flower of passion まだ朝早い土曜の外を、リュックを担いで歩き出す。最近の休みと言えば、昼過ぎまで家の中でごろごろしているか、寝ているかで過ぎていた。 ――そういえば、朝の空気って気持ちいいんだよね。 「おはようでござるッ」 担いでいたリュックから元気な声が響く。肩越しに見ると、其処から小さな手をぶんぶんと振っている幸村が目に入った。 ――そうだった、この子、連れてるんだった。 まだ少し慣れない気もするが、確かに存在している小人――三頭身の、小さな姿の花の精だ。佐助の部屋にある鉢植えの精だと彼は言う。 「幸村、誰に挨拶してんの?」 「あそこの庭木でござる。某もいつかあのように大きくなってみせるでござるよ」 「へぇ…あ、本当だ」 幸村がきりりと眉を引き締めて、小さな拳を振り上げる。促がされて住宅街の庭木を眺めると、確かに其処此処に花の精が見える。 ――今までは見えなかったんだけどねぇ。 幸村が手を振っていたのは松の木に座る老人だった。 こうして見ると住宅街の庭木たちは結構大きい。人の姿になっているものもいくらか居て、ふわふわと浮いている。 ――なーんか、信じられない気もするけど、区別つくから不思議。 佐助は被っていた帽子のつばを、ちょい、と上に上げた。なんとなく人間と花の精の区別がわかる。直感でしかないが、自然とこの状況になれてしまっていた。 「幸村、これから電車乗ってくから。落ちないようにね」 「でんしゃ…?」 「そ。人が多く居るし、土曜だから少ないと思うけど、ラッシュ時は凄く混むよ」 ――潰されたりしないでね。 「大丈夫でござるッ!しがみ付いて行きまするぞッ」 ぎゅ、と幸村はリュックの取っ手に捕まる。そして「いざっ」と声も高らかに叫んでいく。散歩がてらに今日は歩いているが、いつもの通勤の時のように自転車で駅まで行っていたらどうだったろうか。 ――勢いで吹っ飛ばされそうだもんね。 ふふ、と佐助は口元に手をあてて笑うと、少しだけ歩調を速めていった。 出勤してくると慶次はまず花達に水遣りをする。外に出したポッドに向かって、しゃわわわ、と勢い良く水をかけていくと、まだ形にならない花の精たちがキラキラと転がっていく。それを見るのも楽しいものだ。 次いで店内に入り、鉢植えたちにも挨拶をしながら水遣りをしていく。だがふとレジ横に新しく置いたカトレアを前にして慶次は止まった。このカトレアは数日前に仕入れたばかりだ。 「うーん…どう見ても君、市ちゃんに似てるんだよねぇ」 「市…――誰かに似ているの?」 少し青みの掛かったピンクのカトレアの鉢に、ちょこんと座っているのは女の子だ。長い髪をひらりと背に流し、花と同じ色合いの服を着ている。 花期には大抵の花の精たちは等身大の大きさになるが、カトレアを含め蘭系の花たちはそうでもない。 ――たぶん繊細だからだろうね。 あまり等身大になることもない蘭達に慶次は首を傾げる。だが慶次にも全ての花たちの性質がわかるわけでもないから仕方ない。 カトレアには、市、と名前をつけている。その市に屈みこんで視線を合わせると、彼女は「市、誰に似ているの?」と聞いてきた。 「うん、そこの病院の看護師さんでさ…とっても可愛い子がいるんだけど、長政がなぁ…早く結婚しちまえばいいのに」 「それも、市のせい…」 「いやいやいや、市のせいじゃないから!」 手をぶんぶんと振っていると、入り口からかすがの「客が来たぞ」の声で慶次は身体を起こした。そしてカトレアを、とん、と指でなでると市が微かに、ふふ、と笑った。 「あ、いらっしゃい」 「どうも〜」 身体を起こして入り口のドアを開けて、ドアを固定するとその前には佐助が立っていた。佐助は帽子を取りながら、にこり、と目が細くなるくらいに笑う。 ドアを固定する為に慶次はしゃがみ込みながら、ちょっと待ってね、と彼に言う。 「慶次殿ぅ、おはようござるぅぅぅぅ」 ぴょん、と幸村が佐助の肩越しから飛び掛ってきた。いきなりの事に慶次は思わず両手を広げて受け止めてしまう。 「わッ!あっぶないなぁ、幸村…――て、あ…あは、ははは」 掌に乗った幸村に、めっ、と怒りながら、ハッと佐助の存在に気付く。慶次は片方の手をばたばたと動かしながら、笑って誤魔化した。 だがそれを見下ろして佐助が真顔になっている。慶次は、だらだらと厭な汗が出てきそうな気がした。 「ああ、やっぱり見えてるんですね?」 「――え…っと――ええ?」 「見えてるってバレてますから、誤魔化さなくて良いですよ」 「あ、らら……バレちゃった?」 「バレ申したぞッ!」 ハイ、と片手を挙げて幸村が叫ぶ。その頭に慶次はこつんと指で弾くと、キャーと言って幸村がひっくり返っていった。 「すみませんね、忙しい時に」 佐助が言うと、どうぞ、と麦茶が目の前に出される。それを手に取りながらレジカウンターの横の作業台の前に座る。その向かい側には切花があり、時々、はらはら、と光の粒が綺羅めいていた。 ――綺麗だなぁ。 それを見つめながら麦茶に口を付ける。すると幸村が作業台の上から、佐助の手を、くいくい、と引っ張った。 「何、どうしたの?」 「――目移りしないで欲しいでござる」 「うん?」 ぷう、と唇を尖らせて幸村が下から見上げてくる。その様子を見ていると慶次が、ふふふ、と笑った。 「幸村、嫉妬してんですよ。今、そっちのお花に見惚れてたでしょ?」 「あ、成程ね」 「佐助殿は某を気に入ってくれたのでござろう?」 ――直ぐに目移りするとは、浮気者でござる。 ぷい、と幸村が佐助の腕に両手を乗せたままで、顔だけを横に背ける。その仕種に、佐助はぐりぐりと幸村の頭の上を撫でた。すると、ふぎゃ、と幸村が勢いで後ろに倒れこむ。 「それはそうと、猿飛さん、どうしてまた…」 「そうなんですよ、なんか急に花の精?――が見えるようになってしまって」 「――……」 かたん、と丸椅子を取り出してその上に慶次が座る。自分のグラスに麦茶を、ととと、と注ぎながら佐助の方へと耳を傾ける。 「ま、俺様だけじゃないって知ったから、良いんだけど。大体のことが解れば…」 「その割には落ち着いてますね」 「見えちゃったしねぇ…触れるし。でもどうにも…わからない事多いから」 「そうだね、幸村には説明は無理だろうしねぇ」 慶次が、よいしょ、と起き上がりかけていた幸村を助けて起してやる。そして掌に幸村をのせると歯を見せて困ったように笑った。 「ちゃんと説明できなかったでしょ、幸村」 「む、某、馬鹿ではないでござるよ」 ぷうう、と両頬に空気を入れて膨れる幸村の頬を、つん、と慶次が突くと、ぶほ、と幸村は噎せて行く。 ――ぶ…っ、なんてお約束…ッ。 佐助は二人の遣り取り――もとい、幸村の動きを見ながら笑いを堪えていく。すると慶次が少しだけ身を乗り出してきた。 「ハイハイ。じゃあ、簡単にね」 慶次がレジ横のカトレアの鉢植えを指差す。すると鉢の陰から、小さな女の子が見えた。 「まず鉢植えくらいの大きさの花達にはこのくらいのチビが付いてるね。庭木なんかになったりすると、もっと大きいかな。で、基本的に本体に水と肥料ね。これがあれば大丈夫…っていうか、うん…普通に育ててくれればいいから」 そこまでの説明を聞いて、此処に来るまでの道の途中で見かけた庭木を思い出す。そして、ふと佐助は頬杖をついていた腕を、顎先から離した。 ――そういえば、あの夢… 昨日のことを思い出す。佐助は麦茶を飲んでいた慶次に聞いた。 「この子らって大きくなったりする?」 「なんで?」 「いや…ちょっと、夢、見てさ」 ことん、とグラスを作業台においてから、慶次は幸村を一度、ちら、と見た。そして視線を外さないままで頷いた。 「なるよ。でもそれは花期にね」 「花期…――」 佐助が反芻すると、目の前をてくてくと幸村が歩いていく。体長15cmの小さな身体が、作業台を横切り、レジの方へと向かう。そして勝手知ったるとばかりに、ひょい、ひょい、と移動していく。レジのところに行くと幸村は市に挨拶をしていた。 「花期になると、実体化する子も居る。実体を維持出来たりもするし…良く見るとずっと実体、なんてのもたまに居るよ」 慶次は市と幸村の遣り取りを見つめながら、遠くを見るように、ゆっくりと付け足した。 「愛情込められている子ほど、長く実体になってるかなぁ…」 ――お手入れされているからね。 くる、と首を廻らせて佐助の方へと向き直る。すべては手入れ次第、と云われているような気がする。佐助は入れてもらった麦茶を両手で包む。掌に冷たい感触が触れて、暑かった身体がほっと落ち着く気がした。 佐助もまた市と幸村の方を、ちら、と瞳を動かして見る。すると幸村が佐助の視線に気付いたのか、ぱっと此方を向いて笑った。その顔が、真っ赤な花びらが開いた時の花のようで、思わず笑い返していた。 「見えていないときは気付いていなかったけど」 「うん?」 佐助の視線の先では、市に一礼してから、とととと、と駆け込んでくる幸村が居る。 「ちゃんとこうして居るのにね。見えないと触れないなんてね」 「知覚してないとねぇ…不思議なものだけどさ」 慶次が佐助の言葉を引き継ぐようにして話す。それに頷きながら、駆け込んできた幸村の首根っこを摘みあげると、ぷらん、と彼は吊り下げられる。そして吊り下げた先から、掌にのせると幸村は佐助の掌の上で正座をした。 「それじゃあ、改めてよろしく。俺、猿飛佐助ね」 「不束者ではございますが、よろしくお願い致す」 ぺこり、と幸村が三つ指突いて頭を提げる。 「――ッ、ちょ、何処でそんなの覚えたの?」 「何か間違えたでござるか?」 小首を傾げて幸村が訊いて来る。佐助は慶次に、あんたが教えたの、と聞くと彼は首を横に振った。 ――てか、それって嫁入りの文句じゃないか。 なんだか気恥ずかしい気もする。だが佐助はじっと小首を傾げている幸村を掌に載せたまま、自分の目の高さに持ち上げた。 「……もう一回」 「――――…?」 幸村が小首を傾げながら、ぺこん、と頭を下げて口上を再び述べる。その仕種がツボに入り、佐助がぎゅっと自分の頬に彼を摺り寄せる。 「可愛いなぁっ!俺様、小さいものに弱いんだよねぇッッ」 「ぎゃああああ、破廉恥――――ッッ」 勢い余って、ぐりぐりと撫で回していると幸村が真っ赤になって暴れた。二人の様子に慶次が笑い声を立てていったが、構わずにじゃれて行った。 慶次は「また何かあれば気兼ねなく、どうぞ」と言ってくれた。慶次にしても同じように花の精が見える仲間が増えたとあって嬉しいのだろう。一通り話し込むとお互い、名前で呼び合うようになっていた位だ。 前日は慌ただしく動いていたが、翌日の日曜日にはゆっくりと家で音楽鑑賞をしたりして過ごした。音楽を流すと、時々踊っている幸村が目に入る。まるい身体が、くいくい、動くさまを見ていると笑わずには居られなかった。 ――なんか楽しい。うん、楽しいな。 何をするにも反応が返ってくる――それがとても楽しく感じられてきていた。特に幸村は突飛な行動にも出る。今朝なんてグラスに注いでいた水の中に、頭から飛び込んで挟まれていた。 「上がったよ〜、幸村?」 風呂上りにタオルで頭を拭きながら出てくると、幸村がベッドの横にあるローテーブルの上で、ぴょこん、と佐助の方を見た。佐助は片手に発泡酒の缶を持ち、そちらに行くとテーブルの前に座り込む。 テーブルの上に置いた缶に幸村が手をつけて、小首を傾げていた。 「はぁ…やっぱ、風呂に入るとすっきりする」 「風呂、でござるか?」 缶に手を当てて幸村が見上げてくる。調度缶と同じくらいの背丈だ。佐助はまだ少し滴が垂れる髪を掻き上げる。 「一緒に入ってみる?」 ぴぎゃっ、と幸村が変な声を上げた。そして、もじもじと肩を揺らしながら真っ赤になっていく。もそもそと幸村は話し出す。 「ふ…拭いてくだされば…それでいいので」 「何処を?」 業と佐助が意地悪く言うと、ぼん、と紅さに磨きをかけて――拳を振り回しながら幸村が慌てる。 「葉でござるよッ!」 「ごめん、ごめん。解ってるよ」 本体の鉢はローテーブルの上にある。鉢の部分が赤茶色の瀬戸物に入っている。その上で濃い緑の大きな葉が、艶をもって光っていた。鉢の本体と幸村を見比べた。 「ちゃんと見えるし、触れるのに、影、ないんだよね」 「それはそうでござる。某、花の精でござる故」 見下ろす幸村の足元に影はない。それが他の人には見えていないのだと知らしめている。 ――ちゃんと存在しているのにね。 咽喉に発泡酒を流し込み、佐助は溜息を吐いた。 「ま、いっか。明日からまた一週間…仕事だからなぁ。早く寝るかな」 呟く言葉に幸村が頷く。小さな彼の仕種に、じわりと胸が熱くなる気がした。 「幸村」 「――何でござるか?」 咽喉に発泡酒を流し込み終えると、佐助は肩膝をついた上に腕を乗せた。テーブルの上に座って、一緒に映画を観ていた幸村が振り返る。 小さな背中がころんと丸い。 「一緒に寝る?」 「どどど同衾など滅相もないッ」 ぶは、と佐助が噴出した。どこからそんな言葉を覚えてくるのか。腹を抱えて佐助が笑い転げている間中、幸村はぶんぶんと首を振り続けていた。 週の初めくらいは理想の朝を過ごしたい――どうせその内に、慌てて出て行く毎日になる。いつもよりも早めの時間に起きて、朝食のトーストを咥える。かし、と小気味よい音を立ててトーストを齧りながら、佐助は幸村の前に水を置いた。 ――ごっきゅ、ごっきゅ、ごっきゅ 本体には先ほどたっぷりと――受け皿に水が滴るくらいに、水をあげている。だが目の前では幸村が計量カップに顔を突っ込んで水を飲んでいた。 「んー…なんか、よく食べるし、よく寝るし…亭主っぽいよね、幸村って」 「亭主?」 ぷは、と顔を起して幸村が訊いて来る。彼に調度良い入れ物がないので、今のところ計量カップなどを使っている。口が小さいグラスだと、昨日のように嵌ってしまいそうだったからだ。 佐助はコーヒーを咽喉に流し込んでから、ぱん、と自分の膝を叩いた。 「よし、幸村のこと、旦那って呼ぼう」 「旦那?」 「お花の旦那、ね?」 指先で、濡れた幸村の頬を拭う。すると幸村の頬が、ふにゃん、と動いた。 「――佐助殿のお好きに呼ぶがいいでござるよ」 ごしごし、と口元を拭いながら幸村が正面から見上げてくる。葡萄の粒のような瞳が、くるん、と動いていた。 それを見つめながら佐助が再び、かし、と音をたててトーストを齧る。 「気にならないの?」 「佐助殿が呼んで下されるのなら、どんな名でも」 ――某、嬉しゅうござる。 「――――…ッ」 ぽろ、と口元からトーストを取り落とした。なんて事を言い出すんだ、と佐助は内心で叫んでいた。胸がどっどっどと早鐘を打ち始める。 ごほごほ、と噎せながら佐助が口元を覆うと、幸村が慌てて眉を下げていく。 「如何された?」 「いや、大丈夫…――」 こほ、と咳払いをすると佐助はコーヒーを咽喉に流し込む。そして、ちら、と幸村を見ると彼は小さな手を計量カップの縁に乗せて、きょとん、として見上げてきていた。 「一緒に通勤しようか。あんまりお話出来ないけど、聞いてるから」 ――この花にはずっとツボを突かれている気がする。 仕事に連れて行くことを決めると、幸村が明るい顔をした。にっこりと笑う彼の顔を見てから、目の前の本体の蕾を指先でつつくと、幸村がさらに嬉しそうに、眉を下げて笑っていった。 →4 090906 up |