flower of passion





 花を買った――花を、しかも鉢植えを買うことなんて今まで殆どなかった。それなのに、花屋のレジの上にあった濃い緑色に惹かれた。
 目がその花に向かう。どうしても気になってしまう。それが何の花であるかは、ネットで調べていたし、同じような――でも色違いの花が外にも置いてあったから、直ぐに解った。

 ――あの花が俺の部屋にあったら。

 花が咲いたら、淡々と過ぎていく毎日に彩が生まれるかもしれない。下手をすると泥の闇に陥りそうな――ひとり仕事に近いこの職では、いつ気持ちが萎れるかしれたものでもない。それを一蹴してくれそうな気がする花だ。そんな風に思って手にいれた一鉢だった。








 一呼吸置いてから佐助は再び、ひゅ、と息を吸い込むと朝っぱらから近所迷惑にしかならない悲鳴を上げた。

「うわぁああああああっ」
「ぬおおおおおおおぉぉぉ?」

 すると鼻を突き合わせていた小人も佐助の声に驚いて、キャー、と身体をぶるぶると慄かせている。そのまま、ぴゅん、と鉢の陰に隠れてから、そっと顔を出してきた。
 たぶんまた叩き潰されるかと思ったのだろう。佐助の様子を窺っている。
朝、目が覚めて傍に三頭身の小さな小人が居た。
 夢かと思って――いや、新種の虫か何かかと思って、思い切り手で潰してしまった。だがそれで目が覚めた。三度目にして再びその小人を見つめてから、やっぱり信じられないと拒絶反応で叫んでしまう。
 佐助はベッドから降りると、ローテーブルに向かって座り込んだ。テーブルの上には昨日呑み残した――温くなったビールがあった。確実に自分の部屋だし、夢ではなさそうだ。

「え?……何これ、何なのコレ?」

 頭をくしゃりと掻いてから、佐助は半ば諦めたように呟く。現実的に見えているのだから否定しきれない。
 まじまじと小人を見つめていると、小人は用心しながらもテーブルの上を、ひょこひょこ、と歩いてきて円らな瞳を輝かせる。

「見えているでござるか?間違いなく」
「俺様、寝ぼけてる?」

 ――ばし。

 佐助が途端に自分の頬を引っ叩く。すると幸村が、ビクゥ、と肩を揺らした。

「さ…佐助殿?」

 佐助は最後のあがきとばかりに、自分の頬を引っ叩いてみた。だがただ痛いだけで、目の前の赤い小人が消えるわけではない。

「あ、やっぱり見えるわぁ…」
「ほ、ホントに…見えているでござるね?」

 大きなくりくりした瞳を輝かせて見上げていた小人は、そんな佐助の様子を見て、ふるふる、と拳を握り締めながら叫んだ。

「やりましたぞぉぉぉぉぉッ!!」

 うおおお、と天に向かって突き上げる両拳が小さい。その場で歓喜に打ち震える姿を見据えて、ははは、と佐助は乾いた笑いを漏らしていった。










 それでも往生際悪く、顔を洗って身支度を整えて、そしたら彼が消えているかも――と、思ったがそんな事はなく、全て終えてテーブルのところにくると、幸村が正座をしてテーブルの真ん中に、ちょこん、と座っていた。
 見れば大きさは大体15cm程だ。そしてどうみても三頭身だ。佐助はペットボトルに入った水を持ってくると、それに口をつけてからテーブルの上に置いた。
 するとペットボトルを見つめて、幸村が微かにくちもとから、だらり、と涎を出したかのように見えた。

「で……えーと、あんた、何なの?」

 佐助が再び水を咽喉に流しながら聞く。するとハッとして幸村が、ぺこん、と頭を下げた。

「某、幸村と申す」
「宜しくね、俺は佐助。――じゃなくて」

 挨拶ににこやかに応えてしまってから、佐助は手を団扇のように動かして、あんた何?と聞いた。すると幸村は座ったままで、ころ、と小首を傾げてみせる。

「花でござる」
「花?あ〜…花…――」

 ――ハイハイ、花ね。ってそれで納得いくか!

 佐助が自分に突っ込みを入れている間、幸村が小さな身体をもじもじと動かしていた。その様子がまるで子犬のようで見ていて和んでしまう。

 ――なんかよく解らないけど、これ、可愛いんだよね。

 水を飲みながらも佐助は目の前の小人を見つめた。ころころと動く表情や、ちんまりとした体つきなんかを見ていると、どうにも可愛く見えてしまう。
 そもそもこの状況に馴染んで――納得してしまっている自分に突っ込みたい気分だ。目の前の状況はいわば非現実的だ――だが、そんな事もあるのか、くらいにしか思っていない自分にどうにかしてしまったのかとさえ思う。
 佐助が葛藤している間に、幸村はちらちらとテーブルの上の鉢植えを眺める。そして、もじもじと肩を揺らして唇を尖らせて云った。

「あの……昨日、佐助殿、某を連れて帰ってくれたではござらんか」
「――……マジ?」

 云われてから、ぴんときた。テーブルの上の鉢植えだ――この鉢植えには今のところ緑の葉っぱと、緑色の蕾がついているだけだ。だが「花」といわれたら目の前の鉢植えしかない。

 ――そういえば、昨日変な夢、見たような…

 佐助は頬に触れてきていた手の感触を思い出すように、自分の手の甲で頬を触ってみた。さらさらとした髪が、波紋を作って降りてきていた。その様子を思い出すと、何故か再びあの感覚の中に落ちていきたくなる。

 ――なんか、すごく気持ちイイ声とかだったなぁ。

 夢だと思うのが切ない。夢でなければいい。
 だが目の前の現実には夢であってほしいような気もする。佐助は身を乗り出してテーブルに肘をついた。

「ホントに、本当に花なの?」
「そうでござる。花の精でござる」

 こくこく、と幸村が頭をこれでもかと振る。

「何で俺様そんなの見える訳?」

 佐助がふと疑問を口にした。今までは花の精なんてものは見えなかった――いるとも思っていなかった。それがどうしてこんな状況になっているのか、それが不思議でならない。
 すると幸村は、小さな手を、きゅ、と握りこむと腿の上に置いて、少しだけ顎をひくと上目遣いになりながら佐助を窺っていく。

「それは…――某、貴殿と話がしてみたくて」
「――……?」

 ただ話してみたいというだけで、こうして見えるようになった訳ではないだろう。だが幸村はその先を告げるのを躊躇っているようだった。
 佐助が、ふうん、と首を傾げて幸村の返答を待っていると、幸村はぱっと明るい笑顔を向けて見上げてきた。
 頬がほんわりと紅色をしていて、ぷっくりしている。

「でも、こうして話せて、見てもらえて、それで某、本望でござるッ」
「う…――っ、わぁ〜ぁ」

 思わず佐助は口元に自分の手を宛がった。
 必死に言い募る三頭身の姿が可愛らしく見えた。それも幸村はくるくるとした大きな瞳で見上げてくる――それがどうしても子犬のように感じられて、どうにもこうにも抱きしめたくなってしまう。

 ――俺様、小動物に弱いんだよ。

 ずるずるとベッドに背中を預けて仰のく。すると、ぴょん、と幸村が勢いをつけて飛び込んできた。胸に、とん、と軽い衝撃が走り、見ていると佐助のTシャツにしがみ付いてよじ登ってくる。

 ――ぺた。

 やっと佐助の顎先までくると、幸村は小さな手を顎につけて、眉をはの字に下げていた。

「どうかしたでござるか?」
「いや、その…――御免、あんた、可愛い」
「へ?」

 ――ぎゅううう。

 幸村がきょとんとする間に、佐助が三頭身の身体を思い切り抱きしめる。ぬいぐるみを抱きしめるかのように、ぎゅっと片手で閉じ込めて自分の頬に押し付けると「破廉恥―ッ!」と幸村が叫んだ。

「破廉恥なぁぁぁッ!は、離してくだされぇぇぇ」
「ヤバイなぁ…ていうか信じてしまった俺様もどうかと思うけど」

 じたばたと動く幸村を抱きしめたまま、佐助は天井を仰いだ。
 こんな状況を信じて――楽しみ始めている自分に驚いてしまう。今までの自分といえば、斜に構えていたはずなのに、この目の前の小さな花の精の前ではそうも言っていられなくなりそうだ。
 一人で、寝に帰るだけの1DKの部屋。それが彼が来て、そしてこうして話始めるとなんだか悪いものでもないように思えてくる。

 ――こんなのも良いかも。

 思わぬ誤算に佐助が、参ったな、と口元に笑みを浮かべると、じたじたとしていた幸村が動きを止める。そして小さな手を、ぺち、と佐助の頬に触れさせる。

 ――この小さな手も、ちゃんと触っている感触がある。

 だから夢じゃない。現実だ。そう言い聞かせてから、佐助は葡萄のような瞳をくりくりとさせている幸村を見下ろした。

「――…佐助殿?」
「ねぇ、幸村…だっけ?他に見える人間っていないわけ?」
「前田殿が見えまするぞ」

 両手で幸村の身体を持ち上げる。子犬の前足に手を入れて、ぷらん、とぶら下げるような形だ。そうしていると幸村が両手を、ぷらんぷらん、と動かしている。

「前田…あ、あの花屋さん?」
「前田殿は皆に優しいでござる。某も真田園芸園からあの花屋にお世話になってからというもの…」

 幸村は、きりりと眉を男前に引き上げて、拳を握りこんで佐助に語り始めようとしたが、それを佐助は遮った。幸村の首根っこを掴んで、ぷらん、と持ち上げるとテーブルの上に置く。
 テーブルにぺったりと座りながら、幸村がたどたどしく立ち上がる。佐助も、よいしょ、と声を上げながらペットボトルの水を一口咽喉に流し込むと、長い足を折りたたんで立ち上がる。

「昔話はいいからさ、とりあえず其処、行って来るよ」
「某も!」

 ばっ、と幸村が片腕を揚げて、佐助に「連れて行け」とせがむ。だが彼は花の精だ――流石に鉢植えとは離れられないのではないだろうか。

「はぁ?鉢植えごと持っていけっていうの?」
「あ、あぅ、ええと…こ、これを!」

 ――ぶち。

 うろたえた幸村が自分の鉢に向かって走りこみ、葉を一枚ぶちりと破る。その仕種に、おいおい、と声を掛けたくもなるが、自分よりも大きな葉っぱを差し出して、幸村はその場で背伸びをして佐助に向けてくる。

「某の一部でも持っていてくだされば、某もお供できます故ッ」
「――萎びたらどうすんの?」

 佐助は膝を折って葉を受け取る。傍にあったティッシュを一枚取ると、それに幸村から受け取った葉を挟んで、クリアファイルを取り出して其処に挟み込んだ。

「変わりはござらん。ただ…――」

 幸村が必死に言い募る。だがそこまで云うと、へなへな、とその場に座り込んだ。どうしたのかと覗き込むと、幸村が力なく見上げてきた。

「某、腹が空き申した…水をくだされ」

 ――ぐぐぅぅぅぅ、ぎゅるるるるるるるぅぅぅぅ

 盛大な腹の音と共に、幸村がぱたりと倒れる。真ん丸いお腹が剥きだしになり、佐助は思わず噴出して笑った。

「な…――っ、凄い腹の音…――っ、ふ、あははははははははっ」
「ううう…腹が、腹が…空きもうした〜…」

 手に持っていたペットボトルの水を大爆笑しながら与えていくと、幸村が「漲るぅぅ〜」と口にしていた。
 それを見ながら、佐助はただ腹を抱えて笑うだけだった。








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090814 up まだぎこちない二人