flower of passion



 再び遊び始めた幸村たちを放っておいて、慶次が閉店準備を始める。佐助は翌日が休みと云うこともあり、手伝いながら話し掛けた。此処に来たいと言ったのは幸村だが、佐助にも不安な――わからない事があったのだ。内容的には幸村のことに他ならない。

「今回の花期、色も薄いし、花も二個だけなんだけど…」

 言いながら外に出ていた小さなポッドの花達を裏に持っていく最中、蔓薔薇のところで銀色の髪をした花の精が「うふふふ、ふふ…ふふふ」と刺の上を歩いており、横目にそれを眺めて背筋を震わせていると、慶次は肩を叩いて佐助を呼んだ。

「何あれ…あんなの、居たっけ?」
「前から居るよ〜。あれ、光秀ね。ちょっと不思議な奴だから」

 あまり関わらないように、と忠告され、二言も無く佐助は頷いた。そして先程の佐助の疑問に答えながら、慶次は店内に入っていく。

「たぶん日照不足だよ。小さい華になっちゃってるでしょ?だから今回は幸村も小さいままなのかな」
「うん…」

 落ち込んだかのように、声音を落として佐助が応えると、振り返った慶次が首に掛けたタオルで汗を拭きこんだ。汗を拭きながら小首を傾げている。

「――?どうしたの、元気ないね」
「いや…その…、ね」
「歯切れ悪いなぁ。言ってみなよ」

 まごまごと言い澱み、視線を合わせないように反らすと、ずい、と慶次は顔を寄せてきた。そして瞳を眇めながら、じっと見つめてくる。追求してくる気配に耐え切れず、声を潜めて――慶次の耳元に手を寄せて、そっと告げた。

「花期になって直ぐに、しちゃって…」
「ん?」

 何だか解らないとばかりに、慶次が更に小首を傾げる。佐助は耳元で話すのをやめて、足元をがりがりと蹴った。

「無理繰りっていうか…がっついちゃってさ…」
「え…――っ、それって」

 今度は合点がいったと慶次が身を乗り出してくる。拳を口元に引き寄せて、頬を微かに染めている辺り、結局皆こういう話には乗りやすいんだなぁ、と脳裏で感じてしまう。

 ――ま、そういう生き物ですからー?

 佐助は片方の眉を下げるという、非対称な表情で笑むと、こくん、と頷いて見せた。

「うん。理性飛んじゃって」
「ははぁ。それで…花が小さいからじゃなくて、あれ、幸村ってば臍曲げてんだ?」
「そうなんだよね」

 慶次は腰に手を当てて、親指だけを駆け巡って――固形肥料でキャッチボールやら、ドッヂボールに勤しむ幸村たちを指し示した。元気良く動いている幸村を優しく見つめながら、ふう、と溜息を付いてしまう。

 ――旦那に嫌われたらどうしよう。

 思わず出てしまった言葉に、慶次が瞳を見開く。そして真顔になると、今度は幸村たちを方へと振り返って、くす、と鼻先で笑った。

「でも嫌っていないみたいよ?」
「何で?」
「ほら…こっち伺ってる」
「うん?」

 慶次の背後を覗き見ると、調度五匹が集まり出していたところで、その内の一匹――幸村だけが、佐助と慶次の遣り取りを大きな瞳でじっと見つめていた。
 だが、佐助の視線と目が合うと、慌てて顔を赤らめる。そして急に、あっかんべー、と舌先を突き出してみせる。

 ――やば…可愛いッ!

 腰に片手を当てて、少し身を乗り出して、肉厚な舌先をべえと出している。すると他の四匹までもが幸村を覗きこんでから真似を始めてしまう。

「かーわいい……たまんねぇ。やっぱり旦那ってば最高に可愛いわ」
「ねーッ?ホントにお花って可愛いよねぇ」

 五匹分の、あっかんべぇも佐助と慶次にとっては微笑ましく、且つ愛らしく見えてしまう。慶次に至ってはモップの柄に手を乗せ、その上に顎先を乗せて、にこにこと観ていた。
 ばたばたと動き回る幸村たちのせいで、姿を消していたカトレアの市が、そっと顔を出すと、空かさず慶次は「皆可愛いね」と話し掛けた。すると市もまた、ほんわりと微笑んでみせる。

 ――此処って、ほんとうに和む場所だよね。

 この花屋で元気に、そして伸び伸びと育っていた幸村だからこそ、佐助は好きになったような気がしてくる。昨日の失態もまた、幸村を好きだと――嫌われたくないと、再度認識する機会になったと、改めて佐助は感じながら、五匹のあっかんべぇの動きを笑いながら眺めていった。










 閉店時間になり、先に佐助が歩き出すと幸村は彼を止めて、ぴょん、と店に鍵をかける慶次の肩に乗ってしまった。

「皆に挨拶をして来たいのでござる。先に車に行ってて下され」

 どうしようかと佐助が手を差し出すが、幸村は慶次にしがみついて離れない。仕方なく、慶次が後から連れて来てくれると言うので、何度か振り返りながらも佐助は先に車へと向っていった。

「ね、幸村。どうして小さいままなの?」
「それは…あまり綺麗に咲けなくて」
「ホントに?」
「慶次殿ぅ…暫く、某を預かってくれ申さぬか?某、佐助殿に合わせる顔がござらん」
「それ嘘でしょ?ちゃんと本当のこと、言ってご覧」

 背中を見せる佐助を見送りながら、慶次が聞いてみると、幸村は唇を尖らせたままで肩に座り込んだ。だが事情を聞いている慶次としては、幸村の用意した言い訳は直ぐに嘘だと解ってしまう。
 指先で幸村の鼻っ面を突くと、ふぎゃ、と呻きながら幸村が頭をそらす。そして突かれた鼻先を擦りながら、ごにょごにょ、と唇を尖らせた。

「慶次殿…――佐助には言わないで下さるか?」
「云わないよ、云わない。幸村が云って欲しくないのなら、云わないからさ」

 慶次が明るく答えると、一度眉を下げて慶次を見つめた。少しだけ思案した後、ぎゅ、と拳を握って、そして河豚のように、ぶう、と頬を膨らませた。

「佐助殿は…某の身体だけが目当てだったのでござる」
「ぶ…ッ」

 じっくりと絞り出すようにして言い放つ幸村に、思わず慶次は噴出した。だが幸村は構わずに続けていく。

「某、また綺麗に咲いて見せたかったのに…佐助殿は、某の花をみるよりも先に」
「幸村…?」

 不意に幸村の声音が雰囲気を変えて、小さくなっていく。かちゃん、と店の門を閉めてから、慶次が駐車場に向い出す間、幸村はぷるぷると慶次の肩の上で震え出した。
 肩に乗っていた幸村に手を伸ばしてから、慶次は自分の目の高さに彼を向けてくる。大きな掌に乗っている幸村は、うっく、うっく、としゃくり上げ始めていた。

「こ…怖くて…――、初めは、そんなに怖いとも思ったこと、なかったのに…嬉しかったのに…こ、怖くて…ッ」

 ひっくひっくとしゃくり上げる間に、幸村の大きなどんぐりのような瞳から涙の粒がぼろぼろと零れだす。それだけではなく、鼻水もだらりと垂らしながら、豪快に泣き始めるので、慶次は片手で持っていたバッグの中からティッシュを引き出して、幸村の濡れた顔面をぐいぐいと拭った。

「う…うえっ…ぇ、うっく」
「こらこら、大きな目が兎さんになっちゃうよ?」

 指先でふっくりとした頬を突くと、ぽよん、と動く。だがまだ幸村の涙は留まる処を知らず、うるうると瞳が潤んできた。気付けば幸村は小さな両手を慶次の襟首にかけ、ぎゅうと握りこむとしがみ付いていった。

「こ…怖かった…ので、ござる…ぅ」
「佐助は優しくなかった?」

 ぽんぽん、とあやすように幸村のちんまりとした背を軽く叩くと、幸村は服に顔をこすり付けるようにして、首をぶんぶんと振って見せた。

「そ…そんなこと、ない…で、でもっ!あの時は、ほ…ほんと…に、怖くてッ」
「うん、そうだね。吃驚したんだよね」

 慶次が幸村の気持ちを汲みながら同意してやると、ひっく、と咽喉を動かした幸村が顔を上げる。そして慶次の方を振り仰いで、今度は不安に瞳を潤ませ始めた。

「ど…どうしよう、慶次殿ぅ。某、佐助殿に嫌われたら、どうしよう…っ」

 口元を戦慄かせて、全身で不安を訴えて泣きじゃくる姿は、はっきり言って愛らしい。本人にしてみれば大問題なのだが、純粋に――真っ直ぐな心持ちで泣きじゃくる姿は、微笑ましくなってしまう。慶次が幸村を片手で支えながら歩いていると、間近で佐助の声が響いた。

「旦那ッ!」
「――ッ?」

 慶次にしがみ付いていた幸村が、佐助の声に驚いて振り返る。すると背後に直ぐ佐助が居た――状況が掴めずにきょろきょろと周りを見回す幸村は、既に駐車場の佐助の車の元に来ていた事に気付いた。

「ちょっと、今のマジ?ホントに?」

 佐助が真剣に詰め寄る中で、幸村だけが慶次を見上げて助けを求めたり、真っ赤になったりと忙しない。慶次に抱えられながら、小さな身体がじゅわりと熱くなっていく。

「ごめん、聞かせて貰っちゃった。旦那、俺が旦那を嫌いになるなんてないでしょ?」
「う、あ…――あぅ」
「俺こそあの時は本当にゴメン。何度でも旦那が満足するまで謝るよ。ごめん、ごめんなさい」
「そ、そんな…頭を上げてくだされッ」

 背後で佐助が頭を下げた素振りに気づいて、くるん、と首だけを廻らせて幸村が振り返る。その表情にもう憂いの涙は無く、ただ今は羞恥による赤さだけが、暗くなった駐車場でも判別がつくほどだった。

「旦那、もう愛想尽かしちゃったかって…俺も凄く怖くて」
「佐助殿ぅ…」

 佐助は頭を上げる事無く、続けて気持ちを吐露する。そんな彼を見下ろしながら、幸村は大きな瞳をじっと彼に向けていた。すると、顔だけを上に向けた佐助が眉を頼りなさそうに下げながら、そっと指先を幸村に向けてくる。

「旦那、俺の事嫌いになってないなら、一緒に居て?花も綺麗だし好きだけど、旦那が居てくれないと…俺、駄目になっちゃう」

 幸村は差し出された掌と、慶次とを交互に見て――慶次が頷くと、大声で叫んだ。

「う…うおおおおおおおお、叱って下され、お館様ぁぁぁぁぁぁッ!」
「旦那ッ?」

 幸村の大絶叫に佐助も慶次も、びく、と身体を揺らす。そして勢いに任せて慶次の元から幸村が凄い勢いで佐助の胸元を目掛けて飛び込んだ。

「う…わっ、って…――ぐっ!」

 ――どんッ。

 調度胸元に剛速球が当たったような物だ。佐助は幸村の飛込みを受け止めると、バランスを崩してその場に尻餅をついた。

「佐助殿ッ、大丈夫でござるか…ッ」
「あたた…旦那、いきなり飛び込んで来るんだもん」

 胸元に馴染んだ暑さと、小さな重みを感じて、佐助が眦に涙を滲ませる。だが幸村は自分が飛び込んだせいだと思い込んで、今度は佐助にしがみ付きながら「うおおおお」と吼えている。そんな小さな幸村を、佐助は大事そうに両手でぎゅっと抱き締めた。

「あははは、なぁんだ。ただの痴話喧嘩じゃん」
「慶ちゃん…」

 夜でも暑くなっているアスファルトに座ったまま、見上げると慶次が屈みこんで手を差し出してきていた。慶次の手につかまって、ひょい、と引き上げられると、ついでとばかりに彼は指先で佐助の鼻先を、ぴん、と撥ねて見せた。

「優しくね。花はデリケートなんだから」
「うん…」

 撥ねられた鼻先を支えながら、片手で幸村を引き寄せて抱き締める。

「お、や、か、た、さ、ぶぁああああああああっっっ」

 幸村はこれでもかという位の大音声で、夏の夜に向って咆哮を上げていく。小さな花の精の身体は、しっかりとした夏の日差しを溜め込んだかのように、佐助の肌にその熱さを伝えてきていた。



 家に着いて見ると、二回目の花期の花は、ひとつを既に床に落とし、二つ目の薄い――ピンクにも似た赤い花びらを広げていた。





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2010.05 scc 発行/ 101206 up
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