flower of passion



 本体の鉢植えの中に篭城しながら、えぐえぐと泣き続ける幸村を何とか宥めすかせると、既に時間は明け方を迎えていた。
 それでも、ずびずびと鼻水を垂らして泣きじゃくりながら、幸村はちんまりとした姿で佐助の前に座った。いつものローテーブルの上で、ちょこんと正座をして、小さな手で、何度も零れ落ちてくる涙を拭き、口をへの字に曲げて睨みこんでくる。
 その小さな姿に向って、佐助は床に額を擦りつけながら「ごめんなさい」と何度も土下座して謝罪していく始末だった。
 幸村の涙が止まるころには、既に出社時間も迫っていて、佐助は慌てて支度をした。すると幸村は無言で両手を――花期だから実体になれる筈なのに、小さな三頭身の姿のままで――伸ばしてくる。されるままに彼を引き寄せると、幸村は佐助のバックの中に入り込んでいく。その際に自ら自分の葉を忍ばせている辺り、連れて行け、という意思表示なのだろう。

「着いてくるの?それじゃあ、今日は車で出勤するわ」
「――――…」

 ――まだ怒ってるんだよね…仕方ないか。

 いつもなら五月蝿いくらいなのに、幸村は黙りこんでいる。
 幸村は職場に着くや否や、つんと鼻先を上に向けて、元就達のもとに駆け込んでしまった。それを目で追いながらも、佐助は昨日のことを報告されるのではないかと戦々恐々としてしまう――だが幸村は元就達のもとに行っても、ちょこんと座り込んで、だんまりを決め込んでいた。
 小さいままの姿に、元親と元就が首を傾げ、無気力さに政宗が激を飛ばしても、幸村はじっとだんまりしていたが、仕事が終わるころには小さな身体を持ち上げて、佐助の元に戻ってきた。そして一言「慶次殿のところに行きたい」とだけ言うと、再びバッグの中に潜り込んでしまう。

 ――これは相当怒ってる。どうしよう、旦那…慶次の処に戻りたいとか言い出したら。

 そう考えると脂汗が浮いてくる気がしたが、幸村の希望とあれば向わないわけには行かない。佐助は車に乗り込むと、一路、慶次の元を目指した。
 慶次の元――それは、彼らが居た花屋に相違なかった。










 幸村の希望に則って車を花屋に向けた。すると幸村は先程まで潜んでいたトートバッグから顔を出し、ちょこん、と佐助の肩に乗った。それだけで少しだけ佐助の心持的に、ホッとしてしまう。
 慶次の花屋は病院の目の前にある――その為、人が途切れることもなく、それなりには忙しそうな様相を呈していた。見舞い品としてだけではなく、近隣の方々も対象になっているので、それなりに鉢植えもあり、そして店主である慶次が花の精を見ることが出来るという点でも、頼りになる場所だ。
 佐助が駐車場から店舗の方へと足を向けると、中に大柄な男性がいるのが眼に入った。後姿だけを見れば、禿頭に逞しい筋骨が伺え、花を買いに来たには似つかわしくない姿だ。佐助は伺うように近づいていくと、肩に座っていた幸村が、がば、と立ち上がった。

「お…」
「――?」

 肩の上で幸村が、ぷるぷる、と震え出す。何事かと首を巡らせた瞬間、幸村は佐助の肩から勢いよく目の前の男性の背に向って飛び込んだ。

「お館さばぁぁぁぁぁッ!」

 ――ばしーんッ。

 飛び込んだ矢先に目の前の男性が振り返る。思い切り腕に当たった幸村は、びゅん、と佐助の元に弾き飛ばされてリターンしてきた。

「ぐは――――ぁぁぁッ!」
「だ…旦那?ちょ…大丈夫?」

 手に幸村を受け止めて、佐助はこそこそと話した。すると手の上で幸村はぶるぶると身体を震わせながら立ち上がり、再び前をキッと睨むと、同じように飛び込んでいった。

「お館さぶぁぁああああああああっ!」
「前田の。これは此処で良いのか?」
「ありがとうございます!」

 ――ごっ。

 観れば店内では件の男性が鉢植えを抱えており、和やかに慶次と話している。慶次もまた嬉しそうに――手に作業用の軍手をしたままで、頷いていた。そして豪快に笑う男性が、気にするな、と手を動かした瞬間、飛び込んでいっていた幸村が叩き落とされた。

「――――…ッ!」

 まるで花の精の幸村が観えているのか――いや、男性の素振りからして見えていないのだろうが、タイミングよく幸村が叩き落とされる。それにも関わらず、幸村は不屈の意志で飛び込んでは、叩き落されていった。もはやそのコントのような遣り取りに、佐助は口を挟む余裕さえなかった。

「お館様ッ!某、某…お会いしとうござったぁぁぁ」
「息災で何よりだの。以前来た時より、繁盛しているようだしな」
「そうですかね」

 のんびりと応える慶次には幸村が見えているはずなのに、彼はあえて幸村に手を出したりはしない。それでも幸村は何度目かになるか解らないが、ぴょーん、と飛び込んでいった。

「お館さ…――っ、おぶッ!」
「しかし本当にあの鉢…売れたんだのう」

 ぐんと振り仰いだ瞬間、男性の後頭部に頭を打ち付けて、幸村が落下する。だが途中で腰元あたりにしがみ付き、再び幸村は彼の背中を上っていった。
 だが慶次を振り返った瞬間の遠心力で、ぐん、と幸村が振り回され、作業台の上に打ちつけられる。

「お館様ぁぁぁ――ッ!ぐはあああッ」
「いえ、売ったんじゃなくて…上げちゃったんですよ」
「ほう?」

 流石に其処まで来ると佐助も心配になり、顔を覗かせた。すると慶次は片手を上げて――微かに彼の口角が震えていたので、幸村を観て笑っていたのだろう。

「信玄さん、あの人に譲ったんです。此処にあった鉢植え」
「ぬ?おお、そなたが此処の鉢植えを手にした者か。どうだ?丈夫で良い花であろう?」
「はい、それはもう…綺麗な、可愛い花です」

 挨拶もそこそこに彼――武田信玄は話しかけてきた。彼は幸村が居た真田園芸園の大元にあたる武田園の持ち主だという。久々に友人である上杉謙信――目の前の病院の医師だ――に逢いに来たとの事だった。そしてついでとばかりに様々に鉢植えを持って来たので、好きなものがあれば持って行っていいと慶次に言っていた。
 何度目かになる飛び込みの果てに、幸村が信玄の逞しい腕にしがみ付いて、男泣きに咆えていく。何だか青春映画のような様相に、熱いな…、と呆れながら佐助は彼らを見守るだけだった。

「っていうか…慶次、これ…」
「凄いでしょ、幸村量産型」

 信玄が謙信の元に行ってしまうと、店の中は慶次と佐助――そして花の精たちの居場所となる。信玄が置いていった鉢植えを見下ろしながら、佐助はごくりと咽喉を鳴らした。
 慶次はくすくすと笑いながら、一つ一つの鉢植えを確認している。目の前には幸村と同じ種類の花がある。だが品種が微妙に違うらしく、色や、花びらの形、葉の形などが違う。
 そして花自体もかなり違いがあるのだが、作業台の上にちんまりと頭を寄せ合っている数匹の花の精達が、皆同じ顔立ちをしていたのにも、思わず咽喉が鳴ってしまった。

 ――旦那が一杯。でも…それぞれ、ちょっとずつ違う。

「でも何か皆性格違いそう…」
「そうだよね。この八重のなんて黒い服着てるし、ピンクの子は赤い服装だけど、いつもの幸村とは違う服だし、黄色はやっぱり黄色い幸村だし、この槿みたいに、白に薄いピンクの縁取りの白の子は、やっぱり白いし」

 慶次は言いながら花を手に乗せて、ふむ、と頷いてみせる。慶次が指差すのと目の前の花の精を見比べていると目が廻りそうだった。
 ぺこん、と赤い服を着た幸村が挨拶をすると、目の前に八重咲きで濃いワインレッドの幸村が進み出て――彼は黒い服を着ていた――ぺこん、と頭を下げる。

「幸村でござるぅ」
「某も幸村でござる」

 赤と黒の幸村が頭をあげると、間から大きな瞳をくりくりと動かした黄色い服の幸村が顔を出す。さらに腹までも全て赤い装束に覆われて、全身真っ赤な幸村が加わって挨拶をする。それらに遅れて白い服を着た幸村もまた「以後、お見知りおきを」と話に加わり、互いに顔を見合わせたり、ぺちぺちと頬を触りあったりしていく。

「各々、お初にお目にかかりまする」

 纏めて最後にまた赤い服の幸村が、拳を両脇に下ろして、ぺこん、と頭を垂れると、合図をしていたかのように他の四匹もまた、ぺこん、と頭を下げた。
 そんな五匹を前にして、慶次が思いついたかのように指をさして見せた。

「あのさ、佐助…こいつら、そっくりだけど」
「うん?」

 佐助は作業台に肘をついて、目の前できゃっきゃっとはしゃぐ幸村たちを見下ろしていた。じぃ、と眺めていると服装の違いや、色の違いに相まって、少しずつ性格が違うように感じられる。動きを目で追っていると、背後から慶次が覗き込んできた。

「この中に幸村が紛れ込んで、判別付く?」
「付くと思うよ」
「へぇ?だってさ、幸村達」

 慶次はより一層身体を屈め込んで、五匹の幸村に話し掛けた。すると五匹は慶次を見上げてから、今度は互いの顔を見合わせ、スクラムを組んで、こそこそ、と話し出した。そして、くる、と黒い服を着た幸村が振り返り、一言告げていく。

「ならば暫し」

 それを合図に、ふくふくした頬を互いに突き合わせながら、幸村たちが一気に鉢の裏側に隠れた。ごそごそと中で動いているのは解る――時々、楽しげに「キャー」と騒ぐ声が聞こえる。何が起こるのだろうかと頬杖をしながら待っていると、鉢の陰から一匹がぴょこんと顔を出した。

 ――え…?

 幸村が次々と顔を出してくる。一列になりながら、わらわら、と出て来たのは四匹だ。そして皆揃うと、くる、と佐助と慶次の方を向いて、腰に手をあてて踏ん反り返った――動きまでもが全て一致していて、ちょっと怖いくらいだ。呆気に取られていると、四匹が声をそろえて聞いてくる。

「さあ、どれが某でござるか?」
「はい、そこから二番目ッ」
「うッ!当たりでござる」

 左から二番目の、黄色い服を着た幸村を指し示すと、一歩後ずさって幸村が応える。慶次が応える隙はなかった。まだまだだとばかりに、ぴゅう、と四匹が鉢裏に隠れて、また出てくる。

「どーれだ!」
「今度は一番右ッ」
「…当たっておりまする」

 今度は白い服を着た幸村が、うっ、と言葉に詰まりながら応える。そして再び鉢に隠れ始め、同じようにでてくる。

「どーれだ!」

 得意満面に四匹が声を合わせる。だが今度は佐助は応えず、じっとりと瞳を眇めて見せた。そして、ふう、と溜息をついてから彼らに告げる。

「……いないでしょ?隠れてるのじゃない?」

 口にしてみると、目の前の四匹が顔を見合わせてから、佐助を見上げて、小さな手で、ぱちぱち、と拍手を繰り返していく。そして鉢の陰から、幸村が見破られたのを悔しそうにしながら――今度は黒い服を着ていた――しぶしぶと出て来た。
 ぶう、と膨れながら、見破られたのが面白くないのか、幸村はその場の四匹と連れ立って動き出す。ふっくりした頬が、余計に――リスのようになるくらいに――膨れっ面になりながら、彼らと遊び出してしまった。
 慶次が感心して佐助の横に椅子を持ってきて座った。陽が暮れており、もうそろそろ閉店準備に入る頃合だった。

「凄いね…ぇ、全部当たり」
「愛の力って言ってよね」

 ふん、と踏ん反り返りたい気分で応えると「惚気られちゃった」と慶次が面食らいながら肩を揺らして笑い出す。そんな二人の目の前では、たたたた、と駆けっこをしている五匹が居る。きらきらと輝いているかのように、楽しそうに駆けている姿に、可愛いなぁ、としみじみと感じてしまう。佐助が悦に入って眺めていると、慶次が思いついたように手を打った。

「そうだ。佐助、幸村をこのままの大きさにしておくとしても、そろそろ根を切らないと駄目だから」
「は?」

 急に言われた出来事に小首を傾げてしまう。鉢植えなど育てたことも無かった佐助にとって、寝耳に水の状態だ。慶次は丁寧に説明を始める。

「うん、だからね。この子らって元気なんだけど、その分、根っこで鉢の底を埋めるくらいになるの。そうすると窮屈で駄目になっちゃうから。一回り大きな鉢に植え替えたり、根を切って調整するんだけど…」

 鉢植えの根っこの部分を指差して――白い花の鉢植えを慶次がひっくり返したので、ころん、と駆けっこをしていた白い服の幸村がひっくり返った――説明をしている間、五匹もまた駆けっこをやめて、佐助たちの下に集まってきていた。そしてひっくり返った白い幸村を、珍しいものでも観るようにじっと眺めている。

「それってさ、旦那の何処を切るわけ?」

 佐助が訝しく口元に拳を添えて、真剣な声音で聞き返す。

「な…――佐助殿ッ!何を考えておられるのかッ」
「だって、根っこで伸びるって…」

 瞬時に側に来ていた幸村が顔を小さな手で覆って、真っ赤になりながら叫んだ。

「ぎゃあああああ、止めてくだされぇぇぇ!破廉恥極まりないでござるぅぅぅ」

 小さな手で、佐助の腕をぽかぽかと叩きながら、幸村は「破廉恥」「不埒」と繰り返している。だがそんな風に照れる姿も愛らしくて、佐助は声を出して笑っていく。

「佐助…ってば。まあ、花期の最後辺りにちょきんとやればいいよ。本体にハサミいれるだけだし」
「うん…判った」

 慶次が指先をハサミに見立てて動かす。それに頷きながら、後でまた教えて、と告げていくと、真っ赤になっていた幸村は肩を怒らせながら仲間のもとに駆け込んでいってしまった。





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