flower of passion





 週明けの月曜日、佐助はいつも通りに出勤した――しかし、よく考えてみれば、少しだけいつもと違うことがあった。
 以前は原付とか、電車で通勤していたが、今年は車を購入した――理由は簡単で、原付を電柱にぶつけるという惨事を起したからだった。その車で通勤するのは久しぶりだったが、駐車場の定位置に車を停めると、隣に既に小十郎の車が停まっている事に気付いた。

 ――片倉さん、早いよなぁ。

 チャリ、とキーを指先で弄びながら、佐助は持ってきていたいつものリュックを肩に掛けた。するとリュックのファスナーが、ジジジィ、と音を立てた。肩越しに佐助がそれを見ていると、ぷは、と幸村が其処から顔を出した。そして回りをきょろきょろと見回す。

「佐助殿ッ、此処が会社と云うところでござるか?」
「うん、そうだよ〜。あんまりお話出来ないかもしれないけど…その時は御免ね」
「構わないでござるッ!」

 初めての場所だからか、幸村は拳を振り上げて気合を入れていた。駐車場からの道を歩きながら、エレベーターへと向かい乗り込む。その間にも幸村は「耳がきんきんするでござる」と小さな手で、小さな耳を塞いでいた。
 程なく、チン、とレンジの音のような軽い音を立てて、エレベーターが目的の階へと到着する。

「おはようございまーす」

 佐助は軽く声をかけながら、自分のデスクへと向かった。そして椅子にリュックをかけると、そのまま机の上にあったクリアファイルを手にして部長の席へと移動する。
 部長といっても相手は片倉小十郎だ。

「おはようございます。これ、例の…――」

 其処まで云ってから、ふと佐助が閉口した。佐助の視界には青い服を着た三頭身の小人が映っている。
 しかも彼は右眼を眼帯で覆い、小さな手をばたばたと動かして小十郎の腕にしがみ付いていた。小十郎の手は、机の上のPCのキーを叩いている処だった。

 ――花の精、だよな?

「なぁ、小十郎、大丈夫か?まだ熱あるんじゃねぇ?」

 小さな手を、たしたし、と叩きつけながら政宗が見上げている。そしてその彼に向かって小十郎はかけていた眼鏡を外すと、そっと――自分の腕に触れているようにしか見えなかったが――それとない仕種で彼の肩から頬に指先を向けて撫でていた。

「政宗殿ッ!おはようござるッ」
「ん…――お、おおッ!幸村じゃねぇか」

 佐助が閉口していると胸ポケットに身体半分収まっていた幸村が、右腕を上に上げて挨拶をしていく。それに気付いて政宗が振り返った。

「あの…片倉さん?」
「猿飛か、おはよう。どうした?」

 顔を上げた小十郎が佐助に視線を移し、そして一瞬瞳を見開いた。小十郎の視線は佐助の胸ポケットに注がれている。

「それ…――もしかしなくても、見えています?」

 佐助が指を指して自分の胸元と、デスクの上の青い服を着た小人を指すと、小十郎は辺りを見回してから、ふう、と溜息をついた。

「お前もか…――観たところ、こいつらは知り合いみたいだな」
「そう…ですね」

 こそこそと声を潜めている佐助達とは裏腹に、幸村はポケットから飛び出して政宗に体当たりを食らわしているし、政宗もまた起き上がると頭突きを始めていた。
 小十郎のデスクの上で小さな花の精たちが、きゃっきゃとじゃれている。

「おはよーございまーす。片倉さんよ、これ見てくれ」
「長曾我部か…おはよう」
「どうも、おはようございます、元親主任」

 背後から箱を抱えた元親が現れた。そして箱を小十郎の前に差し出して、今度の展示見本作ったんですよ、とにっこりと笑った。
 手先の器用な彼の事だ――また実物そっくりの箱庭を完成させたのだろう。余程自信があるのか、上機嫌で元親は小十郎と佐助の前で箱の蓋をあけた。

「――あ?」

 ぱこ、と開かれた箱には、ミニチュアの椅子やらテーブルが並んでいる。だがその中心に緑色の柔らかそうな物体が入っていた。

「おま…っ、いないと思ったらこんな処に入ってたのかよ!」
「おのれ…元親…我を振り回すとは…」

 今まで箱の中で散々振り回されたのだろう。その小人はよろよろと立ち上がると、元親を睨みつけていた。

 ――というか、この人もか…ッ!

 佐助は額を手で覆った。ちらりと視線を流すと、小十郎もまた椅子の背もたれに、ぐーんと背中を預けて身体を反らせている。

「あの、元親主任…それ、俺達以外見えてないから、もうちょっと声抑えて」
「あ、そうか…ッ!って、え?お前も見えるの?」
「云っておくが、俺も見えているぞ」

 がた、と小十郎が立ち上がる。そして立ち上がり様にデスクに掌を向けた。するとそれに気付いて、たたた、と青い服を着た小人が駆け寄り、小十郎の掌の上に飛び乗る。
 小十郎は胸ポケットから煙草の箱を取り出すと、其処に彼を収めた。

「まぁ、なんだ…ちょっと話に行くか」
「そう、ですね」

 佐助も持っていたクリアファイルをぎゅっと胸に抱きこむと、軽く手を伸ばす。そして幸村の首根っこを掴みこむと、自分の肩に乗せた。元親に至っては箱の中の小人を、むんずと掴みこんでいく始末だったが、三人は夫々の花の精を引き連れてラウンジへと足を伸ばしていった。










 週末からの出来事を三人で夫々に語っていくと、皆鉢植えを購入した翌日に花の精が見えるようになったことが解った。

「じゃあ、それぞれ花の精が見えるって訳か」

 小十郎が手元にコーヒーの入った紙コップを包み込んで云う。彼らの目の前にはテーブルの上でちまちまと遊ぶ三匹の花の精が見ているわけだ。

「そうなりますね…あ、因みに俺のは旦那です」

 これ、と指を指して幸村を紹介すると幸村は、ととと、と歩き出た。そして元親と小十郎を見上げてから、ぺこん、と頭を下げる。

「幸村と申すッ!いつも佐助殿がお世話になっておりまするッ」

 ぶふっ、と佐助は甘いオレンジジュースを噴出しそうになった。そして勢い良く幸村を掴みこむと、ぎゅうと抱き締める。

「だから旦那、なんでそう…――ッ!ああもう、可愛いッッ」
「ふんぎゃあああああッ!ははは破廉恥ィィィ」

 いきなり抱き締められて、じたばた、と幸村が暴れる。その間に幸村に続いて青い服を着た隻眼の小人が前に進み出る。

「俺は政宗だ。小十郎のとこにいるぜ?」

 に、と口元を吊り上げる政宗に小十郎は「よくできました」とばかりに頭を指先で撫でてた。そうすると政宗は手を頭に乗せて、へへ、と嬉しそうにはにかんだ。
 だがその後ろで横になりながら微動だにせずに――少々、むっつりと頬を膨らませている小人が元親を顎でしゃくる。

「ふん…早う、我を皆に紹介するがいい」
「お前…態度でかいなぁ…――あー、これ、元就ね」
「此れとは…――ッ!」

 元親が身を乗り出して緑色の服を着た元就を指差す。だがその扱いが気に入らなかったのか、元就は飛び起きて元親に体当たりをしていた。二人の様子を眺めながら小十郎が口元に手を宛がう。

「まぁ、でも花の精が見えたとしても、何ら問題ないしな」
「確かに。それより、俺、なんかこの週末から楽しくて」
「珍しいな、猿飛」

 手に幸村を乗せたままで――小十郎の方へと幸村を見せるように抱き締めていると、幸村が頭を反らして佐助を見上げてくる。

「珍しい…ですよね。俺様、こんな風に楽しいの久々で」
「良い変化じゃないか。その分、仕事にも精を出せよ」
「うっわ、そういう事いうの、片倉の旦那」

 ――さて、戻るか。

 佐助が眉をはの字に下げていると、小十郎はさっと立ち上がった。空かさず政宗が着いて行くのが微笑ましい。

「おい、お前らッ!」

 不意に政宗が小十郎の肩に乗りながら、佐助たちに声をかけてきた。政宗は小十郎の肩の上で仁王立ちすると胸を張った。

「こいつ、週末に熱出してんだ。少し労れよなッ」
「おい、政宗…余計なこと云わなくても…」
「え、熱…――?」

 佐助が幸村を胸に引き寄せて聞き返すと、小十郎は額に手を当てた。半兵衛が倒れた今、彼にまで倒れられたらどうなるのか。ふと佐助が不安に思って閉口すると、小十郎は「大丈夫だよ」と微笑んだ。
 だが彼の肩にしがみ付きながら、政宗は「いー」と歯をむき出している。彼の後姿を見送っていると、幸村が葡萄のような大きな瞳を動かして佐助を見上げてきた。

「佐助殿ぉ…――」
「ん?あ、ごめん、ごめん。大丈夫だよ」

 ――旦那まで心配させた?

 くりくりと指先で彼の頭をなでてやると、むずがるようにして幸村が瞳を細めた。佐助がそのまま幸村をポケットにおさめて振り返ると、頭の上に元就を乗せた元親が立っていた。

「まったく、片倉さんって不器用だよな」
「元親主任…――」
「さてと、俺達も頑張るか」

 頭の上で元就がまだ元親の髪を引っ張っている。だがそれを物ともせずに元親は先に進んでいった。佐助はその後から付いていく。そして徐々に歩幅を大きく取って駆け込んでいった。










 仕事場に花の精がうろうろしている姿と云うのは面白い。初日はどうなることかと思ったが、幸村は順応性が高かった。翌日にはデスクで仕事をする佐助の前で、ころころと消しゴムを転がしたり、時折政宗たちに飛び掛って行ったりと忙しくなく動く。

「だーんな、ちょっとこっち来て」
「――?」

 昼休みに外に皆が出て行ったのを良いことに声をかけると、幸村は小首を傾げながら近づいてきた。幸村は両手にペンを持って振り回して遊んでいた処だった。
 どうやら細い赤ペンが手に馴染むらしく、くるくる、と器用に動かしている。

「会社、楽しい?」
「楽しいでござるよ?人が一杯居て、見たことも無いものがあって」

 これとか、と手にしている赤ペンを回してみせる。その仕種が様になっていて、佐助は微笑ましくなってしまう。

「そう?なら…良かった」

 佐助が、あのね、と口羽を切ると幸村は佐助の前に、ちょこん、と正座をした。そして真ん丸い葡萄のような瞳を、ぱちぱち、と瞬かせる。

「退屈かな、って、ちょっと思ってたんだ」

 ――楽しいならいいや。

 佐助はそう云うと頬杖をついて目の前で正座をする幸村の頭を撫でた。どうしても撫でたくなる、真ん丸の頭に昨日は「あまり撫でると禿げる」と幸村に怒られたのだが、どうしても止められない。
 すると幸村は顎を引いて俯くと、もじもじと肩を揺らした。様子が可笑しいことに首を縮めて窺うと、ほ、ほ、と幸村の頬が赤くなっていく。

「そ…某…――」
「ん?どうしたの」

 幸村は何かを云おうと必死になっている。だがその度に「あ」とか「うう」とか唸ってから、だらだらと今度は汗を掻きはじめた。

「某…その…――」

 ぶるぶると震えたかと思うと、ぎゅ、と拳を握って幸村が立ち上がった。そして勢い良く佐助を振り仰ぐ。必死な――丸い瞳が佐助に向かってくる。だがその顔は真っ赤だった。

「佐助殿と一緒なら、何処でも…ッ」
「――――ッ!」

 ――ゴンッ

 思わず佐助が肘を滑らせると、ぎゃあ、と声を上げて幸村が駆け寄る。そのまま佐助が机の上にうつ伏せていると、幸村は必死に小さな手で佐助を揺さ振った。

「さ、佐助殿?佐助殿――ッ?」

 ちら、と顔を腕の中から起こして佐助が幸村の方を向くと、幸村はほっとしたかのように、口元をにこりと緩めた。

「ああもう、ホント…花にしておくのもったいない」

 佐助が微かに鼻先を紅く染めていると、小さな手で其処をぺたぺたと触ってくる。幸村はまだ心配そうに覗き込んできていた。小さな身体がくの字に曲がる。

「佐助殿?」
「何で俺様のツボ突きまくるかなぁ?」

 ――ぎゅぅ。

 掌で幸村を頬に押し付けると、幸村はやはりジタバタと手足を動かして暴れた。だが佐助はそのまま突っ伏したままで、思い切り幸村を頬に押し付けていった。










 1DKの自宅に戻ると佐助は幸村をローテーブルの上に置くと、ベランダの窓を開け放ってから、其処に幸村の鉢を置いた。
 ふわり、ふわり、とカーテンが揺らいで、夏にしては涼しい風が吹き込んできていた。

「ちょっとシャワー浴びてくるわ」
「うむ、判ったでござる」

 こく、と頷く幸村がテーブルの上にあったグラスに手を添える。そして口元から、だらー、と涎を垂らした。

 ――お腹空いてんだね。

 ふふふ、と笑いながらまず鉢に水を入れて、それから幸村の手にしているグラスに水を注ぐ。

「それ、飲んじゃって良いからね」
「かたじけないッ」

 きゃあ、と嬉しそうな声を上げながら、幸村はグラスを覗き込む。佐助はそれを確認してから、バスルームに入っていった。
 佐助がさっぱりとした気分でバスルームから出て、手に発泡酒の缶を持ってくると、ローテーブルの上で幸村がよろよろとしていた。

「な…ッ、旦那?どうしたの?」
「うう、何だかバランスが取れないでござるぅぅ」

 ふら、ふら、と立ち上がると、ころん、と転がってしまう。佐助は駆け寄ってグラスの中が空っぽになっていることに気付き、転がった幸村の腹に指先を触れさせた。

「食べすぎではござらん〜」
「あ、ご…ごめん。つい…ッ」

 幸村のふくりとした腹はいつも通りで変化は無い。どうしたものかと思っていると、ふわ、と佐助の頬に風が触れた。

 ――ん?風……――?

 吹き込んできた風に佐助が首を廻らす。そして風の吹いてきた先を見やって、一瞬、固まった。

「――――……ッ!」

 ふわり、と風が吹き込む先には、カーテンによって倒されている鉢が目に入る。カーテンが幸村の鉢を転がしていたのだ。

「ぎゃ――――ッ!旦那ぁぁぁッッ!」

 佐助は真っ青になりながらベランダの方へと駆け寄ると、ばっとカーテンを開け放った。そしてそっと幸村の鉢を起こし、零れた土を鉢植えの中に急いで戻していく。

「あ、直ったでござるッ!」
「よ…良かったね……ッ」

 鉢を起こすと背後で幸村が元気な声を上げた。それを振り返りながら、佐助は動悸が止まらなかった。手を土で汚しながら、はあ、と肩を落としてその場に座り込んでいると、テーブルから飛び降りてきた幸村が駆け込んでくる。

「佐助殿ッ!某、もう大丈夫でござるよ」
「は…はいはい。あー…危なかった」

 ――勘弁してよね、もう…。

 ふう、と溜息を付きながらその場にへたり込んでいる間、幸村はきゃっきゃと自分の鉢の周りを駆け巡っていた。
 だがハプニングは此れだけでもなかった。
 幸村が意外と映画やテレビに興味を示すことを知ってから、たまに家に残したままで出勤することもあった。その日は天気も良く、朝起きると幸村が「日光浴――ッ」と強請ったので、佐助は幸村の鉢をベランダに出していった。

「今日は来る?それともDVD見てる?」
「昨日の続きを見るでござるッ!」

 はい、と片手を上げる仕種が、幼くて愛らしい。その仕種にシリーズ物のDVDを用意すると、佐助は幸村を家において出勤した――だが、その日は夏らしく、30度を軽く越す暑さだったのだ。

「ただいま〜…って、ええええええ?旦那ぁぁ?」

 家に戻ってみてから、真っ先にテーブルの上に仰向けになっている幸村を発見する。すると幸村は青ざめ、よろよろとしていた。更によく見るといつもはぷくぷくしている頬がこけている。

「旦那、どうしたのッ!」
「あ…――…」
「何?云って…ッ」

 佐助が小さな幸村の元に顔を近づけると、幸村は掠れた声で「暑い」と呟いた。そしてその一言で佐助はすっくと立ち上がり、ばたばたとベランダに駆け寄っていった。

 ――ガラッ。

 勢い良く開け放ったベランダの中央に、幸村の鉢がある。

「うっ、わ――――ッ!」

 ベランダに出していた鉢は、大きな葉が見る影もなく、へなへな、と萎れている。佐助は歯を噛み締めながら、即効で中に入れると水を此れでもかと云うほどに与えていった。

「た、確か、慶次さんが水やれば…って」

 壁に貼り付けている育て方のメモを見上げる。其処には丁寧な慶次の字でこう書いてあった。

『三十度を越すような温度の時は短時間のみ、日光に当てること。全く当てないと色が薄くなります。もし、当てすぎて萎れたら構わないので直ぐに水をたっぷりやること』

 ――これで良いんだよね、これで。

 どうか持ってくれ、と祈る気持ちで水をやってから、佐助は幸村の元へと首を巡らせた。幸村は「うーん」と唸っている。

「ごめんね、旦那…俺の不注意で…」
「ううぅぅ、大丈夫でござるぅぅ」
「旦那ぁぁ」

 小さな手が、ぷるぷる、と天井に伸ばされている。その手を指先で握ってやると、幸村は「うぬぬ」と唸った。

「某、まだ続きを見るまではぁぁ…ッ」
「あんた、馬鹿だろ…?」

 思わずがくりと項垂れていると、きゅ、と幸村の手に力が篭った。それに気付いて佐助が顔を起こすと、むく、と起き上がる。

「鉢は…――ッ?」

 ぐい、と鉢の方へと首を廻らせると、恐るべき生命力としかいえない――葉は何事も無かったかのように、大きな葉をきらきらと輝かせて、ぴん、と伸びていた。

「…………」

 佐助がゆっくりと首を廻らせると、目の前では幸村が「いっちに、さんし」と屈伸運動をしている。先程までの瀕死の状態が嘘のように、肌艶も活き活きとしていた。

「ホント…飽きないよ、旦那…」
「何か云い申したか?」
「いや…旦那」

 佐助はベッドに背中をくっつけて、はあ、と溜息を付く。そして口元に笑みを浮かべると、振り返った幸村に――声音を落とし、低く柔らかく囁いた。

「大好きだよ」
「なななな何を申すかぁぁぁぁぁッ!」

 ――破廉恥ィッ!

 きゃあ、と幸村が自分の顔を覆ってその場にしゃがみこむ。それを、あはは、と笑い飛ばしながら、その夜は更けていった。






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