flower of passion





 朝起きたら目の前に青年がいた。それもただの青年ではない――花の精である事は変わりないのだが、それまで佐助が認識していた姿と似て非なるものだった。

「本当に…本当の本当に旦那?」
「幸村でござる」

 起き上がったままの姿で――盛大に叫んだ後に、一度枕へと頭を沈ませてから、恐る恐る顔をベッドの横に向けた。其処には佐助が倒れこむ前と同じように彼が座っている。
 佐助は一通り落ち着きを取り戻すと、上半身を起こした。だが手は未だに幸村によって握られたままだ。佐助がちらりとその手に視線を動かすと、幸村はその手を持ち上げ、自分の頬へと引き寄せた。
 ふわり、と柔らかい感触が掌に触れる。いつも触れている幸村の肌触りと変わりがない。
 違うのは目の前に等身大の、いわば自分と同じ大きさの青年が居て、愛しそうに佐助の手に擦り寄っていることだ。

 ――わぁ、なんて光景だよ!

 握られていない片手で口元を覆ってしまう。凄く気恥ずかしくて堪らない。だが佐助の恥ずかしさなど幸村には感知するべくはない。

「昨日まで、小さかった幸村でござる。触れて、確かめてくだされ」
「あ…――、う、うん…解った、から」

 ――手、離して?

 佐助が困っていると幸村は少しだけ名残惜しそうに佐助の手を離した。そしてじっと見つめてくる。その真っ直ぐな視線に居た堪れずに、佐助が「顔洗ってくる」と勢い良く飛び起きると、いつものように幸村は頷くだけだった。
 どきどきと動悸が激しい。

 ――こんなの、旦那をはじめて見たとき以来だよ。

 佐助は面食らいながらも顔を洗い、洗面所から顔を出す。すると幸村はベッドにローテーブルを挟んで、佐助がいつも座るところを空けて、正座して待っていた。
 紅い服に、背に流した長い髪、少し大きめの瞳、どれをとっても幸村以外有り得ないとも感じる。それなのに彼を前にして心臓が早鐘を打ち続けていく。

「佐助殿、佐助殿!某、いつもと違いがあり申さぬか?」
「え…違いって、大きいのがまず違うでしょ」

 佐助が戻ってくると嬉しそうに幸村が笑顔を向けてくる。彼の向かいに座るように腰を落ち着かせ、動揺を押さえ込むように溜息を吐いた。

「そうではござらん。ほら」
「――――…?」

 ぱたぱた、と幸村が手を振ってみせる。それでも解らずに首を傾げていると、幸村は佐助の目の前に手を差し出して動かす。

「某、実体でござるよ」
「あ、ああああッ!本当だッ!」

 言われてはたと気付く。確かに彼の手の下には影が出来ている。

 ――という事は、他の人にも見えるんだ。

 幸村は嬉しそうに、歯が見えるほどに口元を綻ばせて見せた。彼の鉢巻が眉の動きと共に少しだけ動いていた。ローテーブルの上の自分の鉢を両手で支えながら、彼は蕾の部分を指先で触れていた。
 佐助は鉢と幸村を交互に視界におさめると、肘を突きながら身を乗り出す。

「どの位その姿で居られるの?」
「一つの花が大体、一日から二日で落ちまする。今、大きく蕾が出来て居るものと、咲いているのを合わせて三つ…」
「――他の四個は…?」

 ――確か七個蕾がついていたよね?

 いつも上げているようにペットボトルに入れていた水を、幸村の鉢に向けて注いでいくと、幸村は残念そうに片眉だけ下げて「四つはまだ未熟で、咲くまでもっと時間が掛かり申す」と言った。
 大きく伸びている蕾――ひとつの蕾がおよそ5cm強の大きさの蕾が二つと、赤々と花弁を開いている深紅の花一輪。それを数えてから幸村は鉢から顔を出すかのように――なんせ葉が大きいので隠れてしまう――ひょこりと首を傾げて佐助に告げてくる。

「およそ一週間、と言ったところでござろうか」
「そっか。じゃあさ、その間が花期ってこと?」

 こくり、と幸村が頷く。とくとく、と幸村の鉢に水を上げた後に佐助はそのまま水を自分の口に含んだ。すると此方を見ている幸村が、口元を薄く開いて注視している。

 ――あ、紛れもなく旦那だ。

 今にも涎を垂らしそうな勢いで此方を見つめている姿に――外見はどんなに育っていても――いつもの涎の海を作る幸村が重なる。佐助はペットボトルから口を離すと、そのまま幸村に渡した。それを彼は嬉しそうにこくこくと咽喉を鳴らして飲んでいく。

「一週間ならさ、いつも出来ないことをしてみようか。したいことってない?」

 ――我が侭言っても良いよ?

 頬杖を付きながら提案する。幸村はボトルから、ぷは、と口を離すと首をぶんぶんと振った。

「そんな我が侭など…ッ」
「良いよ、良いよ。俺様は旦那の願いを叶えたい、それだけだって」

 手を伸ばして幸村の頭に触れた。今日は初めて触れるな、と想いながら撫でていく。

「う…そ、それでは考えておきまする」

 幸村は口をもにもにと動かすと、ぼそぼそと答えた。その間も佐助は頭を撫でていたが、幸村は上目遣いになりながら見上げてきた。

「あの、佐助殿…」
「うん?」

 す、と手を離すと彼は顔をぐんと上げる。

「その…如何でござろうか?」
「――――…?」

 佐助が頬杖をついて少しだけ乗り出す――彼にしては珍しく、ぼそ、と呟く声が聞き取りずらかった。佐助が身を乗り出すと、幸村は口をぱくぱくと動かしてから、こくり、と咽喉を動かした。そして膝立ちになりながら佐助に顔を近づけてくる。

 ――わ、近いッ。

 佐助が思わず間近に迫る幸村の顔を凝視する。膝立ちになっているせいで幸村の方が幾分か高く、見上げてしまう。
 下から見上げると、目元の睫毛が、ぱちぱち、と揺れていた。

「某、その…綺麗に咲けてるでござるか?」
「――――ッ!」

 頬を微かに紅色にし、不安そうに見下ろしてくる瞳がやたらと色っぽい。どき、とやっと収まっていた動悸が再び復活する。ずる、と頬杖から顔を滑りおとし、佐助は勢いよく起き上がると大仰に頷いて見せた。

「そ、それは勿論…ッ」

 ぶわ、と汗が背中に浮かんだ。幸村は佐助との距離を縮めるように乗り出してくる。彼をじっと見つめていると、ばくばく、と再び大きく鼓動が跳ねだす。

 ――うわぁぁぁッ!なんか、ヤバイッ。

 佐助はぎゅっと目を瞑ると、幸村の脇から覗く、本体の大きな深紅の花の方を向いて答えた。何度も頷きながら花の方を褒める。

「うん、綺麗だよ。可愛くて、綺麗な大きな花だ」
「良かったでござる…」

 ――お気に召さねばいかがしようかと、気が気ではなかったのでござる。

 幸村がほっと肩の力を抜いて、すとん、とその場に座り込む。にこにこしている顔には邪気は微塵も感じられない。

「あ、っと…俺お茶淹れるわ。旦那も飲む?」
「お構いなくッ!某、今たっぷりと頂き申した」

 幸村は不安と緊張が取れたせいか、いつもの元気を取り戻している。無邪気な幸村の様子に「俺様、穢れきってるわぁ」と内心で呟くと、佐助はすっくと立ち上がりキッチンへと足を向けた。

 ――ヤバイ、直視できないよ。

 幸村の、佐助に向けてくる眼差しが眩しすぎる。そんな風に想いながら、佐助は薬缶に水を入れるとコンロにかけていった。










 やりたいことを考える幸村が頭を悩ませていたので、いつもDVDを観ていた幸村を映画館に誘ってみた。それ以前に街中を歩かせてみたい気もしていたので、連れ立って歩いていく。
勿論、外出する際にいつもの格好では目立ってしまうので、佐助は自分の衣服を幸村に着せた。あまり変わらない背格好で良かったと思っていると、着替えた幸村がいつもと違う自分の格好にはしゃいでいた。
 映画館に入っただけでかなり興奮していた幸村は、終わる頃にはポップコーンの袋を抱えて、かなりご満悦だった。

「楽しかった?」
「勿論でござるッ!某、斯様に大きな画面で、しかも人も多くて、こんな処に来たことなど在りませなんだ。それにこれも美味でござった」

 既に空になった袋を手に幸村は嬉しそうに眦を紅く染めていた。その後、幸村に似合う服でもと、一緒に店に寄るとそこでもまた幸村は辺りをきょろきょろと、物珍しげに観ては佐助を呼んでいく。

 ――旦那が傍にいる事が、凄く楽しい。

 小さい姿の幸村の時でさえ、それまで色褪せていた日常が一気に極彩色になったかのように感じていた。そして今は実体化した彼が傍にいる。隣に誰かが居るという状況がこんなにも楽しいとは思っていなかった。

 ――もっと色んなことを旦那と一緒に出来たらいいなぁ。

 くるくると変わる表情を向けてくる幸村を観ながらそんな風に思う。此処に彼の花はないが、幸村が笑うと大輪の花が開いたかのように見えた。
 映画を観て、買い物をして一日目は過ぎていった。そして翌日の日曜日には以前にピクニックで行ったことがあった公園に遊びにいった。

「うおおおおおおおおおッ!」
「ちょ、旦那ぁぁぁ?何処行くの?」

 芝生の上を駆け出した幸村に声をかけて着いていく。余りの速さに佐助も本気で走る羽目になった。

 ――ズシャ――ッ!

「ぬおおおおッ!」
「わあっ、旦那っ!」

 途端に幸村は足を滑らせて倒れた。倒れる瞬間に間近に迫っていた佐助を幸村が巻き込む。一緒になって倒れこむと、幸村は転んだ衝撃に吃驚していた。

「もう…ほんとにどうしたのさ?危ないでしょ」
「佐助殿ぉ…」
「うん?」
「空が、近いでござる」

 ――いつもは遥か彼方で、手を伸ばしても到底届かないようでござるのに。

 幸村は芝生に横になりながら、嬉しそうに腕を空に向けてみる。佐助もその横に一緒に転がると大の字になった。空には雲がなく、夏空特有の濃い青が広がっていた。
 さもすれば季節を感じることなく過ぎる日々なのに、幸村がこうして傍で季節を教えてくれる気がした。

「此処さ、前来た時はいかなかったけど、ボートあるんだよね。乗ってみる?」
「ボート!あの水の上に浮かんでいる船でござるね?」

 がば、と起き上がると幸村は佐助を急かした。以前来た時に不思議そうに小首を傾げていた姿を思い出す。翌日筋肉痛になることを覚悟しながら、佐助は幸村に引っ張られていった。
 全てにおいて全力で行っていく幸村に付き合いながら佐助はいつの間にか自分も全力で楽しんでいた。
 近場のスーパーで買い物をして、夕飯を済ませると早々と足が筋肉痛を訴えてきていた。だが幸村にはダメージがないのか平然としていた。幸村は佐助のTシャツを着て、ベッドに寄り掛かって座っている。手には帰りに買ったキャラメルプリンがあった。

「旦那、他にしてみたいことは?」
「――…ッ」

 幸村はスプーンを咥えたまま見上げてくると、少しだけ動きを止めてから、ぽん、と紅くなった。どうしたのかと佐助が膝を折って傍に座ると、もっと真っ赤になって俯いてしまう。

「うん?いいよ、言ってみてごらん」
「佐助殿が、厭…なら」
「聞いてみないと解らないよ。何がしたいの?」
「その……――、もし、厭なら、無理には」

 プリンの容器をローテーブルの上に置くと、幸村はこじんまりと身体を縮めるかのようにして佐助の視線から逃げていく。反対側をむいた幸村の頭を掴んで、ぐい、と向けさせる。

「こっちむいて話すっ!ね?」
「う…わ、解り申した」

 じっと間近に見ると綺麗な琥珀色を弾く瞳が、きらきら、と佐助を射抜いていく。初日の緊張も程ほどに慣れてきてはいるが、流石に間近にみると幸村の顔の整っていることに目がいってしまう。

 ――ホントに綺麗に整っているなぁ。

 少し大きめの瞳も、きりりとしている眉も、すっと通った鼻筋も、少し厚みの薄い唇も、どれもが文句なく其処に収まっている。佐助が幸村の顔に魅入っていると、幸村は瞳を揺らめかせて口を開いた。

「き…――」
「き?」

 先を誘導するように繰り返すと、幸村は何度か同じように「き」と言っては口篭っていく。そしてやっとの事で震える声で告げてきた。

「キス、してみたいでござる…」
「―――…はい?」

 一瞬聞き間違えたかと思った。だが幸村がぶわりと汗を滲ませて――しかも瞳には涙が潤み出していた――動揺し始める。

「あっ、う、ええと…――き、聞かなかったことにッ!」

 どうして其処にいったのかなぁと思いながらも、昨日行った映画のことを思い出す。そういえば毎回「破廉恥」とか云いながらも、気付けばうっとりと見ている事が多かった。

 ――好奇心旺盛だもんね、旦那は。

 佐助が、くす、と口の中で笑うと、幸村は泣き出しそうな勢いで肩を竦めて真っ赤になった。花びらよりも紅いのかと思うくらいの赤面だ。

「聞かなかった事にしてくだされぇぇぇ」
「いいよ」
「え…――」

 さらりと言ってのけ、聞き返した幸村の頬を手で包むと、佐助は彼の額に唇を近づけて触れた。するりとした滑りのよい肌の感触が唇でも解る。そして今度は顔を寄せていくと、幸村が瞳を大きく見開いていた。佐助はそのまま構わずに、頬をよせると彼の頬に口付ける。

「あ…――」

 頬に口付けてやっと幸村が小さな声を上げた。佐助が鼻先を寄せて、今度は唇に触れようとすると、きゅ、と幸村は唇を引き絞った。

 ――ちゅ。

 小さな音が響く。硬く閉じられた幸村の唇に静かに触れてから、上唇、下唇と啄ばんでいく。

「――――ッ」

 鼻先に触れる幸村の呼吸が、ひく、と止まる。緊張して呼吸さえ止めかけている様子に、佐助は苦笑したくなった。それに角度を変えて、ちゅ、ちゅ、と啄ばんでも中々幸村の唇は開かない。

 ――硬い、唇。

 どうにかして開かせたい気持ちで一杯だった。佐助は唇を一度離すと、鼻先と額を付けたままで囁いた。

「目、閉じててよ、ね?旦那」
「っ…――解り申した…ッ」
「ふふ、それとね…旦那ぁ、口、あけて?」
「口…?――っん」

 きょと、と幸村が瞬きをする。そして、薄く唇を開けたのを目にして、佐助は空かさず唇を重ねた。唇を大きく広げるように動かしていくと幸村の鼻から吐息が零れていく。

「ん、んん…っふ、――ッ!」

 ――ぬる…

 頃合を見て舌先を滑らせて差し込むと、幸村の身体がびくりと震えた。そして同時に、手が佐助の肩口に添えられ、ぎゅう、と握りこんでくる。

「はっ、――……っ」

 ――くちゅ、ちゅぅ、じゅる

 次第に濡れた音が響きだし、絡めて行く舌が逃げ出していく。幸村の逃げ出す舌先を逃すまいと、強く吸い上げると佐助は勢いで強く幸村の肩を引き寄せた。
 そのまま角度を変えて、上唇を舌先でなぞると、幸村が顔を背けて逃れていく。

「は、さ…――さすけ、どの…」
「もう駄目?」

 は、は、と幸村が肩で息をしている。少しやりすぎたかと思いながらも、自分のほうへと幸村の頭を引き寄せてから、顔を覗き込んだ。
 幸村は呼吸も荒々しいが、瞬きを繰り返して、真っ赤になっている。濡れた唇がやたらと扇情的で、佐助は幸村の唇を指先で拭った。

「どんな感じ?」
「――な、何やらふわふわして…」
「うん?ふわふわして?」

 聞き返すと幸村は自分の手を胸に当てた。荒い呼吸で胸が上下に動いている。

「――此処が、じわりと、致す」
「気持ちよかった?」

 ――こくん。

 素直に頷く幸村はそれでも頷いた勢いで、恨めしそうに眉根を寄せながら「でも、破廉恥極まりないでござる」と弱弱しく呟いた。それがまた可愛く見えて、佐助は笑いながら幸村を抱き締めると、背後にあるベッドに持たれこむ。
 正面の幸村が困ったように――思案してから、佐助の額に手を伸ばしてなでてきた。その手を掴んで掌に口付けると「ほわっ」と頓狂な声を上げる。

「他にしたいことは?何でも言ってみてよ」

 機嫌よく佐助が言うと、幸村は「うーん」と頷いてから、自分の鉢を振り返ってみる。鉢の上では真っ赤な花が――最初の一輪が終わりを迎えようと、花びらを閉じ始めていた。そしてその横にまた一つ、咲き出しそうに膨れている蕾が見える。

「それでは、慶次殿…」

 幸村が鉢を見つめたままで、ほんのりと微笑む。幸村を抱き締めたまま、佐助はその穏やかな笑顔から瞳を離せなかった。

「慶次殿に、逢いたいでござる」

 恥らうように、ほんのりと幸村が微笑む。彼の希望に「いいよ」と頷きながら、佐助の胸が燻りだした。じりり、と胸元が燻りだす。

 ――なんだろう…何だか、厭な感じだ。

 佐助は眉根を寄せて溜息を吐くと、ぎゅう、と幸村を抱き締めて彼の肩口に鼻先を埋めた。そして、疼く胸元を追いやって、佐助は幸村に「明日一緒に仕事行こうか」と告げると、幸村は大きく頷いていった。





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091003 up ラブ度高い。