている。

「これ、某にでござるか?」
「あ…えーとね、俺の髪が面倒でさ。ほら、伸びてきたでしょ。纏めとこうと思って、あまり考えずに買ったらすごく女の子っぽかったっていうか」

 それを購入した時のことを思い出して、頬をぽりぽりと掻く。仕事で疲れていたのもあるし、何気なく通りかかった店でただ髪ゴムを買おうとしただけなのに、手に取ったら先に花がついていた。購入するまでまったく気付かなかったのは、レジにいくまでもずっと仕事のことを考えていて上の空だったからだ。

 ――仕事に集中しすぎるのも良くないよなぁ。

 だが幸村は佐助からそれを受け取ると、頭にそれをはめ込んで喜んでいる。

「素晴らしい花がついておりまするっ!」
「お風呂入る時に使うといいよ」

 頭に花の付いたシュシュ、そして身体にはタオル――実はそのタオルには苺柄がプリントされている――見るからにファンシーな姿に、佐助はにんまりと笑顔を浮べた。

「そろそろ入ろうかな。旦那、おいで」
「承知ッ!」

 ぴょん、と幸村は頬を赤らめながら佐助の肩に飛び乗る。少しだけ滑り落ちそうになって、片足をよろけさせたが無事に肩に乗り込んだ。
 バスルームに行くと、ベリー系の甘い香りがしていた。入浴剤の香りに佐助は一瞬、目の前がピンク色になりそうな衝撃を受けた。

「ふおおおおおおおおッ!」

 バスルームのドアを開けて直ぐに幸村が感動したように声を上げる。それもその筈で、もこもことした泡がまるで綿菓子のように広がっている。幸村は「凄いでござる!」としきりに佐助の肩を、ぺちぺちと叩いた。

「旦那をそのまま湯船に入れるのはちょっと怖いから…洗面器にね」
「何故怖いのでござる?」
「溺れそうで…」
「某、カナヅチではござらんぞ!慶次殿のお店にいた時分には、よく睡蓮殿と水遊びをしたものでござる!」
「まあまあ、そう言わずにね」

 佐助は洗面器に浴槽からの泡と湯をそのまま掬い取った。そして幸村の前に差し出すと、それでもう幸村は上機嫌だ。
 苺柄のタオルを身体に巻きつけたまま、下から器用に服だけを脱捨て、一度は洗面器の縁に手をつけて、ちゃぷちゃぷと湯加減をみている。そしてそのまま、ちんまりとした足を中にそろりと入れると、あとは泡の中に消えた。

「旦那?」

 身体を軽く流していた佐助が、溺れたのかと洗面器を覗き込むと、ふわ、と佐助の手に苺柄のタオルが触れた。たぶん湯に浸かる前に幸村が放り投げたのだろう。

「旦那、溺れてない?ちょ、大丈夫?」
「佐助殿ぅ、凄いでござる!ふわふわでござるっ!まるで雲のようですぞっ」
「あ…良かった、無事だ」

 幸村は洗面器の真ん中で顔だけを出して喜んでいる。身体全部が泡に包まれてしまっている。佐助はバスルームについている棚の上に、先程幸村が脱いだ服と一緒にタオルの切れ端を畳んで置いた。そして洗面器ごと湯船に浮べて、自分も浸かる。
 ぷかぷかと浮いている洗面器の中で、同じように泡に満たされて頬を赤くしている幸村がいる。きゃっきゃと喜びながら遊ぶ姿が愛らしい。

「旦那ぁ、楽しい?」
「楽しゅうござるぅ!もこもこでござるぞ〜。そりゃっ」

 ――ふうっ。

 ぶわ、と佐助の鼻先に向って泡が飛んでくる。思い切り頬を膨らませた幸村が、力いっぱいに泡を吹き飛ばしたのだ。
 顔を近づけていた佐助の鼻先を直撃した泡に、今度はきゃっきゃと遊び出す。

「旦那って何でも楽しそうだよねぇ」
「某、知らぬことが沢山あり申す!佐助殿との毎日は発見だらけでござる」
「え…」
「佐助殿と一緒に居れて某、幸せでござるぅ」

 ぱちゃぱちゃと腕を動かす幸村の頭に、シュシュの赤い花が見えている。幸村に言われた言葉に、どきん、と胸が鳴った。

 ――とぷん。

 泡の中に静かに沈みこんでしまう。幸村のストレートな物言いに恥ずかしい気持ち半分、嬉しい気持ち半分で、どうしたら良いのか解らない。

 ――熱い…ホントに、なんか熱いッ!どうしよう、こんな気持ち初めてかも。

 佐助が顔を出すと、幸村は洗面器の縁から覗き込んで来ている。

「あ…、旦那?」
「…っ、あはははははは、佐助殿、お顔にお髭でござるぅぅぅ!」
「へ?」
「あわあわでござるぞ!」

 顔をみた途端に幸村が指を指して来る。何事かと湯船から上半身を乗り出して鏡を見ると、見事に顔の半分に泡が残っている――幸村はげらげら笑いながら自分でも真似をして、顔に泡を付け始めた。

「お揃いでござるぞーっ」
「旦那…――ッ」

 にっこりと笑いながら顔に泡をつけてみせる幸村に、佐助が再び泡に沈む。バスルームにはベリーの甘酸っぱい香りが充満していく。

「佐助殿ぅ、お風呂と云うのは非常に楽しいものでござるな」
「そう?旦那には今度、アヒルでも買ってあげようか」
「あひる?」
「おもちゃだよ、おもちゃ」
「某、其処まで子どもではござらんぞ」
「そうかなぁ?ま、お風呂は寛ぐからいいよねぇ」

 こんなファンシーな入浴は男の一人暮らしでは滅多にない。それを思うと、佐助は少しばかり複雑な気分になりながらも、いつもより温まる気がしていった。










 お風呂に入った日から、幸村はシュシュが気に入ったようで、時々取り出しては頭につけてみたりしている。それを眺めていると、なんだか和むのはどうしてだろうか。
 右耳の上に挿したピンクの花と、シュシュの赤い花――それが交互に揺れて、可愛いと思う反面、どこかで見たような、と既視感に襲われる。

「明日は仕事場に行ってみようか」
「お仕事場でござるね」

 仕事で遅くなって、空腹を満たす為にカップ麺を食べていると、テーブルの上で水の入ったコップを抱えた幸村が振り向く。
 幸村はぺろんと小さな舌先で口の周りの水を舐めとってから、軽く頷いた。

「お仕事場は某の知らぬものが沢山あり申す。佐助殿、色々教えてくだされ」

 幸村が見上げながら告げてくる。そうだね、と答えながらも「あれ?」と小首を傾げた。幸村を職場に連れて行ったことがあっただろうか。
 幸村の言い様では職場に行ったことがあるとでも言わんばかりだ。

「行ったことあったっけ?」
「こっそり付いて行っており申し…あっ」

 ハッとして幸村が小さな手で口を押さえる。

 ――いつの間に…。

 佐助は、ずるる、と麺を口に入れながら、幸村に問いかけてみた。

「ついて来てたの?」
「ううう、申し訳ござらん。ついつい好奇心に駆られ、某…」

 幸村は隠し事を自らばらしてしまって、ぎゅっと瞼を閉じながら項垂れていく。ごそごそと動いていたかと思うと、わざわざ正座をして佐助の前で頭を垂れてしまう。

 ――やばい、可愛いぃ。

 最近幸村を見ていて浮かぶ語彙が乏しいな、と自分に思ってしまう。それくらいに幸村が面白くてならないのだ。
 佐助は手を伸ばした――すると、びく、と身を縮こまらせる。
 そっと指先を使って頭を撫でると、ゆきは瞳を見開いた。

「だったら早く言ってくれればよかったのに」
「佐助殿?」
「一日中一緒にいられるね」

 顔を上げた幸村が、ふわあ、と頬を染める。ふにふにとした頬に触れたくなって、指先で突くと、ぷに、と柔らかい――マシュマロのような感触が触れてきた。
 佐助が幸村を撫でていると、幸村は急に立ち上がる。そして「うおおおおお」と声を上げて自分の鉢まで駆け込んでいくと、あっという間に自分の葉を一枚引きちぎった。

「旦那…ッ?ちょ、どうしたの!」
「これを…これをお持ちくだされぇぇぇ」

 ざざざざ、と駆け込んで来つつ、幸村は自分の葉を佐助に差し出す。

「コレをお持ちくだされば…某の一部をお持ちくだされば、何処でも一緒でござるっ」
「旦那…ッ」

 佐助の胸がキュンと鳴った。
 幸村から葉を受け取って、佐助は両手で抱えると、ひょい、と幸村ごと抱え上げ、自分の方へと引き寄せた。

「ごめん、マジで旦那ってば可愛いぃぃッ」
「うおおおおお、味噌臭いでござるうううううううあああああッ」
「酷いなぁ、もうッ!」

 引き寄せて、ぐりぐりと頬を摺り寄せると幸村が嫌がって身を捩った。直前に食べていたカップ麺は味噌味だ――その匂いがイヤだと、幸村は腕を突っ張った。

「もうッ、旦那も慣れてよね!」
「なれましぇにゅっ!」

 鼻を摘んだ幸村が舌足らずに言う。そして眉間に皺を寄せて、とん、とテーブルの上に降りると、じりじりと後ずさった。

「時折、しゃしゅけ殿は…男臭うごじゃるっ」
「またまたぁ…」

 佐助がデレデレしながら顔を寄せる。そして幸村はじりじりと後ずさる。その直後、ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、追いかけっこをしていく羽目になった。







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