flower of passion





 とある雑誌を休憩時間に見ていた時、ふと自分の部屋の中をイメージしてしまった。
 一人暮らしのマンション――1DKの部屋には殆ど寝に帰るようなものだ。殺風景な中に、必要最低限のものしか置かない。そんな部屋を思い出した。

 ――緑のないオフィスや、部屋では、余裕がないと思われる。

 そんな風に書かれた雑誌の1ページだ。佐助はテイクアウトしてきた甘いカフェラテを口に運ぶ。

 ――俺様、ベランダ栽培しかしたことないなぁ。

 ソファーに座りながら、そんな事を思い出す。ベランダでは今でもハーブなどを栽培している。だが放っておいているので、パセリやバジルなどが、ぼさぼさと生えているくらいだ。

 ――花、か。

 彩のある仕事をしているのに、肝心の自分の生活に彩が無い。佐助は、ううん、と唸りながらソファーの背もたれに頭を乗せた。

「あ」

 ふと声を上げた先に、見知った姿を発見した。彼も気付いたらしく、あちぃ、と言いながらネクタイを緩めてこちらに歩いてきた。

「元親主任……今、戻りっすか?」
「おう。あちぃよ、外。ったく、営業はよ、竹中の仕事だろうに」
 ――その竹中さんがぶっ倒れたんだから、仕方ないでしょ。

 元親はソファーの背後にある自販機から、アイスティーを選んで手にすると、佐助のはす向かいにどっかりと座り込んだ。

「外、蒸してるぜぇ…俺、現場も好きだけどよ、今のこの時期はカビが生えそうでさ」
「カビ、ねぇ…――」
「あ、後で片倉さんに話通して、竹中んとこ行って来ないと駄目だわ」
「マジで?時間外労働は趣味じゃないんですよねぇ」

 数日前、営業の竹中半兵衛が吐血して病院に運ばれた。診断は過労による胃潰瘍――そのため、暫く入院となってしまったのだ。だが彼の抱えていた仕事は、その量からして半端なものではなかった。
 その為、製作側も総出で取り組む羽目になっている。
 こんな状況になってから、彼の有能さを思い知らされてしまっていた。だが、そこはそれ――製作側だって無能の集まりではない。しっかりと引継ぎさえして貰えば出来ないことはないのだ。
 特に元親は元々転職してきた口で、あらゆる面に顔が広かったし、配慮も出来る。片倉小十郎にいたっては、さすが部長というだけあって、元々他部署も経験済み――よく聞けば一時期、営業にいたこともあるという。その為、補い合うだけの力量はあるのだ。
 佐助はそんな中で、のんびりと自分の仕事に打ち込んでいたのだが、絡んでいた仕事が多かったせいで、いつもよりはオーバーワークな気分が付きまとってきていた。

 ――疲れた時は、グリーンが良いんだったっけ?

 目元を擦って、佐助は天井を見上げた。天井には規則正しくはめ込まれた正方形しかない。辺りを見回しても、このエントランスから休憩室までの場所には緑など見えやしなかった。

「ってか、何読んでる?」
「これ?」

 佐助の手元を、指先でひっぱって雑誌を取り上げながら元親が記事を読む。そして小首を傾げると、ううん、と彼は唸った。

「へぇ〜…俺ん家、庭木だったらあるけどなぁ」

 ――似た思考回路してんのかね?

 元親が自分の家を思い返しているのが目に浮かぶ。だが彼は若いくせに、既に一戸建てに住んでいるような男だ。
 やだねぇ、と佐助が毒づくと、二人の頭上に影が降りてきた。見上げると、車のキーを手にした片倉小十郎が二人を見下ろしているところだった。

「おい、お前ら、竹中んとこ行くが、来るか?」

 はいはい、と二人は返事をして、ばたばたと支度をしていく。

「見舞いには何がいいんですかねぇ?」

 シートベルトを締めながら佐助が聞くと、後部座席から眠そうな声で元親が発言する。

「やっぱ食い物じゃないか?フルーツバスケット王道じゃないですか、片倉さん」
「馬鹿野郎、あいつは胃潰瘍で入院してるんだぞ」

 すかさず突っ込みを入れながら、小十郎が車を滑らせて行く。
 そしてその日、いつもは足を向けないような花屋で、運命の出会いをすることになる。










 竹中半兵衛の見舞いに行った日、とある鉢植えが目に入った。
 濃い緑の葉っぱに、小さな可愛らしい蕾が、七つもついていた。緑の蕾から割れ出るように、柔らかそうな花びらが白く、先が赤く染まるかのように伸びかかっていた鉢植えだ。
 佐助はPCで鉢植えを調べてみながら、目に入った花言葉を読んでいた。

「常に新しい美、勇ましさ、勇敢、新しい恋、繊細な美、上品な美しさ、華やか」

 ――へぇ…なんか色々あるんだねぇ。

 片肘をついて、マウスをかちかちと鳴らしながら見て行く。そして自分が見てきた鉢植えを思い出す。

 ――あの鉢植えの…あっちの方がすごく綺麗だったな。

 思わずじっと見つめてしまうくらいには、その存在感が大きかった。あの花が――大輪の花が咲けば、自分の素っ気無い、簡素な1DKの部屋が明るくなるような気がする。

 ――やっぱり直感に従うのが良いよねぇ。

「猿飛、行くぞ」
「は〜い…っと」

 声がかかり佐助は静かに立ち上がった。脇に置いてあったクリアファイルと、リュックを持つとドアに向かっていった。
 病院の向かい側にある花屋では、先日と同様に若い店主が水遣りをしていた。店主の前田慶次に選んだガーベラを渡すと、佐助は視線をレジ上にある鉢に、ちらちらと向けていた。彼の視線の先の鉢――それはあの鉢に他ならない。
 目の前では笑顔でガーベラを包む慶次がいる。佐助は彼と棚上を見比べてから、思い切って問うた。

「あの、聞いても良いですか?」
「はい?何でしょ」
「あの鉢、幾ら位なんです?」

 指差された先を観て慶次が手を止めた。

「あれ、お求めに成られますか?」
「値段次第かなぁ、とか。他でも見てきたんですけど、結構高いんですよね。でもあのくらいの大きさなら俺の部屋に調度良いかなって」

 ははは、と佐助は照れ隠しのように早口になりながら言った。

「そんなに高くないですよ。あの鉢、ほぼ俺の私物ですし」
「え…そうなんですか?俺、あれが良いんですけど…」

 ――譲ってくれないですか?

 佐助は顔の前で手を合わせる。私物だというのなら、譲ってくれることはないかもしれない。だが欲しいのは、他でもないあの鉢だ。佐助はじっと慶次を見つめていく。だが慶次はリボンを持つと、ガーベラを纏め上げブーケにしていきながら、柔らかく話し出した。

「勿論譲りますよ。ただね、あの子、大食漢で」
「へ?」

 ――あの子?

 佐助が突っ込むと、もう家族みたいなもので、と慶次は笑った。

「よく食べるんです。液肥でも固形肥料でも、花咲いてても咲かなくても、がつがつ食べますよ。食い意地張ってるんでさ」

 くつくつ、と咽喉を鳴らして笑う。要するに手間隙が掛かるということだろう。だが佐助は大きく、こくり、と頷いた。

「良いです、それでも。ちゃんと手入れして、育ててみせますよ」
「いい人だなぁ、あんた」

 思わず慶次が呟く。すると佐助は釣られるように、にこりと笑って見せた。

「なんかね、あの花、部屋にあったら元気をくれそうな気がして…すごく惹かれるんですよ。理由なんてつけられないけど…」

 ――なんか照れるねぇ。

 ほわ、と頬を緩めて微笑む自分が、やたらと照れくさい。佐助は早口になりながら話すと、慶次は嬉しそうに目を眇めていった。

 ――ぽん。

「はい、出来ましたよ」
「あ、どうも…――」

 ふわん、とガーベラの花束が佐助の胸元に落ちてくる。それを受け止めていると、小十郎が進み出て会計をしていく。
 店の外に出掛かる時、佐助がもう一度レジ棚の方を振り仰ぐと、慶次が口元に手を添えて、猿飛さん、と声をかけてきた。

「それじゃあ、帰りにでも、もう一度寄ってください」
「――――…ッ」

 慶次はレジ上のあの鉢を指差して見せた。佐助は、くるりと彼のほうへと踵を返すと、深々とお辞儀をしてから、元親と小十郎の後ろを追いかけていった。










 大きな袋を手にして、佐助は自宅のドアを開けると、大きな溜息をついて明かりをつけて行く。
 1DK、しかも殆ど物はない。奥の部屋にベッドがあり、その横に小さなテーブルがある。そこに佐助は貰ってきた鉢植えを取り出すと、ことん、と置いた。

「うん…いいね、緑が綺麗だ」

 ふわ、と思わず口にしてしまう。そして辺りを見てから、空いたペットボトルに水を入れ、それを持ってくると鉢の土に向かって水を含ませて行く。

「今日から宜しくな」

 声をかけてから、佐助は上にあった小さな蕾を指先で撫でた。時計を見上げ、そして明日が休日だと思うと、急に眠気が襲ってくる。

 ――寝ようかなぁ…さすがに疲れたわ。

 佐助は、ふあああ、と欠伸をしてから、よいしょ、と声をかけて腰をあげた。さっさとシャワーを浴びて、ビールを片手に袋に一緒に入れられていた育て方を読み始める。

 ――ぽた、ぽた、

 髪から滴が垂れてくる。それを無造作にタオルで拭ってから、こくん、と咽喉にビールを流し込んだ。そして昼間、慶次が「大食漢で」と言っていたように肥料が好きだと書かれていた。

「可愛いなぁ、大食漢だってさ」

 ふふふ、と佐助は笑った。テーブルの上には鉢植えがある。じっとそれに向かっていると、緑の葉がふわりと揺れた気がした。

 ――眠い…――

 この所、オーバーワークだった。残業はしない主義だが、止むを得ないことが多かった。久々に飲んだアルコールが、ぐるぐると勢いよく身体に巡っていく。
 佐助は、ふあああ、と再び欠伸をすると、ベッドによじ登るようにしていくと、そのまま寝入ってしまった。










 ――夢を見た。

 夢だとわかっている。だってこの部屋には自分しかいなかったし、瞼を閉じているはずなのもわかっている。
 それなのに、ふわり、と頬に触れてくる感触があった。

 ――どうか、どうか…

 何が「どうか」なのだろう。何かを懇願するような言い方だった。同じくらいの年頃――いや、自分よりも年下だろう――少年の面影を持った青年が、指先を佐助に向けてくる。

 ――何をお願いしてんのさ?

 佐助がそう思っていると、その影が驚いたように揺れた。瞼を閉じているはずなのに、彼の姿がはっきりと見える。
 あどけなさのある少年だ――長く後ろに伸ばした髪が、ゆら、と揺れている。そして彼は白から赤にかかる服を着ていた。それがあの鉢の――蕾のようで、思わず笑いが毀れそうになった。

 ――貴殿と、話をしたいのでござる。

 今、話しているじゃないか、と言うと彼は少しだけ困ったように眉根を下げた。

 ――貴殿が、某の姿や声が聞こえれば。

 聞こえているし、話しているよ、と告げると再び彼は佐助に覆いかぶさるように、頬を包み込んできた。
 包まれたところがやたらと暖かく感じる――佐助は重く鉛のように眠りに落ちていた身体を動かし、ゆっくりとその手に自分の手を重ねた。

 ――ぽた…ぽたた…

 なんだろう、と舌先を唇に這わせる。不意に落ちてきた濡れた感触――それが唇にふってきたのだ。それを舌先で掬ってみると、ほんのりと甘いような味が広がった。

 ――どうか、効きますように。

 まるで祈るように彼が言う。
 何の根拠も無いけれども、佐助は彼に「大丈夫」と伝えていった。















 ――ぺちぺち、ぺちぺち

「う…――うん?」

 まだ眠っていたいのに、何かが頬に触れてくる。それも断続的に、小さな柔らかいものが頬に触れてくるのだ。

「けー…たい…――」

 佐助は携帯に手を伸ばす。うっすらと開いた目には、アラームを切ってある画面が出ていた。てっきりアラームが鳴ったと思ったのだが、そうではなかったらしい。

 ――おかしいなぁ…なんだろ?

 ふう、と身体を仰向かせて再び瞼を閉じる。カーテンの先からは、うっすらと陽が射してきており、スズメがちゅんちゅんと啼いている声が響いていた。

 ――ごろん。

 佐助は仰向けになり、再び眠りに落ちようとした。

 ――ぺちぺち

「――――…?」

 再び頬に小さな何かが触れてきて叩いてくる。佐助はうっすらと瞳をあけた。

「朝でござるぞ、某腹が空きもうしたッ!」
「――――…ッ」

 ぴょこ、と視界に小さな――小人が映る。紅い服を着て、大きなどんぐりのような瞳で、佐助を覗き込んできていた。

「佐助殿、佐助殿、起きてくだされ…ッ」

 ――――…?

 佐助の視界に小人が映る。そして自分の頬を叩いていたのが、その小人の手だと気付いた。だが次の瞬間、佐助は思い切り手を振り下ろしていた。

 ――ばしっ

「ふぎゃっ」
「え…――な、ええええ?」

 ――夢じゃない?

 ばちん、と自分の頬に向かって振り下ろした手は、思い切り自分の頬を打った。そして小人も一緒に潰してしまった。

「ひ、酷いでござる…ぅ」
「――――ッ」

 えぐ、と泣きそうになる小人にこれが現実の出来事なのだと知る。寝ぼけていた頭が一気にクリアになってくる。だがこの現状を飲み込めない。信じられないものが目の前で動いているのだ。だが彼の方は慌てる様子もなく、佐助が起きた事に、にこ、と笑ってみせた。

「あ、佐助殿、ちゃんと某が見えているでござるな?」
「――――…?」
「某、幸村と申す!以後、宜しくお願い申すッ」
「――――……ッ??」

 ぺこん、と頭を垂れる小人に、思考が停止しかけた。

 ――って、何これ、何コレ?

「佐助殿?」
「え…――、ちょ…待って」
「佐助殿?如何され…――」

 覗きこんでくる小人――だが、そんな小人なんて聞いた事もない。現実に引き戻された瞬間、佐助はパニックになってきていた。

「ぎゃああああああああああああああ――ッ」
「ふぎゃんッ!」

 ――べしゃ。

 再び佐助は思い切り手を打ち付けてしまっていた。そして哀れにも、その小人は佐助の手に潰されていった。







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090805 佐助ひどい…