flower of passion



 夏になれば「早く冬になってしまえ」と思うし、冬になれば「早く夏になれ」と願ってしまう。どだい無理なことでも、毎度のこと思わずにはいられない。だがそれも屋外でのことで、屋内の冷房の効いた室内ではあまり意味を成さない。
 目の前で火がおこされていても、夏はこれだ、と思わずにはいられないのはどうしたものか。芳しい匂いと、酒の冷たさに舌鼓を打ちながら、そんな風に思ってしまう。
 大きなビールジョッキを傾けながら、元親が不意に話をふってきた。

「一度目の花期を終えてから、幸村に変化はねぇの?」
「変化って…?」

 目の前では、じゅうじゅう、と肉が焼けていく。今日は小十郎と元親との三人で連れ立って焼肉に来ている。因みに花の精の三匹は慶次の処に預けてある。

「これもう焼けてる。長曾我部、猿飛、皿寄越せ」
「はい〜。ありがとうございます」

 焼ける肉をせっせと佐助と元親の皿に移しながら、小十郎がもくもくと生ビールを呑んでいる。この采配を見ていると、冬場には鍋奉行になりそうだ、と微かに脳裏に書きとめ、佐助はサンチュに包んだ肉を、しゃく、と齧り取った。
 とん、と元親はジョッキをテーブルに置くと、肉を口に入れながらも、箸でさらにキムチを皿に乗せながら言った。

「いやさ、お前らって出来てんだろうな〜って思ったんだけど」
「ぶほッ」

 瞬時に小十郎がジョッキの口元からビールを噴く。さっと反射的に隣の佐助は皿を避け、正面の元親はお絞りを差し出した。

「きったねぇ、片倉さん。ちょっと此れくらいで噴出さないで下さいよ」
「す…すまねぇ」

 元親からお絞りを受け取って小十郎は机と自分の口元を拭いていく。元親は更にカルビを口に放り込んでから、箸をひょいと佐助にむけてきた。

「話、戻すけどよ、花期終わって、チビになってる訳じゃん?お前、それで満足なわけ?」
「満足してますよ。旦那、元気だし、ご飯よく食べるし…」
「いや、それだけじゃなくて…」

 佐助は淡々と応える。その合間にもサンチュをしゃくしゃくと食べており、隣の小十郎に「兎みたいだな」と笑われた。

 ――元親主任が言いたいのは、たぶんあっちの話だろうな。

 内容から直ぐに予想できるが、詳しく話すつもりもない。というよりも話し出したら、自分が惚気に夢中になってしまいそうで怖い。佐助はあえて回避するように、つん、と鼻先を上に向けて告げた。

「下世話なお気遣いありがとうございますぅ」

 佐助の反応に元親は「へぇ?」と口元をにやりと吊り上げる。箸をとめて頬杖をついている元親を、ジョッキを口元に運んで上目遣いになりながら視線を合わせた。

「正直、何とも無いって言うか…元々独り身だった訳ですし」
「でもお前よ…もし、ひとりえっちしてる処とか見られたらどうすんの?」
「しませんよっ!」

 ――ばんッ!

 ぶわ、と背に熱が篭る。勢いあまって手を机に叩きつけると、同時に呼び出しのボタンを押してしまったらしく、ピンポーン、と気の抜けた音が響いた。
 そして程なく店員が注文を取りに来る――見回してみると、三人ともジョッキを空けており、小十郎が追加を頼んでくれた。その合間にも元親は楽しそうに肩を揺らしながら、にやにやと口元を吊り上げている。だがそんな仕種も嫌味ではなく、様になっているから少々腹が立つ。

 ――性質悪いなぁ、もうッ!

「ホントに?ホントにしねぇの?」
「くどいですよ」
「嘘だぁ。男だもんよ、しねぇ訳ねぇじゃん?」

 元親はメニューを手に取り、追加頼んでいいっすか、と小十郎に聞いている。小十郎も空いた皿を重ねており――焼いたりと忙しなくても、合間にしっかりと食べている――そのまま頷いた。佐助は自分の皿の上を綺麗に片付けてから、ぷい、とそっぽを向きながら言った。

「…旦那の居るところではしません」
「ふーん…?」

 元親が頬杖をついてメニューから視線だけを向けてくる。その視線が疑いを含んでいて、ちくちくと佐助に突き刺さってくる。だがそれよりも、とん、と肩に隣から小十郎の肩がぶつかってきた。

「幸村が居ないところって何処だ?」
「何気に片倉さんまで…」
「いや、ちょっとした好奇心」

 遂に、というように小十郎までも話に参戦してきた。佐助は額を押さえながら、あああ、と項垂れる。すると店員がジョッキを抱えて持って来た。手元に酒が来ると一通り、一度は乾杯をする。一晩に、いや一食で何回乾杯をすればいいのだろうか。
 じゅわわわわ、と再び網に肉を乗せていく。その音を聞きながら、ふと脳裏に幸村のちんまりとした姿が思い浮かんだ。もし今此処にいたら、この肉全て食べかねない大食漢の幸村だ――だがそれが、ひと度花期になるとえも言われない色気を放つ花になる。人の目を惹いて止まない姿に、一番にやられたのは自分だ。
 こほ、と佐助は咳払いをしてから、ビールを咽喉に流し込んだ。いつもの発泡酒よりも咽喉に滑らかに流れていく味に、ふう、と溜息をつく。

「旦那があえて来ないのは、トイレとお風呂ですかね」

 佐助がそう応えると、元親が身を乗り出してきた。

「風呂?うちの元就なんざ、俺が勝手に入れてるけど…」
「うちは勝手に入ってくるな」

 こく、と琥珀色のビールを傾けながら、小十郎は静かに答える。すると元親の矛先が今度は小十郎に向った。

「へぇ、政宗って風呂好き?」
「温泉とか連れて行きてぇもんだ」

 しみじみと話す小十郎に、二人の脳裏には温泉につかる小十郎と政宗が思い浮かぶ。なんだか隠居染みていてどうにも笑いを誘われてしまう。さらに言えば、政宗のオヤジっぷりを思い浮べ、小さな姿で腰に手をあてて牛乳を飲んでいる姿まで想像し、佐助は机をばんばんと叩いた。元親にいたってはメニューに完全に顔を隠して、ひっひっひ、と震えながら笑っている。だが笑われている当の本人は、小首を傾げながら黙々と肉を焼いていた。
 ぽい、と焼けた肉を佐助の皿に放り込んで、小十郎が横から視線を流してくる。

「で?風呂、入らないのか、幸村は」
「一緒に入るのを拒むんですよ。絶対に厭だって」

 小さな身体で必死の抵抗を見せる。ちょろちょろと逃げまわったり、本体に隠れたり、顔を真っ赤にしながらも、絶対に承諾しない。

 ――実体になった時も本当に嫌がったもんな。

 いつも着ている赤い服から、夏服に着替えた時の彼の姿を思い出す。すんなりと伸びた手足がやたらと艶めかしくみえて、目が離せなかった――そんな事を思い出してから、佐助はしみじみと「俺って最初から旦那のこと好きだったんだなぁ」と箸を咥えて遠い目をした。

「可愛いんですよぅ、絶対に厭でござるっ、って自分の鉢の影に隠れて真っ赤になって」

 愛しそうに話す佐助に、小十郎も元親もほんわりと表情を和ませた。しみじみと元親が――口元の笑みを消す事無く――佐助の方へと顎先を向ける。

「へぇ〜。幸村ってホントに…」
「何ですか?」
「可愛いじゃねぇか」
「上げませんからねッ!」

 ――ばんッ!

 佐助が勢い余って机を叩くと、再び「ピンポーン」と間の抜けた呼び出し音が響いた。仕方ないので佐助はそのまま、デザートのバニラアイスを頼んでいった。










 テレビの天気予報では今日も快晴だという。気温も鰻上りというのが聞こえてきて、佐助は洗面所で歯を磨きながら頷いていた。

 ――旦那、外に出さないで家の中の方が良いな。萎れちゃう。

 しゃこしゃこと歯を磨きながら歩き、1DKの部屋を通過する。そんなに広くない部屋の中だ。ローテーブルの上で小さな幸村が、身体の何倍と云う大きさのメロンパンに齧りついては、もふもふ、と口元を動かしていた。両足を投げ出して座り、身体全体にメロンパンを抱える姿ははっきり言って小動物で可愛らしい。

「佐助殿、佐助殿」
「うん?」

 佐助が歯ブラシを咥えたままで幸村の鉢をベランダに通じる窓辺に引き寄せる。それを眺めながらローテーブルの上の幸村が聞いてきた。

「今日…も会社でござるか?」
「そうだよ〜、これから行くところ」

 ――ま、ほぼ私服だから『仕事』て感じには見えないかな?

 幸村は両手に半分に減ったメロンパンを持ち――よく見ると、クッキー部分だけを食べており、中の白いパンの部分を寄せていたので、全部ちゃんと食べなさいと言うと、慌てて「後で食べまする」と声を張り上げた。
 だが直ぐに、しゅん、と俯いて項垂れてしまう。その様子に何かあったのかと訝しく感じて、佐助は幸村の小さな頭を上から覗き込んだ。

「どうしたの?」
「佐助殿…――ッ」

 幸村は思い切ったように上を向いた。葡萄の粒のような大きな瞳が、くるん、と光を弾いている。必死さを漂わせた剣幕で、幸村が先を続けた。

「今日…今日、会社を休めませぬか?」
「それは無理だよ。急には、ね」
「でも…ッ!」

 幸村は縋るような視線を向けてくる。直前まで、もふもふと嬉しそうにメロンパンを食べていた姿からは程遠い素振りに疑問を持ちながらも、佐助は首を振った。
 その拍子に口に咥えていた歯ブラシが落ちかけて、いけね、と立ち上がる。幸村は手からメロンパンを離して、立ち上がる佐助にしがみ付いた。
 洗面所に行く間に幸村は佐助の腕をよじ登り、肩口にちょこんと座り込んだ。佐助が歯を磨き終え、口元を洗う間も――慣れたもので、幸村は肩口に座り込んでいた。そしてタオルで顔をふいていると、ぺち、と小さな手が頬に触れてくる。

「どうしても休めませぬか?」
「うん、この前、結構融通きかして貰っちゃったから。これ以上休むのもね」
「そう…で、ござるか…」
「どしたの、旦那?しょんぼりしちゃって」

 佐助の肩の上で立ち上がりながら、頬に手をついてバランスをとっている姿を、鏡越しに見つめていると、幸村はふるふると足場を震わせていた。その震えが止まるのを待ってから歩き出すと、幸村は小さな両手で、きゅ、と頬にしがみ付くと、幸村のふくりとした頬が佐助の頬にぺったりと付いた。
 ぷにぷにとした感触にそのまま擦り寄りたくなるが、出勤時間は容赦なく迫ってくる。佐助はそっと自分の頬にしがみ付く幸村を手に取ると、ぽん、とローテーブルのメロンパンの元に戻した。

「ちょっと待ってて。コーヒー持ってくる。旦那はお水?」
「水が良いでござる」

 テーブルの上に乗せられると、幸村は四つん這いで、じりじりとメロンパンの元に行き、パンを手にとってから腰をぺたんと下ろした。
 程なくして佐助がミルクのたっぷり入ったコーヒーと、水を持ってローテーブルの元に来る。あと少しで出勤時間だが、幸村と話すくらいの余裕はまだ残されている。

「で?どうしたの…何かあるの?」
「某…」
「うん?」

 パンを手に取り直し、ぷるぷる、と幸村が震える。まるで何かを堪えているかのような状況に知らず佐助の咽喉が、ごくり、と音を立てた。

「某、今日、咲きそう…なのでござる」
「えッ?」

 耳に届いた言葉に、一瞬思考が追いつかなかった。佐助は瞬きをしてから、持ち上げていたマグカップを元に戻した。すると幸村は手にしたメロンパンをぎゅうと握りこんで、思い切り声を張り上げた。

「今日、咲きそうなんでござるッ!」
「え、ほ、本当に?」
「本当でござ…っふおおお、勿体無いっ!」

 ぼろ、と勢いでメロンパンが崩れる。慌てながら幸村は、手をぱんぱんと払ってパンくずを払った。そして、葡萄のような大きな瞳で佐助を見上げてくる。

「前回は適いませなんだが…咲く瞬間を、佐助殿に、是非にもお見せしたいのでござるが」
「それは本当に見れるなら…願っても無いんだけど」
「では…っ」

 ぱあ、と幸村の表情が華やぐ。それに最初の花期の時には、佐助は寝ていて初めの割く瞬間を見ていない。

 ――花期になって、実体になる瞬間って…どんな感じなのかな。

 あの時は、目が覚めたら既に底に幸村が居た。あまりの違いに「どちら様ですか」等と聞いてしまうくらいには、驚いたものだ。だが人には人の事情もある。早々仕事を休むわけにも行かないのも事実だ。佐助は後ろ髪を引かれる思いだったが、断念することにした。

「ごめん、でも仕事に行くよ。待ってて」
「佐助殿…」

 かくん、と小さな肩が落ちる。輝いたばかりの表情が瞬時に、萎んだかのようにしょんぼりとしてくる。それを見下ろしていると、胸がずきずきと痛みを訴えてくるが、佐助は指先で幸村のふくりと膨らんだ頬を撫でた。

「ね?待っててね」
「畏まりましてござるぅ…」

 もじ、と両手を組んで俯く幸村がいじらしい。きゅん、と胸が締め付けられてしまう。佐助はそのまま幸村を抱き締めたい気分になりながら、ふと思いついたように提案した。

「そうだ。今日暑いらしいからさ、洗面器にお湯張っていくね。あと、補充用にお水も入れておくから。俺様いないうちにお風呂入っちゃって」
「かたじけのうござる」
「水浴び気分で、遊んでて良いからさ。葉っぱも帰ってきたら拭いて上げる」

 こくん、と幸村は頷いた。佐助が居ない間の幸村の遊び道具もそろそろ尽きかけている。そんな事を考えながら洗面器に水を多めに張ってからテーブルの上に乗せる。さらにタオルと、水、アヒルのおもちゃを置いてみせると、幸村は少しだけアヒルに視線を移した。
 雑貨屋に一緒に行った時に何故か幸村が気に入って手にしたものだ。前回の花期の際も、いそいそとそれを持って入っていったくらいだ。

「それじゃあ行って来るね」
「行ってらっしゃいでござる」

 トートバックを持って玄関口に向うと、たたた、と幸村が小さな身体で駆け込んでくる。三頭身の小さな姿は佐助を見上げて、必死で駆け込んでくるのだ。

 ――うああ、もうッ!毎度のことながら可愛い。

 駆け込んできた幸村は、ほわりと頬を染めてにっこりと笑う。大きな葡萄のような瞳が光を弾いているのがよく見える。佐助は手を伸ばして幸村を持ち上げると、自分の目線にまで引き寄せた。急に持ち上げられて幸村がきょとんとする。

「佐助殿…?」

 不思議そうに見開かれた目を間近で見てから、佐助は彼の頬に触れるように自分の唇を寄せた。

 ――ちゅ。

 軽く吸い込むと音がする――軽やかなキスだが、瞬時に唇に熱が篭ってきた。

「――…ッ」

 唇を幸村の頬から離してみると、熱の原因とばかりに幸村の顔が真っ赤になっている。わなわなと唇を震わせながら、今佐助が口付けたところと手で押さえている。
 可愛いなぁ、とそんな初心な反応を示す幸村を眺めてから、佐助はすとんと彼を玄関マットの上に下ろした。幸村はまだ頬に手を当てたままで真っ赤になりながら硬直している。佐助は含み笑いをしながらドアを開けると、手を振って出て行く。

「行ってくるね、旦那」

 ――ぱたん。

 閉められるドアの向こうで、がちゃん、と鍵が掛かる音がした。それを見送ってから、ぱたり、と幸村はその場にうつ伏せに倒れこんだ。

「…は、破廉恥ィ…」

 ぷしゅう、と蒸気が彼の背中から浮き上がるかのようだった。
 だがそれも暫くすると落ち着き、幸村はむくりと起き上がった。静かになった部屋の中で、背後のテーブルの上には佐助の用意してくれた洗面器がある。

 ――今日は暑いと言ってござったな。

 幸村はとたとたと小さな足で歩くと、テーブルの近くで跳躍し、直ぐ側にあったリモコンでテレビを点けてから、残っていたメロンパンをぱくぱくと食べた。
 観ている画面の中の天気予報は確かに夏日を知らせている。それを確認してから、自分の鉢に視線をやった。
 今回の花期はなんとなくいつもと違う。常ならば、もっと力も漲ってくるのに、どうもそれが半減しているかのような気がしてしまうのだ。

 ――環境が変わったせいでござろうか?

 佐助と出会ってからのこの数ヶ月、ケアの万全な店と違って様々なことがあった。一緒に育っていくような、そんな気持ちを感じながらも、彼と過ごす日々の楽しさや嬉しさを実感しているのも事実だ。
 幸村は食べ終わったメロンパンの屑を、両手で集めて皿の上に乗せる。
 少しならば実体を作ることも可能だが、それはそれ――花期以外に実体になろうとしても、身体が透き通っていたり、長時間は姿を保てない。まるで幽霊のような状態になってしまうのだ。それでも時折、小さな身体で不便な時は――こっそりだが――姿を大きくしてみたりもする。
 だがそれもあと少しの辛抱だ。花期になればそんな煩わしさはなくなる。

 ――また佐助殿と同じ歩幅で、隣を歩ける。

 それを思うと嬉しくてならない。花として生きて行くだけよりも、もっと沢山の未知のものに出会っていける。それが幸村の好奇心を擽ってならなかった。
 幸村はそろりと身体を動かして、洗面器の中に片腕を突っ込んでみた。ちゃぷちゃぷ、と掻き混ぜていると調度良い湯加減だ。

「――入っても、ようござる…な?」

 きょろきょろ、と一先ず周りを確かめる。誰も居ないのは解っていても確かめてしまうのは仕方ない。以前は慶次が一気に水を撒くのに合わせて、飛沫で遊んだものだった。幸村は近くに置かれていたアヒルを手にして、ちゃぽん、と洗面器の中に浮かべると、ふう、と溜息をついた。

「でも…暇でござるなぁ…。ついていけば良かったやも」

 ――しかし、あまりお仕事のお邪魔をするのもよくないであろうし。

 天井を見上げてから、再び洗面器の中を覗きこむ。そしてゆるゆると身体を動かして、水浴びの準備を始めていった。





 →3






2010.05 scc 発行/ 101203 up