flower of passion 翌日は一緒に出勤することに決めた。その際にいくつか決め事をした。朝のテーブルに向かい合って佐助がトーストを齧りながら、人差し指を立てる。 「いい?旦那、外では俺のことは?」 「佐助……――どの」 幸村が拳を握り込みながら真剣な眼差しを向けてくる。云いながら語尾が弱弱しくなっていた。だが佐助は直ぐにそれを遮って駄目出しをした。 「駄ぁ目!『殿』は無しッ」 「う……佐助ッ!」 「上出来ッ!」 ふんっ、と鼻息も荒く幸村が思い切って言う。だがその直後に、かあ、と耳にかけての頬を紅くしていった。どうやら呼び捨てるのが照れくさいらしい。 幸村は佐助に用意されていた目の前の朝食に――今朝はトーストにスクランブルエッグに佐助は野菜ジュース、幸村は水だった――フォークを突き刺し、もふもふと食べていく。 「それから一応、俺の親戚ってことにしておくからね」 「しんせき、とは?」 幸村がフォークを咥えたままで小首を傾げる。一応、花の精だけあって人とは違う。その分、疑問もあるというものだ。 かし、とトーストの音を立てながら噛み付き、佐助は説明を拡げていく。噛み砕いて説明するのは難しいものだ。 「うーん…家族みたいな、そうだなぁ…例えば旦那と同じお花あるでしょ?それみたいな感じ。同じ種類?」 「解り申した」 こくん、と幸村は頷く。よしよし、と佐助も一緒になって頷いていたが、顔を起こした幸村の口元にケチャップがついていたのを観て思わず破顔した。 「旦那ぁ、付いてる」 とんとん、と唇を指し示すと幸村は更に小首を傾げた。 ――こういう処は小さい時と変わらないな。 口元を汚しながら食べる姿が幼く見える。姿は大きくなり、すんなりした手足を持っていても、どうしてもあの小さい姿の彼が思い起こされる。 ――同一人物だもんね。 「はい、こっち向いて」 「う?ん―……」 ぐいぐい、とティッシュで幸村の口元を拭うと、むずがるように彼は眉根を寄せた。そして佐助の手からティッシュを取ると、自分でごしごしと拭っていく。 ――ぽとん。 不意にテーブルの上の鉢植えから萎んだ蕾が落ちてきた。それが結構な音で落ちてきたものだから、佐助はびくりと肩を揺らしてしまった。 「え…――、うわっ、旦那ッ!一個落ちたッ」 「ああ…ひとつ目の花が終わり申したな。そのままで構わないでござるよ」 「え、えええ?」 ごしごし、と口元を拭いきって幸村が手を伸ばす。幸村の手に乗せられた一つ目の蕾は、昨日まで咲いていた花で、終わりと共に花を閉じていた。そして自分から、ぽと、と落ちてきた。 「某、こういう花なのでござる。開いて、閉じて、そのまま花は落ちまする。あ、でも…二つ目が開き始めておりますぞ」 ――ほら、此処でござる。 幸村が嬉しそうに指先で鉢の中の花を示す。佐助が首を伸ばして覗き込むと、確かの其処には開きかけた花があった。 「どれどれ?あ、本当だ〜。此れも真っ赤だね」 「当たり前でござるッ!某、紅い花でござるッ」 ひらひらとした花弁が紅く透き通る。中から軸が突き出している姿がラッパのようにも見えて、思わず話し込みたくなる可愛らしさだ。 目の前の幸村もまた赤く咲く――夏の日差しの下で咲き誇るこの花同様に、明るく、綺麗な笑顔を見せてくれる。幸村が笑うだけで其処に花が咲いたかのように見えてしまう。 ――ホントに部屋の中が明るくなったよね。 一気に華やかになった部屋と日常。それを思うと嬉しい気持ちで一杯になってしまう。 佐助は頬杖をつきながら、いつしか一緒に笑顔になって、鉢に水を与えていった。 朝の満員電車を回避しようと車で出勤すると、調度駐車場で元親が車を降りてくるところに行き当たった。元親は欠伸をしながら歩いてくる。 「おはようございます、元親主任」 「おお…はよーさん。今朝は早いな、お前」 「まぁね…今日はさっさと帰りたいんで」 元親は肩に元就を乗せながら、佐助の横に立つ青年を見てから首を傾げた。 だが肩に乗る元就が、こそこそ、と元親の耳元に何かを話しかけると「ああ!」と急に大きな声を上げていく。 「お前…ッ、幸村か!おお、可愛いじゃねぇか」 「元親殿、おはようござる」 気付いてもらえたのが嬉しかったのか、幸村はぺこりと頭を下げると元親の肩に乗る元就にも「花期になりまして」と伝えていた。元親はそんな幸村がもの珍しいのか、頭をぽんぽん撫でてみたりしている。 「へぇ…実体なんだな。影あるし」 「ちょっと主任、旦那は俺のなんだから気安く触らないでよね」 「何だよ、減るもんじゃねぇだろ」 元親の手を引き剥がしていると、元親は歯をいーと見せる。それでも佐助は自分の背中に隠すようにして幸村を誘導すると、いつものフロアに行き当たった。 仕事場には何度も来ているから幸村も戸惑いはない筈だ。 だが、実体になってからは初めてなので、辺りをきょろきょろと見ている。そんな幸村に椅子を勧めてPCを立ち上げていると、小十郎が書類を手にしてやってきた。 「おはよう、猿飛、幸村。今日は一緒か」 小十郎はそんなに驚きも見せずに幸村の頭を上から、ぐりぐりと撫でて行く。撫でられて幸村は口元をむにむにと動かしていた――照れくさいらしい。 「おはようございます〜。そうなんです。そんな訳で、早退、良いですか?」 「――どんな訳だ。ま、いいぞ。そろそろ竹中も復帰するしな」 「やったッ!」 佐助が書類を受け取りながら腕まくりをしていると、ぴょん、と小十郎のデスクの方から飛び込んできた青い塊があった。 小さな青い塊――それは政宗に他ならない。ばっと大きく身体を飛び込ませると、佐助のデスクの上に飛び乗る。そして開口一番に幸村に飛びついた。 「Good-Morning!幸村」 「政宗殿…ッ!一足お先に花期になり申したぞ」 小さな政宗を両手で受け止めて、幸村が満面の笑みになる。それを横で見ながら、佐助は思わずにんまりとしてしまった。 ――可愛いなぁ…本当に無邪気っていうかさ。 フロアに来るまでも挨拶を交わす同僚達に、幸村は小さく「おはようございます」と馴れない口調で言っていた。その度に、少し恥ずかしがるのが面白かった。 ――いつもは結構男前っていうか、豪気なのにね。 大きくなったら何だか慎ましくなったような、と思わざるを得ない。佐助は隣に座る彼らを見ながら、小十郎から受け取った書類に眼を通し始める。 「花期か…良かったじゃねぇか。おい、今回は花は見れないのか?」 「確か佐助が携帯で写真を撮ってくださっておった筈……佐助、某の花を政宗殿に見せたいのでござるが」 「――Ah?」 「何か?」 つんつん、と隣で幸村が佐助の服を引っ張る中で、政宗が小首を傾げた。そして大きな青灰色の瞳を、くるん、と動かすと、びし、と佐助を指差す。 「今よ、こいつの事、なんて言った?」 「え、あ…さ、佐助」 言った側から、かあ、と幸村が紅くなる。 ――まだ馴れないんだねぇ。 たった少し、名前を呼び捨てるだけなのに、幸村はそんなことに恥じらいを感じるらしい。はは、と鼻先で佐助が笑っていると、政宗はにまにまと意味深に口元に笑みを浮かべた。 「へぇ〜?」 「なななな何でござるか!」 真っ赤になりながら幸村が反論すると、ぴょん、と幸村の手の上から飛び降りる。そして両手を伸ばして小十郎に、抱き上げろとばかりに強請ると、小十郎が片手を差し出した。 その上に乗ると、政宗は腰に手を宛がって胸を張った。 「おい、小十郎。こいつら一線越えちまったようだぞ」 「…お前はどうしてそういう…」 ――何処でそんな言葉を覚えてくるんだ? 政宗の勘違いに額を押さえる小十郎に、畳み掛けるように佐助が訂正をいれる。 「違いますからね、片倉の旦那。外で『殿』呼びされた日には吃驚ですから」 「だよな…政宗、お前何処でそんな知識もって来るんだ?」 ぴん、と額を指先で弾くと「あう」と頭を仰け反らせて政宗が掌の上でひっくり返る。そのまま小十郎は自分の胸ポケットに政宗を突っ込むと、佐助に「午前中で早退だな?」と確認してきた。 「はぁい。それまでにこのお仕事、上げときますんで」 「せいぜい、幸村を楽しませてやれ」 「勿論そのつもりですって」 くしゃ、と小十郎は佐助の頭も撫でてから自分のデスクに戻る。時々子ども扱いしてくるが、小十郎にされてもそんなに厭な気がしないのが不思議だ。 佐助は肩を竦めると、隣に座って回りをきょろきょろしている幸村に、イヤホンを渡し「これでも聞いてて」と音楽を聞かせていく。すると幸村はにっこりと笑って机の上に頭をころんと乗せていった。 午前中で仕事を切り上げると、早々に佐助は幸村を連れて花屋に向かった。車の窓の外を眺めながら、幸村が瞳を輝かせる。小さな時に観ていた景色と、今では見方も違うのだろう。そして、彼の慣れ親しんだ花屋が近づくと幸村はそわそわと気も急いているようだった。 花屋の軒先で長い髪を揺らしながら、鉢植を抱えている青年が見えた瞬間、幸村は佐助の隣から飛び出していった。 「慶次殿――ッ!」 「いらっしゃい…って、わああああッ」 ――どしん。 振り返りかけた慶次の背中に向かって、幸村が飛びつく。倒れはしなかったものの、慶次はかなり驚いたらしく、腰を反らしていた。 ――腰、痛めなきゃいいけど。 後ろから歩いていきながら佐助は彼に「ご愁傷様」と手を合わせたい気持ちだった。だが幸村はお構い無しにはしゃいでいる。 「慶次殿、見てくだされっ!某、花期になり申したぞ」 「う、うん…解った、解った。良かったねぇ」 「今回は七つの内、三つが先に咲き始め……」 ぐっと拳を握り締めて説明する幸村を引き剥がし、慶次が佐助にも「どうも〜」と柔らかい笑顔を向けてきた。そして幸村の肩を掴むと、顔を寄せて訊ねる。 「どう?気に入って貰えた?」 「え、っと…――佐助殿っ」 素直に頷けばいいのに、幸村は助け舟を強請るように佐助に矛先を向ける――自分の口からではなく、佐助の口からの感想を聞かせたいのだろう。 慶次も口元に笑みを作ったままで、じっと佐助の方を眺める。幸村と慶次の二人の視線を受けて、佐助ははっきりと答えた。 「勿論、綺麗で、可愛い花だよ。旦那」 「ううう嬉しいでござるぅぅぅぁぁぁあああッ!」 途端に幸村が天に向かって吼える。その声に驚いて、花屋の中にいた花の精達が一斉に震えたのが解った。 ――喜怒哀楽激しいんだから、本当にさ。 佐助が半ば呆れながらも幸村を見つめていると、幸村は今度は慶次の回りをちょろちょろと動きながら、会社に行った事や、公園に遊びに行ったこと、初めて食べたポップコーンの味などを一生懸命に話しはじめる。 「幸村、楽しくやってるみたいだね」 「勿論でござるッ!某、これほどに毎日毎日、胸が滾るのは初めてでござるッ」 「良かったじゃない?」 ――良い人の元に行けてよかったね。 にこ、と慶次が微笑みながら話す。中に一緒に入ると、先日見かけてカトレアの女の子が、ちょこん、とレジ台の上に座っていた。ひらり、とブルーピンクの袖が揺れる。 佐助がぺこりと会釈をすると、彼女はしずしずと頭を下げた。 「市、ほらこの間の幸村だよ」 「お久しゅうござる」 身体を屈めて幸村が市に挨拶をすると、市は手を伸ばして幸村をぺたぺたと触っていた。 ――ちくん。 「うん?」 胸に違和感を感じた――佐助の視界の中には、慶次と幸村、そして市がいる。それだけなのに、何故か胸がちくちくと痛んでくる。 ――なんだろう、このもやもやした気分。 眉根を寄せながら、佐助は口元に手を宛がった。馴れた世界の光景なのに、どうしてか胸が痛む――疎外感を感じる。その理由が解らないままに、佐助は胸元を手で、とんとん、と叩いていった。 布団に入りかけた時に、床に座っていた幸村に佐助は声を掛けた。 「…旦那。夜って本体に戻ってるんでしょ?」 「そうでござるが…」 首を廻らして答える幸村を、佐助が手招きする。それに従って、彼は膝で詰め寄ってきた。佐助が枕に頭を乗せて横になりながら、身体を壁際に寄せる。 「一緒に寝てみない?」 「どどどど同衾などもっての他ッ!」 がば、と幸村が身体を仰け反らせてベッドから離れる。それを佐助は、わはは、と声を立てて笑いながら枕を抱えた。 「そんな大層なもんじゃなくてさ、修学旅行のノリみたいに話そうよ」 「しゅうがくりょこう?」 「あー…旦那はそういうの解らないか。いいや、おいで」 「――――…?」 もう一度手招きすると、おずおずと幸村が身体を寄せてきた。はら、と彼の長い髪が佐助の顔に触れる――近づいた瞬間に、ぐい、と腕を引っ張ると佐助はベッドの中に引きこんだ。 「ふぎゃっ!」 「あ〜、やっぱりね。男二人はやっぱり狭いかぁ」 「ささささ佐助殿ぉぉぉぉぉぉッッ!」 ぎゅうぎゅうと佐助が幸村を抱き締めていると、どうにかして逃げようと手足をじたばたと動かしていく。佐助は構わずに幸村の首元に鼻先を埋めると、深く息を吸い込んだ。 「旦那はさ、香りのないお花だよね」 「そうでござるな」 ぴたり、と幸村が動きを止めて佐助の胸に顔を乗せたままで――顎先をたてて、顔を近くに上げながら――答えた。佐助は胸に乗る幸村の頭を片手でゆっくりと撫でてから、ふう、と溜息をついて鉢植えの方へと視線を向けた。 「でも、すっごく綺麗だよ」 「何やら照れ申す…」 ぼふ、と幸村は佐助の胸に顔を伏せた。胸元に幸村の息が熱く吹きかかり、擽ったい。 「うん、可愛くてさ。俺、旦那が来てから毎日すごく楽しい」 「…某も、こうして佐助殿と話して、観てもらって、夢みたいでござる」 身を寄せてくる幸村の身体がぽかぽかとしていて心地良い。 ――なんか、陽だまりにいるような… ぬくぬくとした身体が気持ちよくて、瞼がじっとりと落ちてくる。佐助は再び、ふう、と溜息を付いていく。 「ずっと……」 「――佐助、殿?」 佐助の呼吸が、すう、と穏やかになる。幸村は顔を起こしてから、そっと佐助の腕を持ち上げて彼の腕の中から逃れる。 そしてベッドから降りると、腕をベッドに乗せて手を伸ばした。 「佐助殿…寝てしまわれたか」 手を動かして幸村は佐助の額を撫でて。そして自分の鉢を振り返り、大きく開いている紅い花を視界に収めると、佐助から離れて幸村は本体に戻っていった。 夢を見ている――それを自覚しているのに、身体を起す事が出来ない。 ――前もこんな事あったよな。 そんな風に思うのに、身体は鉛のように重くなってきていた。そうしている間に、ひたりと佐助の頬に手が添えられた。 ――誰… 添えられた手が頬にそって撫でていくと、ふわりと鼻先に柔らかい感触が触れてくる。瞳を閉じているのに、それがよく知った手だと気付いた。 ――佐助。 囁かれる名前――それは自分の名前だ。だがその先に繋がる言葉は、柔らかい感触に全て塞がれてしまった。 ――どうしたの? 唇が離れた瞬間に聞いてみたが、彼は答えなかった――答えるよりも先に、彼の手が、肌に触れてきていた。 どうにかして彼の身体を抱き締めたいのに、身体は動かない。なすがままにしかなれない自分に戸惑いを感じながらも、これは夢だと何度も佐助は繰り返していった。 最近の朝は目覚まし時計が要らない。 佐助が眼を覚ましたのは、今日もまた幸村によってだった。だが眼を覚ました直後、佐助は息も荒く枕を抱き締めてしまった。寝汗が酷く――背中にびっしりと汗を掻いて、シャツがへばりついていた。 「如何したのでござるか?」 「え…あ、いや…――なんでも、無いんだけど」 しどろもどろになりながら佐助は枕を抱えて起き上がった。それをベッドの下に座っている幸村はじっと下から見上げるだけだった。 ――ちら。 佐助の視線が微かに幸村に向かう。幸村がそれに気付いてにこりと微笑むと、佐助はぱっと反対側に顔を背けた。 ――お、落ち着け! 幸村が不思議がって覗き込んでくる。それから只管逃げながら、佐助は枕を抱えたままずりずりと足元に動いていった。 「つかぬ事をお聞きしますが、旦那…」 「何でござるか?」 「昨日…何処で寝た?」 「本体の中でござる。それが、どうかしたのでござるか?」 「いや…――」 やっぱりあれは夢だったのだと確信する。それと同時にどうしてそんな夢を見たのか、悩まざるを得ない状況になってしまった。 「だよね…旦那、ちょっとテレビ見てて」 「――?解り申した」 幸村は小首を傾げながら、覚えたリモコン操作を繰り広げていく。それを横目で見ながら、佐助は急いでバスルームに引っ込んだ。 ――洒落にならねぇ… キュ、と蛇口を捻ると暖かい湯が出てくる。シャワーを頭から浴びると、佐助は再び「洒落になんねえよ」と水音に紛れて呟いていった。 昨夜見た夢は、かなり濃厚な夢だった。しかも相手は幸村に他ならない――自分が知っている幸村とは似ても似つかないことを、夢の中では彼はして見せた。 ――俺様、旦那に欲情してるってわけ? 目が覚めてもまだ触れられた感触が残っている気がしてならない。思い出すだけで鼓動が早鐘を打ち、太鼓のように響いていく気がした。 「ああもう、俺様、どうしようぅぅ」 両手で顔を覆いながら、佐助は「落ち着け」と何度も繰り返していった。 その日一日、何をしても夢を思い出してしまう。その度に幸村の顔が見れず、顔を背ける事が増えてしまっていた。佐助が仕事をしている間には、慶次の処に遊びに行っていた幸村に――側にいないとなると、嫉妬を覚えているというのに、いざ目の前に幸村が現れると顔を背けてしまう。 ――気まずい。 佐助は仕事帰りに幸村を迎えに行き、彼の手を引いて家に戻る間、幸村の報告を上の空で聞いていた。 そしてそのままドアを開けて中に入るが、中々幸村が玄関先から中に入ってこない。 「どうしたの、旦那…」 「某…何か嫌われることをしてしまったでござろうか」 「え…――ッ」 閉じたドアに背中をつけて、幸村は俯いている。いつから俯いていたのか、佐助には解らなかった。 ――あ、しまった。 徐々に幸村の声が乏しくなって、無口になってきていたのを、今更ながらに思い出す。佐助が慌てて側にいくと、幸村はふるふると肩を震わせていた。 「そ、某…至らぬことも、多く…もし、嫌われてしまったのなら…」 「旦那、御免ッ」 がっと肩を掴んで頭を下げる佐助とは逆に、幸村は顔を勢いよく上げて天井に向かって泣き出した。しかも大音声だ。 「う、う…うおおおおぉぉぉぅぅぅッ!」 「俺が悪かったッ!ごめん、そんなつもりじゃないんだって」 佐助が困り果てながら、幸村の頬を両手で包み込むと、手首に幸村の手が絡まる。ぼろぼろと流れる涙が、頬を濡らしていく。観れば鼻水も既に垂れて大変なことになっていた。 「だったら、う…っく、何で、某を無視するので…ござる…っ、ううう」 ――やっぱり嫌いになったんでござろうッ! うおおお、と再び大音声で泣き出す幸村の頬を、何度も掌で拭うが追いつかない。佐助は勢いよく幸村を抱き締めると、赤ん坊のように涙を流して喚く幸村の顔を自分に向けた。 「旦那…――ッ」 呼びかけると、一瞬瞳が――視線がぶつかった。それと同時に佐助は幸村の唇を塞いでいた。 「ん、ん……――っ」 泣きだして鼻が詰まっていた幸村が、息苦しさに、はふはふ、と鼻先から吐息を漏らす。そして空気を求めて顔をずらした。 短い口付けの後に、佐助は正面から――鼻先を触れさせたまま、真剣に告げていく。 「嫌いな相手にこんなこと…キスなんて出来ないよ」 「ふぇ……っ」 ひく、と幸村の咽喉が引き攣った。そして今度は、かああ、と真っ赤になると、涙も引っ込めて叫んだ。 「は、破廉恥なぁぁぁぁぁぁッ!」 ――ぽんッ 包んでいた筈の幸村の頬が消える――手元にあった筈の幸村の身体がなくなり、佐助の腕が空を切った。 「あ、ちょっと旦那?旦那――ッ?」 「佐助殿の、破廉恥ぃぃぃぃぃッ!」 危うくバランスを崩して膝を付きそうになった佐助の背後から、幸村の雄叫びが響く。佐助は部屋の中のローテーブルへと近づくと、幸村の本体の鉢を見下ろした。 ――参ったな… どうやら幸村は本体に篭城してしまったらしい。くしゃ、と髪を掻きあげながら、佐助は溜息を付くとその場に座り込んだ。 「旦那ぁ、姿、見せてよ」 ――お願いだから。 正面に鉢植えを置いて佐助が囁く。だが幸村は中々出てこなかった。佐助はテーブルの上に顔を、こつん、と乗せた。そして二つ目の花が閉じ始めているのを眼にしていった。 →8 091014up 何か気付いたらしい。 |