pink panic




 一通り叫んでみてから覚悟を決めて、目の前の小人に向き合った。実際に見ることはおろか、触ることも、声を聞くことも出来る。ちゃんと存在していると認めざるを得ない。
 しかし昨日まではいなかった筈だ。何処から紛れ込んだのかと問いただす方が先だろうとも思うが、佐助はひとまず自己紹介か、と空笑いをしながら考えていた。

「ええと、真田幸村…だっけ?俺は猿飛佐助」
「佐助殿でござるね!宜しくお頼み申す」

 白いローテーブルの上で、ちまりと正座をしながら、深々と頭を下げられる。そうするとそのまま前に、ころん、と転がってしまいそうなほど丸々としていた。

 ――やべぇ、この子可愛いわ。

 目の前の小人は自分の説明を簡単にしてから、再び「不束者ですが」と三つ指をついた。

「うん…それは解ったけど、本当にホントに…花の精なの?」
「そうでござるッ」

 ――この鉢の花の精でござる。

 どん、と勢いに任せて胸を打つ姿は、10cm足らずだ。右耳の上にはピンクの花を挿し、後ろに結った髪にも花がついている。上着は短く、小さな身体にフィットしている。丸いお腹が触りたくなるくらいにぽよんとしていて、其れよりも膨らんだ下穿きが余計に可愛らしい。

 ――アラビアの服みたい。

 確か昔みた御伽噺の服装みたいだ、と思いながら佐助は目の前の小人――もとい花の精に指先を差し出した。すると幸村はきょとんとして丸い目を大きく見開く。

「握手」
「え?」
「握手しようか、これから宜しくって意味で」

 指先を差し出すと、幸村は両手で――小さな手には指先でさえも覆われることはない――握りこむと、ふわり、と微笑んだ。

「此方こそ宜しくお願いいたしまするッ」
「うん、幸村」

 幸村は佐助の手をとると、ふにゃ、と融けるような笑顔を見せてくる。その見上げてくる柔らかな笑顔に、佐助の胸がきゅうと締め付けられていく。
 不思議なことが起こったのに、何故か自然に「こういうものなんだ」と受け入れてしまっていた。それよりも眼の前の出来事に、退屈な毎日が一変するような期待を持ってしまったといっても過言ではない。

 ――面白くなりそう。

 淡々とする毎日――それを思うと、この小さな花の精との出会いが何かを変えてくれるような気がしていた。










 幸村は朝早くに起きる様で、佐助がまだまどろみの中にいるというのに、早朝から「起きて下され」とベッドの上で、ぽよんぽよん、と跳ねる。そのたびに佐助は幸村を掴んで、自分の方へと引き寄せると、あと五分、と往生際悪く言う。そして繰り出されれるのが、幸村の大音声だ。

「破廉恥でござるぞ――――ッ!」
「――ッ!」

 耳元で叫ばれて眼を覚まさないわけには行かない。佐助は此処暫く毎朝こんな繰り返しをしていた。だがそれも愉しく思えてしまうから不思議だ。
 幸村はそうされると頬を膨らませて、ぷりぷり怒り出す。背中を向けて座る姿がころりとしていて愛らしい。指先で突いて転がしたくなる。
 髪に挿したピンク色の花、それを揺らして様子を伺いがてら振り返ってくる。

 ――仔犬みたい。

 ちらちらと伺う素振りが、如何みても仔犬のようだ。佐助が軽めの朝食を作っている間、水を飲みながら幸村はじっと部屋のテーブルの上に座っている。

「幸村、そろそろ機嫌直さない?」
「――…佐助殿の破廉恥」
「破廉恥って、どこでそんな言葉覚えたのさ?」

 時間のある朝には少しくらい朝食にも手を加える。佐助はトーストと目玉焼きを持ってテーブルに移動した。これが休日なら和食にしたいが、いかんせん和食は時間が掛かってしまう。
 よいしょ、と声をかけて座り込み、トーストの上にケチャップとマヨネーズを乗せる。その上にひょいと目玉焼きを乗せてから、テレビをつけた。

「いただきま…って、幸村?」
「ハッ!」

 気付けば幸村が佐助の手元の皿をじぃぃと食いいるように見詰め、涎をたらりと流し始めていた。だら〜ん、と滴ってきている涎は、下手をすると水溜りになってしまう程だ。

「もしかして、食べたいの?」
「い、いえ…それは佐助殿の栄養でござる!某はしかと栄養を貰っておりますし…」

 ――グググゥゥゥゥゥ

「あぅッ!」

 不意に鳴り響いた腹の音に、幸村は小さな身体を揺らしておなかに手を当てた。ふっくりしているお腹は見るからに幼児体型だ。
 一呼吸置いてから、ぶわああああ、と真っ赤になる幸村に、佐助は呆気に取られてしまう。そして徐々に、かたかたと肩を揺らして笑いを堪えていく。
 沈黙の中に、居た堪れずに真っ赤になっていく幸村と、必死に笑いを堪え続ける佐助が居る。しかし堪え続ける佐助に、幸村は自棄になって叫んだ。

「笑いたければ笑えばよろしかろうッ!」
「あははははは、ごめん!限界だわッ…はははははッ」

 幸村の叫びにあわせて佐助が床に転がって笑い出す。すると幸村は真っ赤になりながらも、頬をぷっくりと膨らませていた。
 右耳に差し掛かる場所に挿した花が、ふわ、と小さく揺れている。何事にも好奇心旺盛な幸村に、くすくすと笑いながら佐助はトーストに手を掛けた。そしてフォークで目玉焼きを少し切ってから、トーストに乗せたものを、すい、と背を向けている幸村に差し出した。

「はい」
「…――なんでござるか」
「旦那におすそ分け」
「ですから、某はいらぬと…」
「ひとりで食べるより、一緒に食べた方が美味しいと思うんだよね。それに旦那にも是非に食べて欲しくてさぁ」

 佐助が持ち上げるように言う。すると幸村は、お尻だけでくるりと向きを変えて、じりじりと近づいてきた。
 ちらちらと手に乗せたトーストと佐助を見比べてくる幸村のひとみは、くりくりとして大きい。じっと見つめられるだけで愛らしさに胸がきゅんきゅんしてしまう。

 ――可愛いなぁ。

 幸村は小さく、こくん、と咽喉を鳴らすと「では遠慮なく」と差し出したトーストの前に顔を近づけた。

 ――くわ。

 大きく開かれた口が、ばくん、とトーストに噛み付いた。しかしそれは佐助の手からそのままという形で、余計に佐助は鼓動が跳ねるのを感じた。

「幸村ァ…自分で持って」
「ぬ…?ふぉれふぁふぃふれふぃふぃは…」
「あーいいよ、うん。そのままで」

 もごもごと口いっぱいに頬張る幸村はトーストに口の中の水気を奪われている。柔らかい頬が左右にもこもこ動くのを見ながら、佐助は諦めたように笑った。可愛いからこの際もうどうでもいい。
 もっくもっくと左右に頬を揺らす幸村は、小さな手を口元に当てて、中身が飛び出さないように必死だ。それを見詰めながら佐助も、かふ、とトーストと目玉焼きに齧り付いた。簡単なオープンサンドだ。

「どう?美味しい?」
「うううううまいでござるッ!佐助殿、某このように美味い物は初めてでござるッ」

 全て飲み込んだ幸村が、頬にケチャップをつけたままで笑顔を向ける。その素振りが愛らしい。顔を動かすたびに、ふわふわと耳元のピンク色の花が揺れる。

「良かったぁ。あ、ここ付いてるよ」
「む?」

 佐助が自分の頬を指差すと、幸村は同じように自分の頬を触る。しかし佐助と向き合っていることもあり、鏡合せの反対側の頬を擦る。その内、面倒になったのか手の甲でぐいーっと思い切り拭った。

「なんか…無駄に男前だよね、幸村って」
「そうでござるか?」
「そうだなぁ…幸村っていうか、旦那、って感じ」
「む?」
「これから幸村のこと、旦那って呼ぶね。いや?」
「お好きにされるがいいぞ。某に異論はござらん」

 ぶち、と自分のトーストを再び引きちぎりつつ幸村に差し出すと、幸村は上機嫌でそれを受け取ってもくもく食べていく。そんな姿がやはり男前で――それでいて愛らしくて、佐助は「飽きないなぁ」と思いつつ眺めていった。










 仕事は外勤が多く、一日中走り回るようなものだ。内勤のように時間で区切られるのとは違い、下手をすると根を詰めてしまう。しかしそれも早く家に帰りたいという気持ちからなら、頑張れるというものだった。
 前の日に思い切り動き回って、そして帰ってくると死んだように眠る。その繰り返し――しかしその中で、幸村とであって部屋の中にピンク色の彩が生まれた。

「おはようござる、おはようござるーッ!佐助殿、新しい朝でござるぞッ」
「あ〜、良く寝たぁ…」

 朝陽に目を瞬かせる。佐助の頬をぺちぺちと小さな手で叩きつつ、幸村が覗きこむ。目の前に三頭身の小さな幸村が居た。右耳の上に挿したピンク色の花が揺れている。大きな瞳がくりくりと光っている。

「おはよう、旦那ぁ」
「佐助殿、おはようござ…――ふぎゃっ!」

 佐助は幸村の頭を指先で撫でてから、がばっと身体を起こした。勢いでばさりとタオルケットを頭から被ってしまう。佐助はベッドから降りると、ううん、と大きく伸びをする。そうすると佐助の腹がシャツの合間から見えた。ごそごそとタオルケットから這い出てきた幸村が、ぷは、と顔を出して見上げると、佐助はすでに立ち上がっている。
 下から見上げると服の合間から彼の肌が覗き見れてしまう――殊、幸村の目線では通常では見えない場所も見えてしまうこともある。

「酷いでござるぅ…佐助ど…――ッ!」

 抗議しようとした幸村は、ぴた、と動きを止めた。大きな瞳をより大きく、皿のようにして見詰める。そして見詰める先には佐助の体だ――しかもあろうことか、幸村は下着から覗く影に気付いてしまった。
 じぃぃぃと目を凝らして見てから、小首を傾げる。

 ――あの下着の中で動く…あれは一体…?

 佐助が幸村の視線に気付かないのを良いことに、幸村はぐいーと自分の下衣のウエスト部分を広げて中を覗きこんだ。だが其処は真っ平らだ。見えるのは自分のふっくらした腹だけだ。腕を突っ張って、ぐいーん、とウエスト部分を延ばしてみても、何も無いのは仕方が無い。

 ――某には付いておらぬ…何故!

 ばちん、とウエスト部分を延ばしていた手を外して幸村は再び佐助を見上げた。すると佐助は自分の項を手で擦りながら幸村の鉢に水を注いだ。

「やっぱり暑いなぁ、ちょっとシャワー浴びてから行くか」
「しゃわー…お風呂でござるか」

 幸村がベッドの上で――タオルケットの上に座って――聞くと、思いついたら行動とばかりに佐助がシャツを脱ぎだした。

「そ。さっさと入ってくるよ」

 ――ばさばさ。

「ふぎゃっ!」
「あ。ごめん、ごめん」

 放り投げたシャツが先程と同じように幸村の頭に降り注ぐ。佐助はウエスト部分に手を添えた格好のままで、慌てて幸村を救うべくシャツを取り上げた。すると中から出てきた幸村が眉間に皺を寄せて、小さな鼻を摘んでいる。

「佐助殿、くさいでござるぅぅ」
「そりゃ俺が着ていたんだから…」
「佐助殿臭がしゅるでござう」
「なにその、俺様臭って…」

 ――加齢臭じゃないんだから。

 ぶええ、と更に幸村は舌を出した。幸村の仕種に少しばかり胸を痛めつつ、佐助は手に脱捨ててしまったシャツを持ってバスルームへと向っていった。

 ――それにしても先程のあれは一体…何でござったのか。

 そしてその背中を見詰める小さな幸村は、その日からささやかな探索を始めた。しかもそれは佐助が着替える時や、入浴に向う時に限定される。
 佐助がそれに気付くのはそれから三日後のことだった。






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