flower of passion 幸村が来てからは、驚きと発見の連続だった。お陰で色褪せていた日常が、極彩色に彩られていくようにさえ思えていた。 小さな身体で精一杯に一日を楽しむ姿や、少し抜けている処や――数えたら切りがない。目まぐるしく動く姿に、いつの間にか笑顔になる自分にも気付く。そして溜息ばかりの日常が、笑い声へと変わっていった。 「でさ、試しに納豆ご飯あげてみたんだけど」 「へぇ、思い切ったことしたねぇ」 しゃわわ、と水を撒きながら花屋の店主・慶次が含み笑いをしている。佐助は竹中半兵衛の見舞いと称して、幸村を伴って小十郎に着いてきていたのだ。 「いやもう、すごい涎だったんだから!」 ――海が出来るんじゃないかってくらい。 佐助作業台の傍の椅子に座って話していると、慶次はエプロンで手を拭きながら中に入ってきた。 「俺の時はそんなこと無かったけどなぁ。昼飯食ってても、知らん振りしてた」 「そうなんですか?旦那、食べてみたいと思わなかったの?」 「思わなかったでござるなぁ…」 作業台の上に座って、固形肥料を手で転がしている幸村に聞くと、彼は瞼を閉じて考え込む。むにむに、と口元が真一文字になる姿が面白い。彼の傍に固形肥料を転がすと、幸村はそれにも手を伸ばして抱え込んでいく。既に膝の上には多数の肥料が乗っていた。 ――持って帰るつもりなんだろうなぁ。 見舞いも済んだことだし、彼らに必要なものを購入していこうと小十郎と共に此処に訪れている。ついでに最近の近況でもと、慶次に相談に来たのだ。 「おいしそうに食べるし…これからもあげて良いもんですかね?」 「大丈夫じゃないかな?元々肥料だって、内容的には変わらないものだし」 慶次が小休止とばかりに作業台に椅子を手繰り寄せる。すると肥料を置いている棚の方から政宗の元気な声が響いた。 「Hey!小十郎、俺、此れが良いッ!」 「お前…ここぞと高いの選んでいないか?」 「俺はグルメだからな」 肥料の棚の上で政宗が胸を張る。手は腰に当てて、一番高い花鉢用の液肥を指差している。それを小十郎が、どれどれ、と手にとって裏返して説明を読み出していた。 ――くい、くい 小十郎と政宗のやりとりを頬杖をついて眺めていると、裾を幸村が引っ張ってきた。何だろうかと見下ろすと、どんぐりの瞳にぶつかる。 「佐助殿ぅ…某、固形も良いでござるが、液肥も好きでござる」 「ん?」 それは最初に説明を受けた時と変わらない。聞き返すように佐助が小首を傾げて見せると、幸村はすっくと立ち上がって拳を突き上げた。 「頂くとこう…――何やら、漲り申すッ」 「みなぎる…って、栄養ドリンクかよ?」 ふはは、と笑いながら幸村の額を小突くと、幸村は背後にむかって「おおう」と叫びながら倒れた。慶次もまた頬杖をついて幸村に向かって笑いかけて行く。 ――カララン。 不意にドアの鐘が鳴った。皆が其方に視線を動かすと、大きな紙袋を提げた元親が其処にいた。手には外したばかりのネクタイ、それと胸ポケットに元就が挟まっている。 「おお、皆さんお揃いで」 「元親主任…出先からですか」 佐助が幸村の首根っこを掴んで――猫の子を取る時のように、ぷらん、と持ち上げる。そしてそのままもう片方の手に乗せると、幸村は「某、猫ではござらん」と云いながら、しょぼんと項垂れた。 元親はぴっちり締めていた襟を外し、ふう、と息を吐き出しながら慶次の薦める椅子に腰掛ける。 「おう。なぁ、コレ、いらねぇか?」 どさ、と紙袋が作業台の上に乗せられる。がさがさ、と音を立てて元親が取り出したのは、大量のビニールパックだった。中には串に刺さったお団子が入っている。 「うっわ、何この団子の山ッ!」 「どうしたんだ?長曾我部」 小十郎が身を乗り出してから元親に聞く。元親は背後の小十郎に顔を向け――どうしても仰のく形になるが――にやり、と口元を吊り上げた。 「ほら、例の内装ですよ。老舗和菓子屋の。一応挨拶に行ったら、礼だってくれて」 「はぁ〜…凄い」 佐助は口元に指先を添えて出てくる団子の山に目を光らせた。意外と甘いものは好きなほうでもある。どれから食べようかと、ちらちらと見比べていく。 「だろう?俺、そんなに甘いの得意じゃねぇからよ」 にへ、と歯を見せて笑う元親は、皆がわらわらと集まって話しているのを見ているだけで嬉しそうだ。そして、慶次も食べろよ、と薦められると慶次は大きく頷いた。そして口元に手を添えると、元親に向かって云う。 「俺、甘いの好き―ッ!よっ、アニキッ!日本一ッ」 「褒めたって今は団子しか出ねぇよ」 ふ、と前髪を払う仕種をしてみせて元親が笑う。その間にも小十郎はじぃと団子の山を見つめ、数を数えていた。 「ずんだ、みたらし、こしあん、粒あん、胡麻、黄粉、焼き、海苔巻き…何人分だ、これ?」 確かに数人分はありそうだった。だがこれから会社に持って帰るには、日付が悪い――何せ今日は金曜日なのだ。明日は休みだし、二日も置いていたら風味が損なわれてしまう。 要するに今居るこの四人で処理するしかないという訳だ。だがそれでも食べきれるか解らない――だが、慶次が病院の医者の友人にも分けたいと申し出たので、事は簡単に決まった。 「そうだ、慶次さんよ」 「はい?」 皿に串を取り分けながら――でも既に慶次の口には、こしあんの串が咥えられていたが、元親に呼びかけられて振り返った。 「あのよ、元就が食いてぇって云うからやったんだけど、大丈夫かな?」 元親は少しだけ心配そうに眉を下げて、作業台の上で幸村と共に団子を見つめている元就を指差した。 「大丈夫ですよぅ。ってか、元就も食べるんだ?」 「餅が美味だったぞ。もっと餅があれば…」 元就が皆を振り仰いで、瞼を閉じる――たぶん今、彼の瞼には餅の映像が浮かんでいることだろう。 「餅?え…此処に無いよ?」 きょろ、と佐助が回りを見回すと、元親が「すまん」と手を合わせた。 「ああ、それは一個しか貰ってなくて。豆大福だよ。俺が手に持ってたの、元就に上げたんだわ」 元就は幸村と政宗に「どんなのだ?」と聞かれて「美味であった」と只管繰り返していた。いつの間にか花の精は人間の食べ物にも興味を示すようになってきたらしい。 そうしている間に、佐助が焼き団子を咥えると、ひたり、と腕に小さな感触が触れてきた。 「――――…」 厭な予感と共に視線を下に移す。すると、だらりと涎を流している幸村が目に入った。 ――また、旦那はッ! じぃ、と葡萄のような、どんぐりのような瞳に見上げられたら、あげない訳にはいかない。佐助はひとつを咀嚼し終えると、じっと瞳を皿のようにしている幸村に問いかけた。 「――旦那、食べる?」 「是非ッ!食べてみたいでござるッ」 遠慮なく幸村は、ぴん、と背筋を伸ばして表情を華やかせる。佐助は二つ目の団子を指先で串から取ると、はい、と渡した。それを両手で包んでから幸村は、かぷ、と団子にかみついた。 「どう…美味しいかな?――って、旦那?」 「――――…ッ」 ふるふる、と急に幸村の肩が小刻みに揺れた。あまりにぷるぷるとしているので心配になり、佐助が顔を覗き込もうとした瞬間、 「うううう…美味しいでござるぅぅぅぅ」 ぶわ、と涙を流しながら幸村が上を振り仰ぐ。そして手に持っていた団子を、んぐんぐ、と一気に食べつくしていった。 そうしている間にも幸村は次の串を強請ってくる。しかたないので佐助は元親に、持って帰って良いですか、と聞いた。 「いいぞ。でも佐助、そんなに食うのか?」 「なんか、旦那が気に入ったみたいなんで」 ――見てよ、これ。 佐助が指差す先には、一本丸々の団子に食いつく幸村が居る。みたらしに食いついており、口元がべたべたになっていた。その様子を見ながら、元親が「お前も大変だな」と苦笑していった。 団子を食べるようになってから、幸村は甘味に目覚めてしまった。 買出しに行く時などは、しっかりとポケットに収まっているのかと思えば、顔を出して「コレが食べたいでござる」と強請るようにもなってきた。 だがそれを叶えてしまう自分もどうかと思う。それでも、一人で囲む食卓に花が咲いたようだった。 ――まだ鉢の蕾は開かないけどね。 佐助がタラコパスタを食べながら鉢の方へと視線を動かすと、そのお零れにあやかっていた幸村が、パスタをちゅるんと口に引き入れて小首を傾げた。 「まだ旦那、咲かないんだね?」 「う…――っ、ま、まだでござる…」 しょぼ、と幸村が箸代わりの爪楊枝を咥える。今度、おもちゃでも良いからスプーンとフォークを用意してあげよう、などと思っていると幸村はぐんと顔を起こした。 「でもッ!間もなく、蕾も開きます故…ッ!待っていてくだされ、某、見事に紅く、紅く咲いて見せるでござるッ!」 「うん、楽しみにしてるね」 ふふ、と笑いながら幸村の口についていた海苔を掬い上げる。すると幸村は佐助を見上げて、真っ赤になる。 ――もう既に紅くなってるけど。 佐助が苦笑しながら、サラダに口をつけていると幸村はころんとした背中を佐助に向けた。皿代わりの――納豆ご飯を食べた時に使用したお猪口は、既に幸村のものとなっている――お猪口を抱えて、よいしょ、と幸村が立ち上がり、とてとてと鉢の方へといく。 そして自分の蕾を数を数えてから、こくり、と何かしら頷いてから戻ってきた。 「旦那、どうかしたの?」 「最初に咲くのはどこら辺かと、確認に行ってき申した。やはり、七つ、咲きますぞ」 「へぇ…楽しみだね」 へへ、と幸村が嬉しそうに微笑む。そして再びお猪口の中のパスタに向き合っていく。 ――あれ? 不意に佐助は幸村の服の色が、いつもと違うように見えて手を止めた。いつも紅い服を着ているが、今日はやけに色が濃く、深紅に見える。もしかして照明のせいかと見上げてみるが、そうでもない。 「なんか旦那、色が濃くなってない?」 「そうでござるか?」 問われて幸村が爪楊枝を咥えながら、変わりござらん、と答えた。佐助もその時はさほど深く考えずに「そうかな」と返していった。 さらり、とカーテンを撫でる風は生暖かく、確実に夏の到来を告げていた。 夏の日差しの強さに負けないようにと、鉢にも気を使いながら仕事にも打ち込む。そうしている間に、蕾に変化が出てきていた。 あんなに硬く閉ざされていた緑の蕾に、赤い切れ目が出ていた。それを歯磨きをしていた時に、幸村に呼び止められて見つけると、何だか胸がほわりと温かくなったような気がした。 それから二日する間に、蕾はいつの間にか開き、花びらがぐんぐんと伸びてくる。 開かない花びらの色は、外側は微かに白っぽく、中は見事なまでの深紅だった。 「うわぁ…旦那、綺麗だね。これ、何時ごろ咲くの?」 「あと、二日くらいでござろうか…」 一緒に鉢を覗き込みながら、幸村は頬を紅くしていた。自分が咲けるのが嬉しいらしい。その成長に、佐助は日々いつもよりも残業しないようにと、集中して仕事に打ち込んでいった。だが、それでもどうしても終わらない仕事に、週末の金曜日だというのに――佐助は残業を余儀なくされていた。 22時を回った辺りで元親が、お疲れさん、と鍵を渡してきた。程ほどにな、と告げられ頷いた。その後に今度は外に出ていた小十郎が戻ってきて、佐助の姿を見つけて吃驚した声を上げていった。 「明日、雨でも降るんじゃないのか?」 「すみませんねぇ、でも明日の予報は晴れですよ」 「――お前が根詰めるのは、久々じゃねぇか?」 ふふ、と小十郎がいつもは決めている髪を、指先でぐしゃぐしゃと掻きあげる。佐助のPCの横では、タオルの上で仰向けになって寝ている幸村がいる。 ぷうぷう、と小さな寝息が可愛らしい。 小十郎は佐助の近くに来ると、隣の椅子に座った。既に電気も半分以上が落ちており、部屋の中は薄暗かった。 「今日は政宗は置いてきたんですか?」 「ん?ああ…――あいつ、今、音楽に合わせて踊るのに嵌っててな」 「ええええ?マジで?」 「ああ…先日、音楽をかけていたら、こう…ステップ踏んでるんだよ」 「旦那も好きそうだなぁ、そういうの」 くすくす、咽喉の奥で笑うと小十郎は幸村を指差してきた。 「こいつ、少し色味が変わってないか?」 「あ、片倉の旦那もそう思います?本人は変わりないって言うんですけど…蕾が、少し開いていて、紅い色が出てきてんですよ。そしたら、何か…どんどん色味が増してきてて」 佐助がマウスを動かしながら話し、片手で携帯を取り出してから、小十郎に差し出した。其処には朝に取った幸村の鉢の写真が出ている。 「お前…親バカになってないか?」 「お互い様でしょう?」 眇めた視線で小十郎に言うと、彼は溜息をついた。そして画面を見つめて、小さな声を上げた。 「蕾、結構大きくなってるじゃないか」 「でしょう?お陰でなんか旦那もいつもと違ってて」 「――…何処が?色のほかに何処が?」 タオルの上でお腹を出して、ぷうぷう、眠る幸村を指差しながら小十郎が真面目に聞いてくる。佐助は苦笑しながら、違うんですよ、と告げた。 確かに微妙な違いがある――色もそうだが、時々幸村の身体が大きく見えるような気がするのだ。だがそう見えたと思った瞬間に、いつもの大きさの幸村が其処にいる。 ――蜃気楼みたいな感じなんだよね。 そしてまた幸村自身、いつもよりもそわそわとしている事が多かった。 「さて、と…そろそろ俺も帰るか。猿飛、お前どうだ?」 「ああ、今、終わりました。今、メール添付で送ったので」 「じゃあ、支度しろ。送ってやる」 ――今日は電車だっただろ? たぶん駐車場の車が無いことで気付いたのだろう。小十郎が上着を手にすると、自分のデスクに行き、荷物を持つ。それに合わせて佐助も帰り支度を始めていった。 「旦那、だーんな。起きてよ、帰るよ?」 「ううう…某、もう食べられないでござるぅぅ」 「――仕様がないなぁ…」 佐助は起きない幸村をタオルに包むと、そのまま胸元に抱え込んだ。そして電気を消しきると、小十郎の後ろについて会社を後にしていった。 マンションの前で小十郎に礼を述べ、足早になりつつ部屋へと向かう。 1DKのマンションの一室――それはいつもと変わりが無い。慣れない残業は疲れが出てしまう。佐助はベッドの枕元にタオルに載せた幸村をおき、シャワーを浴びると直ぐにベッドの上に転がった。 ――はぁ…疲れた…。 ばふ、と枕に頭を預ける。少しだけ水気を残した髪が、顔に張り付いた。ちら、と視線を枕もとのタオルの上に向けると、幸村が口元から涎を垂らしながら――だが、幸せそうに、にへへ、と笑いながら寝ていた。 ――もう直ぐ、咲くんだろうなぁ。 陽の当たりやすい室内に、幸村の鉢はある。毎朝、欠かさずにその鉢を最近は眺めていた。七つもついていた蕾のうち、三つが今は大きく育っているのだ。 「楽しみ…だよ、旦那ぁ」 ふふ、と笑いが零れる。そっと彼の頬に指先を伸ばすと、そのまま佐助は眠りに落ちていってしまった。眠りは深く、夢すら佐助に与えなかった。 ――とんとん、とんとん。 「う…――うん?」 まだ眠っていたいのに、何かが触れてくる。それも断続的に肩に、とんとん、と指先が当たる。 ――おかしいなぁ…なんだろ? ふう、と身体を仰向かせて再び瞼を閉じる。カーテンの先からは、うっすらと陽が射してきており、スズメがちゅんちゅんと啼いている声が響いていた。 ――ごろん。 佐助は仰向けになり、再び眠りに落ちようとした。すると何時も聞きなれた声が佐助を覚醒へと誘ってくる。 「佐助殿、佐助殿、起きてくだされ…ッ」 間近で囁かれる声がいつもよりも大きい。佐助が手を伸ばしてみるが、いつもの小さな幸村の身体に触れることはなかった。 ――ぎゅう。 虚空に伸ばした手に、同じくらいの手の感触が触れる。しかも、ぎゅ、と握ってくるのだ。 「――――…?」 佐助はその感触の変化に瞼を押し上げた。すると目の前には、見たことも無い――いや、勿論面影は十分にあるのだが――青年が其処にいた。 まだあどけなさを残した表情に、澄んだ瞳、そして長い髪は後ろでひと括りにしているが、後ろに流しきれなかった分が、ひと房だけ滑り落ちている。 覗く服装は、見事なまでの赤だ。赫々とした服が、身体を彩るかのように映えている。 「おはようござるッ」 佐助が瞳を開けて、手を握ったまま身体を硬くしていると、目の前の青年はこれでもかと云うほどの、綺麗な笑顔を向けてきた。 「――……ッ」 ひゅ、と佐助は息を飲んだ。目の前の青年がやたらと綺麗に微笑むものだから、心臓が早鐘を打ち始める。 ――え、これって…何? 状況をよく飲み込めずにいると、彼は「佐助殿?」と小首を傾げてくる。佐助はじっと彼を凝視し、やっと口を開いた。 「――…ど、どちら様ですか?」 咽喉がからからになっている気がする。やっと搾り出した声は、はっきりとした響きを持っていた。そして佐助の問いに、彼はまたもや満面の笑みでこう答えた。 「幸村でござるよ」 「――――ッ!!」 カッと瞳を見開きつつ、佐助は飛び起きた。それでも繋いだ手は離れていない。 ――ええええええええええええええええッ! すう、と息を吸い込むと、次の瞬間、佐助の口から絶叫が響いていった。 そして佐助の悲鳴の中で、部屋の片隅では真っ赤な、深紅の大輪の花がひとつ、見事に咲き出していた。 →6 090925 up 大きくなりました。 |